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2.あの、ええっと、……どちら様でしょう

 ぼやけた視界で、キテレツな模様がゆらゆらと揺れる。



「っ……う、……ん?」



 左右非対称。もちろん一回転させたって重なりやしない。よく熟れた果実を、思いっきり叩きつけた染みのようにも見える。


 赤、青、緑、黄……。入り混じった色の奔流は、目に優しくない。悪趣味な天井だ。開きかけたまぶたを、もう一度下ろす。


 身体にまとわりつく滑らかな感触は、たぶんシーツだろう。普段、私が使っているものより、ずっと上質の。


 高そうだなあ。なんでこんなところに寝てるんだろう。……まあ、いっか。布団の重さが心地よくて、起き上がる気力がどんどん失せていく。


 ――ああ、でも。こういう無駄にカラバリ豊富な配色、どっかで見覚えがあるような。



「ど、こ、……だ、……け」

「いつまで惚け面を晒しているつもりだ」



 絶対零度。恐ろしく冷たい硬質なお声が、ピリリと空気を震わせた。

 布団を抱きしめたまま、一瞬固まって――



「う、わああああ!?」



 神速で飛び起きた。今まで生きてきた中で、ダントツの寝起きの良さを発揮する。今更かもしんないけどさ。


 恐る恐る、首をまわした、左手。

 頬杖をついた男が、ベッドわきのイスに横座りして、興味薄げにこちらをうかがっている。


 一つにくくられた長い髪は、胸元までストレートに流れ落ちている。青みがかった黒の光沢が、なんとも艶やかだ。


 貴族のご令嬢でもそうそういないような、天性の美髪。わぁお。珍しい色味と相まって、希少価値はうなぎ登りだ。……眼福。


 絵画にしても出来すぎているような、――細部まで作りこまれた人形のような男だった。



「貴様は、本当に騒々しいな」



 切れ長の眼が、スゥ――と細められる。うわ、なんて心臓に悪い表情!


 まなざしは鋭くて、触れれば切れるような、……というかむしろ近づいただけで切り刻まれそうな印象。


 怜悧な顔立ち。そのバックに背負うのは、箱庭で育つ貴族とはかけ離れたオーラだ。風格、というものとも違う。なんていうか、棘だらけな。


 ばくばく言う心臓をなだめながら、透き通った天色の瞳から視線を外した。



「すみません、あの、えーっと……どちら、様?」



 悠然と組まれた足は、すらりと長い。なんの変哲もない木製のイスが、豪著な玉座のようにさえ見えてきた。


 足元に立てかけられた無骨な長剣が、不気味な存在感を示している。装飾一つ無い鞘。どう見ても実戦だけに特化した一品に、すこしビビる。


 よく見れば、服装は旅装束のようだ。それに、イスの背には、全身を覆う形の外套がかけられている。砂漠越えでもしなければ使わない、かなり珍しいもの。


 どういう素姓だよ、この人……。



「『どちら様』……?」



 嘲るように、男の口の端が持ち上がる。わあ、不穏な気配。綺麗だけど黒い。……これは、かなり怒っている。


 直視したくないのは神レベルの男前に気圧されたからであって、べつにその表情が怖いとかそういうわけではないんだ! うん。



「それはこちらの台詞だ、能無し召喚術師」



 寸分の狂いもなく左右対称な、作り物めいた美貌から毒がほとばしる。綺麗な花には棘があるって言うけどさ、これはもう棘っていうより猛毒だよね。それか、ツララ。


 感情というモノをまとめてどっかに落としてきたような声。なまじ美声であるだけに、余計におっかない。


 だくだくと冷や汗を流しながら、必死で焦点をずらす。男が肘を置く書き物机――その上に置かれた一冊の本に、目が留まった。



「せ、『聖樹の宿し子』……?」



 古ぼけた表紙を見た途端、気を失う前の記憶が一気に蘇った。


 忍び込んだ地下牢。

 完璧に再現した、聖狼ルプスの召喚陣。

 星泉水を振りまいて、陣が光って、それから。


 ――こいつが、現れた。



「そうだ、どういうことだよ!? あんた、何者? 儀式は? 失敗したの? それから、雪豹(スノウ・パンサー)は、――っ痛!」



 腕に走った鋭い痛み。不意をつかれて、ベッドの上で崩れ落ちる。……体重をのせて、男に詰め寄ろうとしただけなのに。


 見下ろした左手には、覚えのない真白い包帯がぐるぐると巻かれている。見ている間に、内側からから浸み出した赤色が、じわりと包帯を染める。



「は? え、なに。これ、……なんで」



 記憶にない傷。今ので開いてしまったようで、広がる血のシミが止まらない。慌てて簡単な治癒魔法を思い浮かべる。

 ええっと、確か……。



「わ、『我に祝福を』?」



 召喚術以外にまったく適性がない(召喚さえもまだまし、というレベルだけど)。そう断じられた私だけも、簡単な治癒術――止血程度なら、なんとかなる。


 捧ぐ言葉は神への祝詞。魔術は、唯一神デアモルスの祝福の為せる技だ。うろ覚えだけど、要はなんでもありだったはず。


 大切なのは心。人の想いを女神は量るのだと、教えられた。威力のほどはさておき、心さえあれば発動はするもの、らしい。



「って、あれ」



 ……無反応。

 どーゆーこと? 基礎治癒術入門は必修科目だから、一年のときに確かに習った。そのときはちゃんと、柔らかい発光と癒しが――。


 気休め程度ではあったけど。疲労回復とか痛み止めとかのレベルだったけど。確かに発動してたのに! なんで?



「我に祝――」

「無駄だ」



 くりかえし挑もうとする私を、謎のブリザード剣士はきっぱりと制止する。


 失礼な。確かに見習いだけど、私は、仮にも学園の生徒だからな! さすがに、この程度の術に失敗するなんて、沽券に関わる。



「俺だって、このくらい」

「ソレは、治癒術を受け付けない」

「はい?」



 ぽかん、と口を開けたまま固まった私に、天色の眼差しが突き刺さった。自然な流し目から色気がだだ漏れてます。でも怖い。すげー怖い。なんだこの複雑な感情。



「腕を貸せ」



 短く告げられた言葉に、おずおずと従う。

 謎の美形は、慣れた手つきで包帯を巻き直していく。……その思いのほか丁寧な扱いが、どうも落ち着かない。



「ど、どうも……」



 しどろもどろにお礼を言ってみる。

 静寂。――なんか言えよぉおおお!


 これ見よがしにため息をついた男が、また元のように踏ん反り返って座り直す。……いや、訂正。なんか威圧感バリバリで勘違いするけど、普通に手足を組んで座ってるだけだ。


 ただ、全身から立ち上るちょっと気だるい雰囲気が、不遜さを上乗せしているのだ。限りなく私の偏見だけど。


 気まずい沈黙の中、食い入るように男の眼を見つめる。なんでもいいから情報が欲しかった。でも、悲しいかな。もう一度、声を掛ける度胸はない。


 だ、だって、威圧感が。


 気のせいかな、だんだん眼が潤んできた。無意識にまばたき減らしてたのかも。やばい溢れる。耐えろ、泣いたら最後殺される。きっと殺される。


 男から立ち上る、静かな怒気にビビりながら、必死で脳内会議を開く。……って、答えなんか出るわけがない。


 やがて、ぼそり、と男は口を開いた。



「あれは、狂獣インサニアだ。召喚術師の片割れなら、聞いたことぐらいあるだろう」

「い、インサニア?」

「主を失った召喚獣の成れの果て。聖獣サンクトゥスを除いた多くの召喚獣は、契約主と死別した際に我をなくす――中でも特に重篤なケースが、狂獣化と呼ばれる暴走だ」



 そ、そういえば座学で習ったような気もする。契約を交わすときは慎重に、って、何度も。実際に見たことなんてなかったから、半信半疑だったけど……本当に、狂うんだ。


 私の顔色から何か悟ったのか、男は心底呆れたような声を出した。



「そのぐらいのことも知らずに、召喚の儀を行ったのか?」

「う、……」



 男の左腕が、シワの寄った眉間を抑える。その袖が捲れて、少しだけ素肌が見えた。白い。髪色と対象的な、病的一歩手前の白さだ。


 そして、そこに浮かび上がる一筋の――。



「それ!」



 飛びつくようにして、骨張った手首を捕まえる。今度は一応、痛む左腕を庇った。驚いたように見張られた天色の瞳の中で、興奮した私の姿が揺れる。


 顔の両横、一房ずつ。後ろ髪よりずっと長い、髪の束。ルシオラ特有の習慣だ。貴族の男児は、みな従う。……私も。



「これ、どういうこと? 偶然じゃないよな」



 勢いのまま勝手に袖を捲った下には、肘の手前まで長く続く赤い筋。出血こそしていないものの、まさに刃物で切り裂いた跡だ。


 今さっき目にした自分の傷と、まさに同じ大きさ、同じ位置。ただ、見た感じ、こちらの方がかなり深い。出血していないのが、いっそ不気味に感じる。



「……離せ」



 うなるような声に、素早く手首を解放する。


 粘ったところで、どうせ振り払われるだけだし。あんなトンデモナイ立ち回り見せられたら、逆らうだけ馬鹿らしくもなる。


 なんと言っても、雪豹(スノウ・パンサー)――しかも彼が言うには狂獣インサニア――と生身で渡り合えるような剣士だ。


 芸術品のような見た目からは、とてもそうは見えないけど。



「見ればわかるだろう。お前の傷はこれの映しだ、明後日には消える」

「いや、全然わからないんですけども」

「治癒術が効かないのは、お前のそれがただの副産物だからだ。オリジナルが消えれば、映しも消える。私は魔術の類を受け付けないが、……この程度なら二日あれば完治する。理解できたか?」

「はあ」



 曖昧に相槌を打ってみるけど、正直イメージが湧かない。


 ええっと、つまり? この覚えのない傷は、元々このニーチャンがこしらえたもんで? コピー元が治れば勝手に消えるってこと、か?


 人の傷が映るなんて、聞いたことがない。似たような話があるとすれば、それは。



「召喚獣みたいだ……」

「みたい、で済んでいたらどれだけ良かっただろうな」

「へ?」



 思わず、間抜けな声が漏れ出る。ちょっと待てよあんた、今、なんて……。



「――どういうことなのか、説明して貰おうか」



 凄絶な笑みを浮かべた絶世の美形を前に、私はただ呆然と固まることしかできなかった。

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