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嘘彼と、私  作者: ひめきち
嘘彼と、バレンタイン
5/19

中2・2月(中)

「ちー」


 早朝。

 私は下駄箱で、伊織くんに呼び止められた。


「え、あれ、伊織くん? おはよう。どうしたの、こんな時間に」


 思いがけない出会いに、どきどきしてしまう。私は慌てて上靴を履いた。

 いつもなら、私の登校するこの時間、伊織くんは部活の朝練中のはずなのに。


「俺だけ今日は、早目に上がらせてもらったんだ」


 伊織くんは、手にした黒い日誌を私の方に振ってみせた。それで合点がいく。


「ああ、今日の日直、伊織くんなの?」


 私の言葉に、伊織くんは肯く。それから、

「教室まで一緒に行こう」

 と言って日誌を小脇に挟み、靴を履きかえるために足元に置いていた私の鞄を、持ってくれた。


「あ、あの、ありがとう」


 伊織くんの隣に並んで歩く。

 鞄のお礼を言うと、伊織くんは黙って肯いた。


 ちらほらと登校する生徒がいる中で二人並んで廊下を歩くのは少し気恥ずかしかったけど、朝から伊織くんと話せるなんて滅多にないことだから、こんなチャンス逃せない。

 幸い、というか、私と伊織くんは同学年では公認のカップルだ。目が合った同級生の人達は、珍しいけど意外な事ではない、というように、そっとスルーしてくれた。生暖かい視線が、却って恥ずかしいような気もするんだけどね……。


 こういう時、伊織くんは照れもせず飄々としている。我関せず、という感じ。

 嘘カレの噂が流れた時もそうだった。黙って私の事を守ってくれた。

 多分、私が周りを気にし過ぎなんだ。

 隣の伊織くんを見習って、私も背筋を意識的に伸ばしてみた。

 私も、伊織くんみたいに強くて揺るぎない人になりたい。


 ぽつりぽつりと会話をしながら歩いていると、校舎の中だというのに、吐く息が白く見えた。


「毎日寒いな」

「ホント。2月が一番冷えるよね。伊織くんは朝練、寒くないの?」

「剣道は基本、裸足だから、稽古始めが一番寒いかな。でも、冬はそんなにつらくない。身体動かしていると暖まってくるし。俺は、夏の暑さの方がきついな。防具付けていると、脱水症状起こす奴とかいるんだ」


 剣道の話になると、伊織くんは普段よりちょっとだけ饒舌になる気がする。

 きっと、剣道がすごく好きなんだと思う。

 ふふ、と私は笑顔になった。


 やっぱり私、伊織くんが好きだなあ。

 改めて、しみじみとそう思った。


 教室まではあっという間だった。


「どうもありがとう」


 入室する前に荷物を返してもらおうと手を差し出すと、伊織くんは私に鞄を渡しながら数秒何かを考え、そのまま私の肩に両手を掛けた。


「え」


 動きを封じられた私に、伊織くんの顔が近付いてくる。

 え、なに、これ。なに、が……、


「忘れてた」


 ほんの少し身を屈めた伊織くんは私の耳元に唇を寄せ、


「―――おはよう、ちー」


 と言うと、一重の目を細めて笑った。そして思い切り良くサッと離れると、日誌を片手に教室の中に入って行ってしまった。


 ……あ、あいさつ。挨拶ね……。

 伊織くんったら、律儀過ぎるよ……!


 いつもなら見惚れてしまう大好きなあの微笑みよりも、耳朶に感じた伊織くんの吐息と声音の近さのせいで、私の顔は真っ赤になってしまい、しばらく教室に入れずに立ち尽くしていたのだった。



*****



「美和ちゃん、ちょっと付き合ってくれる?」


 昼休み、私は美和ちゃんと図書室に来ていた。

 目的はお菓子の本。甘くないチョコレートを作るためだ。


「お菓子の本、お菓子の本……どの辺かなぁ」


 目的の物を探して二人で本棚の間をうろうろしていると、両手に返却本を抱えた図書委員が寄ってきてくれた。


赤城あかぎさん、甘糟さん、何探してるの?」


 同じクラスの国重くにしげくんだった。そういえば彼は図書委員だったっけ。

 ちなみに、赤城というのは美和ちゃんの苗字だ。


「料理関係ならこの棚だよ」


 国重くんが案内してくれて、私達はようやくお目当ての本に辿り着いた。


「助かった、ありがとう国重くん」

「いやいや本の事なら何でも聞いてよ。今ならお礼は義理チョコでいいからさ」


 冗談なのか本気なのか分からない顔で言われる。

 美和ちゃんと顔を見合わせていると、


「いやほんとマジで。手作りじゃなくていいよ、市販のやつで。実は僕チョコレートが大好きなんだけどさ、この時期男がチョコ買ってると、『自分で買ってる寂しい奴』っていう目で見られて肩身が狭くてね……禁断症状が出そうなんだよね」


 返却本を棚に戻しながら、小声で国重くんが説明してくれた。


「甘糟さんは樫木にあげるんでしょ? 手作りチョコなら、これとこれ、それからこの本辺りが分かりやすくておススメだよ」


 数冊取り出して私に渡すと、国重くんは貸出カウンターの方に戻って行った。できれば×××の板チョコでお願いするね、と言い残して。


「あいつ、上手いわね……」


 国重くんの後ろ姿を見ながら、美和ちゃんが呟いた。


 

 それから、私と美和ちゃんは図書室の閲覧用テーブルで、国重くんお薦めの料理本を眺めた。

 内容はイラストが豊富で、調理手順が初心者にも分かりやすく丁寧に書いてあり、美味しそうな物ばかり。さすがは図書委員だと、ちょっぴり国重くんを尊敬してしまった。


「うわ、これ見て千奈津。おまじない☆手作りチョコだって」

「……チョコに食べ物じゃないものを入れるのはちょっと……」

「だよね……」


「あっこれ美味しそう。ね~、別にチョコにこだわらなくてもさ、チーズケーキとかどうなの?」

「うん……」


 チーズケーキも美味しいよね。

 でも、出来れば私、伊織くんにチョコレートをあげたいんだよね。

 想いを込めて作ったバレンタインチョコって、それ自体が何か特別っていうか、恋愛成就の魔力が籠もっているような、そんな気がしない?

 私が勇気を出せるように、後押ししてくれる力が。


 なんでもチョコレートの原料であるカカオの木には、『神の食べ物』っていう学名があるそうだ。

 今では砂糖を入れて甘くした、固形のチョコレートが主流だけど。

 昔は、唐辛子やスパイスを入れて飲む、甘くなくて薬のような、滋養強壮の飲み物だったんだって。もともと、カカオ自体は甘くないらしい。

 そういう意味では甘くないチョコは手に入る。健康ブームに乗っかって、カカオ分の多いチョコだって売ってるし。でもあれ、本当に苦いよね。美味しいと思う人、いるのかな。薬だと思って食べているのかしら。

 それくらいなら、チーズケーキの方が良いかもしれないな。伊織くんにチーズは好きかどうか、さりげなく聞いてみようかな……。



*****



 そういえば。

 伊織くんは、やっぱり身長が伸びたと思う。

 並んで歩いた時の事を思い出して、私はそう結論付けた。


 私の身長はもともと150cmぎりぎり位で女子の中でも小さい方なのだけど、今朝の伊織くんは私より頭一つ分くらい上だった。という事は、少なくとも現在165cmはあるって事だよね。

 去年の伊織くんは私と同じか少し大きいくらいだった気がするから、一年で10cm以上は伸びた計算になる。男の子って凄いなあ。きっとまだまだ伸びるよね。握手した時、伊織くんの手、私の手よりだいぶ大きいなって思ったもの。手足が大きい子は身長が伸びる、っていうじゃない? これは、うちのお母さんの受け売りだけど。


 小学校の時から伊織くんは、身長の高い方じゃなかった。細身で、どちらかというと小柄。と言っても痩せていたっていう訳じゃない。引き締まっている、というのが一番近いのかな。

 剣道は小さい頃からやっていたって言うから、運動神経は良かったんだろう。うろ覚えだけど、小学生の時も何回か剣道の大会で上位に入って朝礼で表彰されていたような記憶がある。へえ、あの子凄いんだな、くらいの感想しか持っていなかったけど。


 女子もそうだけど、男子の成長期には個人差がある。

 伊織くんは、成長期が遅いタイプだったんだろう。

 中学に入学した頃の伊織くんは、同学年の男子の中では比較的小さい方だった。


 それが妥当な事かどうかは別にして、身長の低い男子って、他の男子に対して、たいていある種の引け目みたいなものを持っているよね。けど伊織くんにはそれがなくて、いつでも背筋をピンと伸ばして立っていた。姿勢のいい子だな、というのが、私にとって伊織くんの第一印象だった。




 だから余計に、あの時、伊織くんが格好良く見えたんだ。



 背の低い中学一年生にとって、三年生なんて、ほとんど大人と同じだ。

 私に告白してきた人も、そう。背の高い人だった。

 今考えるとちょっと失礼だったかな、と思うけど、あの時の私はただ怖くて。一度も話したことが無い、大人の男みたいな人に交際を申し込まれても、うなずける訳が無くて。断っても追い縋られて、掴まれた手首が痛くて、どうしたら良いのか分からずに、涙が溢れてしまって。


「……どうした?」


 たまたま通りかかった伊織くんの言葉が、天から降って来たかのように思えたっけ。


 私の泣き顔を見て場の状況を察してくれたらしい伊織くんが、上履きのまま、通路から外れて裏庭の端まで来てくれた。そして先輩と私の間に立つと、自分より30cm以上も上背のある先輩に向かって、毅然とした態度で告げたのだ。


「泣かさないで下さい。こいつはもう俺と付き合っているんです。申し訳ありませんが、断られたのなら潔く諦めてもらえませんか」


 あんなに身長差があって年齢も上の人を相手に、怖くなかった訳が無い。

 でも、あの時の伊織くんは、そんな気持ちを微塵も感じさせないほど、凛とした真っ直ぐな背中をしていたんだ。


 今にして思うと、もうあの時私は既に、恋に落ちていたのかもしれない。

 伊織くんの、あの背中に―――。



 

 

 

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