9.頭の作りが違いすぎるようです
「と、いうことで、メルフィ。生成量を確かめるのに、ちょうどいい方法があるの。この子にちょっと触れてみて」
「はい!?」
予想外の試練を聞いて、ガバッと身を起こす。
触れる? アルさんに? 精神衛生上よろしくない影響は!?
「いや、ちょ、それは」
「大丈夫よ、私の仮説が正しければ――」
「これでいいのか?」
「うあ!」
ガシ、と頭に重い感触を受けて、上半身はふたたび下を向く。
なにすんのアルさん、これアルさんだよね? ちょっと私まだ覚悟決めてないんですけど!
「ああぁ嫌だ私まだ狂いたくな――あ、れ? なんともない?」
そっと首をひねって見上げれば、希少価値の高い色味をしたいつぞやのブリザード美形が冷ややかな眼差しを向けている。艶やかなロングヘアに切れ長の瞳。わあ昨日ぶりですね、相変わらずお美しいことで。
たしかに頭にある手の感触も、子供のものじゃなかった、ような。
「なにこれどうなってんの……? アルさんいつの間に元に戻ったの……?」
「私は戻してないわ。あなたの魔力が流れ込んで幻術を無効化してるのよ」
「へえー無効化……? って、フォノンさまの術をぉ!?」
ワンテンポ遅れて衝撃的な事実に気づき、私は絶叫した。
うるさいと言わんばかりにグッと押さえつけられる。ちょ、アルさん! 女だからと容赦しない主義なのは知ってるけど! もうちょっと加減覚えよ?
「幻術の性質上、主には効かないものよ」
「かけたのフォノンさまでしょ!?」
「あら、講義で教えたでしょう? 術の主は最大の魔力提供者よ」
「身に覚えありません!」
「覚えがなくてもあるだけもってかれるのが召喚契約なのよね……」
「そんな借金の取り立てみたいな!?」
絶賛混乱中の私を宥めるように、アルトゥールの声が頭上から降ってくる。
「似たようなものだ。召喚契約の本質は等価交換だと言っただろう」
「世知辛すぎません!?」
べつに神聖さ感じてたわけでもないけど、自分の専攻が借金みたいなもんとか言われるとなんか嫌だ。まさか聖獣ですらそうなの? 契約したら最後、魔力の取り立てに追われるの? 酷くない? もっとなんかあのソウルメイト的なさ、ファンタジックなさ、夢を見させてよ夢を! 私の憧れを返せぇえ!
「仮とはいえ召喚契約の結びつきが生きている以上、接触した瞬間に他者の術式を感じれば自然と魔力を上書きしようと働くはず。理論上、魔力の移動は流れの弱い方へ向けてしか生じえないわ。妥当な結果と言えるんじゃないかしら」
「流れの強さは最大流と生成量で決まるものだろう。陣の発動と同様に最大流を無視した流れが生じたのか?」
「それが『クラヴィス』の魔力特性らしいのよねえ。不思議なことに、門の開閉やそれに付随する魔力の動きだけは別系統で生じるらしいの」
「なるほど……。つまり、この正気の沙汰とは思えない多重幻術を維持する魔力より、こいつの魔力のが多いと?」
「そうねえ。軽く上書きできるだけの容量・最大流はもちろん、生成量も相当――」
ショックを受けている私を他所に、インテリ親子はポンポンと議論を交わしている。当事者置いてけぼりなんですが。結局、私はどうなってんの? 生きるの? 死ぬの? わけわからなさすぎて投げやりな気分になってきた。
……っていうか、そろそろ手を退けてもらえませんか、重いんですけど。
「で、結局、私はどうなるんですか」
頭の上の重石が消えても身を起こす気になれず、ぐったりとうなだれる。もう何も考えたくない。
「差し迫った危険はないはずよ?」
フォノンさまの受け答えは思いのほか軽かった。
「陣を起動したのが本当なら、少なくともそれだけ目減りしているはずだもの。アルと契約状態を維持している限り短期間で危険水域に達する恐れはないと思うわ」
「契約状態を……維持……」
「ええ。人間を対象とした前例はないから断言はできないけれど、仮契約は本来、維持だけでも莫大なコストがかかるものなの。あなたの場合それでなんとか行き場のない魔力を消費してバランスを取ってるってところかしら。この子が魔術師だったら派手に消費してもらうこともできたんだけど――」
そのとき、頬に手を当て、悩ましげな表情をつくるフォノンさまを見て、めずらしく私のカンが冴え渡った。冴えてしまった。察したくないことにかぎっていち早く察してしまうことってあるよね。
「仮契約を解くわけにはいかない事情ってまさか」
「半分はそれねえ」
「アルさん完全に被害者じゃん!」
たしかに巻き込んだのは私だけど、ちょっとあんまりすぎて申し訳なさが天元突破していく。そりゃ当たりつよいわけですね、納得。正直もう怖くてアルさんの方向けない。
「それだけ深刻な魔力障害を抱えて、成人まで気づかずに生きてたのが奇跡なのよ? 10歳前後で入院していてもおかしくないんだから」
「入院って、治癒院でどうにかなるものなんですか?」
「普通なら腕のいい癒術師がどうにか調整してくれるものよ――ただ、本物の『クラヴィス』となると対処は難しいでしょうね」
「私の……それがなんだって……」
私の名、とはまだ認めたくなくて、口ごもる。好き好んでつけられたわけでもない、ついでに言えば名乗った覚えもない名前が、どうして関係してくるんだ。
「ルシオラの伝統からすると、新生児のうちに聖教の儀式を執り行って教会が名づけた洗礼名なんでしょう?」
「まあ、形だけですけど」
「洗礼名が魔力特性に影響を与えた例があるの。中でも『クラヴィス』は門の開閉だけに著しく特化した性質を示すことが多いわ。その他の消費は実質不可能、外部的な作用もほとんど受け付けない、良くも悪くも特化しすぎているのよね」
なんだそれ呪いみたいなものじゃないか。
「使いようによっては面白いのよ? 自律式の魔法錠や空間魔法には召門陣を基にした術式が多く使われているもの。あなたの魔力量ならどんな鍵や空間も――それこそオーパーツやロストテクノロジーに分類される開かずの扉だって理論上こじ開けられる可能性が」
「ぜったい無事ですまないやつですよね!?」
「冗談よ。もう半分の理由は……メルフィ。あなた、今年で18歳だったわね?」
「え、はい。ちょうど今日で」
18になった。――聖狼に選ばれる権利を、失った。
あいかわらず実感はないけど、そういうことなんだろう。
なんてカッコつけたフリしてみても、やっぱ凹むよなあ。人生設計やり直しだし。保留されたとはいえお先真っ暗感あるし。……もともとガバガバだったとか言うな。
「祝祭――やっぱり。あの条件でなにも起こらないなんて不自然だと思ってたわ」
聞きなれない単語を口にしたフォノンさまが、アルトゥールに意味深な目配せを送る。――条件?
思わずその視線をたどって、色が変わっても少年になってもあいかわらず温度のない瞳とぶつかった。どんな顔をされているだろうと思っていたけれど、とくにどうということもない、ただただ冷ややかに突き放すような瞳だった。
ああそっか、そりゃそうだよね、私に対して期待も信頼もないから。変な期待に振り回されるより、よっぽどマシか。
「その、えーっと、ふぇすとむさんぎす? が、なんなんですか?」
「私がアルを拾ったのが、ちょうど18年前の今日なの」
へえー、アルさんを拾っ……。
「拾った!?」
「ええ。名前で気づかなかった? アルトゥール=ゼノア――異端と呼ばれる少数民族、最後の生き残りよ」
あーだから最初は姓を隠してたのかあー――ってわかるか! 自慢じゃないけど私は自国の貴族のラインナップすらロクに覚えてないんだ。他国の少数民族の文化なんて知るわけない。
そもそも、ゼノってなんだ? 民族問題とか現代に存在してたっけ? レベル。
本人と一般科目担当教官の手前、とても言えないけど。たぶん顔には貼りついた。それくらい許してほしい。
「異端の民の滅びを祝う趣味の悪い祭りが、祝祭よ。宗教行事だなんてお笑い種、あんなの実情は――はいはい余計なことは言わないわよ。とにかく、アルは聖国に追われる身ってこと」
アルトゥールに睨まれたフォノンさまは、あっさり説明を投げ出した。なんか一瞬恐ろしい単語が聞こえた気がするけど気のせいだと思いたい。
「聖国って……まさか聖レガリア皇国じゃないですよね……?」
ルシオラの隣に位置する大宗教国家を思い浮かべて、ひくりと頬をひきつらせる。
あそこは、なんというか、……ヤバい。
女神への信仰心が半端なくて、一応、同じ聖教を国教として洗礼の文化も残ってるようなルシオラ国民から見ても正直引くレベルだ。
外に出せない魔術研究してるらしいとか恐ろしい噂があるくらいだし、一般庶民の生活見えてこないし、教皇以外ほとんど表に出てこない皇族の魔力量がそろって人間離れしてるとか、皇子の過半数は枢機卿だとか、枢機卿じゃない第三皇子が一番ヤバいとか――。
「だから誤魔化してるんじゃない。まあ、カルロッタはアストレアの監視で手一杯でしょうから、これだけ対策しておけばバレないわよ」
「ナニソレいろいろ初耳――っていうかアルさん暢気に拘束されてる場合じゃないでしょ今すぐ逃げなよ!?」
『浄光のカルロッタ』さまが『月光のアストレア』さまの監視役だとかいう聞きたくなかった裏事情を放置して、私はガバッと身体を右向けてアルトゥールに詰め寄った。
「なに考えてんの? 馬鹿なの?」
「お前に言わる筋合いはない」
「そりゃ私は馬鹿だから言われなきゃ何も気づかないよ! でもあんた違うだろ? なんでわかっててこんなことに付き合ってんのさ!?」
「……少しは落ち着いて話せないのか」
「ッあんたが落ち着きすぎなんだよ!」
さっきので触っても問題ないことはわかったけど、元の姿に素面で挑む勇気はなかったので、ギリギリ当たらない距離を保ちながら食ってかかる。安全圏から吠える犬のような情けない格好だがしかたない。
なんだこの人。まるで他人事。彫刻のような横顔はピクリとも動かない。当事者意識どこに置いてきたんだってくらい涼しい顔しやがって、目も合わせやしない。興味ないですか、そーですか。
「あーほんと意味わかんない、つか、こっちはもうとっくに意味わっかんなすぎて限界なの! 非常事態なの! わかる!?」
「知るか。お前の頭の容量の問題だろう」
「うっさい馬鹿馬鹿にすんなよ馬鹿!」
「もう少しマシな語彙は無いのか……」
アルトゥールが額を抑える。
でた、呆れ顔。
「あんたこそもう少しマシな表情は無いんですかー。せっかくの顔面が活用されてないのもったいないと思わないんですかぁあー」
やけくその勢いでまくし立てる。我ながらクソガキ感が酷い。たぶん絵面的にはもっと酷い。わかってるけど、なんかムカつくんだ。人を散々煽っておいて、なんであんたは諦めた顔しかしないんだよ。なんで全部そのまま受け容れるんだ。こんなクソみたいな現実を、世界を、どうして。
「お前には関係ない話だ」
「あらあら、関係はあるでしょう」
と、ここでフォノンさまからのストップが――
「相変わらず困った子ねえ。単純に話したくないのか、認めたくないのか、それともまさか決めかねているの? かつての代償と引き換えた結果を前にして」
全力で煽りに入ったァアア!?
意味深に微笑するフォノンさまを、射殺さんばかりの勢いで睨むアルトゥール。さすがお母様、表情の引き出し方をわかっていらっしゃる。
ん、いや、なんだこの修羅場? なんで急に?
……っていうか、これ。
「なんの話でしたっけ?」
「もう十分だろう。帰るぞ」
「え、ちょ、肝心なことなんも聞いてないような――ぐぇ」
ローブのフードを容赦なく引っ張り上げられて首がしまる。もちろん犯人はアルトゥールだ。そのままズルズルと引きずられ、後ろ向きにフォノンさまから遠ざかっていく。
くそ踏んばれない無理これ体勢的にも筋力差的にもキツすぎるっていうか首! 首しまってるから! 必死で両手を添えて喉を守ってないと息もできない状況、抵抗どころじゃない。
「いつでもまたいらっしゃい、“メルフィズ”」
ヒラヒラと優雅に手を振るフォノンさまに止める気はなさそうで――そんな、燃料投下するだけして見捨てないでくださいよ!




