3.状況把握につとめましょう
パクパクと口を開けしめすることしかできない私を、謎の美形剣士は冷えびえと見返す。
待て、どういうことだ。
たしかに、契約を結んだ術師と召喚獣のあいだには、ある種のつながりが生まれるものらしい。傷の一部が映ったりだとか、感覚を共有したりだとか。
そういう前例は、いくらでもある。
とくに、つながりの程度をコントロールできない未熟な術師には、ままあることだ。
ただしそれは、相手が『召喚獣』であることが絶対条件になる、……はず。たぶん。いや、ぜったい。きっと。ここまで参考書の丸暗記だけど。
つまり。
「召喚獣……? あんたが、俺の……?」
おもわずつぶやくと、射殺されそうなまなざしでにらまれた。ようやく理解したのか愚鈍め、と、雄弁に語っておられる。
被害妄想じゃない。ぜったいそう思われてる。怒気にまぎれてはいるけど、このまなざしには覚えがある。これは、そう、――残念なモノを見る目だ。
ひくり、と頬がひきった。
もうやだこの空気こわい逃げたい。だけど、逃がしてもらえるとは思えない。
――説明しろって言われたって、私だってわけわかんないんだよぉおおお!
希少な『聖樹の宿し子』初版を禁書棚からパク――手にいれて。
複雑怪奇な聖狼の召喚陣をわけわかんないけど完コピ――再現して。
かなりスレスレなツテをたどって星泉水まで取り寄せたのに。
いまごろ、美麗かつモフモフな聖狼の毛並みに、全身をうずめさせている予定だったのに……!
ハッ! ま、まだ、ブリザード剣士がルプスである可能性が潰えたわけじゃない。聖獣といえど、人型をとるなんて聞いたこともないけど。
私の学業成績は悲惨なモノだ。どれだけ念入りに下調べしたって、しらないことの、ひとつやふたつやみっつや――百ぐらいは軽くあるさ!
芸術品のような天色の瞳を覗きこんで――その迫力に内心震えながら――私は、意を決して、聞いてみた。
「……えっと、とりあえず、お名前は?」
「アルトゥール」
「つかぬことをお聞きしますが、……アルさんは、……人間?」
「以外に見えるとでも?」
「ですよね、ソウデスヨネ!」
撃、沈。
そりゃあ、そうさ。そうだろうよ。そうだろうけど、さあ……!
「せめて、すこしでいいから溜めてほしかった……!」
「無駄口たたく暇があるのなら、説明を要求したいのだが」
「説明って言われたってなにもわかりません!」
「開きなおるなクズが」
電光石火のツッコミ。やりおる。
でもさ、ちょっとくらいオブラートに包んでくれてもいいじゃない。そりゃあ、私は、落ちこぼれもはなはだしい、へなちょこ術師だけどな。
学科試験は落第ギリギリ。上級魔術は発動できず、取り柄といえば、基本魔術の制御技能だけ。
そもそもの魔力が弱いから、どうにもあがきようがない。魔力上乗せとか純化とか、夢のまた夢だ。
召喚術以外の適性はそれこそ皆無だったから、専攻クラスはあっさり決まったけど。あんなもの消去法だった。
ぶっちゃけよう。
下手に術を撃つより、斬り込んでしまったほうが早いのだ。私の場合。
幼少期に叩きこまれた護身用の剣技のが役立つだなんて、冗談のような本当の話。HAHAHA。情けなくて涙がでるね!
「で、でも、紋章なんて浮かんでないし……っていうか、あんたひとり被害者面してるけど、私だってショックうけてんの! 聖狼……あああ、もう絶望しかない……」
ひとつ、釈明できるとしたなら。
実は本物のルプス説消滅に打ちひしがれた私には、変なブーストがかかっていた。
「悪いが、――」
やばい、と気づいたときには遅かった。
「俺は、女相手だろうと手加減してやる殊勝さはもっていない」
「いッ……!」
顔、わしづかみ。頬骨をギリギリと圧迫される痛みに、たまらず声をあげた。
片手だってのに、冗談みたいな握力だ。そりゃさ、剣の腕からして常人離れしてんのは予想ついてたけど。
……優男みたいな風貌しといて、詐欺じゃねーの。
でも。
「だれが、女だ……っ」
ここで認めるわけには、いかないのだ。
いまさらかもしれない。聖狼を求めた段階で、完全にバレている。
それでも、ここにいるのは、メルフィズであってクラヴィスではない。
この学園内において、クラヴィス=メルフェザードは、存在してはならないのだ。
家を継ぐために放りこまれた。決して出会うはずのなかった、知るはずのなかった外の世界を、みてしまった。
弟が生まれたから帰ってこい? 知るかよ。家督なんてどうでもいい。だけど、いままでの生を、否定されるわけにはいかない。
私が、いや、俺が俺であるためには、なんとしてもこの学園にとどまらなければならないのだ――。
「ッ結婚なんざしてたまるかぁあああ!」
全身全霊こめて、叫んだ瞬間。
無表情を貫くブリザード剣士――アルトゥールと目があって。
……あ、殺される。
と、思った。
「……それで?」
「いた! いてててて! まじ容赦ない! 痛いです潰れますアルトゥールさん!」
「馴れ馴れしく呼ぶな。そんなことのために、俺は巻きこまれたと?」
「だって姓教えてくんなかったのはアルさんじゃ……あああ、ごめんなさい締めないでぇええ!」
涙目であえいでいると、さすがに不憫に思ったのか手を外してくれた。あまりにひどい顔をしていたせいかもしれない。
「説明しろ。すべてでなくていい。わかるかぎり、順を追って、――洗いざらい吐け」
腕を組みなおしたアルトゥールが言う。
見た目だけなら眼福ものなのに、手負いの獣のような眼光は、とにかく冷たい。氷の花のようだ。たちのぼる冷気とするどい切っ先で、触れたモノを傷つける。
これで、属性が氷じゃなかったら、それこそ詐欺だよなあ。剣士だから属性もなにもないだろうけど、あのスピードといい、術師泣かせだ。
ぽけーっと見とれていると、いっそう冷たく睨まれた。貧弱な語彙じゃとても表せないが、とにかく、氷。氷。氷。魔術の素養もありそうだよなぁ、うらやましい。
「……おい」
「あ、わるい」
アルトゥールが、ため息をはく。そこから氷柱でもできそうだ。
「頭働いてないのか、お前」
「鈍いけど動いてんだよ! っていうか、いつまでもカチンとくる代名詞使わないでくれます? 俺にも名前が――」
あれ。私、なんて名乗ればいいんだっけ。
「名前、が……ないんだ」
クラヴィスは死んだ。7を数えた誕生日、跡継ぎとして育てると父が決心した、そのときに。
上位貴族であろうと身分をかくす学園の風習を利用して、姓も名も偽って、ここにきた。いつか巣立つ日がきたら、偽名こそが私の名になると信じて。
だけど、いまさら、クラヴィスに戻れという。
……いまさら。
私はお払い箱? もういいから帰ってこい?
そして鳥籠におさまって、おとなしく結婚相手を待てと?
冗談じゃないと、思った。
「いまさら、女としてなんて、生きられない……聖狼の神子にさえなってしまえば、籠の鳥にならずにすむと思った……」
聖獣でなければならなかった。
手にあまっても、無謀でも。Sランク召喚獣のなかでも別格にあつかわれる、聖獣である必要があった。
だから、聖狼が、欲しかった。
「神子も令嬢も、大差は無いだろう」
「ッあるよ! 流れの剣士なんかにはわかんないんだ。なににも縛られない自由なあんたたちにはわかるかよ!」
「自由、……そうみえるか」
アルトゥールの表情が、苦くゆがんだ。
色をなくしたなかに、ポツリととり残された、……悲哀?
――失言した。
気づいた。私だって彼の事情なんてなにもしらない。想像を押しつけて、そしてたぶん、……傷つけた。
どうしよう。いっそ怒ってくれたほうがいい。そういう風に諦めたような顔をされたら、どうしたらいいかわからない。
「アル、」
「それはお前の勝手な都合だ。クラヴィス=メルフェザード」
容赦のない物言いが突き刺さる。
クラヴィス=メルフェザード。
逃れられない呪いのような、愛しくて憎い、私の生名。
否定して逃げまわっても、術式に組みこむ『名』は他にないのだ。私は、私であることから逃げられない。
「狂獣もろとも、突然あらわれた『門』に投げこまれた俺には、なんの関係もない」
「……そうだね、ごめん」
だから、諦めたのだ。
男として生きることは、無理だと諦めた。
だけど、せめて箱入り娘には戻りたくなくて、家から離れた場所で、自分の立場を固めたかった。
もともと無謀な賭けだったから、負けてもしかたないさ。そうやって納得しないと、やってられない。
巻きこんでしまったアルさんには悪いけど、正規契約が結ばれてるわけでもなさそうだし。仮契約くらいなら、破棄して簡単にバイバイできるはず。
「言っておくが。――聖狼の召喚は、成功していた」
「え?」
アルトゥールが漏らした言葉に、きょとんと眼を丸める。
「門の終端に、聖域が見えていた。あれが寄ってこなかったのは、俺や狂獣がいたせいだろう。聖獣は穢れを嫌うからな」
「それじゃ、ひょっとして……」
「本当に神子になりたいのなら、来月にでも挑んでみればいい」
なんでもないように、アルトゥールは言った。つぎは、おそらく成功する。またイレギュラーが起こらないという保証はないが。
なんともいえない衝動が走る。
聖狼につながっていた。
憧れつづけた孤高の獣に、伝説の召喚獣に、つながっていた!
うれしい。ものすごくうれしい。
……だけど。
「無理だよ。私の誕生日、明日なんだ」
私は、もう、18になる。
聖狼に選ばれる権利を、失う。
つぎはない。条件の揃う夜は、もう、こない。