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伝説の投手に憧れて  作者: velvetcondor guild


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外伝:潮風のあとに ――宮本茂、もう一つのマウンド

外伝:潮風のあとに ――宮本茂、もう一つのマウンド


横浜大洋ホエールズのユニフォームに袖を通した宮本茂を待っていたのは、能登町の坂道よりも遥かに険しい、プロの壁だった。

「江夏の再来」と騒がれた快速球も、プロの打者たちの前では見極められ、二軍の練習場である保土ヶ谷の風に消えていった。

それでも、茂は腐らなかった。朝四時に起き、誰よりも早くグラウンドへ向かう。その姿は、西宮で新聞を配り続けていたあの頃の少年のままだった。



一軍から声がかかったのは、入団して数年が過ぎたシーズンの後半。

奇しくも、舞台は地元・西宮の甲子園球場だった。

「宮本、行くぞ」

九回裏、大差で負けている場面での敗戦処理。それが茂に与えられた唯一の出番だった。

三塁側ブルペンからゆっくりとマウンドへ向かう。

アルプススタンドから聞こえる阪神ファンの野次に混じって、どこからか潮風が吹き抜けた。



(ああ、能登町の匂いだ……)

茂は左腕を振った。たった一イニング。結果は三者凡退。

スポーツニュースの隅にも載らない記録だったが、茂はその夜、かつて江夏邸でサインボールを手渡してくれた母・ゑんさんの、「豊を宜しく」というあの優しい声を思い出していた。自分は今、確かにあの伝説と同じマウンドに立っている。それだけで十分だった。

……しかし、運命は非情だった。

シーズンオフ、実家に帰省中だった茂を不慮の事故が襲う。

長年、自らの体の一部として漕ぎ続けてきた自転車での転倒事故。

左肩の粉砕骨折。投手としての生命線である「しなやかさ」は、二度と戻らなかった。



「……ここまでか」

病室の窓から見える西宮の空は、あの日と同じように青く、どこまでも続いていた。

二十代半ばでの引退。伝説の投手への憧れは、道半ばで断たれた。

だが、宮本茂の物語はそこでは終わらなかった。

「先生、どうすれば宮本さんみたいに強い球が投げられますか?」

今の茂は、西宮市内のスポーツ施設で、トレーナーとして少年たちに向き合っている。

自らの左腕で培った理論と、かつて一人で通い詰めた市営プールでのトレーニング経験。そして、プロの過酷さを知る者としての慈しみ。



彼は、かつての自分と同じように新聞配達をしながら夢を追う少年や、体格に恵まれない少年に、優しく、時に厳しく寄り添っている。

茂の指導の第一歩は、いつも同じだ。

彼は、少年たちの小さな掌に、ずっしりと重い硬式ボールを載せる。

「いいか、野球は一人ではできない。でも、自分を鍛えるのは自分しかいないんだ」

少年の目をまっすぐに見つめるその姿は、かつて能登町の玄関先で、一球のボールを託してくれたあの母の姿と重なっていた。

宮本茂の左腕が描くはずだった放物線は、今、少年たちの未来へと形を変えて引き継がれている。

彼のポケットには、今もあのすり切れた江夏豊のサインボールが、静かに眠っている。

(外伝・完)




著者:比奈我弥生(ひながやよい

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