11.どうやらまだまだ隠し事があるようです
男が消えて数分間、室内には気まずい沈黙が落ちていた。
「あー、ええと、アルさん……」
無言のまま鞘に収めた剣を後ろ手で押しつけるようにして返却し、アルトゥールは荒れた室内を眺めて溜息をつく。
「ちょっと、アルさんってば!」
私の呼びかけを完全に無視して、床の上に散乱した物を手早く片付け始める美少年。彼の持ち物は相変わらず少なくて、そのほとんどは私の所有物なんだけど。
「アルさん! アルト! アルトゥール!」
「聞こえている」
教科書類を棚に押し込み、割れたガラスをカーペットに包んで端にまとめながらアルトゥールは答えた。いや、そういう事務的な反応じゃなくってさ。
「なんか私に隠してることない?」
刺々しい額縁となってしまった大窓から夜風が吹き込んで、カーテンが膨らむ。ちょうど綺麗に取り澄ました横顔が布の向こうに消えた。
「なにか、とは?」
落ち着き払った声色。
いつもの通りだ。態度はいつもの通りだけど、状況がちがう。
「さっきの――」
「蹴りのことか? あれは相手の魔術耐性を利用して反発を起こしただけだ。私の力ではない」
「どうりですごい飛び方を……じゃなくて!」
たしかになんか、接触の瞬間、バチリと弾けるような音がして、ただの蹴りにしては不自然な飛び方をした気がする。フォノンさまの幻術の副作用まで計算のうちですか、そうですか。いや誤魔化されないよ? あんた小難しいこと言えば無条件に私が黙ると思ってるだろ。
「ああ」
ようやく私を振り向いたアルトゥールが、なにかに気づいたように眉をひそめる。同時に私も気づいて、絶句した。――なんてこった絶世の美少年の顔に傷が!
「残ったか。かすり傷程度なら映る間も無いかと油断したが……次から顔は避けてやる」
たぶん私にもピッタリ同じ位置にあるだろう傷を確かめるようにアルトゥールがなぞると、今更ながらピリリとわずかな痛みを感じた。集中してたから全然気づかなかった。せいぜい紙で指切ったくらいの感覚だし、どちらかというと麗人の頬に赤い線が走っている方が問題だろう。っていうか。
「ちゃんと血が通ってたんだ……」
「おい」
「いやだって初対面のときザックリいってたのに、ってそんなことはどうでもいいんだよ! なあ、さっきの誰?」
怒る気力もないらしく、アルトゥールは私を呆れた目で見るにとどめた。
なんつーか、慣れましたね、お互い。
「知らん」
「ほんとうに?」
「……推察する当てが無いわけではないが、個人的な知己ではない」
チキ、ってなんだっけ。よくわからないけど知らないと言いたいことは伝わってきたので質問を変える。
「あれ……私が開いたのって、『門』だろ? 繋がった先は知らないけど、周りに浮かんでたのは見たことある陣だったし。まさかとは思うんだけど、あんた、ああなるのわかってた?」
「フォノンも言っていただろう。お前の魔術特性には、どんなものもこじ開けられる可能性が――」
「じゃあ、カミノカギって、なに?」
強引に言葉を重ねると、アルトゥールは口を閉ざした。ああこの人、やっぱりズルくない。頭は回るけど根が正直なんだろう、黙秘はしても嘘八百並べたりはしないんだ。ある意味で、わかりやすい。
「どうしても隠したいならそれでもいいけど、それって、あんたの事情じゃなくて、私の事情、だよな?」
「変なところで勘がいい」
苦々しく呟いたアルトゥールをじっと見つめる。やけに不可侵を押してくると思ってたけど、どうやら私と彼の事情は絡み合っている。アルトゥールが嫌がっていたのは、自分の過去に対する干渉そのものよりも、互いの事情の接点を知られることなんだろうか。
「クラヴィスには、二つの意味がある。一つは著しく特化した魔術特性全般。そしてもう一つ、ほとんどの民において忘れ去られた伝承に過ぎない本来の意味が――神域を暴くことのできる唯一の存在、『神の鍵』だ」
「神域? 聖域じゃなくて? もしかして女神の――ッ!?」
勢い込んで尋ねる私とアルトゥールの間に、花が咲いた。
どこからともなく現れた大輪の花は、柔らかな魔術光を放って広がり、その中心に小柄な影を浮かび上がらせた。
足元まで流れ落ちる袖のないワンピース。身の丈ほどもある髪の上には淡く色づいた薄衣のヴェールが重なり、真白い花かんむりから伸びた金の鎖が重石のようにそれを華奢な背に留めている。
「無用心ですね」
若葉色の瞳を輝かせた、清廉そのものといった雰囲気の美少女が、ため息まじりに言葉を漏らす。
「このように開いた場所で語る内容ではないでしょう」
彼女の声に合わせてほんのりと魔術光が点り、丸まったカーペットが解け、無数のガラスの破片がふわりと浮き上がって窓枠へと集合し、瞬く間に元どおりの一枚板を形成した。
吹き込んでいた風が止み、揺れていたカーテンが静かに閉じ合わされて沈黙する。
これは現実だ。幻術ではない。やってることは基本魔術の応用と組み合わせだけど、祝詞の省略と同時展開には緻密な制御技術が要求される。こんなことをさらりとやってのけるのは、一介の学生ではもちろんない。
幼げな容貌に慈愛に満ちた微笑みを浮かべ、祈るように両手を組んだ、その方の名前は。
「ア、ストレア……さま」
五光が一人にして最年少の天才少女――『月光のアストレア』は、聖母のような微笑を貼り付けたまま、ゆったりと一礼した。
「ご無礼をお許しください。『浄光』の目を盗むには今が好機と、急ぎ馳せ参じました。どうしても一目お会いしたかったのです――神の鍵」
「く、くら……え?」
仰々しい言葉や仕草を向けられ、まったく場違いにもほどがある私は、混乱したままキョロキョロと視線をさまよわせた。ナニコレ誰か説明してヘルプミー。
救いを求めるようにアルトゥールを見つめていると、私の目線をたどったアストレアさまが半身を返す。
「そちらは異端ですね」
「……」
アルトゥールは戦闘の構えこそとらないものの、ひどく彼女を警戒しているようだった。あれ、ていうか、アルさんの正体バレてる? やばくね? やばいね? それめっちゃやばいね!?
「あああアストレアさま、彼はそのえっとアルトくんっていう編入生で私の相――」
「私ども月の民に精神感応系の魔術は効きません」
おぅ……我、無力なり。
そうだった、五光の特性にも相性があって、フォノンさまはアストレアさまに弱い。
あまり表に出られることはないけれど、『月光のアストレア』といえば直接的な攻撃魔術は一切使わず、緻密な魔術制御と人並み外れた魔術耐性が持ち味の結界術のスペシャリストとして有名だった。
アルトゥールは絶対零度の眼差しでアストレアさまを見返し、無表情のまま私に視線を移して、クイ、とわずかに顎をしゃくってみせる。
え、剣? これ? 渡せって? いやいやいやいや。無言の要請を必死にフルフルと首を振って拒絶する。アルトゥールは目を細め、深々とため息を漏らすと、私をアストレアさまから引き離して後方に押しやった。あ、そっちっすか。いやわかるかよ!?
「なにをしにきた?」
「私に害意はありません。警戒を解いてはいただけないでしょうか、月の愛し子よ」
「吐き気がする呼び名だな。お前たちの教義からすれば、私の存在は疎ましいものではないのか」
「いいえ、私は『門』に招かれしもの。教えを捨ててこそおりませんが、己が務めは学園に集う子らを守り導くことと弁えております」
アストレアさまは余裕の微笑を浮かべたまま崩さない。見た目年齢は私と同じか下くらいなのに、その堂々とした振る舞いに、か弱さは全く感じられない。むしろ包みこまれるような、不思議な安心感を与えさせる立ち姿に見惚れる。
しかしそれに惑わされるアルトゥールではなかった。
「あんなものを寄越しておいて、それを信じろと?」
絶世の美貌から放たれる重低音。
ゾックゥと背筋に冷たいものが走り、私は一歩後退した。
顔、見ない、絶対。
「……やはり、彼の方がいらしていたのですね」
緊迫した雰囲気の中、不意に目を伏せたアストレアさまが呟くのと、部屋の扉に描かれた魔術文様がカッと光を放つのは同時だった。
「いま何時だと思ってるの、坊や達――」
一息に扉を開け放った『鏡光のフォノン』――寮監の権限を濫用したに違いない――は、私たち三人の姿を見てクツリクツリと喉を鳴らす。
「あらアストレア。呼びに行く手間が省けてよかったわあ」
うそだ。目が笑ってない。ぜんぜん笑ってない。
きてくれて心強いのに素直に喜べないこの肌寒さはなんだ。ブリザードか。やはり親子なんですね。
「学生の騒ぎに遮断障壁はやりすぎじゃないかしら? 学生指導の責任者は私よ。大掛かりなことをする前に相談してくれなくちゃ困るわ。貴女も痛くない腹を探られたくはないでしょ」
ね? と、にこやかに念押しするフォノンさま。固唾を呑んで見守る私とアルトゥールの前で、『月光のアストレア』はふわりと柔らかく微笑み返す。
「やはり貴女の目はごまかせませんね」
「それはお互い様よね。私も立場上、寮内の異変にはいち早く気づけるようにしているつもりよ。たとえ貴女の結界に阻まれていても」
「彼女の目を逸らすためとはいえ失礼を……お恥ずかしいかぎりです」
「念のためカルロッタには少し夢を見てもらったわ」
「お心遣い感謝いたします」
「いやねえ、それを見込んで動いたくせに」
「貴女こそ、私が看破ることは織り込み済みで幻術を施されていたのでは」
バチリ、と、何もない空間に火花が散ったように見えた。
私は思った。――女って怖え。




