16.なかったことにしてください、できれば最初から
「仮に、あれが本当に神であるとして……どうしてメルフィを狙ったのか、貴方たちを問い詰めたところで、実際のところは『神のみぞ知る』ということ?」
「先に申し上げたとおり、彼の方の行動をユリアヌスに尋ねても意味はありません」
「質問を変えるわ。もう一度、自称神とやらの精神と話すにはどうしたら?」
「ユリアヌスの意思では不可能です」
毅然とはねのけるアストレアさまの心臓は鋼でできているにちがいない。
「あはは……すみません。大変なご迷惑をおかけしたらしいことは重々承知しているのですが、こればかりは『神の気まぐれ』としか……」
「ふざけた神がいたものね!」
フォノンさまは額を抑えてため息をついた。
「日が昇ると同時に入れ替わったようだけれど、あれは朝を嫌うの? 夜になれば現れるのかしら?」
「おそらく、はい。とはいえ必ずというわけでもなく……唯一確実なトリガーは『血』ですかね」
また出た。血。
「短時間に大量の血を捧げること、あるいは、ひと月の間に一定量の血を捧げないこと。ただし後者の場合、意思疎通できる状態ではなく、どのような手段を用いてでも回避すべき災厄として伝え聞いています」
ユリアヌスの言葉を受けて、フォノンさまは眉をひそめて硬い声を発する。
「まるで貴方たちは定期的に魔術師を生け贄に捧げているかのように聞こえたんだけど、気のせいかしら」
「それはその、僕自身にはよくわからないのですが、アスタたちが」
「誓って、善良な民の血を流したことはありません。彼の方が落ち着きを取り戻すまで『月の民』総出で夜通し祈り、呪いの発動を抑えてきたのです」
月の民の祈りとは、つまり呪術だ。
呪いを呪いで抑え込む……?
正直、想像が追いつかないけど、アストレアさまができるというんだからできるんだろう。
「善良な、……ね。まあいいわ。血を捧げる儀式は最も原始的な魔力供給方法の一つよね――それって本当に必要とされているのは『血』なのかしら」
「おいフォノン」
「メルフィ、ちょっとこちらにおいでなさい」
「待て」
銀の輝きをまとうフォノンさまに手招きされるがまま、ふらふらと近づいていきかけたところ、アルトゥールに腕を掴まれてグッと身体が引き戻される。
はっ、条件反射で。
なにも考えずに足が動いていた。
というかまさか今の魔術光って鏡術――ニッコリと笑ったフォノンさまと目があって、考えるのをやめる。そんなことするわけないですよね!
「学生を実験台にしようとするな」
「あら、自分は簡単に許したくせに」
アルトゥールは心底嫌そうな顔をした。
もしかしなくてもアルト少年の幻術のことだろうか。あれもかなり無理矢理だったと思いますが。でも本気で逃げようと思えば逃げられたのかもしれない。私には無理だけどアルさんの実力なら。
ていうか実験台? 私をってこと? なにそれ怖すぎるアルさん止めてくださってありがとうございます。
「私の仮説が正しければ、メルフィにとっても悪い話じゃないでしょう。それともあなた、ご主人様を取られるのが気に入らないの?」
その言葉を聞くやいなや、アルトゥールに掴まれていた腕が解放され、それはもう力強く背中を突き飛ばされる。
「好きにしろ。その馬鹿がどうなろうが私には関係ない」
「アルさん!?」
爆速で売られた。ひどい。裏切り者。
「素直じゃないわねえ」
口元に手を当ててくすくすと笑ったフォノンさまに向かって勢いよく頭から突っ込み、美魔女の肉体をすり抜けた。
――って、このフォノンさま幻術じゃんいつのまに!?
一歩横にずれていたフォノンさま(本物)にすっかり騙され、顔面から石畳にダイブ――していくところだった私を、一番近くにいたユリアヌスは見捨てなかった。まだ身体がきついだろうに、躊躇いなく手を伸ばして助けてくれる。この優しさを鬼畜親子も見習ってほしい。
だけど。
「大丈夫ですか――……あ?」
その手が触れた瞬間、ぞわりと肌が粟立つ。どこか覚えのある感覚と共に、私の肩を掴むユリアヌスの手にグッと力が込められる。
直感した。
顔を上げたら終わる。絶対に目を合わせちゃいけない。
うっすらわかってるのに、逃げ出したい気持ちでいっぱいなのに、なぜか身体は正反対の行動をとる。
引き寄せられるように見上げた先で、赤と緑のオッドアイが、獲物を前に舌なめずりする獣のような輝きを放っていた。
わあお。
このパターン、知ってる。
あれでしょ、アルさんの幻術を上書きしたのと同じやつでしょ。触れた途端、問答無用であるだけ持ってかれる、借金の取り立てみたいな、召喚契約の副作用。
「ゆ、ゆゆゆ、ゆるゃ」
「ユラぁ?」
ユリアヌス、ではない、もう片方の、ええと。名無しの神、彼の方、虚言師、変態……いやもうユラでいい。ユラ。こいつはユラだ。
「ボクを呼びつけるとはいい度胸だなァ、くそガキ」
「呼んでないし離せぇえええ!!!!」
ジタバタと力のかぎり暴れても、ユラの手はビクともしなかった。
「くっそなんだその馬鹿力。強化魔術とか使ってないよな? せっかく回復してきたのにお前がそうやって無茶するとまた逆戻りだろうが、かわいそうだと思わないのか!? 思わないんだろうなあ。ああそうだよ、私は優しくされたら簡単になつくタイプの人間だよ。だからお前は嫌いだし優しさのかけらも感じられない変態なんかお呼びじゃない。チェンジで。ユリアヌスさんカムバック!」
息のつづく限り喚き立てながら、同時に、最悪の予想が確定してしまったことを思い知ってもいた。
つまり、こいつは、アルさんと同じ。
仮契約で結ばれた、私の召喚獣――ってことになりますよね。ですよねええ!
「……落ち着け。ソレに敵意はない」
「アルさんの裏切り者! ばーかばーか!」
後方で腕組みしたまま助けてくれる気配もない薄情な同室者を八つ当たり気味に罵っていると、ユラの拘束がゆるまった。
「あー、くそ、キャンキャンうるせェ。ひさびさに鬱陶しいノイズが止んで気分よかったってのに」
今だ。
今しかない。
「は、な、せ――!」
渾身の力で伸び上がり、奴の顎に頭突きを食らわせる。
その衝撃か、はたまた私との接触が消えたせいか、ユラはうめき声も漏らさず、どさりと横に倒れた。ざまあみろ。
念のため、ゼェハァと息を切らしながら、這いつくばって距離を置く。あー、頭痛い……コブになってないだろうな……今夜は本当に散々な目に遭っている。
「なんで……こんなことに……」
「召喚契約とは、すなわち精神と身体の等価交換――召喚主は召喚獣に身体を与え、召喚獣は召喚主に精神を預ける」
「そういう小難しい話はパ、ス――」
なんか前にも聞いた気がする。
「じゃなかった、だよねソウダヨネ!」
いや聞いた。絶対聞いた。
なぜなら縋りついた先のアルさんが憐れむような目で見下ろしてくるから。
「……であるならば、器ではなく中身が縛られるのは自然な結果だ」
「自然じゃねえよ! アルさんが『門』に蹴り込んだんだろ!?」
「つけ狙われるよりは目の届く場所に縛りつけた方がマシだろう」
ほら完全に確信犯じゃないか馬鹿野郎。
「まさか人の子が……畏れ多くも彼の方を縛るなんて……っああ、ユーリ兄さま!」
信じられないものを見たという様子で固まっていたアストレアさまは、ハッと我に帰ってユリアヌスさんの側に駆け寄っていく。ゆーりにいさま?
そういえばこれ、肉体的なダメージはユラじゃなくてユリアヌスさんにいくやつじゃん。
ごめん。でも不可抗力。わざとじゃない。
たぶん。きっと。おそらく。
「余裕そうね、メルフィ。短期間に二度の召門と仮契約の維持に加えて、性質不明の呪いの上書き……とんでもない魔力量だわ」
一方、私を実験台にしたフォノンさまは、面白い結果が得られたのか満足げにうなずいている。
「もしかして『クラヴィス』の魔力は、体内で生成されるというより、際限なく喚び出されるものなのかしら。それは一体どこから――」
「フォノン。考察は後にしろ。学生が起きだすまで時間がない」
「ああ、そうね。契約が働いていることも確認できたことだし、今日のところはここまでにしましょうか。あなたたちは先に部屋に戻りなさい」
「いやちょっと、フォノンさま? その人どうすんの!?」
アルトゥールと私を囲むように銀色の魔術光が散り、足元に円状の模様が浮かび上がる。たぶん転送用の魔法陣。送ってもらえるのは万々歳だけど、このまま放置するのはまずいんじゃないかな!
「ちょうど薬草園を管理できる用務員を探していたのよ。いかがかしら、植物学者のユリアヌス=ウンブラさん」
明らかに拒否権がなさそうな圧のこもった問いかけの返答を聞く前に、私の視界はぐるりと一転した。




