~第4幕~
柔道日本代表選手を多数擁する三ツ橋海上の道場。
ゴロゴロと横になりながらスマホを眺める仙道朱莉沙。
「例の動画をみているの?」
彼女に話しかけるのは日本代表女子総合監督の黒森茜。
「ん~」
朱莉沙は真剣にその動画を観ていた。
「引退撤回する?」
「引退するなんて言ってないよ?」
「仄めかしていたでしょ?」
「ニコニコして言うこと?」
「ふふっ。ニコニコするようになったね。朱莉沙ちゃん」
「えっ? そうなの?」
「嬉しそう。2人とも」
曇っていた表情がパッと晴れる朱莉沙をみて微笑む黒森だったが、その動画に映るかつてのライバルの勇姿にはもっと元気が貰えるようだ。
この件から間もなく服部碧は柔道選手としてのキャリアを再びスタートさせた事を発表した。所属は船橋育心道場、かつて鳥谷碧が所属していた道場で。
世間からみれば、この時はまだ話題になる事もない。まさかこのあとで彼女が日本選手権を制覇し、浦島希空と仙道朱莉沙を倒すなんて誰も想像していないから。
服部碧のトレーニングはそこまでハードなものではなかったと言われている。藤平道場での訓練に関東圏の出稽古。正直言えばプロというよりかセミプロだと言っていい範囲のものだ。それもその筈で彼女は武蔵道大学の研究職を辞めたと言う訳でなかった。その理解は霧生教授も快くしてくれた。むしろその学術機関の宣伝チャンスにすらなりうると捉えたのだ。
しかし、そんなことで日本代表になれるものなのだろうか?
なったのである。
マルセイユ五輪、その代表選考を兼ねた日本選手権――
初戦から秒速の背負い投げをみせた服部碧は圧巻の存在感を放っていた。
その強さは浦島も仙道も変わりはない。
そう思えたが、浦島も仙道も碧を掴む事ができなかった。彼女達の動き以上に多彩な動きを凄まじい速さで展開する碧に攻めあぐね、技ありからの抑えこみで2人とも呆気なく倒されてしまったのだ――
しかし仙道朱莉沙はあのコルディエ戦より失っていた笑顔を取り戻していた。決勝までの全試合で彼女はその笑顔を崩すことなく振り撒き続けた。スマイル・クイーンが再び降臨したかのように。それは碧に負けてからも崩れず。
しかし笑いながらも、彼女は涙を零していた。
その凄まじい試合の後に2人はハグを交わした。
「強くなったね。アオイチン」
「貴女のお蔭よ。ありがとう」
この直後に仙道朱莉沙は引退会見を開く。
彼女は笑顔いっぱいに「楽しく柔道に携わる仕事がしたい」と熱く語っていた。どこかでそのレールのうえに進みたかったのかもしれない。彼女は福岡に戻り、道場開設に精をだしつつ、ローカルのテレビタレントとして活躍するように。
そして晴れて日本代表の座を獲た服部碧はスマイル・クイーンに変わる新たな女子柔道のスターとなった。彼女はハットリという名から忍者に関連づけ「忍者黒帯」という通称も得るように。
パリ五輪が近づくにつれて各メディアから取材を受けるようにも。
日本を発ってから同代表アスリートと交流をするようにも。
そのなかでとりわけ仲良くなった存在がいた。
女子柔道代表70キロ級の園田藍李と男子マラソン代表の城谷悠だ。
園田は碧と同じく遅咲きの代表入り選手で少しは年上であるも、自然とお互い積極的に親しくなっていた。一緒に動く時間が多かったとみられる。
男子マラソン代表の城谷はまだ20歳の若手代表選手。碧は試合に向けてずっと集中していたと言いつつも、そんな出会いやら何やらなんかで結構楽しんでいたとSNSに投稿していた。
だからなのだろうか?
浮かれていたというのだろうか?
決勝での敗北はあまりにもあっさりとしていた――