愛知、前進せよ!
愛知県議会議事堂の地下には、広々とした空間が広がっている。
愛知県が浮遊するために欠かせない、浮遊制御室である。
正面には巨大なモニターが設置され、それに向かう形で職員の席が階段状に備わっている。各席にもまたコンピューターがあり、一見してもよく分からない折れ線グラフであるとか、忙しなく上下する棒グラフのようなものなどがそれぞれ表示されていた。ひょっとするとそれらはそれっぽいだけのスクリーンセーバーなのかもしれないが気にしてはいけない。職員の着席率は七割といったところか。全員が薄い青色のユニフォームを着用している。
さて、いかにもサイバーな雰囲気の室内に、場違いなスーツ姿の人影が二つあった。
市村と前田である。
「――はい。それでは、予定通りに」
前田は通話を終えるとスマホをポケットに仕舞う。その顔に一切の怯えはなく、瞳は真っ直ぐに正面モニターに写し出されたオメガの巨体を睨んでいた。
報告によれば、オメガは直径五キロメートル、高さ五〇〇メートルとのことで、かなり扁平な形をしている。今モニターに写っている姿も横に長い黒い壁のようであった。もう少し縦に長かったら別の生命体に見えたかもしれない。
「それでは……愛知、前進せよ!」
前田の号令の下、職員が制御装置を操作する。
正面のモニターに映るオメガの姿が徐々に大きくなり始めた。
「前田、本当にやるの?」
モニター越しにも圧迫感があるのか、市村は及び腰である。
「当然です。豊浜の大破は想定外でしたが作戦に支障はありません」
「でも……」
「オメガ正面に熱源反応あり! 攻撃が来ます!」
今一つ不安を拭えない表情の市村の言葉を遮るように、職員が警告を発した。正面モニター上でも、魔法陣がオメガの正面に展開されているのが確認できた。この魔法陣から光魔法が放たれるのである。
前田は冷静に指示を出す。
「ふじ、聞こえますか。荷電粒子砲による牽制と誘導をお願いします」
「了解」
手元のコンピューターの画面はオンライン会議用のソフトが立ち上がっており、議事堂の会議室やふじの艦橋など複数の場所と繋がっていた。画面に写ったふじの艦長は前田の指示に短く答えると乗組員に指示を飛ばし始めた。
「撃て!」
ふじの艦長の号令と共に、前進する愛知県に先行しているふじからビーム状の光が放たれた。
光は黒い壁に向かって直進し、そして当たると同時に爆発する。が、オメガには傷一つついているようには見えない。
ふじはその結果に構うことなくゆっくりと方向を転換する。愛知県とオメガを結ぶ直線上から離脱し、ゆっくりとオメガの左へ回り込むように。
これが作戦の第一段階。ふじを囮にし、オメガに接近するというものだ。
作戦を成功させるためには、何としてもオメガに近付く必要があった。
しかし。
「駄目です! 魔法陣はこちらを向いたままです!」
「やはりですか……」
ふじに食い付いてくれれば話が早かったが、そうはいかないようである。
「脅威にもならないちっぽけな艦船より後ろに見える浮遊島に警戒するのは当然だわ」
市村の言うとおりであった。
愛知県は今、海面すれすれまで高度を落としていた。正面モニターのオメガの映像が横から見た状態になっているのもそのためである。
このままオメガのビームが放たれれば、愛知が二つに分断されかねない。
「こうなる可能性は検討済みです。それでは園長、お願いします」
「うむ。ポチっとな」
「オメガより光魔法飛来!」
画面の一つに映る老人が手元の手作り感あふれるスイッチを押すのと、制御室の職員が叫ぶのはほぼ同時だった。
青白い光がモニターにどんどん迫ってくる。
「ぶつかる……!」
市村は息を呑んだ。
そこに、モニターの右端から凹凸のある直方体の物体が群れを成して突っ込んできた。
「えっ!?」
カラフルな直方体は凹凸同士を組み合わせてあっという間に壁となった。
オメガのビームは即席の壁に阻まれて霧散する。
再びバラバラと元の小さな直方体の群れに分離した壁を見て、市村はそれが何であるか悟った。
「あれは、レ◯ブロック!」
前田は事も無げに頷いた。
「レ◯ランドは愛知の防衛の要と言っても過言ではありません。その場に合わせて必要なものを作れるように赤字を覚悟で誘致し、海上にも素早く展開できるようにとあのような微妙に行きにくい場所に作ったのです」
「そうだったの。オメガ出現よりも前から、愛知県はよく考えていたということね」
市村は感心する。その後もう一度オメガはビームを放ってきたが、素早く組み合わせられたレ◯ブロックの壁を貫くことは敵わなかった。
「とはいえ、レ◯ブロックはあまり耐久性がありません。至近距離ではあの攻撃は防げないでしょう」
「私達がオメガに近付くほど不利になるわけね。どうするの? ふじにもう一度牽制させる?」
「いいえ、それでは意味がありません。別な方法で牽制します。というわけで豊橋市長、お願いします」
「その言葉を待ってたぜ!」
良い笑顔で返したのはひげ面の中年男性である。豊橋市長は恰幅の良い体を揺すりながら笑った。
「気象台の許可も取ってある。準備は万端だ。しかしお前、よくあれの存在を知ってたな?」
「愛知のことですので」
「はっはっは、噂はあながち間違いじゃねえようだな!」
「どういうことです?」
よく分かっていない市村に、前田は説明する。
「豊橋市内全域が巨大な風の実験施設になっていることはご存じかと思います」
「……ええ、そうね。聞いたことがあるわ」
嘘だった。
強いて言えば冬は異様に風が強いくらいのことは知っていたが、実験施設とは初耳である。
しかし、実は知らなくとも無理のない話であった。なぜなら、それは一般に箝口令が敷かれている豊橋市の機密事項だからである。
「都市における風の流れを調べるために、豊橋市は世界でも類を見ない強風発生装置を持っているのです」
「……それが?」
「もし、豊橋市全体を強風に晒すことのできる装置を兵器に転用できたとしたら、どうなると思いますか?」
「まさか」
「はい。巨大空気砲です」
それ以上市村が何か言う前に、豊橋市長が口を挟んだ。
「おい、前田。どこを狙えばいい?」
「手前の海を狙ってください」
「分かった。空気砲、撃て!」
どん、と腹に響く音がして、豊橋市長の映る画面が大きく揺れた。ほぼ同時に、オメガの目の前にその巨体を覆い隠すほどの巨大な水柱が上がる。
「凄い……」
市村は正面のモニターに映る光景を呆気に取られて見つめた。他の職員も目を見張っている。
「何をぼさっとしているのですか。今のうちに接近しなさい!」
「は、はい!」
前田の叱声を受け、慌てて職員が浮遊島の制御装置に向き直った。
巨大な水柱がみるみる近付いてくる。それを越えれば、あの巨大生命体に届く。
届きさえすれば、勝てる。
誰もが作戦の成功を確信したその時、水柱の向こうで何かが光った。