4.秘密主義はお互いさまのようです
「ごめん、アルさん。巻きこんじゃって。なのに、なんの結果も、残せなくって。本当に、ごめん」
泣きじゃくりたい気持ちもあるけど、それ以上に喪失感が大きくて。いまはなにも考えられない。今晩あたり、大洪水かな。……まだ、この学園にいられるのなら、だけど。
アルトゥールは、深々とためいきを吐いた。氷のような瞳がまぶたの奥に隠れてしまうと、いよいよ人間味を感じられなくなる。
ああ、そっか。
彼の表情には、温度がないんだ。
どういう経緯をたどって、どんな体験をしたら、人はここまで感情を殺すのだろう。表面的な喜怒哀楽をはいでしまったら、もうその下にはなんにものこってやしないんじゃないか……なんて勘ぐってしまう。
でも、私だって空っぽだ。たったひとつの望みもついえて、たぶんきっと、これからじわじわと絶望に殺されていくんだろう。
「……で?」
声も冷たい。温度がないのは言葉もおなじか。
このまんま絶対零度の美声で、俺には関係ないって怒られんだろうなぁと思っていた。
「お前はどうしたいんだ」
「へ……?」
予想外に――とはいえ優しいわけじゃないんだけど――和らいだ声が降ってきたものだから、思わず口を開けてかたまる。
「謝罪にも後悔にも、これからを決める力はない。聖狼召喚の望みは絶えた。ならばつぎは?」
「え、いや……、でも」
「お前はどうしたいんだ、“メルフィズ”」
天色の瞳が、私を射抜く。
――メルフィズ。十一年間かぶりつづけた仮面の名。私にとっては真実だけど、術式には弾かれてしまう、偽りの名。私は彼に名乗っただろうか。
「なんで……あんたが」
アルトゥールは、無言で扉をふりむいた。
黄金のドアノブが回り、ひとりでに開く引き戸。機構の音はしない。素早くなめらかな浮遊動作――魔法錠だ。それだけで、この部屋が貴賓室にあたることを直感した。
精密な技術を求められる魔法機器は、とにかく高い。まして動力源をそなえず、あれだけ小型化されたもの。私の生家レベルじゃとても使えない超高級品だろう。
古城ならではの生きた骨董品というべきか――売ったら高そうだなぁ。どうせ退学なら、ひとつパクっていっても。
「お目覚めかしら、メルフィズ」
魔法錠の売却額を弾きだそうとしていた私の邪な思考は、そこでフリーズした。
「ふ、フォノン寮監……!?」
「あなたに扱える代物ではないから、やめておいたほうがいいわよ」
「ななな、なんの話でございましょうか」
「古い魔法錠には強力な防護術が施されてるのをしらないお馬鹿さんが、この辺でときどき死にかけてるの。――ただの世間話だけど、ね?」
可憐にウィンクをキメる、烏羽色のローブを羽織った美魔女――年齢を言っちゃいけないあの人ランキング不動の一位を誇る、『鏡光のフォノン』さま。
専攻クラス分けされるまえの基礎学科を担当する熟練の教師であるとともに、学生寮における最高責任者でもあるお方だ。別名・生ける罰則規定……学生にとっては恐怖の対象、だったりする。
うわぁあああ、よりにもよってフォノンさま出てくんの!?
私のしでかしたことが、学園の上層部にすっかり伝わっていることを知る。
目覚めたときから気づくべきだった。カラフルな幾何学模様の天井なんて、学園内でしかありえない。それも、改装の手が入っていない、古い客間――ようするに、学生の立ち入り禁止区域。一部の教官たちだけに解放された領域の目印じゃないか!
「メルフィ? 私がいいたいこと、わかるわね」
波打つ銀髪を腰に垂らして、フォノンさまがにっこりと笑む。ああもう怖い。ほんと怖い。なにが怖いって、属性だ。鏡光のフォノンの名の通り、この方は、鏡属性――精神感応系魔術のスペシャリストなのだ。その気になれば、拷問も使役もお手の物。ぞっとするね。
無言でコクコクとうなずく私を、笑みを消したフォノンさまが冷ややかに見下ろした。
「……そう。なら、もう結構」
――ああ、終わった。
「どういうつもりか、説明していただける? アルトゥール」
「はへ?」
私じゃない、ですと?
「どういうもなにもないが」
冷ややかに言いすてるアルトゥール。
そ、そうですよね。そりゃ、被害者ですもんね、ええ。ごもっともな言い分だと――。
「白を切るつもり? 聖域を引き寄せるような禁術を発動させて、ふつうの人間が生きていられるわけないもの」
「含みのある言い方だな」
「アルトゥール。いますぐ出ていきなさい。二度ともどってこないで」
ふぉ、フォノンさまぁぁあああ!?
お二方、知りあい? 知りあいなの? っていうか禁術ですと? え、ええぇ?
険悪すぎる空気に、あわてて間に割りこむ。
「ま、待ってください! 『聖樹の宿し子』を持ち出したのは私で、いや禁術だなんてしらなかったけど、でもアルさんは関係な――」
「メルフィ。『聖樹の宿し子』の初版が禁書指定されているのは、時代錯誤の『召門陣』が記されているからよ」
「しょ、召門?」
「近代魔術の様式とはまるでちがって、当時の魔術陣は瞬間的に膨大な魔力を消費するものだから、術式補助に慣れきった現代の術者には束になったって発動できないと考えられているの。特別な代償を介さないかぎりはね。――だからこそ、禁書指定されてはいるけれど、うちでは初版を歴史資料として特別書架に配架してたのよ」
言いたいことは、ある、いっぱいある、けど。
こぇええぇ! フォノンさまこぇええぇ! 年齢不詳ミラクルスマイルこぉぇえぇええ!
むりむりむりむり。逆らえない。近づけない。触らぬ美魔女に祟りなし。
がくがくと震える私を、この役立たずめが、とでも言いたげなまなざしでアルトゥールが冷ややかに見下ろしていた。こっちもこっちで怖い、けど、未知数な剣士よりも『五光』に数えられる術師のがダンゼン怖いんだって……!
アルトゥールがため息を吐いた。
「ようするに、さっさと俺に退散してほしいんだろう。かまわない。明朝には出ていくさ」
「あなた、自分の立場わかってるの?」
「招かれざる客、……いや、飛んで火に入る、か」
「わかっているならいますぐ」
「――あの!」
震えながら声を張り上げる。
絶対零度のまなざしが二人分、まっすぐ突き刺さってくる。ド迫力。そろって、なまじ顔が綺麗なぶん、迫力がすごい。
「あ、あの。フォノンさま」
声が出ない。だけど言わなくちゃ。
会話がまずい方向に転がっているのは、にぶい私にだってよくわかる。アルさんに非はないんだから、フォノンさまの誤解をとかないと。
……そのときの私は、すっかり動転していて。
「聖狼の陣を発動させたのは、私です――ッ!」
その事実がどんな重みを持つのかなんて、まったく考えていなかった。
「……あなたが?」
「フォノン」
「あなたが、ひとりで、召門陣を?」
「俺が手を貸した、それでいいだろう」
「だまってなさい、アルトゥール!」
ピシャリ、とはねのけたフォノンさまが、私に向き直る。
「メルフェザード。それが本当なら、彼はどうしてここにいるのかしら」
「え、っと……」
アルトゥールが、みせつけるように額を抑えているのが、すごく気になる。気になるんだけど、よそ見を許してくれるフォノンさまじゃない。真正面から圧力を受けて、チラチラと視線を泳がせながら、必死で記憶をたどる。
「陣が、光って、……アルさんと、雪豹が」
「雪豹?」
「……狂獣だ。懸賞金がかかっていた」
「まだそんなことを……いいわ、つづけて」
「それだけ、です。なんか突然あらわれて、よくわからないけど、……でも、聖域にもつながって、た? とか」
いよいよアルトゥールが、救いようのない馬鹿だとでも言いたげに首を振った。
無言の圧力をかけて抗議してくる彼に、フォノンさまが向き直った。
「そう。アルトゥール、あなた門を通ったのね」
「…………」
「事情が変わったわ」
黙秘を貫くアルトゥールを、フォノンのたおやかな指先がピンと指し示す。
「アルトゥール=ゼノア。『五光』の権限をもって、あなたを本校に拘束させてもらう」
「拘束ぅ!? 待ってください、アルさん本当に悪くな――」
「あなたのためでもあるのよ、メルフィ。……いいえ、鍵。クラヴィス=メルフェザード。よりにもよって、とんでもない『名』を背負わされたものね」
憐憫の情をのせて、フォノンさまが私をみつめる。
待って、なんで同情されてんの。状況がつかめない。この場合、同情されんのってアルさんじゃないの。え、私になんか関係あんの。は? どゆこと!?
「そうと決まれば、ちょーっといじらせなさいね。覚悟はいい?」
銀色の魔術光をまき散らしながら、フォノンさまが宣言する。さいわいなことに、矛先は私から逸れて、アルトゥールに向いているけど。
『五光』――すなわち、世界最高峰のこの学園で五指に入るチート級術者が、本気でなにかしようとしている、なんて、どうかんがえても不穏。
なんといっても祝詞をまるごと省略して、不特定多数に半永続的な効果をもたらしてしまうのが、フォノンさまが『鏡光』――鏡属性のスペシャリストたる所以だ。おそろしいにもほどがある。心なしか、アルトゥールも腰が引けているようだ。
「俺は了承していない」
「あなたに選択肢はないのよ。門を通り抜けたんでしょう? 馬鹿ね。こちら側に抜けさえしなければ、『仮契約』に縛られずにすんだかもしれないのに。……まあ、あなたのことだから、雪豹に先に飛び込まれて、引くに引けなくなったんでしょうけど」
「狂獣は聖域に惹かれる。俺が入る他ないだろう」
「あいかわらず頭堅いわねぇ。そんなの飛び込む前に消しちゃえばいいのよ。まさか、まだ還すことにこだわってるんじゃないでしょうね?」
黙りこんだアルトゥールを、鼻歌交じりにフォノンさまが魔術光で包囲していく。ああなったら逃げられない。いかに、彼が型破りな実力を持った剣士であったとしても、だ。
「まずは色を隠さなくっちゃ。身長と……、声もいじった方がいいわね。ああもう、すこし見ないあいだに、ずいぶんと可愛げなく成長しちゃって! やりがいがあるったらないじゃない!」
「……、まちがっても感覚を壊してくれるなよ」
「あーら、だれに言ってるのよ。お義母さまに任せなさい。ふふ。アルトゥール、私、あなたが出て行った日のこと、まだよぉ〜く覚えているのよ?」
「お、オカアサマですとー!?」
衝撃の新真実をぶちまけながら、フォノンさまは、とても子持ちとは思えない可憐なウィンクを決めた。
「この子、ちょっと借りるわよ。――そこでおとなしくしてなさいね、メルフィ」




