中2・2月(後)
バレンタイン3日前。
クラスの女子で話し合って、義理チョコを同じクラスの男子全員に配ることにした。
うちのクラスは仲が良い。
「その方が、個々に準備するより効率的だよね~」
「あ、もちろん本命とか、仲良しの子にはそれぞれ別に渡してくれて良いからね!」
学級委員の長谷川さんが仕切ってくれて、女子全員でお金を出し合った。といってもそこは中学生、集まった金額は大した事ないので、あげるのはチ○ルチョコ一人5個ずつになった。いろんな種類の味を混ぜ、百均で買ってきた袋に包み、ラッピングする。チープではあるけれど、結構可愛い感じに仕上がったと思う。
今年のバレンタインは平日なので、その日の日直の子が朝、男子全員分、それぞれの机の上に置いてくれる運びになった。
本当はね、建前としては、学校にお菓子持ってきたりしちゃいけないんだけどね。でもまあ黙認ていうか、よっぽど派手にやらなければ見逃してくれるらしい。(私もクリスマスにクッキー持ってきたりしたし。あ、これは黒歴史だった……くすん。)
よその中学では、バレンタイン当日にわざと持ち物検査をしてチョコを没収する先生がいるという話も聞く。それって悲しすぎるよね……。手作りチョコ没収とか、血も涙も無いわ……。うちの学校じゃなくて良かった。くわばらくわばら。
女子全員で集まってラッピング作業をするのは楽しくて、自然と恋バナも盛り上がる。
誰々が誰々に告白する予定だとか……、誰々はどこそこのブランドチョコを買ったとか……。
うん、聞くのはね、いいんだけどね。
私はこういう場がちょっぴり苦手だ。何故って、公認カップルは話題として無難なので、必ず一度は話が振られるから。偽カレ偽カノの私達に、話せる事などほとんど無いというのに……。
「ね、やっぱり千奈っちゃんが渡すのは樫木君、だよね」
「う、うん」
「いいよなぁ両想いは! あたしなんて受け取ってもらえるかどうかさえ不明だよ!」
「片思いの子は、勝負かかってるもんね」
「あれ、でも、樫木君に渡すって宣言してる一年女子、いるらしいよ」
えっ。
「何それ初耳」
「誰、誰」
「剣道部の子だって」
「千奈っちゃんの事知らないのかなぁ」
「あれじゃない、玉砕覚悟の。渡したら気が済む的な」
「結構可愛い子だって聞いた」
「猛者ですな」
そうなんだ。
伊織くんの事が好きな子、私の他にもいるんだ。
わ、心臓ドキドキしてきた。
「大丈夫だよ、千奈津。樫木君は」
皆の話を聞いて俯いてしまった私を、美和ちゃんがそっと励ましてくれた。
他の女子達も気付いて、口々にフォローしてくれる。
「こういうのはさ、あまり気にし過ぎない方がいいよ」
「そうそう。人の気持ちには手出し出来ないんだし」
「その一年の子もさ、やるだけはやらないと、きっと諦めつかないんだろうね」
「千奈っちゃんは、自分の出来る事をすればいいんだよ」
「まあ私達は千奈っちゃんの味方だから!」
「無いとは思うけど、万が一樫木君がヘタ打ったら、女子全員でシメるから!」
そこで何故か、私以外の全員が爆笑。
「無いわ~樫木君は無いわ~」
いや、皆。
励ましてくれているのは有難いんだけど、その自信たっぷりな発言の根拠はどこら辺にあるの……?
*****
そして当日。
私が登校した時には教室には既に早い子が数人来ていて、机の上の包みにワイワイ言っていた。
「女子全員からの義理チョコだよ! 有難く受け取るように!」
「うわっ嬉しい~……ってチ○ルかよ! ……いや文句なんかアリマセン、ドウモアリガトウゴザイマス」
こういう時、場を盛り上げるのは波瀬くんだ。
近くの女子にお礼を言う子、黙って鞄に突っ込む子、いろいろいるけどほとんど全員が受け取ってくれた。
あとは、伊織くん。
いつものように始業ギリギリに来るであろう伊織くんの席は、まだ包みが乗ったままだ。
私は、自分の持って来たプレゼントの事を考える。
結局チョコじゃないものにしたんだけど、伊織くん、受け取ってくれるかなぁ……。
そろそろ伊織くんが来るんじゃないかとキョロキョロしていると、ふらりと教室から出ていく国重くんの姿が見えた。
「国重くん」
追い掛けて名前を呼ぶと、廊下の角で国重くんが振り返った。
「これ。お世話になったお礼」
以前リクエストされた通り、×××の板チョコを三枚、渡す。
「……律儀だね。覚えててくれたんだ」
意外そうな顔をして受け取る国重くん。なんだろう、私そんなに薄情者だと思われていたんだろうか。
「そりゃあそうだよ。あの本、とっても助かったもの。どうもありがとう」
「その様子だと手作り、上手くいったようだね」
「……うん、まあ、おかげさまで」
少し照れる。
伊織くんの口に合えばいいんだけどなあ。
赤くなった顔を国重くんに見られるのが恥ずかしくて、私は話題を変えた。
「そう言えばゴメン、呼び止めちゃったけど、国重くんはどこかに行く途中だったんじゃないの?」
「ああ、これ」
国重くんは、義理チョコの入ったラッピングの袋を掲げて見せた。
「折角だし、早速食べてこようかと」
……本当にチョコ好きなんだなあ。禁断症状うんぬんは、冗談じゃなかったのね。
思わず笑ってしまった。
「足りなかったら私のあげたチョコも食べてきてよ」
「それは食べないよ」
クスクス笑う私に、生真面目な声で国重くんが苦笑を返す。
「ああ、さすがにそれは食べ過ぎだよね?」
「甘糟さんから貰えるのなら、別に義理だっていいんだよ僕は」
……ん?
言葉の意味を考えているうちに、国重くんは片手を挙げて階段の方へ去って行った。
国重くんって、よく分からない人だなあ。
教室に戻ろうと振り返ると、廊下の壁にもたれている伊織くんがいた。
何かぶつぶつ呟いている。
「……心身を錬磨して旺盛なる気力を養い……礼節を尊び信義を重んじ誠を尽して常に自己の修養に努め、以って…………」
「伊織くん、おはよう?」
下から顔を覗き込むようにして挨拶をすると、フッと伊織くんの目の焦点が戻る。
「……おはよう、ちー」
「今日、遅かったね?」
どうしたんだろう。少し、浮かない顔?
「ああ、片付けにちょっと時間掛かって……。ちー、今……国重と」
「ん? うん、お世話になったから、お礼に義理チョコ渡してきた」
「……義理……」
はっ。
もしかして今が伊織くんに渡すチャンスかも。
私はなけなしの勇気を振り絞った。
「あのね、私、伊織くんに…」
そこまで言い掛けた時、階段下から足音が。出席簿片手に、担任の先生が上がってくる姿が見えた。
「あ、伊織くん大変、机の上にクラスの女子全員からのチョコがあるんだよ。早く、隠して隠して」
私は慌てて伊織くんの背中を押し、教室に戻った。
伊織くんがなんとかチョコの袋を片付けて、先生の出席確認が始まった時、国重くんが口を拭いながらドアから滑り込んできた。
*****
どうしよう。
昼休みも渡せなかった。
休み時間に私が伊織くんに話し掛けるたび、なんだか女子の皆が注目してて……躊躇っているうちにとうとう放課後になってしまった。どれだけヘタレなの、私。
「ど、どうしよう、美和ちゃん。伊織くんがもういない」
「落ち着け、千奈津。樫木君なら部活に決まっている」
そ、そうだよね。
「私、道場に行ってみる!」
「頑張れ千奈津!」
教室で待ってるから、と言って、美和ちゃんは手を振った。
剣道場について、こっそり練習風景を覗いてみたけれど、防具をつけていても分かる伊織くんの姿はなかった。
おかしいな。
水でも飲んで休憩しているのかな?
屋外の水飲み場の方に回ってみると、途中で女の子に行き会う。剣道の防具を身に着けて、面とその下の手ぬぐいだけを外した格好。剣道部だろうけど、知らない子だ。すれ違いざまに、ぺこりと礼を交わした。
そのまま進むと、水道から少し離れた木の影に、伊織くんの背中が見えた。相変わらずの美しい後ろ姿は、けれどいつになく他人を拒絶しているような雰囲気を湛えていた。
「伊織くん」
おそるおそる呼び掛けると、振り向く。その表情は一瞬強張ってたように思えたけど、
「……ちー」
私の名を口にした時には、もういつもの伊織くんの顔だった。
「どうした?」
迷ったり躊躇ったりする前に渡してしまおうと、今日何度も失敗した私は思っていた。そのせいか咄嗟に無言で、手にした包みを伊織くんに突き付けてしまう。伊織くんの一重の目が見開いて、その後ゆっくりと一度、まばたきしたのが分かった。
「伊織くん、これ、もらって?」
唇から単語を押し出すようにしてどうにかそれだけを言うと、自分の顔に血が上ってくるのを感じる。
わ、熱い。
私の顔、絶対今、真っ赤だ。
「……これ、バレンタインの?」
伊織くんの言葉に、肯く。私の胸はもういっぱいで、それ以上一言も出てこなかった。
「…………はぁ―――……」
伊織くんは大きく息を吐き、手足を投げ出してその場に座り込んだ。袴が地面に触れて広がる。いきなりの予想外な動きに私は驚いて、かえって声が出るようになった。
「い、伊織くん?」
「俺、もう今日は無理かと思ってた―――」
両掌で顔を覆う伊織くんに合わせて、私もしゃがみ込んでみる。
そのまましばらく、無言の時が過ぎた。
「ええと……もらってくれる?」
おずおずと差し出した包みは、今度は優しく受け取られた。
「これ……トンボかな。ちーの手作り?」
中身を覗き込んだ伊織くんが尋ねる。
「そう。チョコの代わり。甘さ控えめにしているから、良かったら食べてみて」
私が作ったのは、ブラックココアのクッキーだった。
ココアは、チョコレートと同じ、カカオから出来ている。原料のカカオマスから油脂分であるココアバターを減らしたものがココア、減らさなかったり増やしたりしたものがチョコレートなのだそうだ。
それで、チョコの代役にはうってつけだと思って。
更に、オ○オのクッキーをイメージして、甘さを抑えて真っ黒にしてみた。
ブラックココアだけだと風味が薄いので、純ココアと混ぜて使うのがおススメだ。
形をトンボにしたのは、伊織くんの竹刀袋の柄がそれだったから。
「トンボはさ、前だけに進んで退却をしない『不転退』っていって、武士の間では勝虫として縁起物だったんだ。それで剣道の道具とか、ああ、手ぬぐいなんかにもよく使われる」
でも、なんでチョコじゃないの? と、伊織くんが不思議そうに聞くので、
「だって伊織くん、甘いもの苦手なんでしょう」
そう私が聞き返したら、
「他の人のは断るけど。ちーの作ってくれたものなら、俺、何でも食べるよ」
真顔で言われて、ドキッとしてしまった。
もしかするとそれは多分、さっきすれ違った女の子の事なのかもしれない。
でも、私はあえて訊かなかった。
先刻目にした伊織くんの背中が、総てを語っていたように思えたからだ。
伊織くんは、いつだって真摯で誠実だ。
私も、伊織くんのように真っ直ぐでいたい。
憧れの伊織くんの背中に恥じないような自分になりたい。
嘘がつくような彼氏彼女ではなくて、胸を張って本物だと言える関係でありたい。
とりあえずはこの気持ちを想い人に間違いなく届けようと、伊織くんの耳元に口を寄せる。
「ちー……?」
戸惑う伊織くんに向かって微笑み、
「伊織くん。これは、義理なんかじゃないからね?」
と囁くと、伊織くんの顔が、まるでアキアカネのように真っ赤に色づいた。
ちなみに、廊下で伊織が呟いていた科白は、『剣道修錬の心構え』です。
平常心を保とうとしていたようです。