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14.誰しも記憶を飛ばしたいときってありますよね

 二回目の沈黙は、前回の比ではないほど重かった。――しん、と静まり返った地下牢の片隅で立ち尽くす。


 うちすてられた むすう の どうほう の むくろ?

 おびただしく ひろがる ち の うみ?


 いろいろと衝撃で単語の意味がまったく頭に入ってこない。きな臭いどころのレベルの話ではないことだけは理解する。


 ねえこれ、私が聞いていい話? ほんとに?


 でも聞き間違えじゃなければ、まるでそれが私の洗礼に関係があるようなことを言ってる気がするんだけど。



「――()だ」



 アルトゥールは喉の奥から絞り出すように言った。



「俺は下から全てを見ていた」



 前ではない、と淡々と告げる。


 低く掠れた今まで聞いたことのない声色に、どんな表情をしているのかと思えば、あまりにも普段通りの――普段以上の鉄面皮が目に入って戸惑う。


 アルトゥールは無表情のまま男の襟元に手を伸ばし、締め上げるように掴んだ手には血管が浮き上がる。どれほどの力が、思いが、そこに込められているのだろう。


 彼が背負うもの、私から遠ざけようとしていた過去の傷を、こんな形で聞くのはよくない、と思いながら、動くことができない。


 感情を押し殺したような声で零されていく言葉を、ただただ聞き流していく。



「屍人の山に埋もれたことはあるか? 殺戮の嵐の中に抗う術もなく立ち尽くし、庇護され、夥しい血を垂れ流して折り重なる、かつて親や兄弟や友であったモノの隙間から、人間の業を詰め込んだ醜悪な笑みを見たことは?」



 いますぐ手を離して耳を塞ぎ、踵を返して逃げてしまえたらいいのに。現実は一歩も動けない。指先ひとつ動かすのですら困難で、凍りついた拳はアルトゥールのローブを握ったままほどけずに震えた。


 だって、そんなの。そこまでのものは予想してなかった。


 十八年前。私の生まれた夜。


 にじゅうさんひくじゅうはち。簡単な計算で、当時のアルトゥールの年齢は弾き出せる。フォノンさまに拾われたとき、彼は五歳だ。人生ハードモードにも程がある。気楽でいいなとか言い放った過去の自分をぶん殴りたい。


 『祝祭』――血の祝祭フェストゥム・サングィス

 異端ゼノの民の滅びを祝う、聖国の宗教行事。


 あのときフォノンさまが言いかけたこと、なんとなくわかってて気づかないふりをした。


 “あんなの実情は”

 ――虐殺だ。


 そっか、国によって民族が滅ぼされるって、そういうことなんだ。そりゃそうだよな、老いや病で死んでいったなら、アルトゥールの年齢でたった一人の生き残りになるのは不自然だ。


 あまりにも遠い世界の出来事のようで、実感がわかない。同じ時代に生きていながら、私は『祝祭』という行事も、その由来も、異端ゼノという民の存在すら、知らなかった。それどころか、形だけとはいえ、聖国と同じ宗教の洗礼を受け、疑うこともなく信じてきた。


 なんで?

 なんで平気な顔していられんの。

 無邪気に女神の祝福を請う術師たちのことを何とも思わないの。



「生きているのか死んでいるのかもわからない極限状態に置かれた子供の頭に、複雑な物事が浮かぶものか」

「へえ、死にたくないとでも願ったのか? 復讐か?」



 さぞかし憎んでいるだろうと男に煽られても、アルトゥールの態度は揺らがない。



「もっとずっと単純なことだ――『なに』が起こったのか『なぜ』こうなったのか――俺は地獄に理由を求めた。たまたま居合わせたすべての人間よりも強く純粋に、()()()()()()()



 そんな、過ちを悔いるように言わないでほしい。

 難しい背景はわからないけど、なんとなく理解した。


 彼の事情と私の事情。


 仮契約の維持を受け入れ、危険を冒してでも学園に留まった、もう半分の理由――私が、アルトゥールにとって“ かつての代償と引き換えた結果”そのものだと、いうのなら。



「なんだそりゃ、つまんねえな。その『神の鍵(クラヴィス)』は真実の扉を開けるために招ばれたってわけか」

「……可能性は否定できない」



 私が一方的にアルトゥールを巻き込んだんだと思っていたけど、そうではなく、むしろクラヴィス=メルフェザードという存在が、彼の事情に巻き込まれる形で生まれた可能性があるってこと?



「まあいい。きっかけがなんだとしても、鍵は鍵だ。その機能に変わりはねえ。てめえのクソつまんねえ目的のために用意されたもんだとしても、ボクにはボクの使い方がある」



 アルトゥールの手を無造作に払いながら言うや否や、男の手元に暗黒色の魔術光が集まって、一瞬で例のナイフを形作る。


 って、とつぜんの臨戦態勢!?


 待て待て待て急すぎてまったくついていけないんだけど、いまの虚言詠唱かよ。どっから!? これだから変態は。


 呆気に取られて慌てるだけの無能こと私をよそに、アルトゥールも素早く剣を握り、男の背後ではフォノンさまの魔術光が散る。けど、この間合いは正直まずいのでは。



「なにがしたいかって? 決まってら――このクソッタレな世界、を……」



 言葉の途中で男の身体がぐらりと傾ぎ、くそが、とちいさく呟きながらふらふらと後退する。そしてそのまま――。



「倒れた!?」



 石畳に倒れ込んだまま起き上がらない男の身体を、いち早く駆け寄ったフォノンさまが慎重に調べる。



「呼吸も脈拍も正常ね。眠っているだけみたい」

「なんで急に……」



 あれだけ激しい戦闘を演じていたというのに、男の身体には目立つ傷ひとつない。それにしても今夜は月が明るい。カンテラの灯りがなくても、掠れた召門陣の模様までよく見え――あれ? ちがう。小窓から差し込んでくる、青みがかった光は、月じゃなくて。


 登ったばかりの太陽光だ。



「夜が明けました」



 少女の声を聞いて、全員の視線が入り口に集まる。『月光のアストレア』は微笑みを浮かべて一礼し、まだ剣を握ったままのアルトゥールの隣を躊躇いなく通過して、男のそばに膝をついた。



「ユリアヌス。起きてください、ユリアヌス。彼の方はお帰りになられました。()()()()()()()



 声をかけられた男の指先が、ぴくりと動く。


 お、起きる? 危ないってそいつノータイムで攻撃できるんだから! 知り合いっぽいけど、戦闘狂野郎に対していくらなんでも無防備な。



「アストレアさま、危な――」

「あすた……?」



 弱々しい声で呟いた男が、ゆっくりとした――というか言っちゃ悪いけどなんとなく鈍臭そうな――動きで半身を起こし、あたりを見回す。



「ここは、……っ痛たたた、今回はまたひどいな。すみません、どなたか少し手を……あれ?」



 そこで初めて自分を取り囲む異様な雰囲気に気づいたように、男は目をしばたかせる。



「ええと、……?」

「身体強化魔術の反動か」



 アルトゥールがさっと前に進み出て男に手を差し出したので、私も慌ててその後を追った。ちょっとアルさん!?



「あ……ありがとうございま、す!?」



 男が手を握った瞬間、アルトゥールは無言で腕をひねり、後ろ手に固めた姿勢で床に引き倒した。



「っ……」

「貴様には聞きたいことが山ほどあるんだが」



 あ、ハイ。さすがですね。


 線の細い美少年が大の男の背中に乗って制圧している(ように見える)構図、なかなか衝撃的なものがある。その瞬間、私は剣術専攻クラスが熱狂した転入初日のお祭り騒ぎの気持ちを少しだけ理解した。



「いっ!? そう、言われましても、なにがなんだか……あぁ!?」



 体勢的に身体が痛むのか、別人のように情けない声を上げる男を冷ややかに見下ろし、アルトゥールは拘束を緩めないままアストレアさまに視線を移した。


 どうする? と言わんばかりの眼差しを受けて、アストレアさまは首を振り、穏やかに答えた。



「放してください。彼の方の行動をユリアヌスに尋ねても意味はありません」

「無理に庇い立てしても貴女の立場を悪くするだけよ、アストレア。この流れで無関係というのは、いくらなんでも苦しいわ」

「いえ……そうは申し上げませんが」



 フォノンさまの追及を受けて、アストレアさまは困ったように眉尻を下げる。



「いいよ、なんとなくわかった……どうやら()が大変ご迷惑をおかけしたようですね」



 あはは、と気の抜けた笑い声を漏らして、男はアルトゥールを見上げた。



「ご自由に拘束してくださって構いませんので、もうすこし楽な姿勢にさせていただけませんか。お察しの通り、過負荷の後遺症で僕は歩くのもままならない状態ですし、そちらもこのままというわけにもいかないでしょう」

「一度気絶させるという手もあるが」

「はは、手厳しいですね……できれば穏便にお願いしたいところですが、無駄な労力をおかけするのも申し訳ない。アスタ、やれるかい?」



 アストレアさまは少しためらったような様子を見せたけど、フォノンさまとアルトゥールから圧のこもった視線を受けて折れた。



「わかりました……『夜の帳、星の瞬き、月の檻。――彼の者は安寧を脅かす背教の徒なり。呪われてあれ、呪われてあれ、呪われてあれ』」



 両手を胸の前で組み、アストレアさまは祈るようにして魔術を発動する。


 彼女を中心に、星を抱いた闇のような膜が渦を巻いて広がり、対象の力を奪い捕縛する――最年少で五光の一角に数えられる『月光』の専門領域――月の民のみが扱えるという特殊系統の結界術、またの名を『呪術』という。


 祝詞が特徴的だからって、だいぶ悪意のある呼び名な気がする。まるで聖女のような可憐な美少女の特技が呪いってどうよ。

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