003.面倒な訪問者
森深い湖までやってきた男は、深呼吸を一つして姿勢を正し、ノックした。
「シャウラ共和国からの使者、カサルバ・デリオと申す。
森の賢者、ジェニファー殿にお会いしたい。
お取次を。」
森の賢者。
妖精族を尊称としてこう呼ぶ者たちがいる。
精霊に愛されし者たちを妖精というのだと、歴史書には記されている。
古の王朝、レグルス王家を始祖とするという。
事実かどうか、それを知る者はいない。
レグルス王家自体は大陸の南東端に公国としてひっそり残るが、歴史上のレグルス王室と源流を一にするのかは誰も知らない。
妖精族は精霊の力を借りて様々なことを為せると言われている。
今では人族も使うことが出来る魔術──人智を超えた力──も、能く使うらしい。
精霊を介し、大自然の力を魔法として発現できていたとされる昔。
これを妖精でなくても使えるようにと、技術に落とし込んだものを魔術と呼ぶ。
詠唱という簡易の儀式を通じて、不可思議な現象を再現する技術である。
時を経て、魔法は失われ、今は魔術が残るのみとされている。
森の賢者ジェニファーは、妖精族の中でもつとに精霊に愛された。
精霊に愛されたが為に、元より長命である妖精の中でも更に生き長らえ、多くの妖精を見送ってきた。
一人、残される孤独と戦ってきた。
その人生では、人族との交流を行った時期もあり、そのことが人族の間で語り継がれていた。
そして、今、森の賢者の伝承を元に、ここまでやってきた者がいた。
軍事国家シャウラ共和国からの使者カサルバ・デリオ、その人である。
「お師匠さーん。なんか、変な人が来てますよー。」
地下に籠もって研究に明け暮れる魔女に、オリビアは声をかけにいった。
外には、なんちゃら共和国の使者を名乗る男と、その護衛たちがいる。
オリビアからすれば、怪しいことこの上ない。
師匠の話を信じるなら、そもそもここはシャウラ共和国ではない。ハーバル帝国ルード辺境伯領のはずだし、いつも買い出しに行くリランの街もハーバル帝国内である。
勝手に越境してきたとしか思えないし、そもそもここは地図にも乗ってない「ぽつんと一軒家」である。
「怪しさ満点よね…。」
今日も今日とて肩に乗る小鳥に話しかける、オリビア。
小鳥はやっぱり答えないが、オリビアの顔を見上げていた。
取り敢えず、使者は追い返された。
オリビアの師匠、ジェニファーによって。
「あの人たち、何だったんですか?」
「さあてね。」
「ここって、ハーバル帝国なんですよね?」
「ああ。」
オリビアはこてんと首を傾げた。
「えーっと。何て言ってましたっけ?
共和国っていうのは聞こえたんですけど…。」
「この大陸で共和国って言えば、シャウラ共和国のことさ。」
「シャウラ共和国……。」
いいかい、と言って魔女は説明する。
「ここはハーバル帝国の東端、ルード辺境伯領だ。
そして、三つの国と接している。
北東にファーマルハウト王国、東にシャウラ共和国、南東から南にかけてがエルトナ王国。
更に南東行くと、シャウラとエルトナを間に挟んで、レグルス王国がある。
大陸で一番歴史が古く、一番小さい国さ。」
「……はい。」
オリビアは相槌を打ちながら、記憶を手繰りそうになった。
しかし、ジェニファーの話はまだ続きそうなので、まずはそちらに集中する。
「で、ハーバル帝国の南には、西からマラキア帝国とプリムス王国がある。
丁度、エルトナの西がプリムスと接してる形だ。
分かるかい?」
「えっと…。はい、なんとか。
ハーバル帝国の西と北は、海に面してるんでしたよね?」
「そうだ。よく覚えてるね。」
うん、うんと魔女は満足そうに頷く。
「マラキアとプリムスは70年くらい前にハーバル帝国と停戦してる。
ファーマルハウトも20年ちょっと前に停戦したはずさ。」
「いろんな国と戦争してたんですね。」
「人間ってのは、そういうもんだろうよ?」
「はぁ…。」
確かに、ここに来る前にも戦争の話は聞いたことがあったなと、オリビアは思い至った。
「エルトナと帝国は小競り合いこそあれ、国として争ってはいない。」
「へー。そうなんですか。」
「ああ。エルトナの元は、レグルスだからね。」
「レグルス、……王国ですか?」
オリビアは肩を揺らした。
前世――というよりも転移前(?)――で王女をしていた国と名前が被るのだ。
魔女はそんなオリビアをちらっと見遣ってから、続けた。
「今はエルトナ王国だが、昔はレグルス王国と呼ばれてた。
そこの王家が一族で争って、割れた片方がエルトナってわけさね。」
「あれ?
でも、レグルス王国は大陸で一番小さいんでしたよね?」
「ああ。シャウラもエルトナも、元はレグルス王国だった。
ここルード領の一部もね。」
「随分小さくなっちゃったんですね。」
「ハーバル帝国が興ってから、その力を借りるようにして独立したのがエルトナさ。
レグルス本国と独自に戦って領地を得たのがシャウラ。
エルトナはそういった歴史もあって、帝国とは事を構えないのさ。
シャウラは常に好戦的で、今も周辺各国と戦争状態さ。」
「えっ?!ええええーっ。
ちょ、ちょっと待ってください、お師匠さんっ!
じゃあ、さっきの人たちって……戦争中の国に、国境侵犯……してきた?」
魔女はこっくりと首を縦に振る。
「そういうことさね。」
どうだい、追い返すのが無難だろうと魔女は嗤った。