「現実を失った文明」
「記憶の壁」作動モード / 同年 2月2日 8:00 / 神聖記憶主義社会〜影の時代〜
エテルナス──それは、進化しすぎた科学が信仰へと回帰した文明国家。
教会の支配下で築かれたこの国家は、科学技術の進化によって人々の生活を飛躍的に向上させた。しかし、その技術は神聖なる秩序を保つため、宗教的権威の下で管理されている。
この社会において、記憶はすべての基盤だ。記憶をデジタル化し、共有する技術が普及していた。
かつての「民主記憶主義社会(Memocracia)」は、記憶をデジタル化し共有する技術によって築かれた、人類史上最も革新的で理想的な社会だった。個々の知識や経験が制約なく共有されることで、人々の生活は飛躍的に向上し、教育、文化、経済において大きな変革をもたらした。
記憶共有技術によって、学びたいと望む人々は瞬時に他者の知識や技能を自分のものにできるので、専門的な技術も短期間で習得可能となり、教育の壁は消え去った。
例えば、農村の少年がエンジニアの記憶をダウンロードし、わずか数日で機械を修理する職人になれたり、芸術家の感覚をインストールすることで、誰もがすぐに創造活動に参加できる。
また、戦争や災害の記憶が共有されることで、人々は苦しみや悲惨さを直接体験し、平和への意識が自然と高まった。戦場の記憶を追体験した若者たちは、戦争を憎む一方で、平和の重要性を自らの価値観として受け入れることができたからだ。
そして、記憶の共有を通じて、個人間だけでなく国際間の理解も進み、紛争の解決が円滑に進んだ。
他者の記憶を共有することで、あらゆるジャンルの文化が融合し、創造活動が加速した。その結果、伝統的な芸術と最新の技術が融合し、新しい芸術形態が次々と生まれた。
併せて、異文化間の記憶を共有することで、グローバルな視野を持った市民が大幅に増加した。
しかし、その理想が行き過ぎた結果、社会は制御不能な混乱に陥った。
他人の記憶に逃避する人々が次々に現れたのだ。彼らは一つの記憶に長く浸るのではなく、次々に異なる記憶へと飛び込むようになった。戦場での興奮、遠い未来の街を歩く感覚、かつての恋人との甘酸っぱい瞬間──無数の記憶が目の前に広がるたびに、人々は現実を忘れ、その中に没入していった。
「記憶中毒者(Chrono Immersers)」と呼ばれる彼らは、自分自身の人生を歩むことを放棄し、記憶装置に接続したまま生活するようになった。
記憶共有施設では、人気のある記憶がランキングとして表示され、最も高評価の記憶には行列ができるほどだった。中には、記憶を収集するコレクターや、刺激的な体験ばかりを求めるスリルシーカーも現れ、記憶体験を提供する闇市場が急速に拡大した。
他者の記憶を盗み、不正利用する犯罪が横行して、記憶ハッキングによって、個人の秘密や機密情報が漏洩し、社会的不信が蔓延した。
政治家や企業経営者の記憶を暴露することで、国家や経済が揺らいだ。闇市場では、高価値な記憶が違法に取引され、記憶を奪い合う暴動も頻発した。
だがその一方で、生産性の低下と人口の精神的衰退が社会全体に広がった。現実の仕事を放棄した市民たちは、やがて記憶の中にしか居場所を見つけられなくなり、社会の基盤そのものが揺らぎ始めた。