15.そういえば祝いと呪いって似てますよね
よっぽど身体がつらいのか、ユリアヌスは石壁に背中を預け、ぐったりと座り込んだ姿勢のまま、しばらく動かなかった。
今もまだ苦しそうだけど、アルトゥールに引き倒されて脂汗をかいていたときよりは、だいぶ顔色がよくなってきている。
呪術の特殊性は、表裏一体の効果を付与することにある、らしい。記憶もあいまいな私の理解力では詳しいことはよくわからないけど、条件を守っている間はプラスに、破った途端マイナスに作用するとかなんとかそういう感じ。
たぶんアストレアさまがかけた呪術の正作用は回復、つまり反転すると――ごっそり体力を奪われるくらいで済むだろうか。もっとヤバい効果になりそうな気がしてとても怖い。やっぱり深く考えないようにしよう。
そんな心配をつゆ知らず、ようやく呼吸を整えたユリアヌスは、眉尻を下げた困り顔でおずおずと切り出した。
「アスタがいるということは、こちらはポルタ=スコラですか」
その情けない表情をみて、なんとも言えず微妙な気分になる。
左目の下には、二連の泣きぼくろ。
赤銅色の髪に縁どられた、赤と緑の瞳。
うん、変わってない。変わってないんだよ、顔の作りは何一つ。でも誰だあんた。
戦いに興奮した表情から真顔への落差もすごかったけど、それ以上に……なんでこう、すっかり別人に見えるんだろう。
表情の差だけでここまで違って感じられるなんて不思議だよなあ。
「ええ。そして本日は参観日でも、部外者の立ち入りを許可した開放日でもないのだけれど」
ピリッとした空気を纏ったフォノンさまが釘を刺す。
「それで? あなたはどこのどなた?」
「僕は、ユリアヌス=ウンブラと申します。一応、植物学者の端くれです……ということをお尋ねではないですよね。ええと、なにからなにまでお話ししたものか。月の民が保護するミコの存在はご存知ですか?」
「アストレアのことかしら」
「そうです、月の巫女がアスタです。こちらでは『月光のアストレア』と呼ばれているのでしたっけ。そして僕が影の神子なんですが――」
「待って」
「あ、はい。なんでしょう?」
ユリアヌスは、へらり、と気の抜けた微笑を浮かべる。
まるで緊張感が感じられない。メンタル強者の気配がする。
私だったら折檻モードのフォノンさまに見下ろされた時点で震えて泣いてるぞ。
「カゲノミコ、なんて聞いたことがないわ」
「私からも申し添えますが、事実です」
横から口を挟んだアストレアさまを、フォノンさまの冷ややかな瞳が射抜く。
こういうときの表情、アルさんにそっくりだ。つまりはブリザード美形の原型であり、めちゃくちゃ怖いので目を合わせたくない。
「彼が貴女の影武者というには無理があるように思うけれど」
「実質的なことを申し上げれば、むしろ私こそが彼の方の影武者に近しいものではあります。私は巫女といえど月の民を代表する者にすぎません。しかしユリアヌスは、言葉通りの神の子であり、彼の方を宿す器なのです」
「器……?」
「彼の方は、ユリアヌスを介して託宣をもたらし、ときに私たちの願いを聞き届けてくださります」
「ずいぶんと血生臭い神がいたものね」
「否定はいたしません」
「ああぁあ、違います待ってくだ、……ぅ、ぐ……」
不穏な気配を漂わせはじめた女性二人のやりとりに、あわてて割って入ろうとしたユリアヌスは、うめき声を漏らしながら身体を折った。
うーわー、あれ相当きつそう。
私も総演に前衛参加したとき身体強化をかけてもらう側になったからわかる。あの手の魔術は解除後がつらい。筋肉痛をめちゃくちゃひどくしたような全身のしびれと倦怠感が一気にくるのだ。力加減を誤って身体を壊す人も多い。
あれだけバケモノじみた動きでアルトゥールと渡り合っていた後遺症はそんなものの比ではないだろうし、下手をすれば呪術の反作用が働く状況で、よく動こうとするな。
なお、アルさんがバケモノなのは私の中で大前提である。
「待ってください。アスタたちは悪くありません。月の民は争いを好まない一族でして、もとはといえば僕のせいというか、ああいえ僕の意思ではないんですけれども、とにかく、僕――というか彼のですね、正気を維持するためにはどうしても血が必要なんです」
「血ぃ!?」
その瞬間、思わず声を上げてしまった私に視線が集中した。
叫ぶだけ叫んで何も考えてなかったので、両手で口を塞いでブンブンと首を振る。ナシで。今のなかったことにしてください。
なんともいえない空気感は、ため息混じりにアルトゥールが引き取ってくれた。
「穏やかではないな」
「そーだそーだ!」
再びサッと背中に隠れながら全力の同意を示した私をアルトゥールは完全に無視する。反応くらいしてくれてもいいじゃん。
――あ、嘘です。横に避けないで。そのまま前向いててくださいお願いします。
ここでアルさんバリアーをなくしたら私は死ぬ。精神的に死ぬ。
「……事実です。何を馬鹿なことをと思われるかもしれませんが、彼の神格は呪われており、定期的に魔術師の血を摂取しなければ正気を保つことができないのです」
「呪い?」
「誓って私どもの呪術ではございません。神を縛ることができるのは、神だけですから」
ていうか、さっきから『神』ってなんどもでてきてるけど。
「この世界のカミサマって、つまり女神だよな?」
唯一神っていうくらいだし。女神が人の願いを聞き届けて、神のアタエタモウタ祝福? で、魔術は発動して、いろんなものが動いているって、教本にも書いて……あったかな。どうだろう。でもとにかく私でも覚えてるくらいの常識だ。
「聖教の教えではそうですが、彼らが焼却した古い伝承を私ども『月の民』は守りつづけています」
んんん……?
「影の――……『月の民』が独自の信仰を持っていることは公然の秘密だ。ゆえに拝月教徒とも呼ばれる」
アストレアさまの無言の圧を受けて言葉を変えながら、アルトゥールが解説してくれる。たしかに前にも言ってたような? あと影の民って呼ぶとアストレアさまは怒る。オーケー、理解した。
「つまり、アストレアさまたちは月の神様を崇めてて、それは女神とは別の神様で? ユリアヌスさん? は、その器……?」
アストレアさまは、肯定も否定せずに曖昧な微笑を浮かべてみせる。背後に花でも舞ってそうな美少女っぷりだけど、どっちなんだその反応。
代わりに、アルトゥールが吐き捨てるような口調で答えた。
「そいつらが崇める月神もまた女神だがな」
あいかわらずアストレアさまへの当たりが強い。
『異端の民』なんて言われるくらいだし、もしやアルさんも違う神様を信じてたりするんだろうか。聖教だけじゃなく月の民も嫌ってるっぽいんだよなあ。これが噂の宗教上の対立ってやつ?
女神ねえ……でもさっき。
「あいつ自分で女神じゃないって言ってたけど?」
「ええ。しかし彼の方もまた敬うべき神なのです」
「はあ……」
だめだわけわからなくなってきた。下手に口を挟むんじゃなかった。小難しい話はインテリ親子に任せておきたい。
「神としての名も記憶も失いながら、かつて自分が神であったことだけは覚えている――僕の中にいるものは、そういう存在なんです」
「都合のいい話ね。口ではどうとでも言えるでしょう?」
フォノンさまは半信半疑なようだけど、……実際に魔術ぜんぶ跳ね除けてたしなあ。『月の民』だからってだけじゃないような気がする。神だからって言われたら、ああそうなのって思わなくもない。それくらい存在感が異質だった。
「彼を宿す神子は僕が初めてではなく、過去に同じことを語った記録も残っています。歴代の例に漏れず、僕から彼の意識に干渉する術はありません。彼には彼の行動原理があり……こちらにお邪魔したのも、なにか目的があったのではないかとは思いますが」
目的。
フォノンさまとアルさんの顔が私に向くのを見て、アストレアさまとユリアヌスさんとやらの視線まで私の元に集中する。げ、またかよ。
「こっちみんな! じゃなかった、ミナイデクダサイ」
そりゃ鍵がどうのとか言ってたよ。聞いてたよ。あきらかになんとなく私狙い的なサムシングを感じたよ。忘れていたかったけど!




