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10.変態さんにはお引き取り願いたいです

「――ろ」



 真っ白な世界が騒がしい。柔らかい雲に包まったまま寝返りをうつ。今日は講義のない休日のはず。目覚ましも切った、居室まで起こしにくるような知人は――トムくらいだがあいつにはお目付役の同室者がいる。よって今日までのところ私のプライバシーは守られている、はずだった。



「――ぃ、この」



 ドタドタ、バタバタ、妙にうるさいな……鈍く撃ち合うような音までする。幻聴かな?


 ああそうか、もう悠々自適な一人部屋じゃなくなったんだっけ。でも新しい同室者は騒ぐようなタイプじゃなかったと思うんだけど。



「呆け術師!」

「うぁあ!?」



 わけがわからないままベッドから投げ出され、掛け布団ごと地面へダイブ。あいにくと寝起きに受け身とれるほど鍛えられてない私は、ベッタンとうつ伏せて床に落ちた。ボフ、と布団に埋まった顔は守られたものの、衝撃で全身がジンジンする。



「……アルさん、朝から容赦……なさす、ぎ!?」

「いますぐ起きろ死にたいのか」



 冗談に聞こえないマジな声に脅されつつ、さらに蹴り飛ばされてゴロゴロと壁際へ転がる。いきなりヴァイオレンス。なんなんだよ……って、なんだこれ、硝子? バルコニーに繋がる大窓が割れてる? しかも外、暗くない? まだ夜? は、え、ちょっと待てよこれどういう状況!?


 ようやくただならぬ様子に気づいて飛び起きた私は、割れた窓に映り込んだ赤銅色の髪の男と目が合った。


 片目が緑で、片目が赤――?

 奇妙な彩色に目を奪われた瞬間、鋭い光が視界をよぎった。


 舌打ちとともにアルトゥールが間に入ってきて、机に放置されていた教科書を盾に――そういえば彼の剣は武具保管庫にある――金属光の軌道を逸らす。


 同時にもう一本、気のせいかな、さっきまで私がいたあたりに、なんかブッ刺さったように見える……いや見慣れない小型の刃物とかもう怪しい気配しかしないんですけど何ですかアレェ!? 消えたけど! すぐ消えたけどなに!? 消える方がむしろ問題だっての。



「ハハッ、イイ反応じゃん。やっぱ異端ゼノは違うねェ」



 謎の男は左右で色の違う目を細め、まるで何かを刈り取ることに特化したような形に湾曲したナイフを指先でくるくると玩びながら、笑った。


 ぞくり、と背筋に震えが走る。

 やばいやつだ、と本能が警鐘を鳴らしだす。



「なんだよ、あいつ……」



 猟奇的な笑みを浮かべた若い男、刃物つき。左目には二連の涙ぼくろ。こんな局面で興奮するなんてロクな人間じゃないに決まってる。見覚えはまったくないけど、たぶんきっとおそらく殺る気しかないんでしょうねえ!



「知り合いじゃないのか?」

「まさか!」



 ブンブンと勢いよく顔を振る。あんなヤバそうな知り合いいてたまるか。

 狙いはアルトゥール、だよね? そうだと言ってくれ。


 外へ逃げようにも、下手に騒ぎを大きくしたらマズそうだし。うまくすればフォノンさまが気づいてくれるかもしれない。バルデアさまでもいい。だけどもし、カルロッタさまが先に動いたら? アストレアさまだってそうだ、味方になってくれるかわからない。ジェラールさまの考えもわからないのに、どう――。


 いやいや、重要なのはどうなるかじゃない。

 今、どうするか。それだけを考えよう。


 私にできること、私のやるべきことってなんだ。前に出たって邪魔になるだけだし、だけど実戦で私にできることなんて武器片手に突っ込むことくらいしか――そうだよ武器!



「しっかしマァ、こんな場所でホンモノに出会えるたァ驚きだね。マジで滅びちゃいなかったんだ?」

「目的はなんだ」

「つまんねェもん聞くなって、最初に用向きは伝えたっしょ。それともなんだ、てめぇにゃ関係ねェつったら対応変わんのかァ?」

「大変遺憾ながら、無理だ」



 大丈夫、奴の意識はアルさんに集中してる――ほんのちょっとでも時間が稼げれば十分だ。



「ダァよなァ、そーいう融通きかないカオして――」



 私と一緒に窓際に追いやられていた枕を掴み上げ、ぶん投げる。



「そいや!」

「はあ!? ――チッ」



 油断しきった侵入者にクリーンヒット。あわれにも裂かれて芯材を散らした枕は、その身を張って奴のナイフを搦めとる。よっしゃ寝具なめんなよ。



「たしか、この奥――あった! アルさん!」



 ベッドの下から引っ張り出した剣をアルトゥールに投げ渡す。



「それ、好きに使っていいんでなんとかしてくださいお願いしまァアす!」



 必要なら土下座でもなんでもする勢いでピシッと腰を曲げる。顔を上げるまでもなく感じる。アルさんの呆れた目線を……!


 剣術専攻じゃない私は、武器の所有もそれほど厳しく取り締まられていない。だから、こうして自室に私物を隠しておけた。ぶっちゃけ規定されてないのを悪用してるだけだから、事が終わった後に取り上げられるかもしれないけど、それはそれ。


 彼に言わせりゃ玩具でも無いよりマシだろう。持ち主として情けない限りだけど、私が振り回すよりずっとうまく使いこなしてくれるにちがいない。決して私がビビって奴に近寄りたくないだけではない。決して。



「あーうっぜ……マジうぜクソうぜェ……力もねぇくせにキャンキャン鳴く……だァからクソガキは嫌いなんだよクソが」



 ボソボソとつぶやきながら男がナイフを振ると、黒い光を放って刺し貫かれていた枕が一瞬で霧散する。

 うげ、よくわかんないけどヤバそうなの使ってきた。



「なにアレなにアレなにアレ」

「虚言詠唱か……面倒だな」

「は? 虚言師ィ!? 変態じゃん!」



 超マイナーな詠唱術の使い手と聞いて、思わず叫んだ。


 魔術を発動させる祝詞の省略方法にも色々あって、定型句をかいつまむものから身振りに置き換えるもの、すべて脳内で完結させる完全省略まで、熟練した術師ほど自分に向いた方法を選ぶ。


 その中でも最高難度かつ悪質、悪趣味、とにかく最低最悪なのが虚言詠唱だ。術の内容とも神への賛辞ともかけ離れた言葉をデタラメに並べて相手を撹乱する――という根っからの二枚舌でなければできないような背信行為をしながらも、ちゃっかり狙い通りの術の発動を女神に認めさせてしまう。滅多にお目にかかれない特殊技能で、その使い手は神をも欺く大嘘吐き、虚言師とか虚言使いとか呼ばれてる趣味の悪い奴らだ。


 だいたい、黒い魔術光って段階で不気味だし。黒も黒、どろっとした暗黒色の魔術光なんて初めて見た。分厚い闇の雲のようにまとわりついて、ナイフの輪郭をすっかり覆い隠している。



「おーおー散々に言ってくれるねェ、くそガキ」



 苛立ったような声を発し、面白がるように笑っている男は、なにを考えてるんだか全くわからない。その言葉に応じて更にナイフを覆う闇が深まって、もう手首から先が見えないくらいだ。


 正直キモい。キモいけどアレも地味にすごい。無駄に散乱する魔術光が一切なかったし、今もない。めちゃくちゃ精密な術式制御が求められる神業を、まともな祝詞も唱えずに維持してるってことで、つまりめちゃくちゃすごくてキモい。



「うっわ引くありえないキモい無理」



 その特化の仕方がなんというか、あきらかに一般市民じゃないキナ臭さを漂わせている。ほんっとうに関わりたくない。


 コソッとアルトゥールの背後に身を隠し、奴の視界から消えようと試みる。ああでもアルト少年のサイズ感じゃ隠れきれない。いっそ幻術無効化――しても私の認識が変わるだけなんだよなあ、残念ながら。


 というか、あれ、そういえば、あの男にガキ呼ばわりされてるのって私か? 見た目的にはアルさん(少年ver.)の方がよっぽどクソガキ感あると思うんだけど。


 もしかして幻術効いてない? でも私は現在進行形で騙されてるけど? フォノンさまの多重幻術を初見で看破るなんて、そんなまさか――。



「なにをしている」

「いやだってあいつ絶対マトモじゃないって」



 掴んだり離したり、つんつん、ぺたぺた、幻術の状態を確かめようと無意味な接触をくりかえした私を、アルトゥールがめちゃくちゃ冷たい目で見てくる。


 ごめんふざけてないから。真面目だから。そんなゴミ屑を見るような眼差しを向けないでください。



「……おい馬鹿、騒ぎになる前に場所を移すぞ」

「場所ったって寮内じゃどこいっても学生が」

「室内にフォノンの簡易転移陣があったな」

「あー無理無理。あれ時間限定だし、こっちからは干渉できないし」



 アルトゥールは私の剣を鞘から抜きながら言った。



「時間は稼いでやる。――ぶち破れ」



 有無を言わせない口調の迫力に、一瞬、言葉が詰まる。



「ブチ、ヤブ……は?」

「やれ」



 駄目押しのひと睨みを受けて震え上がる。

 なんというか本当に、お上品な雰囲気に似合わず発想が大胆ですよねあんた……!


 件の陣が組み込まれたクローゼットは今、大欠伸決めてる不穏な奴の真後ろにあるわけなんだけど、要求難度高すぎやしませんか。あっさり無茶振りしてくれやがって鬼め。



「オシャベリは終いか? わざわざ待ってやるボクの優しさに平伏して感謝しろよなァ」



 脱力したように立つ男の周りには、時間経過とともに暗い魔術光が集まっては消えていく。見覚えのある術式のいくつかは基本魔術の自己強化系っぽいけど――密度と精度がエグい上に、重ねがけとかしちゃってないっすかパイセン?


 そりゃ、虚言詠唱できるなら完全省略もできるだろうけど、複数同時展開とか頭ん中どうなってんだよ。トチ狂ってるとしか思えないことを平然とやってのける。だから虚言師は変態なんだ。


 固有の大魔術を磨くのが大抵の術師なのに、この男ときたら……発動に時間がかかって相手に察知されるような術は一切使わない代わりに小技を極めるだなんて戦闘スタイル、めちゃくちゃだ。


 剣士でも術師でもなければ、とうぜん聖職者でも学者でもない。ルール無用の場外乱闘でもここまで酷くない。


 ……あんまり考えたくないけど、その技術、なんのために身につけたんでしょうかね?



「で? どうすんだ異端ゼノさんよ。お前らにとっても悪い話じゃねェと思うけど」

「どんな話もお断りだ」

「連れねーなァ、持ち帰って検討くらいしろよ」

「あいにくと私に持ち帰る先はない」

「へェ、そっかお前が最後か、そいつは失敬」



 世間話のような男の言葉に合わせて、次々と小型の刃物が飛ぶ。


 どこからともなく狙いを済まして飛んでくる、その一つ一つが魔術によって織り成されたものだ。半数くらいはフェイクの幻術、と油断してると全てが実体に切り替わったり、どこへともなく消えたり、変則的な動きをしてくるあたりタチが悪い。


 なんだよあの魔術操作、器用すぎるにも程があるだろ……虚言詠唱と相まって、見ているこっちの頭がおかしくなりそうだ。できる方もおかしいけど、返答しながら淡々と弾いてるアルトゥールも大概おかしい。


 正直、異次元の争いに巻き込まれて生きた心地がしない。

 こっそり窓から逃げられないかなとか思った瞬間、アルトゥールの氷の眼差しが私を刺した。


 ……う、ぐ、わかってるよやるしかないんだろ!?

 ゴクリと生唾を飲み込む。



「――悪いね、ボクらにゃァ『まだある』んだ」



 ニヤリと笑った男が、黒い靄のかかったナイフを逆手に構え直すのが見えた。



「いけ!」



 男が前に踏み込んでくるのと同時に、アルトゥールの声に従ってベッドの上へ飛び乗り、走り出す。

 なるべく壁際を、邪魔にならないように、障害物を盾にしながら、駆け抜けることに集中する。

 ああくそ、短い距離がやけに遠い。



「キャッハハ! スッゲ最高じゃん、これも避けんの? 生身で? マジかよあんた遊び甲斐しかねェな」

「これだから戦闘狂は」

「愉しいだろ?」

「ッ話にならない」

「冷てェの」



 二人の様子が気になっても、見ない。大丈夫、アルさんがなんとかしてくれる。してくれなかったら恨む!


 基本的に容赦ない鬼だけど、味方につければ頼もしい。そんな反則級の剣士が時間を稼いでくれるって言うんだから、背中の心配はいらない。たぶん。きっと。私は私の仕事をする。


 だけど私にフォノンさまの施錠を破るなんて、できるだろうか。

 祝詞なんて知らないし、構文も作法もわからない。


 魔術は、この世界の奇跡は、すべて女神の与えたもうた祝福だ。


 女神は人の心を量る。強い想いと対価さえ揃えれば、どんなめちゃくちゃな願いだって叶う可能性がある――そう、重要なのは心。心に描く一途な願い。つまり成功のイメージが、いる。


 闇雲に走り抜けて、ようやくクローゼットの扉に飛びつく。


 術式を組み込んだ魔法陣があるのは内鍵部分のはずだ。施術に立ち会ったから、場所はわかる。でもどうしたらいい? 本格的な魔法陣を起動したことなんて……。


 聖狼ルプスの、あれしかない。


 散々思い描いた、毎晩繰り返し練習した、あの陣なら諳んじられる。あの瞬間の感覚なら、まざまざと覚えている。呼び水を受けた陣が光って、魔力が動いて、憧れつづけた聖獣の住処に繋がった、あの刹那のこと。忘れられるはずがない。


 できる? ううん、やるしかない。腹を決めろ。可能性という道があるのに、選ばないのは最悪の選択だ。

 あの夜に比べたら、こんな扉、こんな封印ひとつ――。



「ッどーなっても、知るかぁああ!」



 その瞬間――固く閉じた錠前の割れる音がして、勢いよく手前に開いた扉に弾き飛ばされた。


 尻餅をついたまま見上げた先には、転移陣、というより空間をまるごと切り取った窓のような円環が浮かんでいる。


 ま、まじで開いた……。

 でもなんか、思ってた感じと違う――?


 縁取られた内側に広がる光景は、もともと設定されていたはずの教職員寮ではなくて、どこか見覚えのある冷たい地下牢の石畳。


 っていうか入口の環にグルッと妙な模様うかんでない? 魔術陣がそのまま浮き上がったような――これに似た陣を、ちょっと前にも見た気がするん、だけ、ど――?



「クラヴィス」



 背中越しに届く、声。

 アルトゥール? ちがう、彼は私をそう呼ばない。

 彼は私を、令嬢クラヴィスではない偽物メルフィズの存在を、認めてくれたから。



「馬鹿が――」



 遅れて届いた罵倒に、ようやく我に帰る。



「あ、う、わぁあああすんませんでも閉じ方わからな……え?」



 振り返った瞬間に目に入ったのは、思いもよらない至近距離にまで肉薄していた男の真剣な顔だった。笑って、いない。表情が消えるだけで別人に見える。知らない。会ったことない。こんな奴、いちど見たら忘れない。



「やっと会えたな――『神の鍵』」



 剥き出しの欲望が、そこにあった。赤銅色の髪に縁取られた色鮮やかな両目は爛々と輝き、その中央に私を映していた。

 なにを言われているかわからないのに、不思議なほど意識が引きつけられて、目が反らせない。


 赤、と、緑、の――。



「そのまま維持していろ!」



 対照的な色をした目玉をボケーと見返していた私の身体が後ろに引かれる。いつかのように首元に衝撃が走って、グェと潰れた声が出た。


 だから、フードは首締まるって――強引に引き剥がされた姿勢のまま床に倒れ込んだ直後、上空を舞っていく鋭い刃にギョッと固まる。


 剣の一閃で相手のナイフを弾いたアルトゥールの身体が反転し、体重の乗った脚が鮮やかに男の背中を捉える。うっわなんでもアリだなこの人――そしてそのまま、魔術式の浮かぶ円環に縁取られた『門』の向こう側へと男の身体を蹴り飛ばしてしまった。


 そのとき、不安定な術は早くも破綻しかけていた。

 受け身をとった男が立ち上がるよりも早く、円環は崩れた。


 スローモーションに思えた一連の流れはあまりに滑らかで、けれど、ほんの束の間の出来事だった。



「え」



 呆然と見上げる私の目の前で繋がったはずの道はフッと途絶え、クローゼットは沈黙し――気づけばそこには、まばらに上着の吊るされた収納空間が広がるのみになっていた。



「まじで……?」

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