小学生 低学年時代 初めての夏休み
小学生になり、初めての夏休みがきた。
たくさんの宿題が出てプリントやドリル等は夏休み前に渡されていた物もあったので、夏休みに入る前から少しづつ終わらせ、問題なかった。
問題は自由研究・読書感想文・毎日の絵日記だった。
自由研究なんて何をしたら良いのかわからないし、相談する同級生もいない。
兄達に聞きたいが、部活や習い事、何もない日は同級生と遊びに外に出てしまうため聞けなかった。
読書感想文なんて言葉も初めて聞くし、学校でも教えてもらっていない、書き方を相談する相手もいなかった。
毎日の絵日記だってそうだ。私には家での仕事以外ない。
だが、家の様子や出来事を外に漏らすことを禁じられていた為、書ける事がない。
学校に行かない分、家での家事仕事は楽になった。
洗濯物を干す作業が追加されたが、学校とうい拘束時間が無くなった為、洗い物も朝昼晩と3回に分けられることによって量と時間が短縮されたように感じた。
しかし、その時間も2~3日程で終わってしまった。
夕食時、父から明日から○○の作業に入る。家族総出で仕事をしてもらう。
私には初めて聞く言葉で理解できなかったが、明日から農作業をするという事だけは理解できた。
兄達の表情を見ると毎年恒例といった顔をしていた。
翌日になり朝5時に母に叩き起こされた。
農作業に行く前に家での家事仕事を終わらせるためだ。
私は洗濯物を干し、お風呂掃除などを淡々とこなし、母は朝食と昼食の用意をしているようだった。
今思っても私が悪かったと思う。私は何時に家を出て農作業が始まるのかなど一切わからず、順序や段取りを考えず自分のやるべき家事をしていた。
もちろん母は怒り、罵声を浴びせた。「お風呂なんて仕事が終わって最後に入るのだから、仕事が終わって帰ってきてからやればいい。玄関の掃除をしたり、先にやるべきことがあるだろうが。なんでこんなに何も考えられない、頭がおかしい行動ばかりとるんだか、あんたは本当、一緒にいると疲れるわ。」
その通りだと思った。
母に叱られ7時になった頃だと思う。兄達も母に起こされた。
朝食をとる時間はなく、全員母からおにぎりを渡され車での移動中や合間を見て食べるのが普通のようだった。
私と母のみは15時くらいに洗濯物を取り込みに一度帰宅する事を許されたが、それも取り込んだら、すぐに農作業に戻る為、数分間の帰宅だった。
朝から夕方17時~18時まで農作業をし、さすがに私含め兄達も体力的にぐったりとしていた。
だが、その日から農作業を休んで良い日は私たち3兄弟には与えられなかった。
私はそれに加え、帰宅してから、お風呂掃除に掃除機をかけ、食後の片づけや翌日の米研ぎ、給食がなく兄達は育ち盛りの為、毎日1升米を研いでいた。
肉体労働の後に小学1年生の私には1升は手の大きさ的にも、水を入れて炊飯器にセットするのも大変な作業だった。
だが私は自由研究が気がかりだった。農作業の休憩時間にようやく兄達に相談出来た。
兄達は私に優しかった。周りにバレないように、親がいない所で私を笑わせる冗談を言ったり、農作業には慣れているようで、合間に川遊びに連れ出してくれたりした。
自由研究の事は一日で終わらせられるような簡単な題材にしたらいい。自分達はこんな内容を書いたと教えてもらって、同じ題材でやっても良いか尋ねると、学校の先生達が俺達と一緒だから、こんな題材にしたらいいのではないかと教えてもらい、その通りに作り提出出来た事を覚えているが、題材や内容は思い出せない。
絵日記は兄達が川遊びに連れ出してくれたり、農具が故障して作業が中断になった際に学校のプールに連れて行ってくれたので、数日はこの事で埋められたが、他は白紙のままだった。
夏休みがラスト2日になった時。
母と子供達は休みとなり、夏休みの宿題をやる日となっていたようだ。
いつも兄達には優しかった母がこの時は豹変する。
最初は次男だった。次男は宿題を一切やっていなかったようだ。そこで次男に拳が入ったようで、次男の泣き声が響く。
次に長男、同じく何もしていないようだったが長男は少し言葉で怒られただけで、終わった。
最後に私の所に母が来た。
母は最初から殴る勢いで部屋に入ってきたが、私は読書感想文と絵日記のみ終わっていない事を告げると少し勢いが止まったように見えたが、とりあえず1発拳は入った。
まずは母に読書感想文を終わらせるように言われた。
私は「読書感想文って何?本を読んで何を書けばいいの?書き方がわからない」というと、また拳が入る。
「本を読んで感想文を書けばいいだけだろうが。馬鹿な事言ってないで黙ってやれよ。」
私「本は何を読んだらいいの?」
また拳が入る「読書感想文なのに本すらまだ読んでないのかよ。できそこない。なんでも良いから本読んで終わらせろ」
母はそう告げ次男の部屋に向かう。また次男の泣き声が響いたが、今度は長男が走る音も聞こえてきた。
私は何事かと様子を伺いに部屋を出たところで2階から降りてきた長男と鉢合わせになった。
私が「どうしたの?」と尋ねると長男から「次男が棒で殴られ流血した」と聞かされた。洗濯物を扱っていた事を知っている長男は傷口を抑えるタオルを持ってくるよう言った。私はタオルを持って駆けつけようとしたが長男に静止された。「Mはくるな。部屋で言われた事をやっていろ。2階の事は大丈夫だ」
そう言われ私は、私が顔を出せば更に自体が悪化する事を悟ったので言われたように部屋に戻った。
数分後、母が私の部屋に来た。
黙っていれば良かったのに、子供の私にはできなかった。「次男大丈夫…?」と聞いてしまったのだ。
その瞬間、母の顔が般若になる。「全てお前のせいだろうが。お前が来たせいで殴りすぎて、こっちの手が痛くなったから物を使うことにしたんだよ。」
今も変わらず私は強い物言いをされてしまうと思考が停止し黙り込んでしまう。
母は続けて「読書感想文は?」と言った。私は本はこの本にした。と告げると今日で読み終わるのかと更に追撃が入る。私は「何回も読んでる本だから読まなくても内容は覚えてるよ。少し書いてみたんだけど、こんな感じで良いのかな?」と尋ね母が作文用紙を読むと、次男を叩いたであろう棒が背中に入る。「こんなのは読書感想文じゃないだろ。これは本のあらすじを書いているだけだ。お前は時間を無駄にする事しかできないのか」私は叩かれた痛みで何も言えず机にしがみついていた。「さっさと書けよ」そう言って母はいなくなった。
私は読書感想文って本当に何なんだろう。意味が分からない。書き方を教えてくれればその通りにするのに、誰も書き方を教えてくれない…
そして遠い目をして外の景色を見ながら冷静に思った。
夏休み期間ほとんど農作業をさせて毎日クタクタになるまで子供たちを使い、それで宿題をやっていなければ怒られる。私は家事仕事をしてから夜に宿題をする習慣があったが、普段、自分の使った食器すら下げさせず、甘やかされている兄達には夜に宿題をする習慣なんてないし、クタクタですぐに眠りにつく生活をさせていたのに、どこに宿題をこなす時間があったのであろうか。
ふと我に返り私は「読書感想文…」とつぶやき書いた作文用紙を捨てて新しい用紙に書き始める。
30分程たった頃、母が部屋に来て私の作文用紙を読んだ。今度は3回棒で打たれる。
「何をやってもダメな子だね」「こんなの学校に出したら親が恥を書くだろうが。」大きな溜息と共に、母に他に何が残っている?と聞かれ、絵日記がほとんど白紙で何を書いたら良いのかわからないと告げると、母から「どこの家庭も毎日イベントなんてやってないんだよ。面白いテレビを見たとか適当に書けよ。はぁ~疲れる。お前は絵日記を先に終わらせろ」そう言われ、私は絵日記に取り掛かる事にした。
だが、毎日朝から夜まで仕事をこなしていた私にはテレビを見る時間なんてなかったし、私の部屋にテレビもなかった。
何か書かないと…
書く事が思い浮かばない・母に叩かれる痛みへの恐怖・学校がもうすぐ始まる焦り
このような要素が加わり涙がぽろぽろと勝手に流れていた。
涙を拭いながら、当たり障りのない内容を絞りだし、1ページ書き終えると、白紙の部分は全て同じ絵と内容で「今日はいつもと変わらない日でした」これで作り上げた。
書き終えるまで、母は私の部屋にいて、私の読書感想文を書いてくれていた。
私が絵日記が終わった事を告げると母は不都合な事を書いていないかチェックし、「お前ならこんなもんだろ」といいOKが出た。
そして、母から「これをお前の字で書き直して写せ」と言われ、読書感想文が出来上がっていた。
私は「ありがとう」そういうと、また棒が入った。「ありがとうじゃないんだよ。お前がやる事なのに出来損ない過ぎて、親が恥を書くから尻ぬぐいしてやったんだろうが。明日で夏休み終わるから、明日中に必ずやれよ。今日の宿題はもういいから家の事をしろ」
私は言われた通りにした。
夕食時、次男の顔は泣き腫らした顔をしていた。
流血した所は頭頂部より少し後ろのあたりだったようだが、出血は止まり大丈夫なようだった。
長男はどこも殴られたり叩かれたりしていないようで、綺麗な顔で痛がる場所もなかった。
私は兄達は大切にされていたが、これが跡継ぎの長男と予備である次男の差かと冷静に思っていた。
しかし、次男に強く当たるのは大型連休で宿題や課題というノルマがある時のみで、その他は兄達は宝物のように扱われ両親も兄達と話すときは満面の笑顔で接していた。
そうして私の初めての夏休みは終わったのだ。