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魔導書のしおりは宇宙船のかけら  作者: 繭式織羽
宇宙人はイケメンだが美少女はスルメに夢中でした
2/32

001頁 宇宙船で目が覚める

 ここにある。


 いつか見たいと思っていたもの。


 青い星。


 幾層もの空に包まれた星。


 大気の青と海の青が溶けている。


 空の流れに揺れ、沸き上がり、渦巻いてはたなびく雲。


 真っ白な雲の影も濃い青に。


 海も深いところ、浅いところ、島や大陸の形で、様々な色合いの青に変化している。


 自分が生きている世界。


 大気圏外から見る地球の青さは目に染み透った。


 天井から見える青い星は、闇の中で静かに輝いている。


 眩しいのに、青はとても深い。


 生きている青。


 見惚れすぎて、腕から何か滑り落ちそうになった。咄嗟に抱えなおす。


 新聞だ。今日の朝刊。郵便受けから取り出したばかりの状態で腕に収まっている。


 紙は体温を含んで(ぬく)い。ほんの微かに香りがする。晴れ着の女性が静かに喜ぶ佇まいに似た匂い。


 郵便受けのすぐそばで咲く、白と淡紅の小さな花。沈丁花。


 そうだ、ついさっきまで、いつもの朝の散歩に出かける前に、郵便受けを覗いていたはず。屈んで新聞を取っていると、頭の上から視線を感じた。


 家の周囲は雑木林で、よく野鳥もやって来る。だが鳥の視線は、木々の陰から見つからないよう、いつもとても控え目だ。けれど、その時は真上から思いきり観察されている感覚があった。


 繁殖期に入って気の立ったご近所のカラスが、上空から警戒しているんだろうか。


 そう思って見上げた視線の先には、黒い球体が浮かんでいた。


 何だ、あれ。


 直後に立ちくらみが起きた。新聞を抱えて暗くなった視界が戻るのを待つ。


 ほんの十秒か二十秒ぐらい。自分ではそのくらいの感覚だった。


「……ここ、どこ?」


 家の外にいたはずなのに、いつの間にか室内で椅子に座ってる。


 座も背もたれも、うたた寝にうってつけのほどよい弾力。肘掛けもついていて、すっぽりと包まれているようだ。


 そんな椅子が、視界の先までずらりと並んでいる。


 自分がいるのは最後列の右端。


 前にはざっと見て二、三十列ほど。大体一列につき二十席ぐらいだから、全部で四百席から六百席はあるだろうか。


 会場の大きさは体育館ほどで、前方に向かって床が緩やかに傾斜している。


 劇場のような雰囲気はあるが、一番前のステージらしき空間には誰もいない。


 取り残されたように、人が席を埋めているだけだった。しかも一見したところ、女性ばかりいるような気がする。


 これはまさか……一人ずつステージで何か披露しなければいけない流れなのか。


 地球から天才的歌姫でも発掘して、あまねく銀河を救う冒険の旅にでも放り出そうとしているとか……!


 ……あまりに暇すぎて、うっかりそんな益体もないことを考えてしまうのも、周りの皆さんが井戸端会議ならぬ地球端会議を始めてしまうのも、致し方ないことである。


 最後列のここから見た限りでは断定できないが、やはり会場には女性だけがいるような気がする。


 年齢はまちまちで、畑仕事の途中らしい作業着のおばあちゃんもいれば、帰宅後スーツのまま寝落ちしていたらしい女性や、パジャマのまま真新しいランドセルを抱えた小さな女の子、朝練なのかジャージに学生鞄の女子高生達もいる。


 共通項があるとすれば、自分の意思でここに来た訳ではないということぐらいか。


「ヒマねー」


「ですよねえ」


「私、ゴミ出しの途中だったのよ」


「ワタシも始発乗るつもりだったんですけどお」


 近くの席でスウエットの上下を着た眠そうな五十代ぐらいの女性と、つけ睫毛が花火みたいな豹柄ミニスカートのお姉さんが、取り留めない会話を続けている。


 座席で目覚めてから三十分ぐらいだろうか。スマートフォンなどのモバイルデバイス類は電源が入らず、ただ座席に座っているだけのこの状況は確かに暇だ。


 最初は皆一様に、大きな天井から見える青い地球に魅せられて、控え目な歓声を上げていたけれど。


 天井は一面窓になっていて、照明が見当たらないが、広い会場は充分な明るさを保っている。


 テレビなどで取り上げられる国際宇宙ステーションからの地球の映像は、もっと近いところから撮っていたような。近いといっても確か高度が四百キロあたりだったような。うろ覚えだけど。


 月から見たら多分もっと小さく見えるはず。ハッブル宇宙望遠鏡や気象衛星なら、どのくらいの距離感になるんだろう。


 散歩用に着ていた、デザインがカモ目カモ科のミコアイサ調白黒グレイ配色ウインドブレーカーのポケットを探る。


 ポケットサイズの野鳥図鑑。野草・雑草の持ち歩き図鑑。イモムシのハンドブックに、ヤナギのハンドブック……。


 だめだ。そぞろ歩く気満々のラインナップしかない。


 こんなことなら、宇宙の雑学文庫でも持って来ればよかった。


 結局、現在位置と地球の距離が分からないまま、本を膝に積んでウインドブレーカーの内ポケットを探る。


 取り出した古い懐中時計は掌の中で磨かれた鉱石のように馴染んだ。


 蓋を開けると、まず針が動いているかどうかを確かめる。今は微動だにしない。五時少し前の微妙な時刻を指し示したまま。いつもはもう少し調子がいいんだけど。


 結局、現在時刻も分からないまま鎖のない懐中時計を内ポケットに滑り込ませる。


 ほったらかしにされているせいで、今では会場中で地球端会議が展開されていた。


 会議の議題は恋愛話から始まって、休日になると掃除機の進路をことごとく妨害工作してくるごろ寝旦那さんの愚痴になり、春休みだからと遊びまくる子供の将来を憂える話になり、仕事をしない上司と仕事ができない部下の仰天エピソードになり、嫁姑骨肉の争いになり、そうかと思えば好きな俳優さんのドラマやアイドルのツアー情報から、何故か晩御飯のメニューが決まらない話になり、局地的に猫好きだけに分かる洗濯物、キーボード、布団拠点化における生活妨害工作話でめろめろの花盛り、いつの間にかまた恋愛話に戻っていく。


 一度口火が切られると、見ず知らず同士で却って話し易いのか、走り出した地球端会議はうっかり指でつついてしまったドミノ倒しのように、どこまでも果てしなく加速してゆく。


 ごろ寝旦那さんは巷で人気の動画配信者に触発され、モップを体に巻きつけて家中をごろ寝で疾走する清掃旦那さんと化し、遊びまくる子供は巷で大人気の小学生社長とやらの動画に触発されてゲーム開発者になるべくプログラミング教室に通いまくり、仕事レベル一桁の上司と部下は仕事レベルがカウンターストップした上司と部下の神エピソードによって存在を忘れられ、嫁姑骨肉の争いは婿舅ラムチョップ争奪戦へと変貌を遂げ、そうかと思えば好きな声優さんのアニメやゲームのイベント情報から、何故か筋トレのメニューが決まらない話になり、局地的に猫好きだけに分かる爪切り、シャンプー、通院における本気の妨害工作で爪牙にかかるもやはりめろめろの花盛り、恋愛話はもうどうでもいいや。


 それにしても泣いたり叫んだり怒ったり、挙動不審になる人が一人もいない。この状況を話題にする人もいない。人数が多いせいで感覚が麻痺してるのか、無意識に避けているのか。


「どうだった?」


 ハンカチを手に、席へ戻ってきた女性に、周りの人が声を掛ける。


「きれいでしたよ。すっごいオシャレ。明るくて広いし、フツーに使えた」


「あ、じゃあ私も行こっかな」


 会場はシンプルなのに、トイレはとてもお洒落らしい。


 問答無用で連れてきてほったらかしのくせに、何故そんな生理的に重要なところだけ至れり尽くせりなのか。


 本気で地球端会議をさせるためだけに連れてきたんだとしたら、己に一体どんな議題が提供できるというのか。


 せいぜい兄が体にモップを巻きつけて、家の廊下でのたうち転げ回って動画撮影する姿を、陰からそっと見守っていたことぐらいである。

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