006頁 アンケート……?
子供の頃の思い出はありますか。
飲み物にこだわりはありますか。
安全についてどんな時に考えますか。
仮病を使ったことがありますか。
絵を描くのは好きですか。
都市で暮らすことに憧れはありますか。
歯の治療をしていますか。
風呂でのこだわりはありますか。
江戸について知っていることはありますか。
異星人についてどう思いますか。
苦労したことは何ですか。
出かけるときは計画を立てますか。
好きな色は何ですか。
……アンケートの中身は拍子抜けするぐらい簡単な問いしかない。本当にこんなことを訊く為にわざわざ何百人も集めたんだろうか。
そこはかとなく文面から、人をからかって遊んでいるような引っ掛かりを感じる。ある程度地球の文化に対して、知識があるとしか思えない単語もちらほら身受けられるのに、一体何の研究に使うのか。
一息ついて見上げると、天井の窓から地球が見えた。
青い光が空気を湿らせる。
アンケートの紙面も仄青く揺らいでいる。
揺らぎをなぞるように触れる。
よくあるコピー用紙の感触。
――紙の情報体とはうらやましい。
拾った新聞を手渡しながら、クラインさんはそう呟いていた。
アンケート用紙の端を小さな三角に折り曲げる。何度か上下に折り返す。くっきりと折れ筋がついた。
その筋が十秒も経たない内に、消えて折り目がなくなる。筋をつける前と何も変わらない。
選挙の投票用紙なんかは開票作業を効率化する為に、ポリプロピレンを主原料にした合成紙を使っていて、折っても開いてくるけれど、そういう類いのものだろうか。
何度折り曲げても、折り目がきれいになくなる。
面白いな、これ。
微かにいい匂いもする。
一枚ずつ指先で紙の感触を確かめていると、誰かに見られている気がした。
反射的に顔を上げたが、別段誰かと視線が合うわけではない。寧ろ皆の意識の先は、ステージ前でお姉さん達を出口へ捌いている、洗練されたクラインさんの姿だ。気のせいか。
「できた~!」
河波さんが書き上げたアンケートを嬉しそうに見せびらかす。勢いよく椅子から立ち上がって大きく伸びをすると、ショルダーバッグを肩に担いだ。
「あ、河波さん、スルメごちそうさま。おいしかったよ」
「でしょ! なんならもう一枚……なんて、これはダメ~」
河波さんのスルメ愛が止まらない。
「じゃあね~。またどっかで会えたら声かけてね」
小走りでクラインさんにアンケートを渡すと、犬歯の覗く笑顔でこちらに大きく手を振り、会場から出ていった。
お隣りで、早送りする新芽の成長動画みたいなお見送りをしていた子羊ゆらちゃんの伸びきった袖が、河波さんの姿が見えなくなった途端、ぺこりと折れ曲がる。おやつをくれるステキな仲間がいなくなってしょんぼりしていらっしゃるようだ。
会場に残っている人も、自分を含めてあと四、五人。随分寂しくなってきた。
「あのねー、これなんてよむの?」
無意識に地球を見上げていた視線を戻すと、目の前に五、六歳ぐらいの小さな女の子達が立っていた。
アンケートを抱えてやって来たのは、可愛らしい少女二人組だった。
尋ねてきたのは可愛いフリルパジャマにランドセルを背負った女の子の方だ。肘辺りまで伸ばした髪が寝癖であちこちはねている。
大きな瞳は、真っすぐ見つめられると眩しさを感じるような生気に溢れている。地球の光を吸い込んで光るゆらちゃんの瞳とは対照的な、太陽みたいな眼差しだ。
もう一人の女の子はとても人見知りなのか、ランドセルの陰に隠れてこちらを窺っている。余りにも見事に隠密行動を取っているので、小さなお手々と黒い服の端がちらちら見え隠れするぐらいしか分からない。
「ここ、よんでー」
うさぎさんが跳ね回るような寝癖を気にする様子もなく、パジャマの女の子はとある設問を小さな指でとんとんと押さえる。
他の問いと違って、紙の真ん中辺りに一文があった。
『一緒 探してく ますか 』
印刷ミスだろうか。字がところどころ薄く、縮小率を間違えているのか、字もコンパクトサイズの辞書並みに小さい。紙の裏もめくってみたが、擦れた表の一文以外は何も見当たらない。
「多分、一緒に探してくれますか、って書いてあるんじゃないかな」
「なにをー?」
パジャマの女の子が体ごと首を傾げる。後ろの女の子も慌てて一緒に傾げる。
「何だろうね?」
自分も首を傾げると、パジャマの女の子はスライド式テーブルにアンケートを勢いよくのせた。紙の束がまるでまな板にのせられた巨大コンニャクに見える。
その白いコンニャクにペンででかでかとした字を書く間、自分のアンケートが下敷きなのは言うまでもない。
『れーかんはいから ちがちはい』
女の子の文字がそれはもう縦横無尽にのびのびし過ぎて、謎の呪文を書き記したみたいになっているが、これは『れー』が勢いのつけ過ぎた『わ』で、『は』が『な』で、『ち』が『さ』なのだろうと推察される。
パジャマ少女の下した判断は簡潔明瞭だった。
分からないから探さないのだ。
決して明治時代から異世界に転移したハイカラな主人公が、霊感を駆使して魔王の妨害をくぐり抜け、聖なる輸血パックを遅ればせながら美少女勇者にお届けする物語のタイトルではない。
「かけたよー」
アンケートの束を掲げてみせたパジャマ少女は、隣りにいた子羊フードのゆらちゃんに気付き、目を輝かせた。
「ひつじしゃんだー! みせてみせてー!」
「こ、これはだめだめですー!」
パジャマ少女は歓声を上げてゆらちゃんの子羊フードを引っ張りにかかる。さながらやんちゃな牧羊犬に追いかけられるように、子羊ゆらちゃんは会場を逃げ回った。
「毛がりしちゃうぞー!」
「だめぇ~!」
牧羊犬ではなく、毛刈りに燃える羊飼いの方だったか。
「出口はそちらですよ」
そつなくお姉さん達の対応をしつつも、やや呆れ気味なクラインさんの声につられたのか、さらなる追いかけっこを求めたのか、ゆらちゃん達は会場の外へと疾走していった。
……はっ、妖精のお姫様がなし崩しにご帰還されてしまったではないか!
自分のアンケートも残り数枚だ。今から追いかければ間に合うだろうか。
急いでペンを走らせて最後のページをめくると、見覚えのある一文が紙面の真ん中にあった。
『一緒に探してくれますか?』
今の自分に悩んでいる時間はない。
『何をお探しですか』
単なるツッコミみたいな内容になったが、これ以上書きようもない。放置されたままの、ゆらちゃんとパジャマ少女のアンケートを拾い上げ、ステージの一ヶ所に積み上げられたアンケートの束にまとめると、早足で出口へ向かった。
子羊さんがどうか情熱の羊飼いに身ぐるみ剥がされていませんように。