なんでも屋稼業その2 ナノマシーン
一之谷は、様々な機器の間を通り抜けながら、奥の部屋へ向かった。
その奥の部屋へ入ると、今までとは一変して、まるで生物学の研究室のような雰囲気となった。
そこには、四角いガラス容器の中にハツカネズミが飼育されていた。
その内、一匹はお腹に大きな皮膚癌を発症していて、ぐったりとしている。
もう一匹は、後ろ足の1本が切断されている。
そして、最後の一匹は、元気に動き回っていて特に問題は無さそうだ。
一之谷は、近くのテーブルの上に置いてあった、B5程度の大きさのジュラルミンケースを開ける。その中には、7インチ程のタブレット型コンピューターと、その隣にはシャープペンシルのような形をした容器があり、その胴体には液晶の小さなディスプレイがあって、そこに100%と表示されていた。
「士郎君、いいかい。ここに世界最先端のナノマシーンが詰まっている」
「はっ、ひょっとして、そのシャープペンシルのような容器の中にですか?」
「そうだ、この中には数億のナノマシーンが入っている。これを使って実験して見よう」
一之谷はまず、タブレット型のコンピューターを取り出し、ナノコマンダーというアプリを起動した。
すると、パスワード入力画面が表示されたので、12桁のパスワードを入力し、エンターを押す。
画面上には、固体識別の項目が表示された。そこへ一之谷は、『マウスA』と入力し、エンターを押す。
すると、マウスAに関して、DNA情報、健康状態、身長、体重、生年月日等が表示された。
そして、その下には処置という項目があり、治療、安楽死、一時停止、キャンセルの4つのボタンが表示されていた。
そこで一之谷は、治療のボタンをクリックした。画面には、“ナノマシーンを投入してください”と表示された。
博士は、シャープペンシル型の容器を取り出した。
「ここで、30秒以内にナノマシーンを放出しなければ、全ては自動的にキャンセルされる」、そう言いながら一之谷は、皮膚癌で苦しんでいるマウスのいるケースの蓋を開けた。
それで、シャープペンシル型の容器を持ち、芯の出る方を下に向けて、上のボタンをノックした。
すると、シャープペンシルの胴体に表示されていた100%の数字が徐々に小さくなっていく。その数字がゼロになったところでケースの蓋をした。
「博士、どうなっているんですか? 何も見えませんが?」、士郎は不思議そうにマウスのケースを見つめた。
「士郎君、今このケースの中には数億のナノマシーンが注入された。ナノマシーンはウィルス程度の大きさしかないから、何も見えんよ」
「そっ、そうなんですか。目に見えないマシーンねえ?」、士郎はこの一之谷にからかわれているのではないかと思った。
さて、マウスである。最初は何も起こらない。だが、数分程経過すると目に見える形で、みるみる腫瘍が小さくなっていくのが分かる。
士郎はこれを見て、ゴクリと唾を飲んだ。
「どうだね、士郎君。皮膚癌だけじゃあない、どんな癌にも効果がある」
「す、すごい」
「ああ、DNA情報さえ手に入れば、どんな患者にも適用される」
やがて、マウスの腫瘍は完全に無くなる。同時にマウスは起き上がり、何事も無かったかのように歩き出した。
一之谷は、ナノマシーンを回収するために、ケースの蓋を開け、再びシャープペンシルのボタンをノックする。
シャープ本体にあるディスプレイは0%から100%へと変化し、回収が完了した。
「先生、これはすごいんですが、このナノマシーンの動力源は何ですか?」
「いい質問だ。それは、このタブレットから出ている電磁波をエネルギーに変換して使っている。ただし、5メートル以上離れると動けなくなるがね。」
「なるほど、遠隔操作は無理という分けか」
「まあ、そういう事だ。じゃあ、次の実験だ。しかし、こんどのは少しやっかいだぞ。あそこのケースには、哺乳類の体を構築している様々な有機物が溶融している液体が入っている。その中に後ろ足を無くしたねずみを入れるんだ」
一之谷は、ぐったりしているマウスを慣れた手つきで摘み、有機物の溶融しているケースの中にある器具にマウスの上半身を固定し、下半身が、液体に浸かるようにセットした。
「先生、どうするつもりですか? まさか・・・・!」、士郎は訝しそうな顔をした。
「はっはっは、そのまさかをやるつもりだ。あのマウスの後ろ足を再生する」、一之谷は、自信ありげな笑顔を見せた。
「先生、フランケンシュタインじゃああるまいし、そんな事できるんですか?」
「まあまあ、見ていたまえ」
一之谷は、先程と同じような手順でナノマシーンを注入する。
士郎が見ていると、その溶融液の表面に、さざ波が立ったような気がした。
暫くすると、後ろ足の切断箇所から細かい泡がぶくぶくと出始めた。
士郎には何となく、足が伸びてきているように見えた。
時間が経過する内に、それは目の錯覚ではなく、実際に伸びていることを確認できるまでになった。
「おお、すげえ。足が再生している!」、士郎は思わず大きな声を出してしまった。
数分後、足は完全に再生した。その再生した足がピクピクと動いている。
一之谷は、それを見て、治療ケースからマウスを取り出し、元のケースに戻す。
マウスは、最初こそよたよたしているように見えたが、慣れるに従い、普通の元気なマウスのように動き出した。
それを見ていた士郎は嬉しそうに言う。
「先生、俺が怪我をした時も頼みますよ!」
「はっはっは、もちろんさ。ただし、マウスは小さいから数分で再生したが、人間の場合はもう少し時間がかかるがね」、一之谷は満足気に答えた。
「まあ、そのくらいは我慢しますよ。ところで先生、そのメニューにある安楽死というのは何ですか?」
「そうだな、それは残念だがここまで医学が進歩しても、まだ不治の病というものがある。また植物人間となってしまう場合もある。そんな時、患者本人または本人に意識の無い場合は家族の訴えで、安楽死を選択する場合もある。これは人道的に問題となる場合もあるので、慎重にやらなければならんがね」
「なるほどねえ、ナノマシーンでも手に負えないものがあるんだ」
「まあ、そうがっかりしなさんな。いつまでもこの地上で肉体を持って生きていくのも辛いものがある」
「そんなもんかねえ。そう言えば、何かの映画に、永遠の命を持った人間の苦悩っていうのを描いたものがあったような・・・?」
「士郎君はまだ若いから、あまりピンと来ないかもしれんなあ」
「えへ」、士郎は照れ笑いをして、頭を掻いた。
「さて、今度はその安楽死の実験をしてみよう」
「やるんですか? まさか、あそこで元気に動いているマウスを使うんですか?」
「ああそうだが、何か問題でも?」、一之谷は平然とした顔で言う。
「うーん、動物愛護団体なんかに知られたらまずくありません?」、どうやら士郎はマウスに憐憫の情が移ったようだ。
『そう言えば、このマウス、さっきから俺に興味を持ったのか、時々俺の方を覗いているように見える。気のせいかも知れないが?』
「まあ、これも人類の幸福のためだ。マウス君には申し訳ないが、少し辛抱してもらおう。それに殺しはしないから安心したまえ」
「そうですか」、士郎は無理やり納得した。その時、なぜかそのマウスに睨まれたような感じがした。
一之谷は、タブレット型のコンピューターに表示された安楽死のボタンをタッチした。あとは、前と同じような手順でナノマシーンを元気なマウスの居るケースへ注入した。
このマウスには頭と胸の部分に小さな発信機のようなものがついていて、脳波や心電図を測定している。
タブレット型コンピューターの画面を切り替えると、上の部分に脳波、下には心電図が表示された。
マウスは、最初こそイライラしているように、ケースの中を走り回っていた。また時々、ケースの透明の壁に飛びかかるような行動を見せた。
士郎は、そんなマウスの動きが、『お前のおかげで、こんな事になったんだ』と言って、抗議しているように感じた。
しかし、しばらく時が経つと、マウスの動きが穏やかになり、やがてケースの中央にうずくまって動かなくなった。
「士郎君、マウスの脳波にアルファ波が多くなってきた。大分リラックスしているようだ」
「ふーん、リラックスねえ。なーんか、おいしい餌でも食べている夢でも見てんのかなあ!」
「それはどうかな。ほら見て見ろ、今度はシータ波、続いてデルタ波が出てきた。要するに熟睡している状態だ」
「へえ、熟睡ですか。うらやましいね」
「さて、これからが問題だ。今度はアルファ波が連続して出てきた。いわゆるこのマウスはアルファ昏睡の状態に入った」
「こん睡状態だって、いよいよ安楽死させるつもりですか?」
「うん、この状態なら全身の感覚が麻痺していて、おなかをつねっても、何をしても感じないはずだ」
「ということは、たとえばここで死んだとしても、自分が死んだのかどうかも気付かないって事ですか?」
「まあそういう事だ。人間も死の直前には肉体から魂が抜けて、空中から自分の体や、心配している家族を眺めているという話を聞くが、今のマウスは、そんな状態かもしれん」
士郎は、その話を聞いて、急に自分の背後に幽霊が居るような感じがしてゾクっとした。
「このプログラムでは、ここで心臓発作を起こさせて、安楽死させる事になるが、今日のところはこれで止めることにしよう」
一之谷は、タブレットのメニューを表示させて、ストップボタンにタッチし、続いて治療ボタンをタッチした。
マウスの脳波は、こん睡状態からデルタ波へ遷移し、やがて覚醒状態となる。
すると、マウスは再び立ち上がった。
最初こそ、よたよたしているように見えたが、次第にしっかりとした歩きとなる。
士郎は、そのマウスの様子を見てホッとした。
「分かりました先生。これはすごい事ですが、悪用されたら大変ですよ!」
「もちろんそうだ。ナノマシーンにやられたら、何の痕跡も残さない。自然死としか見なされないからな。だからこそ君を呼んだんだ。分かるだろう」
「なるほどね、俺を信頼してくれているという分けですね」
「以前君は、人質の救出を見事にやり遂げたという事を聞いた。だから今度も頼むよ」
士郎は、この話を聞いて俄然やる気が出てきた。この男、おだてに乗りやすい性質かも・・・?
「任して下さい!」、鼻息も荒く士郎は言い切った。
「うん、それは頼もしい。しかし、このナノマシーンは世界が注目している。それに、世界中のテロ集団やマフィアも狙っているという。だからこそ君が必要だ」
「ほう、だったら警備会社にでも頼んだ方が良いじゃあないですか?」
「それでは目立ちすぎる。テロの格好の的にされる。腕の良い君一人に運んでもらうのが最も安全だ」
「本当にそう思っていますか?」
「もちろんだ」、一之谷は真剣な眼差しを士郎に向けた。
「そ、そうですか。分かりました。それほど信頼を寄せているというのなら、その期待に応えましょう」
危険な仕事と聞いて、士郎の忍者としての血が騒いだ。
「よし、これで決まりだ。ところで君に12桁の暗証番号を教えるから、それを記憶しておくんだ。紙には書くなよ。君の頭の中に記憶しておくように。この暗証番号は使用してから24時間しか有効ではないからな」
「暗記力は良いほうですよ。この暗記力だけで大学に受かったようなものだからね」、先程とは違い、今度はやや自嘲気味に笑った。
士郎は、ナノマシーンとタブレットの入ったジュラルミンケースをナップサックに入れ、それを背負った。
それを見た一之谷は、士郎に手を差し伸べてきた。握手を求めている。
「城島君、宜しく頼む。言っておくが、そのジュラルミンケースは頑丈にできている。多少のことではびくともしないから安心してくれ」
「そうですか。やるっきゃないですね」、一之谷の力強い握手に、その真剣さを感じていた。
四郎はバイクにまたがり、フルフェイスのヘルメットを被り出発した。
まずは、東北自動車道に乗るために、川口ジャンクションへ向かう。