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嘘彼と、私  作者: ひめきち
嘘彼と、お花見
11/19

中3・4月(中)

 古今東西、女の子の支度には時間がかかる。

 なんせ、準備の前段階までがまた長いのだ。



*****



 昨夜、私は興奮のあまり寝付けなかった。

 布団の中で何度も寝返りを打ち、悶々とする。服はあれにしよう、それなら髪型はこうでバッグはこれ、いや待って、合わせる靴が春っぽくないからやっぱりやめて、じゃあ替えるのはあの服? ……考え始めたら落ち着かなくなって、ベッドを抜け出して貧弱な自分のワードローブを漁りどうにかこうにかコーディネートを決定しては、布団に戻ってまた悩み出す。ようやく眠りに入れたのは明け方に近かったかもしれない。

 そんな風だったから、私が起きたのは朝の九時過ぎだった。思わず目覚まし時計を二度見した。

 うそうそ、アラーム無意識に止めちゃってた? もう約束まで一時間もないよ⁉︎



「お母さんひどい! なんで声掛けてくれないの?」


 昨朝も半泣きで飛び込んだダイニングに、昨日の百倍くらい切羽詰まった気持ちで駆け込んだ。完全に八つ当たりだ、うん分かってるゴメンナサイ。


「あら、千奈津は昨夜遅くまで起きてたみたいだったから……」


 春休みだし、お寝坊さんでも特別よ?

 言外にそう言って、お母さんは紅茶をミルクにするかレモンにするか訊いてきた。

 起こしてくれなかったのが思いやりだったのは分かるけど、その気持ちは有難いんだけど。わぁん、今日に限ってはそんな温情いらなかったよ、お母さん……!


「約束があるの! ねえ、この格好変じゃない? 髪型、後ろもおかしくなってない?」

「大丈夫、可愛く出来てるわよ」


 今日の服装は淡黄色のカーディガンに、ウエストゴムでキュッと絞った膝上丈のワンピース。パイン柄がお気に入りで結構カジュアルめ。髪は簡単に捻じってハーフアップにし、クリスマスに伊織くんから貰った髪留めを付けた。本当は編み込みとかしたかったんだけど、というかその予定だったんだけど、如何せん時間が足りなくて。

 お母さんのお墨付きをもらって、私は取り敢えず泣き出しそうな気持ちを宥めた。もう、胃がひっくり返りそう。

 ヒールのあるサンダルで走ると転んじゃうかも。ハイカットのスニーカーを履きながら時計を見て所用時間を逆算する。うん、なんとか、ギリギリ、間に合うはず。伊織くんを待たせたり(!)はしないハズ。


「何か一口だけでも食べていったら?」

「ごめんね遅れちゃうから。朝ごはんいらない、行ってきます!」



*****



 走って走って走って。

 全力疾走だと髪が乱れちゃうし伊織くんに会うのに汗だくなんて嫌過ぎるから、そこそこの速度で、でも息が上がるくらいにはキツくて。

 待ち合わせの場所に着く頃には、私の足はもうガクガクだった。帰宅部女子の限界を見た気がする。


 約束していたのは、学校近くの緑川の土手だ。そよ風が火照った肌に心地良い。


 膝に手を置いて(スカート着用者としての許容範囲まで)前屈みになりながらも辺りを見回す。伊織くんの姿はまだない。やった、セーフだ。マラソン大会より頑張ったんじゃないかなあ、私。

 息を整えるより先に手櫛で髪を直す。

 好きな人に少しでも可愛い自分を見てもらいたいっていうのは全世界共通の女心だよね?


「ちー、待たせた?」


 そうたいして経たないうちに、伊織くんが学校の方から駆けてきてくれた。竹刀を持っているのが走りにくそう。私の前で止まった伊織くんは、いきなり顔の前で両手を合わせた。


「ごめん! 誘っておいて悪いんだけど、少ししか時間ないんだ。午後から道場の方で稽古になって、昼には家に戻らないと」


 伊織くんは、部活以外にも個人で道場に通って練習しているんだそうだ。最後の中体連まであと三ヶ月もない。集中して練習出来る春休みは貴重なんだろう。


「そんな、伊織くん、気にしないで」


 二、三時間一緒にいられるだけで私は十分嬉しい。忙しい中会いたいと思ってくれたのなら、尚更。


「本当ごめん。でもどうしても、ちーと一緒にこれを見たくて」


 伊織くんの動きにつれて、私の目は土手に咲く桜並木を捉えた。

 ここに来た時から視界には入っていたんだけど、伊織くんを探す方に必死になってたから、今初めて見たように感じた。

 満開の、桜。

 川沿いの土手に沿って、白に近い薄ピンクの花の列が続く。花影が川面に映って、より一層咲き誇る。

 すごい。

 すごく──綺麗。


「わぁ……」


 私は感嘆の声をあげた。


 伊織くんと桜は似合う。

 真っ直ぐな、凛とした感じがどこか似ている。綺麗な姿とは裏腹に、人を寄せ付けないような雰囲気もあるのに、どうしようもなく惹かれて視線を向けずにはいられない。

 伊織くん越しに満開の桜へ見惚れていたら、


 ぐぅぅぅぅ。


 なんだか凄い音がした。

 私の身体から。

 ……て、多分、お腹の虫が鳴ったんだ。私の。

 自覚した途端、顔に血が上った。お腹を押さえて数歩後ずさる。

 嘘。やだ。朝ごはん食べてなかったから。どうしよう、伊織くんに今の音絶対聞かれたよね⁉︎


 やばい。

 死ねる。余裕で死ねる。

 今すぐここから消えてなくなりたい……!


「ちー、俺、お腹空いた」

「……え?」

「一旦コンビニ行かない? なんか買おう」


 伊織くんの提案で、私達は近くのお店に向かった。

 伊織くんが折角スルーしてくれたんだから、また恥ずかしい音を出さないうちに何か胃に入れよう。


「伊織くんはおにぎり派?」

「うん。大抵は。パンより腹に溜まるし」


 伊織くんが選んだおにぎりは、梅干しとシャケ、ツナマヨに高菜。それにペットボトルのお茶と、レジで唐揚げを追加した。


「えっと、伊織くん……もしかしてそれ全部食べるの?」


 空腹な私に気を遣ってくれているだけなのかと思ったら、伊織くんは予想外にガッツリと買い込んでいる。

 お昼はお家に帰るって、さっき言ってなかったっけ?


「俺いつもこれくらい食べてから、うち帰って飯も食うよ?」


 意外と伊織くんは大食漢だった事が判明した。それとも運動部男子だと普通なんだろうか……凄すぎる。

 私の方はサンドイッチと紅茶を買って、一緒にコンビニを出た。

 途中で二人ともお腹が鳴ったけど、もう今更だ。伊織くんと私は顔を見合わせて笑った。


 そうして二人で桜の土手まで歩いて戻る。道すがら、伊織くんは剣道の色々な話をしてくれた。

 裸足で稽古していると足の裏の皮が厚くなって押しピン踏んでも大丈夫だったとか。梅雨時に防具を部室に置きっ放しにしているとカビが生えて困るとか。試合で勝ってもガッツポーズは禁忌だとか。そういう話。


 土手に戻ってきたら、伊織くんが手拭いを地面に敷いてくれた。始めは私もいいって断ったんだけど、重ねて勧められたのでありがたく座らせてもらう。

 桜の見える特等席に並んで座って、お互いに買ってきたものを袋から出して食べ始めた。

 ……こういうのって本来は"彼女"がお弁当作ってくるものなんじゃないのかなあ。もし次の機会があったら頑張ろう。


 一度応援に行きたいな、と言うと、伊織くんは少しだけ困った顔をした。


「うちの顧問、頭古くて。試合の応援に女子が来るの、いい顔しないんだよね」

「え……って、女子部員でも?」

「部員も、家族も。うちの親も来たことない」

「練習は男女一緒にしてるのに?」

「してるのに」


 伊織くんは肩をすくめた。


「ああ、でも、女子の試合を俺らが応援に行くのはいいんだ」

「……ヘンなの」

「だよな。でも男子はほら、女子が来ると浮き足立っちゃうから。俺も、ちーがもし来てくれたら、いいとこ見せようと気負っちゃうかも」

「伊織くんが?」


 ……まさか。


 信じられない気持ちでそう訊くと、伊織くんは私の方を向いて身体を寄せた。


「わりと単純なんだよ俺」


 あれ。今気付いたけど、これは。


「今日もさ、実は。ちーが待ってると思ったら焦っちゃって、袴のまま出て行きそうになって怒られた」


 伊織くん、あの、あのね。

 顔が……顔が近いんだけど……!



 し ん ぞ う が く ち か ら と び だ し そ う 。



 伊織くんの形は良いけど竹刀ダコのある手が伸びてきて、私の髪にそっと触れる。優しい、優しい触れ方。まるで伊織くんの人柄が、手の動きに表れているようだった。


「……ちーの、あの顔が見たかったんだ」


 伊織くんが、私の髪を撫でながら囁く。

 私は、すぐ傍にいる伊織くんの顔から目が逸らせない。ドキドキしてしまって声も出ない。


「綺麗なものを見ると、ちーはすごく幸せそうにふんわり笑う。それを眺めているのが、好きなんだ。……俺まで嬉しくなるから」


 そう言って、伊織くんは微笑んだ。



 伊織くん。

 奇遇だね、私も。

 伊織くんが笑うと嬉しいよ。

 伊織くんの笑顔が、大好きだよ。



 伊織くんの指が、私の髪を一筋掬った。


「ちー、ほら。花びら付いてた」


 いつの間に飛んできたんだろう。伊織くんが私の頭から桜の花弁を取ってくれた。

 伊織くんに手渡されたそれが、私には、薄紅色の宝物のように思えた。


「桜、綺麗だね……」



*****



 伊織くんと私は、そのまま時間が来るまで桜並木を眺めていた。

 寝坊したり、お腹が鳴ったり。ピクニックシートは手拭いで、行楽弁当はコンビニごはんな、なんちゃってお花見だったけど。

 こんな幸せなお花見を、この先春が来るたびに私は思い出すに違いない──……。

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