6.貞操よりも生命の危機を感じます
「――なぜその程度のことも知らないんだ貴様は」
目の前で眉間を揉む、そんな仕草すら絵になる少年。
「あ、はは……」
平謝りする気力も尽きた私は、麗しの唇からほとばしる猛毒を言われるがままに飲み干していた。
何を隠そうこの超絶美少年の頭痛の種はこの私だ。
フォノンさまにはなにやら盛大な勘違いをされてしまったけれど、そもそもこの件に関しては全面的に私が悪いわけである。
I'm加害者。He is 被害者。だからしかたない。いくら罵倒されても、見下されても、しかたない、しかた……。
「頭の作りが残念なのは察していたが、仮にも召喚専攻の上級生がここまで酷いとはな」
「っ残念で悪かったなあ!」
やけっぱち気味にくってかかる私を呆れた目で一瞥して、アルトゥールはため息をついた。
「静かにしろ、基礎から説明してやる……そもそも説明を求めていたのはこちらなんだが。なんだってこんなことに」
なんでこんなことなってるのかなんて私も聞きたい。
長い1日はまだ終わらず、勝手気ままに独占してきた4人部屋に当然のように居座るのは見知らぬ美少年――いや、アルさんの立場からしたら当然に決まってるんけど!
だいたい年頃の男女の同室をサクッと許可って――そもそもここは男子寮なわけだけど!
もっとも、もう1人の当事者は共同生活のことなど意にも介さず、もっと深刻で崇高な問題に頭を悩ませているようだった。
私? ひとまず婚約保留って聞いた瞬間に思考は放棄したよね。
とりあえず寝たい。眠ってぜんぶ忘れたい……。
「静かにしろとは言ったが、寝ろとは言っていない」
「あ、ハイ、すんません」
本日付で同室者兼パートナーに指名されてしまった彼、アルトゥールは、どうやら相当頭がキレる。剣士のくせに。作戦どおりに行動もしない脳筋ぞろいの剣士のくせに。
そもそもが術師泣かせの反則剣士のくせに頭も顔もいいとか何者だよ神の子かよ、ああフォノンさまのお子さんでしたね。
「召喚契約とは、すなわち精神と身体の等価交換――召喚主は召喚獣に身体を与え、召喚獣は召喚主に精神を預ける。ここまではいいな?」
無言の圧を受けて、コクコクとうなずく。
正直言ってギリギリだけど、そんなこと言ったら殺されそうな気がする。
二段ベッドの下段に腰を下ろすアルトゥールの傍らには、いつでも手に取れる位置に例の剣が置かれていた。それ、せめてもうちょっと安心できる場所に移してもらえないものだろうか。
学生寮の居室は狭く、応接用のソファなんて気の利いたものはない。成績優秀者の1人部屋ならまだしも、私の場合は本当にたまたま空いていた4人部屋を割り当てられただけの一般学生だ。
ベッド、デスク、クローゼット――生活に必要な最低限のものだけが置かれ、その他は共有スペースで補うことになっている。ささやかな贅沢といえば、窓の先にバルコニーがついていることくらいだろうか。それも月光を使う演習課題のためだけど。
だいたい術師なんて研究者気質が多いから、快適な居室なんて与えた日には引きこもって自分の世界に没頭してしまいかねない。
強力な術師が引き起こす魔術災害が社会問題になっている昨今、コミュニケーション能力に難ありの見習い術師が多々いることを学園は問題視していて、強制的に他者との関わりをどうたらで、学生のプライバシーはあまり守られないのだ。
入学当時、フォノンさまに泣きついて個室の風呂とトイレだけは何とか確保したけど。時間限定の空間魔法でクローゼットの扉と教職員用の施設を繋いでもらっている。
なぜ呑気にこんなことを考えているのかといえば、現実逃避である。
密閉空間で向かい合う(見た目は)美少年の圧力から全力で逃げているのだ。精神だけでも。
「つまり召喚状態を維持したまま主が死ねば、獣の心は共に死ぬ。それが『狂獣化』の発生原理だと言われている。狂獣とは、捧げた心ごと主を亡くした獣に遺された空虚なマガイモノの生――無為に強靭な身体を持つがゆえに果てることも叶わず、自然淘汰されることもなく理の外側を彷徨いつづける哀れな骸だ」
あーやばい。まずい。
講義で聞いたような聞いてないような。
こういう概念的な小難しい話、苦手なんだよね。
フォノンさまから強制的に着せられたであろう学園指定のローブ姿のまま、アルトゥールの個人講義は続く。
そんなことよりもっと差し迫った問題ないんでしょうか。っていうか、あんた一応ケガ人なんだからさっさと寝ろよ。んで難しいことは明日考えよう。それがいい。
「逆に獣が死ねば、……わかるな? 獣が負った傷は、その痛みごと主に還る。獣と同等の損傷を受けた召喚主が正気を保ったまま生きつづけることなど万に一つもあり得ない。訪れるのは文字通り、肉体の死だ」
ワカリマセン、とは口が裂けても言えない。淀みなく解説を続けるアルトゥールにバレないように、遠のきかける意識をつなぎとめて理解しているフリに努める。
「このように召喚契約には高いリスクがつきまとう……が、お前……」
「聞いてる! 超聞いてるから! ってかアルさん詳しくない? 剣術クラスのやつらなんて脳筋ばっかで術師の知識なんてこれっぽっちも」
「話を戻すぞ」
ハッハー。やべ、これバレてる。わかってないのバレてるわ。
「そこで作られたのが『仮契約』というものだ。遅ばせながら本契約の危険性に気づいた術師が、いちど手にした力を放棄することもできず、リスクの低減のために生み出した苦肉の策だが」
「ああはいはい仮契約ね、かりけいやく!」
ようやく聞き覚えのある単語が出てきた喜びに意味もなくテンション高めの相槌を試みるも、アルトゥールは最早反応してさえくれなかった。くそぅブリザード美形め! 今は美少年だけど。
「『仮契約』は、その名の通り、不十分な契約。主と獣を繋ぐのは、魔力の対価に力を貸すという契約のみ。そこに互いを束縛する権利は含まれていないため、自由契約とも呼ばれる」
「はあ……」
「旧来の『本契約』は存在の半分を預けあう都合、専属契約でしかありえなかったが、『仮契約』ならば主に還るのは獣の受けた傷の一部のみ。獣が致命傷を受けたところで多少の痛み苦しみはあれど命に別状はない。また、もしも主が死んだとしても、獣は狂わない。損傷は主に関する記憶の一部を失うに止まり、晴れて自由の身となる」
「ふむ……」
「しかし、それも万能ではない。不十分な契約は、それだけ不安定でもある。獣を従える強制力はなく、誠の信頼関係を築けなければ命の危険に晒される。その上、致命的だったのは、『仮契約』では魔力を共有することができず、主側から一方的に搾取する形になる点だ」
「ほほう……」
「『仮契約』を維持するためには、膨大な魔力を絶えず供給しつづける必要性があった。生み出された当時――すくなくとも『召門陣』を起動できる術師が複数揃っていた時代ならまだしも、現代の術師には到底不可能だ。ゆえにポルタ=スコラにあっても忘れられた存在だった――お前が門を開くまでは」
「は……、ん?」
学園の講義や演習で扱っている『召喚』とは別物なんじゃないかというほど複雑な話を聞き流し、もはや適当な相槌自動生成マシンと化していた私は、予想外のご指名をうけて固まる。
「私?」
「お前が、門を、開くまでは」
ご丁寧に大切なことを二回繰り返してくださったアルトゥールは、それはそれは冷たいまなざしで私を見下――いや、見上げている。見た目のちまっこさと圧力のバランスがどう考えてもおかしい。
「いやいや、そんなの知らな……ってかもう無理限界、頭が噴火してんだけど!」
「そんな有様で神獣召喚を目論んだのか」
「いまそれはいいだろ! ええっと、つまり? 私とあんたの関係は?」
「へっぽこ召喚術師とその被害者」
「被害って、なんの?」
「召喚契約だな」
「そそそそれってまさか本契約の」
共有された傷を思い出して動揺する私に、アルトゥールは即答した。
「だとしたらとっくにお前を切り捨てている」
「なんだよかっ――てちょ、あんたさっき死ぬって! 私もあんたも死ぬって!」
あっさりと告げられた死刑宣告。
真顔でなんてこというんだ。
「仮契約状態だが、厄介なことに解ける兆しがない」
「無視!? さらっとお前を殺して俺も死ぬ発言しといて無視!?」
「生き恥を晒すより死んだ方が幾分マシだ」
「うっわ辛辣ぅ……答えてくれない方が優しかった」
ガチじゃん。殺る気ありまくりじゃん。
冗談通じなさそうな顔して、おっそろしいことをおっしゃる。
剣にこびりついていた赤黒い汚れが脳裏をちらついた。いやアレ、さすがに人のじゃないよな?
「……お前、本当に現状理解してるか?」
もう何度目だろうか、眉間にしわを寄せたアルトゥールは頭を抑える。
頭痛がするなら休めばいいと思うよ。
「うぇ? んーと、よくわかんないんだけどさ、このままの状態が続くとあんたにとってだけでなく私にとってもマズイことがあるってことだよな。それより今日はもう――」
「どちらかと言えばお前の問題の方が深刻だ。下手をすれば今日明日にも死ぬ」
「は?」
ちょっと待て、この美少年、今なんつった?
「魔力は生命活動にも使われる。特に魔導師は魔力を使った生命維持に身体が慣れているからな。急激に魔力が枯れたことによるショック死の前例は数多ある」
「ショック死!?」
「仮契約における召喚状態の維持はそれだけで膨大な魔力を食う。実際には更に召喚獣が使用する魔力を提供する必要があるが、不幸中の幸いというべきか、この身体は魔力を受けつけない。そう言った意味では最小限の召喚コストで済むだろう……まったく、こんなことを真面目に考察する日がくるとはな」
アルトゥールはまだ何か真面目に語ってるけど、半分も頭に入ってこない。
死ぬ? 今日か、明日にも?
なんだよそれ。うそだろ、せっかく束の間の自由を手に入れたのに、そんなの。
嘘みたいな現実に言葉も出ない。
「お前、魔力量はどのくらいなんだ?」
「す、雀の涙ほどです……」
「はあ?」
ボソボソとした私の申告に、アルトゥールは冗談だろうという表情で固まった。
「ほんとだよ! そもそも魔力が足りなすぎて他のクラスの適性試験まともに通らなかったんだ!」
「それはありえない」
「でもたしかにそう言われたんだよクラス分けのとき! 実際、成績底辺だし」
「正しく検査したのか? それ以降に魔力が急成長するような体験は? 陣を起動するだけの魔力量がなければ門が開くはずはない――まして聖狼が応じるなどありえない」
そう言われても心あたりが全くない。
ようやく事の深刻さを理解して黙り込む私に、アルトゥールはやれやれと肩をすくめる。
ごめん。呑気とか思って悪かった。呑気なのは私だった。
大変ご迷惑おかけしております。
「お前に尋ねてもラチがあかないな。気は進まないが、フォノンあたりなら何か知っているか……」
「いいじゃん、オカアサマだろ? ひさしぶりに帰ったんだったらゆっくり話せば。フォノン様も嬉しそうだったし。仲良しかよ」
八つ当たり気味に吐き捨てるも、そんなことに腹を立てるほど相手は子供じゃなかった。そういや年上だっけ、この人。顔立ちが整いすぎてて年齢不詳だったけど、流れの剣士やってるくらいだ。それなりの歳だろう。
「遊んでいるだけだ。いまさら学生の真似事をさせられるとは思わなかったが」
「アルさんって何歳なの?」
「馴れ馴れしく呼ぶな。――23だ」
「えー、みえなぁーい。冗談ですごめんなさい。ちなみにそのお姿は?」
「確認してはいないが、フォノンの記憶から形成されているとしたらせいぜい13前後じゃないのか」
「ふぅん」
察しの悪い私は、気づかなかった。
それはつまりアルトゥールが見た目どおりの幼い少年であったころにこの学園を出て、以来一度も帰っていない――帰るべきではない事情を抱えていたのだということ、そしてそれは今も変わらず彼を縛っているのだということに。
だから。
「10年も放浪生活なんて、自由でいいな」
心の底から羨ましいと思いながら、そんなことを言えたんだ。
アルトゥールの目が細まる。一段と冷えたまなざしを受けてビクリと肩が震える。色が変わっても、氷のような印象は変わらない。
ほんの一瞬だけ凍った空気は、すぐに瓦解したけれど。
「お前の立場からすればそうだろうな」
大人の対応をされた、と気づかされるくらいには明らかに、これまでとは声色を変えて響いた声にハッとする。この冷静に突き放される感じ、2度目だ。短くそっけない一言に、これまでで一番アルトゥールとの距離を感じさせられた。
「え、いや」
「明日の予定は講義だけだったな?」
「共通科目の座学が1つと専門が2つ……午後は術技研究だから自由行動のはず……だけど」
「なら午後からフォノンのところに行くぞ」
「でもフォノン様のところにも学生がくるんじゃ……」
「そのくらい誤魔化すのはあいつにとって造作もない」
「まあうんたしかに……あの、アルさん」
謝るタイミングを逃して、おろおろする私をアルトゥールは冷ややかに見返した。
「前にも言ったが、私はお前の事情に踏み込む気はないし、逆を認めるつもりもない」
アルトゥールは無表情のまま淡々と続ける。
「――餓鬼は餓鬼らしく、自分の心配だけしていろ」