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嘘彼と、私  作者: ひめきち
嘘彼と、クリスマス
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中2・12月(前)

 樫木かしき伊織いおりくんは、誰よりも格好良くて優しい。

 私の憧れの人。

 そして―――――私の、『嘘カレ』だ。



*****



「おはよう、伊織くん」

 教室に入ってくる伊織くんに一番に気が付いて、いつものように私は小さく手を振る。

「おはよう、ちー」

 伊織くんは自分の席に鞄を置きながら、私に向かって挨拶を返してくれる。一重の目を軽く細めて、形の良い唇の端を微かに上げた顔で。


 伊織くんは和風男子だ。

 一重で切れ長の目、すっと通った鼻すじ、薄い唇。鴉の濡れ羽のように黒くて真っ直ぐな髪は短く揃えられていて、露わになった耳もうなじもいっそ潔い程。顔立ちは整っているが、イケメンと呼ばれる派手さは無い。けれど、もし彼を造形した神の手があるのだとすれば、細部に至るまでとても丁寧に考慮して造られたのだろうな、と思わせる絶妙な配置ぶりだった。


 伊織くんは剣道部なので朝練がある。だから教室にやってくるのは部活で一汗流してきた後だ。誰よりも早く登校している伊織くんに私が会えるのは、いつも始業ギリギリ。そのため毎朝私は、友達と他愛無い会話をしながらも、常に出入り口の方を気にしている。伊織くんに毎日、級友の誰よりも早く『おはよう』を言うために。


「おはよう、樫木君」

 伊織くんの席の近くの女子数人が声を掛けた。伊織くんは無言で礼だけを返す。

 女子達はクスクス笑いながら仲間内の会話に戻って行った。


「伊織、伊織。英語の予習してきた? ちょ頼む、写させて」

 伊織くんの男友達、波瀬はぜくんが駆け寄ってきて肩を叩くと、

「仕様がないな、ほら」

 と、伊織くんは柔らかい表情でノートを渡し、波瀬くんの頭を小突き返した。

「本鈴まであと5分しかないぞ。死ぬ気で急げ」

「ラジャ! 感謝感激、伊織大明神様」


 私と目が合った伊織くんは、拝みながら立ち去る波瀬くんを見て、『困った奴だろ?』と目玉をぎょろりと回してみせた。その仕種に私は思わず吹き出してしまい、

「また千奈津ちなつと樫木君が目と目で会話してる~」

 と呆れた美和みわちゃんにツッコまれた。

 美和ちゃんは私の親友だ。


「千奈津は本当に樫木君が好きだねぇ。そんなに一生懸命見張っていなくても、樫木君は浮気なんかしないと思うよ?」

「見張っている訳じゃないよ……。ただ自然と目が追い掛けちゃうだけで……」


 だって伊織くんと逢える時間、貴重なんだもの。


「ハイハイごちそうさま。それ以上リア充発言すると爆発させるよ? しかしホント、あんた達よく続くよね。もうすぐ1年だっけ? さすが一途同士っていうか。大体彼、千奈津以外の女子とは話もしないじゃない」


 そうだけど、そうじゃない。美和ちゃんは誤解している。

 伊織くんが他の女子とあまり話をしないのは、『カノジョ』に一途だから、という理由じゃない。

 それは伊織くんが、友人と知り合いの境界線をはっきり引く人だからだ。


 伊織くんの他人への態度は男女問わず同じだ。クラスメイト等、単なる知り合いや顔見知り相手には、礼儀正しいけれどどこか素っ気ない。無口で無愛想だ。でも彼が一旦自分の『友人』にカテゴライズした相手だと、なんとも親身で面倒見よく接してくれる。

 それは多分彼のルール。自分で引いた境界線なのだ。一本筋の通ったような美しい彼の道場での立ち姿そのものに、彼の対人関係にははっきりと引かれた境目が存在する。 

 優柔不断で八方美人気味な私と違って、物事を万事曖昧にはしておかない彼の強さ、とでもいうべきものに私はもう長い事憧れっぱなしなのだ。

 そんな伊織くんが、唯一つ曖昧にしている事。誤魔化し続けている事。


 それは、私が伊織くんの『カノジョ』である、という嘘だ。



*****



 私、甘糟あまかす千奈津と、樫木伊織くんは、小学校からの付き合いだ。

 と言っても『幼馴染』と呼ぶほど親しくは無かった。『幼馴染』っていうのはさ、もっとこう、何ていうか、親しい間柄の事だよね? 家が隣近所だとか、親同士が無二の親友だとか、放課後毎日一緒に遊んでいたとか。

 その点、私と伊織くんは、単に同じ小学校に通っていたというだけ。小学生の時は話をしたことも無かったんじゃないかなぁ。うん、小学校では同じクラスになった事すらなかったもの(うちの小学校はクラス替えが2年に1回しかなかったから)。だから私達は、顔と名前くらいは一致する、というレベルの知り合いに過ぎなかった。転校して行った子や私立中学受験組を除けば、そのまま持ち上がりで今の中学に上がった人が大半なのだから、同じ条件の人はたくさんいる。この中学は3つの小学校区からなっているので、全校生徒の3分の1は同じ小学校出身という訳だ。


 伊織くんとは、中1で初めて同じクラスになった。


 もともと恋愛事に疎いと言われていた私でさえも、3月まで小学生だった皆が中学生になった途端やたら恋愛というものを意識し始めた、のには気付いていた。やっぱり制服効果だろうか? 中学生になってセーラー服と学ランを着るようになったら、なんだか自分達が一歩大人に近付いた気がしたもの。隣のクラスの誰々さんが告白されたらしいとか、誰々くんと誰々ちゃんが付き合ってるんだって~とか、そういう情報が学校中で出回るようになった。


 私は、中学生になっても、やっぱりそういう事に疎いままで。


 クリスマス間近な去年の12月、3年生の先輩から私は裏庭に呼び出された。

 顔も知らない男の人からいきなり「好きだ」「付き合ってほしい」と言われ、断ってもしつこくされて、狼狽えた私はつい、泣き出してしまったのだ。たまたま通り掛かった伊織くんが助け舟を出してくれ、「こいつはもう俺と付き合ってますから」と言ってくれたのが、そもそもの始まりだ。



 伊織くんは優しい。私を助けるために付いてくれた嘘のせいで、私達が『カレカノ』だと皆に誤解されたのに、この一年、否定もしなかった。私を『嘘カノ』のままでいさせてくれた。


 本当は分かっている。こんな事、続けていちゃいけないって。

 去年コクってきた先輩もとっくに卒業してしまったし、もう偽装恋人でいる理由も無い。

 それなのに『嘘カレ』を解消出来ない理由は。



 私が、伊織くんを本当に好きになってしまったからだ―――――。 



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