暗瀬ヒカリ
暗瀬ヒカリ。
俺の目の前に座るそいつはとにかく元気で、とにかくうるさい。
せっかく席替えをして一番前の席から一番後ろになれたってのに、これじゃあ前の席の方が遥かにマシだった。
本日も暗瀬ヒカリは二時限目が終わる頃には弁当を食い始め、四時限目終了のチャイムを合図に購買に行ったらしい。教科書やノートが開いたまま置きっぱなしの机を眺めながら、俺は弁当を突く。
窓の外ではもう昼食を終えたのか、サッカーボールを追う人影がまばらにある。中にはうちのクラスの奴もいるし。全く、腹でも痛めればいいのに。
「明石君は今日もお弁当?」
どこへ行っていたのか川島が戻ってきやがった。せっかくいつもより静かな昼食タイムだったのによ。
「ああ、そうだよ」
見れば分かるだろ。チェリーパイ食ってるように見えるか?
「僕は今日も登校前にコンビニでパンを買ってきたんだ。コンビニのパンって美味しいよねえ」
なんでこいつは聞いてもいないことをペラペラと喋るんだ。
「それにさ、今このシールを集めるとお皿が貰えるんだよ」
シールを専用の台紙に慎重に貼っていく。どうやら三〇ポイント貯まれば皿と交換できるみたいだ。
「はわしまふん、はひはってんほ?」
焼きそばパンを咥えた暗瀬がやってきた。両手には購買で獲得した、いくつかの戦利品が抱えられている。本当によく食うなこいつ。
「パンの袋に付いているシールを集めてるんだ。全部溜めたらお皿と交換できるってやつなんだけど知ってる?」
「……んぐっ。あー、CMで見たことある。毎年このくらいの時期になるとやってるよね」
暗瀬ヒカリは川嶋が説明する間にペロリと焼きそばパンを平らげていた。
「それで今は何ポイントくらいなの?」
「それが昨日から始めたばかりだから、まだたったの二ポイントなんだ」
少しだけ気恥ずかしそうに笑う川嶋。
「ありゃ、長い道のりになりそうだねえ」
暗瀬は自席にどかっと腰を下ろす。川島も暗瀬もどこか余所で食ってくんねえかな。
「あ!」
あ?
唐突に声を上げる暗瀬。その表情から察するに何かを閃いたようだ。
ついさっきまでの暗い顔から一転、自分の机の横に下げてあった鞄の中に手を突っ込むこと数秒、カサカサと音を立てながら取り出したのは見覚えのある袋。その袋の表面に付いていた何かを取り、川嶋に見せる。
「じゃーん!」
「これは……あっ!」
「昨日の帰り道、お腹減っちゃってね、コンビニに寄ったんだ」
それは菓子パンの空き袋。例のキャンペーン対象のものだ。
「ということで、これあげるね」
有無を言わせず川嶋の手の甲に貼り付ける。
「ええっ!? でも……いいの?」
「いいの、いいの。わたしが持ってても捨てちゃうだけだし」
川嶋は暗瀬から受け取とったシールを人差し指の先に付け、しばらく見つめた後、顔をあげる。
「ありがとう。暗瀬さん」
「どういたしまして!」
暗瀬は満足したのか自分の椅子に勢いよく腰を下ろし、台紙に几帳面に張っていく川嶋の様子を楽しそうに見守る。
なんかいい話っぽいが、さっきの菓子パンの袋は一晩中お前の鞄に入ってたのかよ。鞄の中、臭そう。
食事中に匂いのことなど考えるんじゃなかったと、後悔しながらご飯を口に運ぶ。
租借し飲み込もうかという瞬間、暗瀬は俺に向け半身を翻した。
「明石くんはいつも川嶋君とお昼ご飯食べてるの?」
「んぐっ!?」
突飛な質問にのどが詰まりそうになる。慌ててペットボトルのお茶を飲む俺の代わりに、シールを貼り終えた川嶋が答えた。
「うん。そうだよ」
バカ、ちげえよ。
「へえー、そうなんだ。二人とも仲いいんだね」
違う。こいつが勝手に話しかけてくるだけだ。
「暗瀬さんは早乙女さんと仲いいよね。普段はお昼も一緒じゃない?」
「普段はそうだねー。屋上とか校庭とか、いろんな場所で食べてるよ。でも今日はみーちゃんいないからさ。教室に来てみたって訳ですよ」
暗瀬は誰も座っていない自分の右隣の席、つまり、俺の右斜め前の席に目をやる。
「遅刻? でもお昼休みまで来ないのは珍しいよね」
ニコニコ顔を曇らせた川嶋の質問に暗瀬は眉根を寄せる。
「うーん……メールしたんだけど返信こないんだよね。今日はお休みなのかも」
そうすると遅刻が多い早乙女も欠席は初めてか。もともと遅刻が多いので、このまま 学校を辞めてしまっても何の違和感もない。
「ところでさ」
暗瀬が切り出す。
「明石君のお弁当はいつも明石君のお母さんが作ってくれてるの?」
俺の箸が止まる。二人の視線が集中するのを肌で感じ、俺は返答を余儀なくされる。
「……いや、これは俺が……」
言いながら出来るだけさり気なく弁当箱を手で覆い隠す。が、こいつには関係なかった。
「え、すごーい! 明石くんが作ってるんだ!!」
暗瀬ヒカリは俺の手を弾き飛ばす。今朝の貴重な数十分が注ぎ込まれた弁当箱が露わになった。
「そういえば毎日お弁当だよね。いつも早起きして作ってるの?」
「ああ……、まあ……」
何だが分からないが、とんだ羞恥プレイだ。顔が熱くなるのを感じる。
「へえー、いろんなのが入ってるねえ……」
羨望の目で見つめられても断固として米粒一つとしてやらんからな。
「美味しそうだなあ……」
暗瀬はじゅるりと涎をすする。まるでエサを前にお預けをくらっている犬のようだ。お手、と言ったらするんだろうか。
『ブーブーブー』
「お?」
暗瀬が机の上に置いていた携帯が震える。おそらくは電話かメール、どちらかの着信があったようだ。
俺の弁当に明らかな未練の表情を残しながら、暗瀬は携帯を操作することを優先した。 俺はその隙に通常の二倍の速度で顎と箸を動かす。
「みーちゃんからだ」
早乙女、グッドタイミング。
どうやらメールだったようだ。携帯を操作する暗瀬に川嶋が尋ねる。
「早乙女さん何だって?」
「雨が降りそうだから今日は休むって」
南の島の大王が言いそうな理由だな。だが今回ばかりは許そう。
俺は最後の一口を飲み込み、弁当の蓋をそっと閉じる。
「えー!? 食べ終わっちゃったの!?」
やるなんて一言もいってないだろ。その本当に残念そうな顔を止めろ。俺に非はないのに罪悪感が生まれる。
「もう! 明石くんがお弁当くれなかったって、みーちゃんにチクっとくからねっ!」
高速で指を動かしメールを打つ暗瀬。チクられたところで俺も早乙女もどうすりゃいいんだよ。
「早乙女さん明日はちゃんと来ないとね」
「そうだよねえ、二日連続休みは駄目だよねえ」
「あっ、いや、そうじゃなくてさ」
川嶋の一言に暗瀬は携帯から顔を上げ、首を傾げる。
「? 明日って何かあったっけ?」
「ほら、佐古先生が英語の時間潰して、委員会決めをするからって言ってたじゃない」
「はー……そういえば言ってたかも」
暗瀬と同じく俺も今まで忘れていた。本当は先週やる予定だったんだが、廊下にぶちまけられた消火器の粉が、教室に入ってきたのが原因で延期になっていたんだったな。呆れたことにうちのクラスの男二人が犯人だったのだが。
「こういうのって休むと余ったところに入れられちゃうんだよねー。みーちゃんに明日は絶対来るようにって連絡しとこ」
俺も小学校の時にその経験がある。その一日を風邪で休んだだけで一年もの間、好きでもないウサギの世話をする羽目になるとはな。
「あーヒカリ! ここにいたんだ」
暗瀬の机に近づいてくるのは暗瀬よりも短いショートヘアーの女子。同じクラスの近藤だ。
「えっへん! 今日は久々に教室でランチだったのだ!」
腰に両手を当て、なぜか偉そうに言う。
「次の体育、先生が授業前からボール使っていいって」
時計を見ると、昼休み終了まで残り十分ほど。もうそんなに時間が経っていたのか。
ちなみに女子はバスケだが男子はサッカーだ。いやはや玉蹴りなど全くもってつまらん。
「えっ本当に! すぐ行く!」
暗瀬はいつの間にか買ってきたパンを全て平らげていたようで、勢いよく立ち上がった。
「あっ、そうだ明石くん……」
そのまま俺の方を振り返る。
「明日は絶対にお弁当分けてもらうからねっ!」
満面の笑みで恐喝予告をしたあと、暗瀬はダッシュで教室を後にする。
「ちょ、ちょっと待ってよ。ヒカリ!?」
その場に置き去りにされた近藤は、暗瀬の背中を追うように教室を出て行った。
本人は意識していないのかも知れないが、そのすがすがしいまでの自己中心的な性格に感銘を覚えつつも胸に誓う。
仕方ない。明日の昼は購買でパンでも買うことにしよう。