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アイアンナックル

アイアンナックル ~摩天楼に死す~

掲載日:2011/09/19

天までそびえたっているかと見紛うほど高い摩天楼に、街全体に流れる湿った空気。アメリカ合衆国内のみならず、世界でも有数の都市と呼ばれるオールドハイト。人種・性別・出身・年齢と、何もかもが混沌としている都市である。

「見ろよクリス。オールドハイトのお出ましだぜ」

 赤い炎のエンブレムがあしらわれた黒いハーレーダビッドソン。くっついているサイドカーにも人が乗っているようだが、どうやら小柄な人物であるらしく、強引に乗っかっている荷物から首だけ出している状態だった。

「もう少しの辛抱だ。今日のディナーは豪華に行くからな。好きなもん食わしてやる」

 本体の方に乗っている人物はと言うと、対照的に大柄で、茶色のコートをたなびかせていた。彼女らにとっては、オールドハイトの歴史も摩天楼も関係ない。飯が食えればどこだろうと関係ない。自由の女神は飯をくれない、金もくれないので女神どころか『売女』である。女神と言うのは、金を払ってくれるクライアントとか、飯を食わせてくれる店のおばちゃんなどのことを言うのだ、というのが二人の持論だった。

 そんな彼女らが目指すのは、オールドハイトの中でも最も治安の悪いトピア地区である。この街の北に位置するトピアは、オールドハイトの中でもギャングどもがうようよしているいわば『激戦区』とでもいうところだ。そんなトピア地区が、最近騒がしいのだという。バイクの女はそんな連絡を受け、オールドハイトにビジネスの匂いを感じたのである。

「よっしゃ、飛ばしていくか!」

 エンジンをフルスロットルにし、バイクは一直線にオールドハイトの街並みに消えて行った。





 彼女らにとっては、実に四年ぶりのオールドハイトだった。だが、相変わらず綺麗なのは外見だけで、中は薄暗く汚い町だ。平気でヤクが取引され、今日もどこかで死体が転がり、腐った警察がそれらを揉み潰す。別に、彼らが悪いと非難しているわけではない。彼女らにとってみれば、それは至極当然なことであったし、そもそも非難する資格もない。

「随分とまあ、ヒマそうな連中が多いな。キャンプ中か?」

 路上では、失業者達が薄汚れた服に身を包み、生気の無い顔でコンクリートを見つめていた。バイクの女は、この陰気臭い街が嫌いだった。ただ、彼女が出来るようなまっとうな仕事などというものは、オールドハイトのような大きなところしかない。多少はこの大きな街が覆い隠してくれる。所詮、陰でうごめく虫のような稼業だ。

 古新聞が風に乗って飛んでいく川沿いの公園で、二人は遅めの昼食をとることにした。背の高い茶色のコートの女は、栗色の長い髪を後ろで束ねており、大きな黒いゴーグルのようなサングラスをつけている。右手だけに白い手袋が嵌められており、その整った顔立ちに比べて怪しさを引き立たせている。

「ホットドッグふたつ」

「あいよ。二ドルだ」

 しょぼくれたオヤジが必要以上にケチャップとマスタードをかけるのを見ながら、不満二百パーセントの顔でこちらを睨みつけている少年と見紛う少女に笑顔を向けた。名はクリスといい、おかっぱ頭の黒いストレートの髪が特徴だ。ラフな格好の女と違い、赤い蝶ネクタイに白いシャツ、サスペンダーつきの半ズボンと、やたらフォーマルな格好をしている。さて、どうやらクリスは、ホットドッグがお気に召さないようで、コーラの瓶をあおりながら不満気な顔を維持し続けるのだった。

「怒ってる顔も素敵だぜ」

 けらけらと笑う女の顔を、クリスは睨み付けていた。

「昼飯は豪華に行くんじゃないの」

 文句を言いながらも、クリスはホットドッグにかぶりつく。朝から何も食べていないのだから、本当は何か食べられるだけでもありがたいのだろう。

「あたしは『ディナー』は豪華にいくって言ったんだ。耳腐ってんの?」

 女はコートのポケットから太く長い葉巻を取り出し、愛用の赤いシガーカッターで吸い口を作ると、これまた長いマッチで火を点けた。

「そんなバカ高い葉巻を吸うから路銀が足りなくなるんだ」

「硬い事言うなよ。カタブツのドイツ人じゃあるまいしよ」

 紫の煙と開けたてのポートワインのような香りが広がり、青い空へ上っていった。女はそもそも、ディナーすら豪華にするつもりはなかった。正確に言うのならば、『豪華に出来ない』のだ。金は残り数十ドル。ショボいホテルに泊まったらおしまいだ。要するに、夜までに金の始末をつけなければならない。

挿絵(By みてみん)

「パフェ食べたい」

「贅沢言うなよ、かわいこちゃん」

 クリスの不満そうな顔は当分崩れそうにも無い。とは言え、クリス自身空腹には勝てないようで、口の周りにケチャップを塗りつけながら、ホットドックを飲み込むように食べ終えた。

「さーて、トピアもすぐそこだ。多分パフェも近いぜ?」

 しょぼくれたオヤジが付けてくれたちり紙でクリスの口元を拭ってやると、サイドカーに載せた。クリスはトランクを軽々と持ち上げ、自分がもぐりこむスペースを作る。いつもの動作だった。

「おーいおいおいおいおい、ちょっと待ってくれねぇかなぁ?」

 ずいぶんと間延びした声が後ろから聞こえてきた。振り返ると、そこにはずんぐりとした体型で、よろよろのスーツを着込んだ中年の男が立っていた。髪には白髪が混じっており、顔のところどころに皺が刻まれているところから見ると、四十は過ぎているだろう。後ろには、対照的にパリッとしたスーツの黒人が立っていた。

「……なんか用かい? 用があるなら早くしてくれないか?」

 男は不適な笑みを浮かべると、くしゃくしゃのロングコートの内ポケットから、これまた年季の入った記章を取り出し、女の鼻先に突き出した。くすんだ金色のバッジが光っている。

「オールドハイト市警のランスだ。一応、警部をしてる。悪いが話を聞かせてもらおうか」

「残念だが、聞かせるような話は無いね。なんなら、ローマ法王とタップダンスを踊った話を聞かせてやろうか?」

 けらけらと女が喉を鳴らすのを見ると、黒人の方は気に食わなかったようで、若干眉をひそめた。

「そいつは興味深いな。ぜひ一度聞かせて欲しいね。え?『鉄腕』さんよ」

 男がそう言うと、女の顔からふざけた笑みは消えた。女は──最早『鉄腕』と呼んだほうがいいが──必要以上にそうよばれる事を良く思っていない。ましてや、相手は警察だ。何か、知らない内に厄介ごとに巻き込まれた可能性もある。残念ながら、鉄腕には、その厄介ごとに心当たりが多すぎた。

「随分アタシも有名人になっちまったみたいだ。アンタはよくご存知みたいだが、アタシにはアンタに覚えがないね」

「警部殿はな……」

「お前は黙ってろ、ペーペー野郎」

 ランスが黒人の言葉を一蹴すると、そのまま彼は黙り込んでしまった。

「鉄腕……よくオールドハイトに戻ってきたな、え?」

 ランスの指には、鈍い銀色のリングがはめられていた。それがいわゆる結婚指輪なら、ほほえましい光景である、の一言で済んだだろう。しかし、リングは四本の指全てに跨ってはめられていたのである。その正体はブラスナックルだったのだ。

「よく戻ってきたよ……。なあ、ええっ!?」

 十五ポンドのボウリング球が激突してきたような衝撃。不意に拳で腹を抉られ、鉄腕は体をくの字に曲げた。口から昼飯が飛び出しそうになるが、ぐっと抑える。

「ぶっ殺してやる! このクサレ売女が!」

 激昂するランスの攻撃になすすべもなく、鉄腕は身を固める事しか出来なかった。というか、反撃に出る気も無かったのである。往々にして、チンピラ警官とマフィアの女ほど手を出さないほうがいいものなのだ。実際、鉄腕はどちらにも手を出してロクな目にあっていない。

「お、おいやめろ! なんなんだ! アタシが何をやったってんだ!?」

「黙れ! テメーに発言権はひとつもねえぜ。素敵な独房にご案内してやるから覚悟しろ」

 鉄腕は自身の左腕にはめられた手錠を見て、深く後悔した。どうせはめられるなら、一発殴ってやればよかったのだ。

「……クリス、ゴードンの店に行ってろ。すぐに迎えに行く」

 当のクリス本人は、多少あきれた顔をしながらも、ひらひらとこちらに手を振っていた。





「私怨による逮捕は感心せんな、ランス君」

 オールドハイト市警本部長・グリーンに突然呼び出されたランスは、不機嫌そうな顔で足をかたかたと鳴らしていた。はっきり言って、ランスはこの男に呼び出されたことよりも、グリーンと顔を突き合わせて話をしなければいけないという事実のほうが不快だった。

「なんのことです? 俺はヤツのハーレーが邪魔臭かったんで、ちょいと蹴っ飛ばしてやっただけですよ?」

「君は嘘が下手だな」

「俺は事実を話しているだけです」

 ふん、とグリーンは自身の大きな鼻を鳴らした。ランスをとことん馬鹿にしていると言う風に。こういう威張りくさっているところも、ランスが彼を嫌う理由の一つだった。

「結構。ランス君、君がしょっ引いてきた鉄腕だがね。実はもうヤツを釈放するように連絡がきたのだよ。誰が言ってきたと思う?」

「見当もつきませんね」

 さっぱり考えもつかない、と腕を広げるランスを、グリーンはやはり馬鹿にした瞳で見つめていた。これだからキャリアは嫌いなのだ。その上大して働いていないのだから、余計に腹も立つ。

「さる大富豪が、必要以上に保釈金を積んできたんだ。しかも、大層ご立腹のご様子でね。まぁ、君の逮捕の仕方がまずいのも大きな問題の一つではあるが」

 黙りやがれ豚野郎。

 そういってグリーンを一発殴れば気も晴れるのだろうが、あいにくそうもいかなかった。自分にだって生活がかかっているのだ。そう考えると、ランスができることといえば、唇をかみ締めて拳を固めることくらいだった。

「いいかね、ランス君。今はもはやパワーだけでどうにかなる時代ではないのだよ。われわれ市警の人間は、市民を『守る』というショウを見せなければ。ショウには台本がある。台本がある以上、勝手に動くような役者はいない。そうだろう?」

 グリーンはにやりと笑うと、ランスに悪いとでも思ったのか、取り繕うようにすぐに笑みを消すと、ひらひらを手を振った。

「職務に戻りたまえ、ランス警部。今回は見逃すが、次はどうなるか分からんぞ」




「ランスさん、野郎はなんて言ってきたんです? 随分早かったみたいですが」

 クソ真面目でいけ好かない新人が、わざわざ刑事部屋の前で突っ立って、プレーリードッグか何かのようにランスを出迎えた。

「ああん? お前には関係ない話さ。少なくともな。理解できたらおうちに帰るか書類の整理でもしとけ、サンピン」

 強引に新人を押しのけると、親愛なる刑事諸君が、一斉にランスに向かって冷ややかな目線を浴びせた(ように少なくともランスには見えた)。ランスはここに勤めてすでに二十年に近いが、未だにこの空間に馴染めなかった。同じように雁首を並べる同僚に反吐が出る。水と油が混じらないように、居並ぶ同僚たちも、ランスの事をいけすかない野郎だ、と思っているに違いなかった。

『新しい録音が一件あります──』

 点滅している携帯電話のボタンを押すと、実に高慢ちきな声の機械音声が、ランスに懇切丁寧にメッセージを伝えてくる。次に聞こえてきたのは、男の甲高く情けない声だった。

『ランスか? ランスだよな? そうだといえクソッタレ! 俺だ、パトリックだ! いいか、驚かないでくれよランス。……どうやら俺はまた狙われてるみたいなんだ。今度はやばいんだ、絶対に殺される! なんてったって相手はあの鉄わ』

 ピー

 メッセージはそこで途切れていた。頭の螺子の二・三本がぶっ飛んでるくせに、マフィアのボスをはっているパトリックからだった。パトリックは非常に小心者で、常に見えない敵と戦っている。宇宙人に狙われている、などというのはまだ可愛いもので、酷い時には『スパイダーマンに狙われてる! 早くしないと糸で巻かれて食われちまう! 助けてくれ!』などとのたまう始末だ。

 だが、今回は少し事情が違うらしい。パトリックが最後に口にしたのは、『鉄腕』で間違いない。あのクソッタレの鉄腕に狙われているのが事実かどうかはともかく、実際オールドハイトにいる『実在の』人物の名を挙げるのは、彼にとってみれば相当珍しいことだった。

「サンピン、俺はちょっと出てくる。後は頼む」

 新人はこっちを顧みることもしなかった。当然、ランスもしなかった。




「うぜえ。ふざけやがって……即日釈放なら始めから仕事してんじゃねぇよ」

 鉄腕は五時間ほどで釈放が決まり、不機嫌さを辺りに撒き散らしながら警察署を後にした。愛しのハーレーはどうやら無事のようだ。あのランスとかいうオッさんに唾でも吐きかけられてないか、とそれだけは心配でならなかったが、どうやらそれも杞憂で済んだのは喜ばしい。相変わらず、ハーレーは鈍く光りながら主人を待っていた。

 早速クリスの待つ店へ向かおうとハーレーに跨ると、それと同時ほどで携帯電話がコートのポケットで震えだした。『ゴードン』と液晶には表示されている。

「もしもし」

『もしもし? アンナちゃん元気? アタシよ、ゴードンよ!』

 エラく酒やけした、野太く馬鹿でかい声が携帯電話から響いた。鉄腕は反射的に顔をしかめながら、ゆっくりと携帯電話を元の位置に戻した。毎度毎度のことだが、この声の大きさには慣れない。

「相変わらず声がデカイな。フットボールの試合にでも行ったらどうだ? いくらでもその馬鹿でかい声で叫べるだろうよ」

『つれないわねぇ、アンナちゃんは……。今日は久しぶりにお店に来てくれるんでしょ? 晩御飯用意してるんだから、早くいらっしゃいな』

 ゴードンの声色がうきうきしたものであることは、その辺のガキでもわかるほどだった。彼の事だから、またありえない量のディナーを用意してくれているのだろう。クリスはああ見えてよく食べるので、こういう申し出はありがたかった。

「そういや、もうクリスは着いてんのか? あいつ腹空かしてたから、馬みてぇに食ってるだろ」

 ゴードンは三秒ほど沈黙した後、口を開いた。

『……なんで? クリスちゃんなら着いてないわよ』

「あん?」

『だから、着いてないっていってんのよ』

 鉄腕は、自分の血の気が引いていくのを感じた。クリスは口は悪いが、約束を破ったことは無い。約束を守れないことほど不誠実な事は無いからだ。そのことをいつも教えてある。約束を守れなかったのなら、また攫われたに違いない。

「とりあえず、店に行く。アンタはクリスの事について調べとけ。NOとは言わせねえ」

 ゴードンが何か言おうとしたのが聞こえたが、無視して携帯電話を切った。





 地元人も近づかないような、寂れた場所にその店はあった。

 鉄腕が店の前にハーレーを停車していると、珍しく中から声が聞こえる。

「二度とくるんじゃないわよ!」

「上等だぜ、このオカマ野郎! ハメられやすいように今度ケツの穴をひとつふやしてやらあ!」

 男の怒声が響くと、一分しないうちに店のガラス戸がぶち破られ、中でわめいていたと思われる男が転がり出てきた。

「覚えてやがれ、このファッキンゲイ!」

 男は投げられた際にガラスが突き刺さったのか、あちこちを赤く染めながらも、肩を抱えながら逃げるように去っていった。

「ゲイなんて失礼ね! あたしはドラッグクイーンよ! ……あらん。いらっしゃい、アンナちゃん。変なもん見せてごめんねえ?」

迎えたのは、赤いチャイナ服を着込んだ人物だった。スリットからは、すらりと伸びた足がのぞいている。ここまではいい。……着ている人物が、筋骨隆々のスキンヘッドのオッさんでなければ。

「随分とまあ陽気なもんだな。……さっきの野郎は誰なんだ?」

「近所に住んでるイカレポンチよ。何でも、この店の地下に核ミサイルの発射基地があるんですって。とんだ迷惑だわ」

 立地が悪いせいか、こうしたトラブルにこのゲイ……もとい、ドラッグクイーンのゴードンは巻き込まれやすい。来る度に店がどこかしら壊れているのもどうかと思う。ひどいときには、四方を囲む壁のひとつが丸々なかったりするのである。

「そうかい。ま、アタシにゃそんなことより聞かなきゃいけねぇ事がある。分かってんだろうな?」

「分かってるわよ。……言っとくけど、無料じゃ無理よ?」

 ゴードンは掌を突き出した。彼の本当の仕事はオールドハイト中に手を広げる情報屋であり、店はただのカモフラージュなのである。よりにもよって、こんな場所に中華料理屋を開いたのは疑問ではあるが。

「ほらよ、朝飯代だ」

 残りの財産すべて──全部くしゃくしゃの十ドル札だ──をやたらごついゴードンの手に握らせた。

「アタシは昼飯も食べるんだけど?」

「そうかい。なら代わりがあるにはあるぜ。右か左か、どっちがいい?」

鉄腕が手首をぐるぐる回して見せる。ゴードンは眉を気持ち上下させると、肩をすくめた。ごめんだ、とでもいいたいのだろう。

「分かったわよ。残りはツケときゃいいんでしょ?」

「そうかい。悪いな」

「いつものことでしょ」

 鉄腕は葉巻をくわえ、カッターで切り口を作り、火をつけようとした。段取りはついた。後は情報。落ち着こうと一服しようとした矢先、それは遮られることになった。ゴードンの手に、葉巻は移動していた。

「ツケの代わりに頂くわ。昼飯の後の一服ぐらいは文句ないでしょ?」

「違いねえ」

 鉄腕はふん、と鼻を鳴らした。もう一本、とコートを探るが、もう一本も見つからなかった。最後の一本だったのだ。クソッタレ。

「それで? クリスはどこにいるんだ?」

「結論から言うと、ごろつきにさらわれたみたいね。レッド・ホット・ファミリーって知ってる?」

 ゴードンが紫色の煙を吐く。ポートワインの香りはお預けだ。

「いや」

「そう。レッド・ホット・ファミリーってのは、最近イキがいいって評判のイタリー野郎共の掃き溜めよ。以前は、ビッグ・ママ率いるブルー・ストリート・ボーイズっていうギャングがこの辺で幅を利かせてたんだけど、一気に立場を逆転させたみたいなの。やつらは、警察と結託して土地を転がして金を作ってるらしいから、資金力からすでに違うみたい。……アンナちゃんを呼んだのも、このへんがごちゃごちゃしてきたからなのよね」

「つまり、そいつらは儲けてんのか」

 鉄腕は、店の椅子を軋ませながら座り、口を寂しそうにしながらゴードンの報告を聞いていた。鉄腕にとって、組織の背景というものはどうでもいいことだ。問題は、そのクソッタレ共が儲けているのかいないのか。それが最重要事項なのである。

「まぁ、そういうことになるわね。……話を戻すけど、今日の三時くらいに、黒髪の大きなトランクを抱えた子が、やつらの車に乗せられるのを見たってやつがいたわ」

「そりゃあ、クリスだな。賭けてもいい」

「アタシもアンナちゃんと同じところに賭けたいけど。いくらなんでも相手が悪いと思わない?」

 それだけ聞くと、鉄腕は踵を返し、店から出ようとした。ゴードンからこれだけ聞けば十分だ。

「おっと、忘れてた」

 鉄腕は、はたと足を止め、ゴードンに振り返った。

「何よ?」

「どうせ春巻きかなんか作ってんだろ? 弁当の代わりによこせ」




 勇んで飛び出していったのはいいが、鉄腕はレッド・ホット・ファミリーのアジトがどこなのか知らなかった。迂闊だった、とは思わなかった。ゴードンが言わなかったのだから、話すつもりがなかったのだろう。聞けば、追加料金を取るつもりだろうからツケが増えてしまう。何より、店に戻るのも面倒だった。

 トピア地区の中央街に、ネオンが切れかけている看板を掲げたバーがあった。バーと言っても、中はごろつきのたまり場、といった様相で、トイレには焦点を失った瞳で涎を垂らすクズどもがおねんねしているといった有様だ。だが、酒場というものは古い時代から情報集めに最適な場所なのだ。酒の勢いで、言ってはならないことをぽろっと言ってしまうアホが多いから、というのが一番の理由だろうと鉄腕は思った。

「おーおー、それっぽいのがいるいる」

 イタリア人は、二言目には罵声を浴びせるような下品なやつらばかりだ。このトピアのバーで、イタリア語で犬みたいにワンワン騒ぎながら、どこで買ったのか知らない娼婦をつれているような人間がいれば、十中八九やつらに違いない。

「よう、クソッタレ共。安いビールで過ごす夜はどうだ?」

 派手なシャツを身にまとった、堪忍袋がティッシュペーパーのこよりで出来てそうな兄ちゃんは、気分良さそうにジョッキを掲げた。

「ああ、最高だね、コートのネェちゃん。どうだい、この後暇なら俺のサオでヒーヒー言わせてやってもいいぜ?」

 ガハハ、と下品で大きな笑い声を上げ、娼婦の腰に手を回す兄ちゃん。

「そいつはお断りだな、イタリー野郎。アタシは男につっこまれるのに興味が無いんでね」

 やたら唇が赤く、薄い上着の娼婦がけたけた笑う。大方、モノをつっこまれすぎて頭がイカレているに違いない。

「レズビアンってことぉ? いやーねー、ここにはアンタの相手になるような娘は出てこないわよ」

「そういうことだ、ネェちゃん。場違いって言葉知ってるか? 失せな」

 再び、ガハハと大きく兄ちゃんは笑っている。鉄腕は、まるで恋人が手をつなぐことを求めるように、兄ちゃんの手に右手を乗せた。兄ちゃんも、娼婦も、これが何を意図するのか分からなかった。

「それはそうと、聞きたい事があるんだ」

 鉄腕は、その人差し指をねじ上げた。続いてエンピツが折れるような音。兄ちゃんと娼婦の悲鳴。すべて、バーの喧騒に飲み込まれていった。

「い、いでぇっ! 痛ぇぇ! 何をしやがる!」

「質問に答えろ。お前はレッド・ホット・ファミリーか?」

「ふざけるなよ、売女ァ!」

「早く答えろよ」

「うるせえっ! 殺してやる!」

 安っぽい殺し文句を吐き散らすと、無事な左手で、安っぽいナイフを出そうとした。鉄腕は、冷静に右手の小指をねじり上げた。今度は爪楊枝が折れるような音がした。兄ちゃんの口からは、もはや声にならない何かが搾り出されるだけだった。娼婦はその限りではなく、ハリウッドにお手本として提出してやりたいくらいの悲鳴を上げた。店の連中は一瞬こちらを見たが、みな巻き込まれるのを恐れて見ぬふりをする。酒場の喧嘩など、どんなやつがどういう理由で争っているのか分かったものではない。関わり合いにならないほうが正解なのだ。

「黙ってな、ねえちゃん。それ以上騒ぐとお前の指もぶち折るぜ。それともなにかい? まさか指を折られて感じるような趣味でもあんのか?」

 女は目を猫か何かのように丸くし、涙を浮かべながら自らの手で口を塞いだ。

「いい子だ。さて、イタリアぼうやは自分の立場ってもんを分かったかい? 質問は二つだ。〝お前はレッド・ホット・ファミリーか?〟」

 兄ちゃんは、先ほどまでの豪快な態度が嘘のように、首を必要以上に縦に振って見せた。涙がテーブルに飛び散っている。

「そうかい、なら話が早いな。次の質問だ。〝アジトはどこにある?〟」

「い、いえねえ」

「理由を聞こうか」

「ボスは、自分の居場所を知られるのがあんまり好きじゃねえんだ。て、敵ならなおさらだ」

 鉄腕は、人差し指と小指があらぬ方向に曲がっている彼の右手を再び握り締めた。兄ちゃんは、ねずみが踏んづけられたときみたいに、ちいさく息を漏らした。

「なあ、忘れたのか? 指は後三本あるんだぜ」

 兄ちゃんの顔が、真っ青になったかと思うと死人のように白くなったりした。心なんて、もうほとんど折れかかっているだろう。こんな時はどういえばいいのか、鉄腕は良く知っている。

「口を割っちまえよ、イタリアぼうや。悪いことはいわねえ。お前のボスがどんなやつかは知らないが、アタシよりかは寛大に済ませてもらえるぜ」

 兄ちゃんはとうとうおもちゃのぜんまいが切れたように、がくんとうなだれてしまった。可哀想なことをしてしまったかもしれない。が、クリスのためだ。残念だが犠牲になってもらうほかないだろう。

「で、どこなんだ兄ちゃん?」

「……レノックス通りのヴェンデル不動産ビルだ! さっさと失せやがれ!」

「言われなくてもさっさと帰るさ。……ところで」

 びくっ、と兄ちゃんと娼婦は肩を震わせた。

「ねーちゃん、いい財布もってるじゃねえか」




鉄腕が店を出て、再びハーレーの元に向かおうとすると、入り口にを押す前にがちりという音が周りから聞こえた。ペットボトルのキャップを開ける音なら気が楽だったが、もはや聞きなれてしまっている銃を構えた際に出る音だと分かってしまったので、振り返るのも億劫だった。

「さっきの兄ちゃんのお仲間かい?」

 鉄腕は聞いた。

「そうだよ、コートのネェちゃん。いい夜だな」

「確かに良い夜だね、騎士様?」

 手を挙げたまま、ゆっくりと後ろを振り向く。雁首並べたメンツの服装はてんでんばらばらで、ビジネスマン風の男もいれば、見るだけでドチンピラと分かるような男も数人混じっていた。皆思い思いに銃を構えており、ひどいやつだと軽機関銃でこちらを狙っていた。

「おいおい、いったいなんのつもりなんだ?」

「決まってるだろ、ネェちゃん。ファミリーにナメた真似してくれやがって」

 ビジネスマン風の男が、鈍く光るリボルバーで自らの頭を掻いた。

「残念だが生かして帰すわけにはいかねェぜ」

「おうおう、体に穴ボコが増えるな? え、ネェちゃんよ。尤も突っ込めるような穴じゃねェだろうがよ。ネクロフィリアにでも可愛がってもらうんだな」

 何が面白いのかしらないが、ゲラゲラと男たちは笑い声を上げた。

「随分笑えないジョークだな。それより、手前らのクソまみれの手を洗いながらクソみてえな顔を鏡で見たほうが面白いぜ」

 一瞬だっただろうか。

チンピラ共が笑うのをやめ、店員が走って店の奥に逃げ、マスターは拭いているグラスを投げ出しカウンターに身を隠した。

「死にやがれ!」

 嵐のように銃弾が降る。鉄腕を逸れていった銃弾は店の扉を抉り、穴を開け、仕舞いにはふっとばした。だが、鉄腕はそのどれにも当てはまらない。ただ自分のコートのすそを引っ張って巻きつけているだけだ。

 店内の人間にしてみれば、長い長い時間がたったように思えたことだろう。十中八九、鉄腕は死んだ。バカな女だ、よりによってマフィアに喧嘩を売るなんて。トリガーを引いて満足顔なチンピラ共も、店にいる客もマスターもそう思った。

「やれやれ、女相手にマジで撃つかね? イタリア人はもっと女に優しいもんだと思ってたぜ、アタシは」

 金属が落ちる澄んだ音が辺りに鳴り響いた。巻きつけていたコートから、へこんだ銃弾がころころ転がる。その光景を、チンピラ共はホットドックをお預け食らってるような表情で見ていた。

「お遊びタイムはお終いだ。やられたらやり返す。正当防衛だ。知ってんだろ?」

 まだいまいち状況がつかめていないのか、動こうともしないチンピラを一人殴り飛ばす。血と肉がくっついたままの歯が五、六本あたりに転がり、男は崩れ落ちた。

「や、野郎ッ」

 汚らしい胸毛をさらしたデブがトリガーを引こうとしたが、右手で銃身を握りこみ、そのまま握りつぶしてやった。まるで粘土のようにつぶれた銃身をみながらデブはこちらの顔を見た。信じられない、といった表情で。

「あたしは女だよ。おら、プレゼントだふとっちょ」

 デブの腹を膝で打ってやると、アルファベットのCみたいに体を折り曲げて口から『ぐぅ』と鳴らし、げろげろと血の混じった吐瀉物を撒き散らした。大方いい気で飲みまくったのだろう。休日に悪いことをしてしまったかもしれない。

「もう一発」

 デブの頭に右膝を叩き込むと、ぐちゃぐちゃの吐瀉物の中にデブはダイブし、がくがく体を震わせたかと思うと、やがて突っ伏したまま動かなくなった。

「てめェ!」

 お次はウージーの男が鉄腕に再び銃口を向け、トリガーを引く。銃弾が鉄腕を襲うが、コートが『ぼすぼす』と音を立てるだけで全くダメージがない。鉄腕のコートは特別製で、特殊繊維が編みこんである。九ミリパラベラム程度では、ちゃんちゃらお話にならないのである。

「畜生! 畜生!」

 鉄腕はえりを左手で巻きつけながらウージーの男に突進し、勢いをそのままに右ストレートを食らわせる。すると、男は軽く三メートルほど吹き飛んだ後、カウンターに突っ込み、割れるグラスのシャワーを浴びていた。もちろん、口からだらだら血を流し、これ以上動く余裕はとてもなさそうだった。

「ストライクだ」

 一人残ったスーツの男も、持っているリボルバーをどかどか撃ち込む。が、元々八発程度の弾倉しかないわけで、弾切れに焦った男はあろう事かリボルバーを落としてしまった。目の前には、すでに鉄腕がいる。殺される……。

「で、誰が死ねだって?」

 男はぺたんとその場に尻餅をついた。口からは、アルファベットのかすれたAが漏れ出している。そのまま小便も漏らしそうな勢いだ。残っていたはずの仲間はすでにもう逃げてしまっている。

「あ、アンタ……もしかして……『鉄腕』か……?」

「ピンポンピンポン、ご名答だ。正解のお前には賞品をプレゼント」

 そういうと、鉄腕は右手の白い手袋をはずし、肘までコートのすそを捲り上げた。鈍く輝く鉄の肌。ぎしぎしとなる鉄の掌。鉄腕の右腕は、鋼鉄製の義腕なのである。女だてらにケンカが強いのは、この義手に秘密がある。だが、今まさにそれを目の当たりにしている男にとって、それは単なる恐怖の対象でしかなかった。

「賞品は『アタシの拳』だ。おめでとう」

 そう言うと、鉄腕は自慢の鉄義手を振り上げた





 クリスの本当の名前は、クリスティーナという。昔の記憶は実に曖昧で、彼女にとって現実味のないものだった。かと言って、後ろ手に手錠をかけられている今の状態で、考え事にふける以外に娯楽のようなものは思いつかなかった。さらに、考え事をするとそれだけ空腹感が増す。それがどうにも耐えられないので、何百回も見た目の前の風景を反芻することにした。

「と言っても、何もない」

 使ってない用具入れ、という言い方が一番しっくりくるだろう。思えば、突然拉致されて何時間か立つが、何も食べさせてもらっていない事に腹が立つ。人質に対する礼儀も知らないのだろうか。

「早く迎えが来ないかな」

 こつこつ、と廊下から音がした。これがあの女であればいいのだろうが、残念ながらあの女はこんな静かに迎えにくるはずがない。まだ爆発音がしたほうが現実味があるというものだ。

「おい、出なボウヤ」

 出迎えたのは、パリッとしたスーツを着込んだ男であった。男に連れられて外に出ると、自分が閉じ込められていたのが階段下の小さな倉庫であることが分かった。いつぞや、ヤクザにつかまった時などは、人質というよりお客の扱いを受けた。その時の事を考えると、ますますこの良く分からない男たちに腹が立つ。お茶菓子のひとつくらい出して、丁重に軟禁するくらいがちょうどいいのではないのだろうか。尤も、それを逐一実行してくれたヤクザは、完膚なきまでに叩き潰され、現在本部だった土地には何もない。

「やあ、ボウヤ」

 広々とした部屋にぽつんと置かれたデスク。そこに、男が一人座っていた。ストライプ入りの濃紺のスーツを着ている、神経質そうな男だった。同じように、パイプ椅子がひとつ置かれている。せめてソファーが良かった、とクリスは思った。

「乱暴してしまってすまないね」

「気にしてない」

「それは結構。私の名前はパトリックだ。なんならパットと呼んでくれて構わない」

 イタリア人は馴れ馴れしいから嫌いだ。

「なぜ人攫いを?」

「君の保護者とでも呼べばいいのかな。彼女に私は命を狙われているんだよ。そのための保険として君をさらわせてもらった。理由はこれでいいかね?」

 パトリックはネクタイを締めなおし、くすんだ金色の髪を神経質そうに撫で付けた。クリスには、彼が虚勢をはっているようにしか見えなかった。行動の一つ一つが不自然なのだ。落ち着き払って見せてはいるが、薄皮一枚剥げば頭の中はパニック状態。そんなイメージ。

「そのためのデメリットを考えたことは?」

「デメ、デメリットだって?」

 パトリックはぱちんと膝を打つと、早口でどもりながらまくし立てた。

「お、俺はファミリーのボスだ。いち、一番えらいんだ! で、ででで、デメリットだと? ががが、ガキがえらそうな口聞いてるんじゃねえ!」

「僕をさらえば、あなたのいう保護者が黙ってない」

「鉄腕なんてこわくねえ!」

 パトリックはデスクをどかどか叩いて音を鳴らし、部屋の外まで聞こえるであろう大声をはりあげはじめた。

「てつ、鉄腕なんて怖くねえぞ! ケツに一発ぶち込んでやる! 怖くねえ!」

 部屋の入り口が開き、パトリックの部下が二・三人飛び出してきて、彼を必死に押さえつけ始めた。『落ち着いてください』だの、なんだのと押さえつけている。

「ボウヤ、もう出な。ボスは今ご機嫌斜めなんだ」

 ぱりっとしたスーツの男が、ブルドーザーが土を追いやるように、クリスを部屋の外まで運ぶ。パトリックのほうは未だ喚き散らすばかりだった。




 葉巻の先をカッターで切り落とし、火をつける。いつもと同じ動作だったが、銘柄は安物だったので、鉄腕の気分はイラついたままだった。

「クソまじい」

 右手で握りつぶしてやろうか、とも思ったが、新しいものを買う余裕は無い。この安物の葉巻だって、先ほどのチンピラから奪ったものなのだ。娼婦から巻き上げた財布の中には、三ドルと二十一セントしか入っていなかった。ほかにあるとすれば、特大サイズのゴムくらいか。実に使えない。

「コロンボだってもう少しマシな葉巻吸ってらあ」

 イライラしながらも、鉄腕は考えを巡らせていた。まず、レッド・ホット・ファミリーは何故クリスをさらったのか? ということだ。鉄腕自身にはイタリア野郎共に喧嘩を売った記憶は無い。クリスを人質にとる気にしても、未だその旨を伝える連絡はないし、さっきの奴らは自分が鉄腕であることに気づいていなかった。人質を利用して襲わせるにしては効率が悪すぎる。

「気持ちわりい」

 安い葉巻と、疑問の解決しないもやもやに、鉄腕の胃はだんだんとムカつき始めた。とにかく、クリスが心配だ。ぶつぶつ考えるのもめんどくさい。さっさと殴り込みにいけばいいのだ。

 ピロピロ

 電子音が夜の街に響く。

「もしもし?」

『私だ』

 しわがれた声が電話口から漏れ出した。

「なんだ、ジジイか」

 電話先からも威圧感を発するこの爺さんは、ゴールドストン卿というユダヤ人の金持ちだ。なんでも、鉄腕が昔死んだ妻にそっくりとかで、色々世話を焼いてくれる。金も融通してくれるので、どうしても困ったときは爺さんに泣きつくのが鉄腕の行動パターンのセオリーだった。

『またお前は余計な事をしおって。保釈にいくら積んだと思っておるんだ』

「なんだ、あれ爺さんのお陰だったのか。助かったぜ」

『馬鹿者! アメ公に言うことを聞かせるのは金がかかるんだ。こういうことは二度とないようにしてもらわんと困るな』

ゴールドストン卿は少しイライラしているのか、鉄腕に対し珍しく大声をあげた。

『今後こういう事が続くようであれば、お前への援助の件も考えさせてもらうことになるぞ』

「そりゃあ困るよ、爺さん。アタシだって今回は好きで捕まったわけじゃないんだ。それに、近いうちまた爺さんの世話になるかもしれないんだぜ」

『それはどういうことだ』

「クリスが攫われた。アタシは今からクソ野郎共をぶちのめして、クリスを助けに行くつもりだ。たぶんまた警察とおしゃべりしなきゃいけないだろうな」

 ゴールドストン卿は、電話口でうーんと唸った。

『……つまり、お前はたった今尻を拭き終わった私の前に、また汚い尻を突き出すというわけか?』

「イエスだ。それと、アタシの尻は綺麗だぜ? 爺さん。クソまみれのホモ野郎の尻よりな」

 ぶつぶつ、と電話口から何かを呟く小さな声が聞こえた。ゴールドストン卿は敬虔なキリスト教徒なので、大方神に何か祈っているのだろう。まぁ、ゴールドストン卿が何か祈りを捧げても、鉄腕の利益には繋がらないのは分かりきっていることなのだが。

『話はそれだけか?』

「それもイエスだ、爺さん。神様によろしく」




ランスには、離婚した妻との間に娘が一人いる。いや、一人いたと言うべきだろう。今はすっかり墓の下だ。今でも、財布の中には写真が一枚入っている。ランスは愛しい娘の姿を財布にしまい、勢いよく執務室の扉を開けた。

「ランス君、一体何事かね」

 グリーンはどうやら夜のおやつタイム中だったらしく、扉を勢いよく開けて入ってきたランスに対して死ぬほど嫌そうな顔をしていた。ドーナツから、デスクにぱらぱらと砂糖が落っこちている。

「朗報がありますんでね。急いで来たんですよ」

「私のおやつタイムを邪魔できるレベルなのかね?」

 黙ってろクソデブ。

「ええ、本部長殿。鉄腕のことです。実は先ほど、友人から連絡がありましてね。なんでも『鉄腕に命を狙われている』と」

 ほう、とグリーンはおやつのドーナツを皿に戻した。

「その友人とやらはいったい誰なのかね?」

「ヴェンデル不動産の社長のパトリックという男ですよ。普段から仲良くさせてもらってましてね」

 ランスはタバコを取り出すと、火をつけて煙を吹かした。実に堂々と。

「ヴェンデル不動産のパトリックね……。随分とまぁグレーゾーンの人種と付き合ってるんだな? ……私にも一本もらえんかね」

 グリーンはランスのタバコを受け取り、同じように吹かし始めた。部屋中に男二人の煙がいっぱいに広がる。少し考え込んだ後、グリーンは不意にタバコを灰皿に押し付け、口を開いた。

「単刀直入に聞こう。君の要求は何かね」

「簡単な事ですよ、本部長殿」

 ランスはコートの懐に手を突っ込み、年季の入った記章と手錠をデスクに叩きつけた。同時に、タバコとドーナツが少し宙を舞う。

「ESUを俺に貸してください。鉄腕を止めるのは俺の仕事なんですよ」

「……まだ娘さんの事を根に持っているのか。鉄腕は君の顔も良く知らんだろうに。それに、私がNOといえばどうするつもりなのかね」

 ランスはにやり、と唇を歪め、再びコートのポケットに手を突っ込む。今度は、鈍い銀色の銃がぬるりと出現し、グリーンの前にその銃口を突きつけた。

「ひとつだけ言わせてください、本部長。俺は命を賭けてるんだ」

 グリーンは眉一つ動かさなかった。

「命を賭けているから、職をかけているから、君にESUを任せろと? とんだお笑い種だな。君は自分の命にそれほど価値があると思っているのかね?」

 ランスも特に反応も見せず、銃口を降ろした。普段からバカにしてはいるが、もう分かっていた。この男に対して脅しは通用しないのだ。

「ではこのまま、鉄腕をだまって見過ごせと言うんですか」

「出来ることならそうしたいね。尤も君はそうではないというのだろうが」

「よく分かってるじゃないですか」

 再び、その場を重い沈黙が支配していた。ランスはタバコを灰皿に押し付けた。じゅう、と炎が消える音が、妙に澄んで聞こえた。

「君の言うことは分かった。鉄腕の確保も可能だということもな。しかしな、ランス君。ESUを全て貸し出すなんて真似は出来んよ」

「……そうですか」

「しかしだ」

 グリーンはほとんど中身のないコーヒーカップを持ち上げた。

「鉄腕を捕らえることが出来れば、正に勲章ものだ。それに、君を介してレッド・ホット・ファミリーを一網打尽にする事も可能だな」

「それが条件ってわけですか」

「そうだな。それを約束できるなら、君を責任者に据えて、ESUを六名寄越そう。一分隊だが、優秀なのをな。これでいいかね」

「十分ですよ、本部長殿。一時間後には作戦を開始します」

 ランスは記章と手錠をコートにしまいこむと、踵を返し、執務室を飛び出していった。グリーンは、まるで若いときのランスを見ているような、懐かしい気分になったが、同時に彼の背中がさびしく見えた。

「君は娘さんに囚われすぎてる」

 ランスが、グリーンの独り言を聞くことはない。これまでもそうだったし、これからもそうだろう。グリーンは、ドーナツを一口かじった。




 暗い夜道を、黒いバンが疾走していた。横には、『OHPD・ESU』とプリントされている。中では、六人の男女がお揃いの重装備を身につけ、作戦の再確認をしていた。

「今回は一般警官の援護はない。マフィアどもの手助けをしろというのも可笑しな話だが、本部長直々の通達だ。割り切ってくれ」

 一際大柄な無精ひげの大男がクリップボードに止めた資料を配りつつそういった。他の隊員はいずれも黒い布製のマスクをつけているが、彼だけは身につけていない。

「隊長、今回の標的はたった一人と聞きましたが、一体何者なんです?」

 むさくるしい空気の中に、澄んだ声が割り込んでくる。彼女は分隊の紅一点で、一番若く、一番優秀な隊員だが、黒いマスクのせいでそんな良い所も全て隠れてしまっていた。

「名前は、アンナ=マイヤー。通称〝鉄腕〟 金次第で面倒事を一手に引き受け、拳一つでそれを解決することからそう呼ばれているらしい」

「大したことはなさそうですね」

「いや、過去に何度も大きな組織に喧嘩を売って、全てそれを壊滅させている。詳細なデータがないのが気になるが、警戒すべき相手には違いないだろう」

 と言いつつも、隊長はやや首をかしげた。とてもじゃないが、この資料に書いてあることが本当だとは思えない。写真もないし、資料に書いてあることといえば、まるで行動全てがまるででたらめな、一昔前のアメコミヒーローじゃないか。自分が言わずとも、他の隊員達もそう思っていることだろう。

「指示があるまでは、我々は近くで待機することになる。騒ぎにならないように、ヴェンデル不動産ビル内に入るまで発砲は許可しない」

 おかしな仕事だが、さっさと終わらせてしまおう。





 オールドハイトのビル風が吹き荒れていた。

 風は冷たく、乾いていた。

「よお」

 鉄腕は、友人に気さくに話しかけるように、入り口に突っ立っている、物騒な獲物をぶら下げた男に話しかけた。男は表情を変えようともせず、かけているサングラスのせいでどんな顔かも良く分からない。隣に同じように立っている二人は、さながらイギリスの人形みたいな兵隊のようだった。

「パーティ会場はここでいいのか?」

「……お前、ここが何なのか知らないのか?」

「だから、パーティ会場だろ」

 なおも歩み寄る鉄腕に、男二人はぶら下げている獲物を突きつけた。ストックが茶色でおなじみの、名アサルトライフルAK47の派生型・AKMだ。鉄腕は、ちょっと噴出してしまった。AKMなんてぶら下げているマフィアなんて、まるで映画だ。戦場かなにかと勘違いしているのではないのか。

「ここはパーティ会場でもなけりゃ、てめーのおしゃべりを聞くお悩み相談所でもないんだ。さっさとかえんな」

「そうかい」

 鉄腕はゆっくりと、自分の右手の白手袋を外し、

「じゃあ、チップでもくれてやるよ」

 目の前の男の腹に一発ぶち込む。隣の男は目を丸くし(尤もサングラスのせいで分からないが)、トリガーを引こうとする。そんな男のAKMを蹴り上げてやり、そいつの顎にストレートを叩き込んでやった。ごりごり、べきべき、と骨の砕けるいやな音がして、男の体は宙を舞い、三メートルほど先に叩きつけられた。

「……ちょっとやりすぎたか?」

 こめかみを一掻きした後、掲げてある看板に目を向けた。『ヴェンデル不動産』。間違いなく、レッド・ホット・ファミリーのクソ共が住処にしているところに違いない。

扉を勢いよく開けると、これまた獲物を片手にだべっているチンピラ共が、紙コップのコーヒーを煽っているところだった。

「……誰だ、お前は」

「ピザの配達人が良かったか?」

 チンピラ共は問答無用にトリガーを引いてきた。窓ガラス・観葉植物・壁と言う順番で穴を開け、弾けさせていった。二、三発の弾をコートで弾きながら、鉄腕は小奇麗なカウンターへ滑り込む。頭の悪いチンピラ共は、それでもトリガーから指を離すつもりはさらさら無いらしく、鉄腕の頭上を銃弾が掠めていった。

「どかどか撃てばいいとでも思ってんのかよ」

 鉄腕は至って余裕の表情を浮かべると、いつものように葉巻を取り出し、吸い口を作り、火をつけた。いつもの高級品と違ってクソまずいが、それでも幾分か鉄腕を落ち着けるのには十分なものだった。チンピラ共の銃弾が止んだ。ようやく撃っても無駄なことが理解できたのだろう。鉄腕は、カウンターの裏にあった呼び鈴を手にとると、出来る限りカウンターから遠くへ投げた。ちりんちりん、とベルがなったと同時に、鉄腕は飛び出す。チンピラは五人。

「一人目!」

 当然チンピラも突っ立っているわけではなく、迷わずこちらに向かってトリガーを絞っている……が、その前にあごに一発パンチを叩き込む。あごは、衝撃に弱い場合が多い。ボクシングであごが弱点になりうるのは、ボクシングのグローブが柔らかい素材で出来ている分、その衝撃が脳まで伝わるからである。鉄腕の場合、文字通り鉄の拳が相手を襲うことになる。ただでさえ衝撃に弱いあごにそんなものを叩き込めば、病院で味気のない流動食を延々味わう事になる。動作も少なくて済むので、鉄腕が一番気に入っている攻撃方法なのだ。

「二人目!」

 一人目のチンピラが崩れ落ちるのを見て、顔に恐怖を張り付かせた男のAKMが火を噴いた。鉄腕は他の三人分の銃弾もコートで弾きながら接近し、男の手首を掴み、力任せに角が出っ張っている柱に男の腕をたたきつけた。男の腕は関節の途中から九十度に折れ曲がり、絶叫しながら床に転げまわっていた。そこまできてようやく、チンピラ共が照準をを鉄腕に向け、一斉にトリガーを引く。コートと右腕で銃弾を弾きながら、近くにいた三人目の砲身を掴み、奪って弾き飛ばす。四人目に蹴りを入れ、五人目の斜線軸へ招待してやる。当然、四人目のチンピラはあっという間に蜂の巣になってしまった。

「野郎!」

 残った最後の一人も相変わらずで、とにかくAKMから銃弾を吐き出すことしか考えていなかった。これなら、カカシか何かに武器を持たせた方が効率がいい。このチンピラ達は、とにかく単純なのであった。

「おーおー。ストップだ、クソ野郎。お前に聞きたいことがある」

 鉄腕は先ほど奪ったAKMを、チンピラの頭に向けた。

「言っとくが、アタシは言うことをよく聞いてくれるヤツが好きだ。ついでに正直者もな。お前のボスはどこにいるんだ?」

 チンピラは、チラッと倒れた仲間たちを見やり、僅かにAKMの銃身を震わせながら、固まっていた。

「おいおい、英語分かってんのか? それともイタリア語じゃねーとダメなのか? もう一度言ってやる。お前のボスはどこにいるんだ?」

 重苦しい沈黙の後、チンピラはようやく口を開いた。

「い、命だけは……」

 AKMが火を噴く。

銃弾はチンピラの頭を掠めて、後ろのコンクリートの壁を穿った。

「ああん? マリファナでもやってんのかお前? OK、お前の空っぽ脳みそでも理解できるように言ってやろう。お前のボスの居所を教えないと、殺す」

 正直、鉄腕はイライラしていた。本当なら、今の時間はクリスと一緒にホテルで優雅に過ごしていたはずなのだ。クリスが攫われるのは今に始まったことではないし、面倒ごとを背負い込む事も慣れっこだが、鉄腕だって人間だ。たまにはイラつく事だってある。目の前に女々しい男がいたら尚更だ。

「分かった、分かったよ……ぼ、ボスは七階にいるはずだ。それ以上は俺は知らねえ」

「本当か? イタリア人は女に嘘をつくのがライフワークなんだろ?」

「ち、違う! ほんとだ! ボスは七階のセキュリティルームで監視モニターを見てるはずだ! ほんとなんだよ!」

 哀れなチンピラは仕舞いには涙を浮かべながら、必死に弁解を始めた。モニターでこちらの行動は筒抜けということならば、小細工はするだけ無駄だということだ。真正面から突っ切っていったほうが早い。

「ご苦労だったな。約束どおり、命だけは助けてやるよ」

 その言葉を聴いた瞬間、チンピラのいかつい顔に光が射した。他の同僚は死にかけの中、自分だけは何とか無傷で生還できそうだ、という安堵からだろう。

「おっと、もう一つだけいいか?」

「え?」

 小躍りでも始めようか、というような浮かれたオーラを撒き散らすチンピラに、鉄腕はニヤニヤしながら尋ねた。

「右と左、どっちがいい?」




「ちょっとは落ち着いたかい? え? パトリックよ」

 監視モニターの青白い光よりもさらに青白い顔をして、パトリックは監視モニターにかじりついていた。

「ああ。しかし、あれが鉄腕か。想像以上だな。相手はアサルトライフルを持ってるんだぞ。それを拳だけであれだ。ほら、今AKMも捨てちまったよ」

 モニターに小さく映る鉄腕を見ながら、パトリックは嬉しそうにニヤついている。そんなパトリックを見ながら、ランスは持っている無線機でESUに指示を飛ばした。

「配置についたか」

『つきました』

 無線機からくぐもった男の声がランスの耳に飛び込んでくる。

「鉄腕が六階に着いたら、通路にでる隔壁を全部閉じる。窓は防弾だし、音が漏れる事も無い。いいか、生け捕りは考えるな。責任は俺が持つ。以上だ」

『了解』

 ランスは財布から娘の写真を取り出し、ぶつぶつとつぶやき始めた。思えば、今日この日が信じられない幸運の上に成り立っている。鉄腕が四年ぶりにオールドハイトに現れ、パトリックが鉄腕に命を狙われているなどとほざき、網を張ったら鉄腕の連れを捕まえることが出来た。これを幸運と言わずしてなんと言おう。

「マリア……もうすぐだ。もうすぐ送ってやるぜ、鉄腕のクソ野郎を」

 もはやランスにとって、この作戦は仕事でもなんでもなかった。ただ、娘のマリアのため、鉄腕を地獄に送る復讐劇に他ならなかったのだ。

「おじさん」

「なんだ、ボウズ。トイレなら通路に出て右側だ」

 クリスは若干眠い目をこすりながら、ランスに尋ねた。

「どうしてマフィアの手伝いをするの」

「ボウズ、大人にはどうしても避けられない事情ってもんがあるんだ。俺にも、鉄腕の野郎にもな」

 クリスはふうん、と納得したような声を挙げた。同時に、この愚かな警部に侮蔑の目線を向けた。このランスという男は、自分の勝利をすでに確信しているようにクリスには見えた。だが、数多くのクリスの誘拐経験から見て、ランスはもう敗北のジレンマに陥ってしまっているのだ。あの女は大雨によって増水した河川の濁流みたいなもの。『これでいいだろう』『これで防げるだろう』と中途半端な対策など全て飲み込んでしまう。狙われたらもう逃げるしかないのだ。それが分かっているクリスにとって、ランスは酷く滑稽なピエロみたいなものだった。

「それはそうとおじさん」

「なんだ? 腹でも減ったのか? そっちの冷蔵庫にアイスが入ってるぜ。ファミリーサイズのやつだ」

「……もらっていいならそれももらう。後、僕のトランクを返して欲しい」

 ランスはちらりとパトリックを見やった。カートゥーンチャンネルにかじりつく子供を超える勢いで、モニターに食い入っているパトリックが役に立つとも思えない。

「おい、そこのお前」

 柱の一部にも見えかねないほど直立不動で突っ立っていた男にトランクを返すように指示し、ランスは再びモニターに目を移した。鉄腕は相変わらず大暴れしている事に変わりは無いようだった。





 エレベーターが動かないのは正直面倒だった。建物内での戦闘において、相手側のコントロール化に置かれやすいエレベーターに乗ることは死を意味する。駆除用の檻に迷い込む哀れな野良犬みたいなものだ。そういう事情を分かった上でも、鉄腕はエレベーターに乗ってしまいたかった。一気に駆け上がって、そこから脱出なりなんなり考えればいいのだ。鉄腕は変なところで短絡的な考え方をするのが常であった。

「なんなんだ? このビルは」

 階段の位置はバラバラで、オフィスビルのはずなのに異様に入り組んでいる。そのくせ、フロア案内も無い。まるでピラミッドの迷宮だ。鉄腕は勘が強いほうだが、正攻法では救出するまでに朝までかかってしまう。

「ここか?」

 通路の奥、オフィスエリアからも離れたドア。怪しさは百点満点だ。ノブを回すと、生意気にも鍵がかかっているようだった。鉄腕は舌打ちした後、構わずノブをねじりあげてやった。ぎちぎちと鉄の擦れる音がしたかと思うと、ノブはぶち壊れた。

「クソッタレ」

 今度は容赦なくドアに蹴りを入れてやると、意外にもドアは壊れて倒れてしまった。耐久度があるのやら無いのやら気になるところだが、鉄腕はそれより部屋の中身のほうが気になった。

「こりゃあ、武器庫か?」

 ビルの三階、オフィスエリアからいかに離れているとは言っても、こんなところに武器庫を作る意味などあるのだろうか。もっとも、鉄腕自身見落としていたというなら仕方の無いことではあるが。何はともあれ、このフロアにいたチンピラ共は全員倒したと考えていいだろう。ここに至る道を塞ぐ者は無かったし、誰かいるのなら、こんな重要拠点を裸にしておくわけが無い。鉄腕は若干ほくそ笑むと、コートに入りそうな物を片っ端から入れていく。閃光手榴弾に拳銃を四丁。アサルトライフルにつけるダットサイト。こういうものは流せば高く売れる。マニアが涎を垂らすことだろう。

「こりゃ当分生活には困らねえな」

 コートにも許容に限界があるので、このお宝の山を離れるのは心苦しかった。が、サルのように考えも無しにとどまり続けるのも問題がある。さっさと四階に上がってしまおう、と考えた矢先に、鉄腕の携帯がけたたましく鳴り響いた。

「もしもし」

『あたしよ! ゴードンよ!』

 相変わらず、鼓膜が破れそうなほどの大声を挙げるゴードンに、いい加減鉄腕はうんざりしかけていた。

「うるせえ。今いいところなんだ」

『その様子だと、無事ヴェンデル不動産には潜り込めたみたいね?』

「潜り込んだというより、カチこんだって言い方の方が正しいな」

『あら、それはごめんなさい。それより、臨時ニュースがあるんだけど?』

 鉄腕の目の裏では、ゴードンが黒目を$型に変えて、こちらに向かって手招きする姿がすぐに浮かび上がった。

「それでアタシからいくらとろうってんだ?」

『いやあねぇ。人を守銭奴か何かみたいに。確かに対価は頂くけど、それをチャラにしてあげられるのよ、この情報は』

「言ってみろ」

『実は、レッド・ホット・ファミリーは、警察に数パーセントのリベートをわたすことを条件にして、銃器の密売を行おうとしているらしいの』

 鉄腕は今まさに見つけた宝の山を一瞥すると、再びゴードンの話に耳を傾けた。

「続けろ」

『オーケイ。まぁ、どういうルートでナニを捌くかなんてのは調査中だからまだ分からないんだけど、ボスのパトリックは売り物をフロア毎に細かく分けて隠したらしいの』

「で、アタシにどうしろってんだ?」

『荷物をいくつかかっぱらって捌けば一財産でしょ?』

「切るぞ」

『ちょ、ちょっと待ちなさいよ! 冗談よ! ……まぁ、どうせアンナちゃんのことだし、もうお宝を見つけて少しばかり失敬したんでしょ?』

 思いっきり図星だった。

「だから、それだけならもう……」

『まだあるわよ!』

 鉄腕の鉄の指がまさに電源ボタンを押す寸前、ゴードンの一際大きな怒声が小さな携帯電話から飛び出してきた。これ以上、鉄腕に何か伝えるべき事があるというのだろうか。

『用件は二つよ。ひとつは、OHPDESUが一分隊出動してるみたいなの』

「どっかのバカが銀行にでも突っ込んだのか?」

『そうだと分かりやすくていいんだけど。警察無線を傍受してもそれらしい事件は起こってないわ。関係者に聞き込みもしたんだけど、そもそもそんな話は知らないなんて言うのよ』

 おかしな話だ。オールドハイト市警の誇る特殊部隊が、出動したことが知られてないなんて事があるのだろうか。

「それがアタシとどう関係が?」

『大有りよ。いつものクソニートに調べてもらったら、居場所が分かったのよ。ヴェンデル不動産のすぐ隣にバンがとめてあったわ』

「つまり、このビルのどこかにESUのわんちゃん達が隠れてるってことか?」

『そういうこと。その口ぶりじゃ、まだESUには遭遇してないみたいね』

 幸か不幸か、ゴードンの言うとおり、それらしき奴等に遭遇してはいなかった。しかし、どうにも雲行きが怪しくなってきた。ただのチンピラ集団を殴り飛ばしにきたはずなのに、何時の間にやら重武装したチンピラ共を蹴散らす羽目になり、おまけに特殊部隊ときたものだ。さすがの鉄腕も、この先の障害を想像するだけでげんなりした気分になるのだった。

『……もうひとつあるんだけど、いいかしら?』

 少し間をおいてから、ゴードンが口を開いた。

「是非ともいいニュースを聞かせて欲しいもんだな」

『残念だけど悪いニュースよ。ESUの現場責任者のコト。アンナちゃんに因縁があるみたいよ』

「因縁ね」

『そうよ。……マリアちゃんの父親らしいの』

 マリア。

 その言葉を耳にした時、何かが電撃のように全身を通り抜けた。四年前のオールドハイト。雨の日。花束。飛び散る脳漿。蓋をしていた物が一気に流れ出すように、鉄腕の全身を嫌悪感で満たした。

『たぶんアンナちゃんをマリアちゃんの仇として殺すつもりで……』

「それ以上その口を開くんじゃねえ」

 ──アンナ、貴女は私を捨てるのね。

マリアの言葉が脳内で響く。マリアの姿が目の裏に映る。今まで塞いできたものは、抑えきれないものとなって鉄腕に襲い掛かる。

『で、でもアンナちゃん……』

「黙れっていってんだクソ野郎! 聞こえないのか? いいか、もう一度その名前をその口から吐いてみやがれ! いつもしゃぶってるもんの代わりに、口に鉛玉ブチ込んでやる!」

『わ、わかったわよ……。さっきの情報は無かった事にして? 代金も要らないわ』

 ゴードンは返事を聞くこともなく、逃げるように電話を切ったようだった。携帯電話の液晶は、鉄腕が力を込めたせいか少し割れていた。

「クソッタレ!」

 鉄腕は木箱を蹴り飛ばした。それくらいしかこの何とも言えない気持ち悪さをぬぐう方法は無かった。コートをまさぐり、一服して気持ちを落ち着けようともしたが、手が止まった。クソまずい葉巻も、この何とも言えない感情から、鉄腕を救ってはくれないのだ。





 蛇が肌をのたくっているような嫌悪感を無理やり無視しながら、鉄腕は四階五階を駆け上がっていった。うだうだ言っていられない。何よりそれは鉄腕らしくないということを、鉄腕が一番良く分かっていた。

 順調に見えた快進撃も、六階に到着した時から雲行きが怪しくなってきた。鉄腕がフロアに足を踏み入れた瞬間、まるでギロチンのような速度で鉄製の隔壁が降りてきたのである。

「……なんの冗談だ?」

 その呟きに答えてくれそうな人物はいそうに無かった。今までわらわらいたチンピラ共の気配もこのフロアにはない。その代わり、今までとは確実にランクの違う何かが隠れているように感じた。どんなに姿を隠しても、人を殺そうとする殺気は隠すことはできない。生物である限り、わずかな息遣いや心臓の鼓動が伝わるものなのだ。

(どこにいる?)

 本来なら、慎重に進みつつ敵を各個撃破というのがセオリーなのだろう。鉄腕もそうするつもりだったが、すぐにそうもいかなくなってしまった。鉄腕の全身に、赤いレーザーポインターが狙いをつけていたのである。

「おいおい、あたしはそんなに狙いをつけなくても頭に一発ぶち込めば死ぬぜ?」

 黒いベストに黒いマスクをつけた重装備の連中が、左右前後から黒い銃口で狙いをつけていた。ゴードンは一分隊とか言っていたから、恐らく狙っているのは五・六人くらいだろう。

「アンナ=マイヤーだな。両手を頭につけて床に膝を付くんだ」

「いやだと言ったら?」

「親指から一本ずつ撃つ。本来なら射殺命令も出ているが、大人しくすれば命だけはとらない」

 一際大柄な覆面男が銃を構えつつ、鉄腕に跪くように促した。殺そうと思えば殺せる。鉄腕の生殺与奪は、すでに他人の手に渡ってしまっているのだ。ゆっくりと両手を頭につけると、膝をついた。

「司令部、こちらブラボー。ターゲットを制圧完了」

『殺せたか』

「いえ、これから拘束します。大人しいものですよ」

『バカ野郎! 何故殺さない!』

 トランシーバーから割れんばかりの怒声が響く。

『殺せ! 責任は俺が取る!』

「し、しかし」

 どうやら押し問答をしているようだったが、鉄腕には関係なかった。むしろこれはこの閉塞しつつある状況を打開するチャンスになりうる。鉄腕は一回り細身の隊員に話しかけた。

「なあ、タバコかなんかもってねえか」

「ない。大人しくしていろ」

 隊員は意外にも声が綺麗だった。まるで女……というより、女の隊員なのだろう。ずいぶん珍しいことだ。

「ほーう。ずいぶんとけち臭いんだな」

「自分の立場をよく理解したほうがいいぞ」

 鉄腕は口の端を歪ませると、コートの中に手を突っ込んだ。

「おい! 動くなと言っているだろう!」

 手を突っ込んだまま、鉄腕は動かない。鉄腕はその束ねた長い髪すら動かそうとしなかった。レーザーポインターが一斉に鉄腕の頭に向かう。

「今コートの中にあるものを出せ」

「なんだって?」

「出せといっているんだ。従わなければ撃つ」

 鉄腕はやはりその人を小馬鹿にしたような笑みを崩そうとしなかった。

「分かった分かった、出すよ。そうカッカするな」

 鉄腕はゆっくりとコートに突っ込んだ手をぬるりと引きずりだしてゆく。それを見ている隊員たちの銃を持つ手に力がこもる。

「ほら、出したぜ」

 鉄腕は今日一番の笑みを浮かべた。

 覆面隊員達は傍目から見ても分かるほど驚いた顔をした。

 鉄腕のポケットから出てきたもの、それはピンの抜けた閃光弾だったのだ。

「残念でした」

 隊員たちは光の海に飲み込まれていく鉄腕の表情を見た。子供がテストで百点満点を取って自慢している顔。勝ち誇った笑顔だった。




 あっけないものだった。いかに訓練されていようと、油断した所を衝かれてはお仕舞いだ。鉄腕は捕らえた隊員を後ろ手で手錠をかけながらそう思った。まぁ、正直運の良さも幸いしたと言える。右手が義腕で、サングラスをかけていなければ、ただの自爆にしかならなかった。

「おい、どうだ気分は」

 細身の女隊員のマスクを取る。てっきりゴリラみたいなブサイクかと思いきや、意外にもその顔は端正なもので、紹介するときには間違いなく美人が頭につくだろうな、と鉄腕は思った。

「油断したわ」

「残念だったなねぇちゃん。こんなとこじゃなきゃ一晩お相手でもしてもらいたいもんだがそうもいかねえ。聞きたいことがある」

 鉄腕が聞きたいことはただひとつ。それはクリスのいる七階に繋がる階段への脱出方法だった。本来ならほったらかしでも良かったのだが、入り口と同じように分厚い隔壁があったのである。

「これはどうやって開けるんだ? ずうずうしい話だが教えちゃくれないか」

 カンカン、と右手で隔壁を叩く。重い鉄が響く音がした。

「教えると思う?」

 女はそういうと、ため息をついた。

「貴女が私をどうしようと勝手だけれど、知らないものを教えることはできないしする気も無いわ」

 鉄腕も隔壁に手をつき、ため息をついた。強情な姉ちゃんを連れてきてしまった。ベッドの上なら吐かせる自信はあるが、あいにくここにはそんなものは無い。ならば方法は一つしかない。

「ぶっ壊すしかねえ」

 右腕をぎしぎし鳴らす。しかしいかに鉄腕といえど、腕一本で分厚い鉄の隔壁を破壊するのは容易ではない。何か爆発物でもあればいいのだが。

「姉ちゃん、爆弾なんて贅沢はいわねえ。手榴弾かなんか持ってないか」

「ESUは軍隊じゃないのよ。そんなもの持ってないわよ」

 再び鉄腕はため息をついた。代わりになるものを、と探ってみるが、使えそうなのはマッチと九ミリパラベラム弾くらいだ。どうしろというのか。

「使えねえ」

「それより、貴女急いだほうがいいんじゃない」

 突然、縛られたままの女が不敵な笑みを浮かべた。

「何だって?」

「ESUがやられる様を、恐らく上で見ているはずよ。貴女はそこまでに何人もの人間を暴行している。それも、銃を持ったマフィアをね。つまり、OHPDがこのビルにいるマフィア共と貴女を逮捕する大義名分が生まれたわけ」

「つまりなんだってんだ」

「鈍いのね。OHPDが今に大挙して押し寄せてくるわ」

 甘かった。鉄腕は単なる殴り込みのつもりだった。しかし、相手は本気だったのだ。鉄腕と、このレッド・ホット・ファミリーを対消滅させる罠。それがランス警部の目的だったというのだろうか。

「クソッタレ!」

 右腕をハンマーのように隔壁に叩きつける。早くしないと、鉄腕ではとても対処しきれない量のクソッタレ警官共が押し寄せてくる。いくらゴールドストン卿でも、カメラにばっちり写っている鉄腕の暴行シーンを法廷で覆すことができるとは思えない。何とかしなければ……。

「なりふりかまってられないわけか」

 鉄腕は鉄の掌で顔を抑え、笑った。笑うしかなかった。

「いいぜ、やってやろうじゃねえか」

「無理よ。鉄の隔壁なのよ? 突破はゴリラでも無理だと思うけど」

 女は侮蔑の目線を送るが、鉄腕はもうその美しい女を見てはいなかった。自身の右腕と同じ、固く冷たい鉄の壁を見ていた。ゆっくり腰を落とし、右腕を肩より後ろに引く。この壁を突破しなければ、愛しのクリスの元へは到達できないのだ。

「覚えておきな、中古品」

 鉄腕は振り向かずに呟いた。

「アタシの名は『鉄腕』。アタシの腕に砕けない物なんてありゃしねえ!」

 右腕を叩きつける。

 すさまじい轟音。

 縛られた女が見たものは、鉄腕の背中と、大穴が開いた隔壁だけだった。

挿絵(By みてみん)




「そんな馬鹿な」

 パトリックはモニターを見ながら絶望の表情を浮かべていた。

「お、お、俺の、じ、じじ自慢の、せ、せせせセキュリティががっが」

 パトリックは持病のパニック症候群を起こしそうになっていた。二人の黒服が駆け寄り、焦りの表情を浮かべつつ薬や水を用意して待機している。意外にもランスはそんな状況でも冷静だった。そうこなければ。これくらいは予測しえたこと。レッド・ホット・ファミリーのクソ共や、ESUくらいは突破してもらわないと、マリアは満足しない。ランスもそんな尻切れトンボの結末は望んでいなかった。

「ランスさん、どこへ行くんです!」

 黒服がわめく。パトリックも意味不明な言葉でわめいている。

「黙りやがれ。象のフンより黒い服着やがって。俺は屋上へ行く」

「ボスはどうするんです!」

「ほっとけ。さっきOHPDをありったけ焚き付けておいた。十分もすりゃあなんとかしてくれるだろうよ」

 もちろん、そこまで鉄腕が上がってこなければの話であるが。もはや、ランスはレッド・ホット・ファミリーなどにこれっぽっちも恩義など感じていないのである。後は鉄腕と決着をつけるだけ。

ランスはアイスをすべて食べきったクリスの手を掴んだ。

「何?」

「こい、ガキ。クソッタレの鉄腕が来る」

「そう。待ちくたびれた」

 クリスは頭をひとかきすると、床に置いていたトランクの持ち手を掴んだ。

「おい、そのトランクは置いておけ。後で取りに来ればいいだろう」

 ランスの言葉に、クリスは珍しく小さく笑みを見せた。

「今から帰るのに、荷物を置いていくわけにはいかないから」





 鉄腕が七階に上がると、男達が騒ぐ声が聞こえた。

「くくく来るっ! 鉄腕が来る! おお、俺をころ、ころ、ころし殺しにくるっ!」

「落ち着いてください!」

 フロアの中の部屋の一つ、セキュリティルームとプレートが掲げられている場所に入ってみると、青白い顔をした男を、二人の黒服が必死に押さえつけていた。どうやらあれがパトリックのようだ。

「よお」

「き、貴様!」

 黒服が銃を抜こうとパトリックから手を離した瞬間、パトリックは黒服をすり抜け、鉄腕を無視し、セキュリティルームを転がるように飛び出していってしまった。

「おーおー、随分と元気なボスなんだな。ところで──」

 鉄腕はきょろきょろと辺りを見回す。がたいの良い黒服以外には、誰も居ないようだ。クリスもいない。今朝殴りかかってきたランス警部もだ。

「ちっちゃいガキんちょとしょぼくれた警部を見なかったか?」

 黒服は警戒しているのか、じりじりと後ろに下がりつつ、スーツの下の獲物に手を伸ばそうとしていた。恐らく今までモニターで事の次第を見ていたのだろう。無理も無いことだ。

「おいおい、無茶はやめようぜ。アタシは質問に答えてもらえればそれでいいんだ」

 なおも黒服は警戒を解こうとしない。鉄腕はやれやれ、と肩をすくめると、モニターをチェックすることにした。どうせこの黒服たちは自分から動きはしない。鉄腕が何かしなければいいだけの話なのだ。気性は意外と大人しい、タランチュラみたいなもの。

「どこにもいねえな」

 パトリックはまあいいとして、クリスとランスらしき人物は、モニターのどこにも写っていなかった。七階への階段はひとつしかない。ならどこにいるのか。

「上か」

 鉄腕は踵を返し、セキュリティルームをすばやく出ると、黒服を無視して扉を閉めた。念のため、ドアノブをねじ切っておいた。何分かで出るのは不可能だろう。残るは、あのヘタレでアホのパトリックだが、少し探すと、実に分かりやすい所にいた。自分の執務室のテーブルの陰である。今時子供だってもう少しうまい隠れ方をするだろう。

「おい」

 ひっ、と笑ってしまうほどセオリー通りの声を、パトリックはあげた。彼が顔を上げると、デスクに腰掛けてこちらを見下げている鉄腕の姿があった。面白いくらい、パトリックの顔色が無茶苦茶に変わる。信号機だってもっと時間をかけて色を変えるだろう。

「葉巻もってねえか」

 ひっ、ひっ、と半泣きになりながら机の引き出しをひっくり返し、木製のシガレットケースを出した。これにはヒュミドールと呼ばれる保湿装置を仕込んであり、葉巻の状態を保つのに必要不可欠なのだ。つまり、それだけ高級な物が入っているというわけだ。中をあげると、独特の香りが流れ出す。

「ふーん、キューバ製のコイーバか。まぁ高級品には変わりないわな」

「え、あ、う」

「もらってくぜ」

 鉄腕は一本だけ拝借すると、吸い口を赤いシガーカッターで作り、火をつけた。そんなに時間は経っていないのに、久しぶりにいい葉巻を吸ったような気がする。長い一日ももうすぐ終わる。

「そうそう、礼を忘れるところだった」

 パトリックはまだ若干パニック状態であるらしく、目の焦点が合っていなかった。そんな状態でも鉄腕には慈悲の『じ』の字も無かった。胸倉を掴むと、外に面したガラスの壁に体を叩きつける。パトリックは小さくうめいた。

「アタシにちょっかいだしたらどうなるか分かったか?」

「わ、わか……」

「おっと、余計な口は聞かないほうがいいぜ。まだ全部済んだわけじゃないんだからな」

「わかった! わかったから!」

 いい大人が泣いて許しを請う様ほど、情けないものは無い。鉄腕はパトリックの青白い顔に、紫煙を吹きかけながらそう思った。





 屋上への簡素な鉄の扉を開けると、暗い夜の街と見えない星が散りばめられた黒い空が現れた。エアコンの室外機がぐるぐると回り、重苦しい音を上げていた。

「ようやくきたなあ、鉄腕?」

 少し間延びした声の先に、ランスとクリスが立っていた。愛しのクリスは別に嬉しくもなさそうに無表情でいる。その無表情な顔に、ランスはスミス&ウェッソンの銃口を向けていた。右手には鉄腕をぶん殴ったときのブラスナックルが嵌められており、クリスの細腕をしっかり掴んでいた。

「こんなベタな台詞は吐きたくねえが、ランスさんよ。そいつを放しちゃくれないか」

「いやだね」

 即答だった。無理も無いだろう。ランスにとってみれば、鉄腕は娘を殺した憎い憎い仇ということになっているのだから。

「お前はマリアを殺した。もうマリアは返ってこねえ。俺はお前をひき肉にするためなら何でもする。このガキに鉛玉ぶち込むくらいわけはねえ」

「ひき肉ねえ。ハンバーグにでもしてくれるのか? まぁ、どちらにしろお断りだ、クソポリ公」

 啖呵を切り返したまでは良かったが、鉄腕は焦っていた。いつ市警の犬共が押し寄せてくるか分からないからだ。決着をさっさとつけなければならない。

「ランスさんよ、先に言っておく。マリアは確かにアタシの目の前で死んだ。だが、アタシが殺したわけじゃ……」

「嘘をつくんじゃねえ!」

 ランスが叫ぶ。

「お前が殺したんだ! お前がマリアを捨てた! マリアはお前に捨てられた事に絶望して身を投げたんだ!」

 鉄腕の中でマリアの言葉が反芻される。

 ──貴女は私を捨てるのね。

 不思議と、さっきのような嫌悪感は沸いてこなかった。

「どうした、かかってきやがれ! 俺はもう死ぬのも怖くねえ。てめえもガキも殺してマリアのいる所に送ってやれればそれでいいんだ!」

 人質取って言うセリフか、と鉄腕は一瞬考えたが、そうもいっていられない。銃を使うか、とも思ったが、出した途端にあっちの銃が火を噴くことだろう。銃の代わりになるものがあれば……。

「まぁ落ち着けよ。気持ちは分かる。だがクリスを殺していいことにはならねえ。そうだろ?」

 葉巻からでる紫煙が、夜の闇に溶け込んでゆく。

 鉄腕はコートの中に手を突っ込み、素早く出した。

「おい」

「なんだ」

「今何を出した」

 ランスのブラスナックルが、固く握られる。

「さあな。……もしかしたらマリアの遺品だったりして」

「ふざけやがってェェェ!」

 ランスがトリガーを絞る。

 銃口から鉛玉。

 鉄腕はそれを無視するかのように若干ひしゃげた鉄の拳を突き出した。コインを飛ばすように拳に埋めた親指の先には、九ミリパラベラム弾が一発。

「さようならだ、わからずや」

 鉄腕の頬を鉛玉が掠める。鉄腕から放たれた銃弾はまっすぐに飛び、スミス&ウェッソンが握られている左手を貫いた。激痛に顔を歪めるランスは、膝をつく。その隙をついて、クリスがトランクを体ごと回転させると顔に激突させた。今度は後ろに倒れこむ。

「でかした、クリス!」

 ランスからクリスが離れていくのを見て、鉄腕はランスの元に駆け出した。そして、いつものように右腕を振りかぶり、アッパー気味にランスに拳を叩き込む。何本か歯が宙に舞い、同時に放物線を描きながら、ランスはフェンスに叩きつけられた。とうとう、決着はついたのである。

「待たせたな、クリス」

「待たせすぎ」

 自分とトランクの埃を払いつつ、クリスはぶっきらぼうにそう答えた。

「時間がねえ、脱出するぞ。しっかり掴まってな」

 鉄腕がクリスの手を引こうとするが、動こうとしない。

「おじさんが何か言ってる」

 あれだけ吹き飛ばされながら、ランスはうめき声をあげていた。どうやらタフさはアーノルド・シュワルツェネガー並らしい。

「こおす……うう、こおしてやる」

 よっぽどマリアが死んだことに執着しているのだろう。マリアが死んだときもそうだったが、鉄腕はこの復讐鬼を若干哀れに思った。マリアを愛していることにかけては、自分とさして変わりはなかったのだ、と。

「ランスさんよ……。確かにアタシはマリアを捨てた。だがマリアは自分で死を選んだんだ。アタシや、あんたがどうにか出来るレベルじゃなかったんだ」

「だあれ……こおしてやる」

「あんたは娘としてマリアを愛していた。だがアタシだってそれは同じさ。あの時あの瞬間、アタシは確かにマリアを愛していたと言える。もっと早くに止められるなら止めたかった。でもそいつは無駄だったのさ」

 ランスは、うめき声を止めた。ランスなりに、何かを考えているのだろう。マリア、自分の娘の事を。

「それでもアタシを殺したいってんなら、いつでも殺しに来い。鉄腕の名にかけて、受けて立ってやるぜ」

 そういうと、鉄腕はランスの元を離れ、クリスの手を取り、フェンスの前に立った。ヘリコプターのローターの音が近い。サイレンもだんだん大きくなってきている。

「市警のやつらが近いんじゃないか」

「ああ。おまけに、このビルは六階で行き止まりになってる。逃げ場は無いってわけだ」

 ふーん、と特に驚いた様子でもなく、クリスは自分の髪をかきあげた。

「クリス、アタシに掴まれ。トランクは持ってやる」

 鉄腕はクリスを背負い、左手にトランクを持ち、あろうことかフェンスを引きちぎり始めた。ぽっかりと、人が通れそうな穴が開く。

「じゃあな、ランス警部。」

 鉄腕は不敵な笑みを浮かべると、七階建てビルの屋上から飛び降りた。風が鉄腕を通り抜けていくような感覚。鉄腕が見ていたのは固く黒いアスファルト……ではない。ESUの連中が乗り捨てていった黒いバンだ。地面に叩きつけられる事に比べれば、自動車の屋根に叩きつけられるほうが遥かに生存確率は高い。とはいえ、足から落ちると粉砕骨折で全治六ヶ月は固いだろう。

「おらっ!」

 バンの屋根を拳でぶんなぐり、なんとか体は止まった。黒いバンの精悍な車体は、上だけぐちゃぐちゃになってしまった。隔壁をぶち抜いた時ひしゃげた腕が、さらにひしゃげてしまっている。ぎちぎちと嫌な音が鳴るが、なんとか動くようだ。義腕が丈夫で助かった。

「クリス、舌は噛んでないか?」

「うん」

 トランクとクリスを降ろし、愛車に走る。黒いファイアエンブレムは闇の中でも良く分かる。ヘリのローターとサイレンの音は尚も近づいてくる。いつものようにクリスはトランクをサイドカーに載せ、自分はその間にもぐりこむ。ハーレーダビッドソンが爆音を上げる。そのまま、ハーレーは闇に紛れ、街の喧騒に消えていってしまった。



10



 メキシコの六月は暑い。オールドハイトの事件の後、鉄腕はゴールドストン卿の助けを借り、メキシコに逃れていた。後は任せろ、という年の割りに頼もしい言葉に、鉄腕は久しぶりに彼の元を訪ねようという気にもなったが、次の朝が来たときには忘れていた。

「クリス、どうだタコスは。うまいだろ」

 鉄腕は、メキシコの田舎の居酒屋で安いビールをあおりながら、クリスと一緒にタコスをつついていた。暑い中飲むビールは、安くても体に染みていい。もちろんクリスはノンアルコールのソフトドリンクだ。

「おいしい。でももっと食べたい」

「我慢しろよ。お前がオールドハイトでまたさらわれちまったせいで文無しのままなんだ」

 クリスを助ける際に持ち出した銃四丁とダットサイトは、結局端金にしかならなかった。クリスが無事だった以外は、全く骨折り損のくたびれもうけだったわけだ。

「そもそも、そっちがマリアとかいう女に手を出すからろくな目にあわないんだ。浮気とか最低。後タコス食べたい」

「お前と出会う前だからセーフだろ。金が無いんだから我慢しろっての」

爺さんにやはり会いにいくしかないか……と頭を抱えていると、皿やグラスが割れる音と、絹を裂くような女の叫び声がする。ひげもじゃで筋肉モリモリの荒くれ者が、ラテン系美女の店員(スタイルが良いので入店した時から目をつけていた)にいいよりつつ、店で暴れているようだった。

「喜べ、クリス。どうやら今日はしこたまタコスが食えそうだぜ」

 にやり、と鉄腕は不敵な笑みを見せた。それを見て、クリスはひらひらと手をふる。『いってらっしゃい』の合図だ。ずんずんと人ごみとテーブルをかきわけ、荒くれものの前に立つ。身長が頭ひとつ抜けている大男だったが、鉄腕は眉ひとつ動かさない。

「なんだぁ、てめえは!」

「その女を放しな、ひげもじゃ筋肉モリモリマッチョマンさんよ」

「んだァ、やるのか!」

 酔っているのか、赤ら顔の男は自慢の筋肉を鉄腕に見せ付けてくる。それでも鉄腕は鼻で笑うだけだった。男はそれが気に入らなかったようで、赤い顔をさらに赤くしている。

「てめえ、名を名乗りやがれ!」

「アタシの名か? アタシの名はな、筋肉ダルマ」

 白い手袋をはずし、コートの袖を捲り上げる。見えるのは鈍く光る鉄の義腕。

「鉄腕さ」

 そう言うと、鉄腕は自慢の拳を振り上げた。




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[一言] 一気に読んでしまうにはもったいなく思う程入り込んでしまいました。 こちらにやに作品からセリフを選んでの応募とありましたので、それをきっかけに読ませていただいたのたとぢすがすっかりファンです。…
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