12.触らぬ神に祟りなしとは本当でしょうか
ため息と共に室内の惨状――とはいえアストレアさまの魔術でかなりマシになっている――を見渡し、切り裂かれて中材をこぼれさせている私の枕を宙に浮かせながら、フォノンさまが言う。
「それで、襲撃者とやらはどこに?」
「しらん」
「どういうことかしら。まさか取り逃がしたの」
その瞬間、フォノンさまの瞳に剣呑な光が宿った気がして、言われた本人でもないのにぶるりと震える。
ちょっとアルさん答え方!? いまフォノンさま機嫌悪いんだからさあ。
何事もなかったかのように微笑んで立っているアストレアさまの方をチラチラとうかがいながら、なんとか言葉を絞り出す。
「あああ、あれ、あれはですね、アルさんが勝手に――」
「『門』へ叩き込んだ」
あれやっぱり門じゃん、召喚門じゃん!?
わかってて蹴り込んだのかよ! と絶望的な気持ちで絶世の美貌を見つめていると、フォノンさまの口からまさかの発言が飛び出した。
「あら、気が利くじゃない。ほとんど捕縛されてるようなものってことね。じゃあメルフィ」
「嫌ですぅぅぅううう!」
絶叫した私の猛抗議によって、もう一回あの門を開かされることはどうにか避けられたけど、その代償として別の苦難が待ち構えていたのである――。
*****
空気が、重い。
先頭を歩くフォノンさまに連れられて、背後にはアストレアさまの楚々とした足音を聴きながら、いつかと同じ道をたどって地下へ降りる。打ち抜かれた窓から差し込む月明かりだけでは歩くには心許ない、古びた石造りの階段を、カンテラの灯りを頼りに黙々と下っていく。
正直、まるで生きた心地がしなかった。
えっと、いま私たち、案内されてるんだよな。連行されてるわけじゃないよな。現行犯で捕まってこれから牢屋につっこまれるわけじゃ……いや私なにもしてないよむしろ被害者だよ。
なんだこれピリピリしすぎ。嫌な予感しかしないし誰も話さないしこの重っ苦しい沈黙が辛すぎる。
「ああああの……、アルさん」
意を決して口を開き、この中で一番まだ話しかけやすい目の前の背中に声をひそめて呼びかけてみる。
ときどきこちらを振り向く素敵な笑顔の美魔女や、少し距離を置いてついてくるすまし顔の美少女からの視線は気にしないことに……いや無理だけど。めっちゃくちゃ気になるけど。あの冷戦に巻き込まれたくない。私なにも知らない。気づいてない。
アルトゥールは振り向きもせず、さっさと先を行く。いや、ちょ、無反応ってひどくないっすかね!?
置いていかれないようにあわてて数段駆け降りると、靴底がカツンと大きな音を立てた。
や っ ち ま っ た 。
「ッすみませ――ん!?」
サア――っと血の気が引き、とっさに頭を下げた私は走った勢いそのままに、あっけなくバランスを崩してアルト少年の肩……じゃなかった、アルトゥールの背中に倒れ込んで鼻を打つ。
ああそっか幻術……幻術で高さの認識ズレてるから……うわ焦った。死ぬかと思った。てっきりこのまま床まで頭からダイブコースかと。
彼の運動神経からすれば簡単にかわせただろうに、一応避けることはなく、かといって事前に助けてくれることもなく、立ち止まって私の顔面を背中で受け止めてから雑な手つきで身体を押し戻したアルトゥールは深々とため息をつく。
それはもう呆れた目つきで――お、目線の高さ同じくらいだね。そういや本来は長身だったわこの人。私がドチビなわけでは断じてないはずである。……我ながら図太くなったものだ。
「高度な遮音障壁の上からフォノンが偽装までしている。音を立てたところで問題はない」
「あ、そっか、そりゃそうだね」
なあんだ、慌てる必要なかったんじゃん。私には理屈はさっぱりわからないけどインテリ剣士が大丈夫って言うなら大丈夫なんだろう。
痛む鼻を抑えながらへらりと笑う私を、怜悧なまなざしが冷ややかに見返した。
「で? なにか言いかけていたな。話したいことがあるのなら勝手に話していろ」
「え、うそ、アルさんが優しい!?」
「聞いてやるとは言っていない」
「デスヨネー!」
冷たくあしらわれて、いっそ安心する。
「よかったいつものアルさんだー。でも一言くらい答えてくれてもよくない? 完全に無視はひどくない? でも殴らないだけ優しいかも。やっぱお義母さまいるから? それともアストレアさま? あ、そうだ。もしかしてアストレアさまとも知り合いなの――」
……ほんとに安心する。
だんだん日常の一部になりつつある彼とのやりとりが、この異様な空気の中でもまだつづけられること。ここに日常がある。私の知ってるものがある。話してる間は他のことを考えずにいられる。
べつに話の中身なんかどうでもよくて、なにも反応してもらえなくたってよくて、ただ。
「どうせ、ただ話していたいだけなんだろう」
「そうそれ! なんでわかんの読心術?」
「そんな魔術は存在しない。お前の行動パターンはおおよそ読めてきた」
結局、ぺらぺらと話しつづける私の質問にアルトゥールはなに一つ答えてくれなかったけど、それで構わなかった。なんだかんだ言いつつ意外に優しいんだよな、この人。鬼のように厳しい面もあるけど。
「あら。あなたたち、結構いいコンビになってきたのね。でも残念――もう目的地に到着したわ」
そう言って笑うフォノンさまの指差す先には、案の定、見覚えの――身に覚えのある地下牢の格子戸が行く手を阻んでいた。
「開けられるわね? メルフィズ」
「……ハイ」
そのとき、私に許されていた返事はYESかハイかモチロンデスだった。
だってフォノンさま、ぶち破れ、と言ったアルトゥールとおんなじ目をしていらっしゃる。
つまるところ、できない=死あるのみ、という有無を言わせぬ圧力がある。
なるほどね? あの眼力は母譲りと。完全に理解した。血は繋がってないらしいけど。
手招かれるまま前に進み出て、鎖で固定されているわけでもないのにピッタリと閉じて静止している格子戸の一本を掴み、この先に進みたい、という強い意志を持って押し開くと、何の抵抗もなく戸は動いた。わあお。うん、そんな気はした。
――魔法錠だったんですね、これ。
ここを通るのは3回目だ。下見と、本番と、今。聖狼召喚を計画していたころの私は、いかにも誰も来なさそうで、時間をかけて陣を書いてもバレず、最低限の月明かりも入る、最高の場所に鍵かかってないなんてラッキーと思っていた。疑うこともなく。
嫌だなー、行きたくないなー。
だってさあ、きっとこの先には、あいつがいるわけなんでしょう。あの虚言師。変態。やだよ会いたくないよ。ついでに自分が何をやらかしたのか知りたくないよ。
ぐだぐたと迷っていると、さっきから私が言いたくてたまらなかった台詞が後ろから聞こえてきた。
「私はこちらで待たせていただきます」
振り返った先で、アストレアさまが優雅に一礼する。
「彼の方への拝謁は、どうか、皆さま方のみで」
はいえつ、ってなんだろう。
私の顔にデカデカと浮かんだであろう疑問は、アルトゥールから憐れむような視線を受けてそっとなかったことにする。なんでもない。とりあえず彼女は付いてこないってことね、うん!
キリッとした表情を形作って頷いてみせても、向けられる眼差しの温度はまったく上がらなかった。なぜだろう。ほのかな生ぬるさを感じて、容赦のないブリザード時代より心が痛い。
アルトゥールは即座に私を切り捨てて、『月光のアストレア』に向き直った。
「拝月教徒にとって、奴はそれほどの要人か」
「……直接、お尋ねになられては? 月の愛し子よ。私が今なにを申し上げても、素直に聞き入れてはいただけないでしょう」
「なるほど。名高い『影の民』は、いちいち神経を逆撫でするのがお得意のようだ」
「不快に思われるのであれば、どうか私どものことも『月の民』とお呼びください」
二人の間で、バチリ、と火花が散る。
儚げな容姿の心優しい清らかな美少女で通っているアストレアさまが見かけによらず、したたかで計算高く、すさまじく強情な性格をしているらしいことは、これまでのやりとりからなんとなくわかっている。
一方の神に愛された美少年――いやアストレアさまには幻術効かないんだっけってことはブリザード美形のビジュアルに喧嘩売ってるのか強すぎる――アルトゥールも相当に頑固なのである。特に信用ならないとみなした相手に対しては手厳しい。
この二人、もしかすると、相性めちゃくちゃ悪いな?
ええー、フォノンさまともバチバチしてたのに?
間に入る勇気もない私は険悪なムードをあわあわと見守るばかりである。話の意味もよくわかってない無能でごめんなさい。
「アストレア。貴女の話は後で聞くわ。残るのは構わないけど、いいのね? 私、場合によっては貴女の大切な御方とたくさんお話しさせてもらうわよ」
さっと割り込んだフォノンさまの背中が頼もしすぎた。
なお『鏡光のフォノン』のお話しとは、つまり、そういうことである。深く考えてはいけない。ん? いや、考えなくても目の前で見るのか、これから。なにそれ怖い逃げたい。
「ええ、私にお話しできることであれば、なんなりと。いかに貴女であれど彼の方の望まぬことを強いるのは困難かと思いますが、どうしてもというのなら急いだ方がよろしいかと……じきに夜が明けます」
フォノンさまはアストレアさまの物言いに眉を顰めるも、すぐに気持ちを変えて身を翻した。
「ご忠告痛み入るわ。いくわよ、メルフィ、アル」
先頭に立って地下牢に入っていくフォノンさまを慌てて追いかけた私の後からアルトゥールもついてくる。インテリ親子に挟まれた。
……あ、これ、完全に逃げられないな。いまさらだけど。




