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曳航  作者: 本城千歳
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【007】 選ばれしもの

 僕は学校の正門に寄りかかり、通りを眺めていた。そろそろ山路さんが車で迎えにくる時間だ。


 あの『ほろ苦いデビュー戦』からヒトツキとちょっと。

 僕は山路さんから指示された自主トレメニューを黙々とこなす日々を送っていた。そして二週間に一回くらい、山路さんの知り合いのいる大学の室内練習場で投球練習をしている。

 今日はその『二週間に一回』の日にあたる。


“月末には地区大会が始まるんだよな”

 大会は目前に迫っている。だが練習試合を含めて僕がマウンドに上がる機会は全くなかった。いまさらになって、いつか亮が言ってたことの意味が判るような気がしていた。


 そんな考え事をしていると、僕の目の前に見慣れない車が止まった。

「悪いな。ちょっと遅くなっちまった」

 運転席から顔を出したのは山路さんだった。


「あれ? いつもと違いますよね?」

 クルマは濃いブルーのBMWだった。

「おお、買ったんだよ。ま、取りあえず早く乗れ」

 僕は山路さんに促され、助手席へと回り込んだ。

「へえ。カッコいいスね」

 クルマに乗り込んだ僕は、いつもと違う視界に溜息まじりの声を漏らした。

 僕の言葉に、山路さんは満足そうな笑みを口許に浮かべ、強くアクセルを踏み込んだ。


 BMWは亀戸の駅前から京葉道路を東へ向かい、いくつ目かの橋を渡った交差点を左に曲がった。そこから川沿いを少し進み、やがて右側に現れた広い駐車場に吸い込まれるように入っていった。



「おう。きたか」

 僕らが室内練習場に入ると、白髪アタマの恰幅のいいおじさんが山路さんに向かって軽く手を挙げた。

 彼はココの監督だ。名前は斎藤さんと言っていた。


「今日もお借りします」

「おう。準備はできてるから、いつでも声掛けてくれ」

 斎藤さんはそう言って、ジャージを着た大学生らしき人に何かを指示した。


 いつものように練習場の横の通路を通り抜け、ロッカールームに向かう。

 一面に人工芝を張られた室内練習場では、既に数人の大学生が練習をしていた。顔見知りになった人もいる。目があったので取りあえず軽く頭を下げてみた。


 一通りカラダを解し、温まってきたところでブルペンに向かう。

 

 僕はココのブルペンが好きだった。

 なんとなく投げやすいというのもあったが、一番の理由は「ボールがミットを叩く音」が室内に響き渡る感覚が、なんとも心地よかったのだ。

 とくに最近の練習は走り込みとシャドー、それからストレッチが中心だったので、実際にマウンドから投げるのは久しぶり。僕の肩と心はウズウズしていた。


「軽めでいいからな」

 山路さんは僕の心の内を見透かしたようにそう言って、立ったままミットを構えた。

 僕はミットに集中し、モーションに入った。


――ビシィィィ


 僕は妙な感覚のズレを感じていた。

 かなり軽く投げたつもりだったのに、思ったよりチカラが入っていたみたいだ。


 十球ほど投げたところで斎藤さんがブルペンにやって来た。その後ろから、さっきのジャージを着た大学生らしき人が何かの機材を抱えてやってきた。


「じゃ、ココからはちょっと強めにいこうか」

 山路さんは腰を落とし、ミットを構えた。



***


「速い球、投げるじゃん」

 振り返ると、最近顔見知りになった高橋さんというココの学生が立っていた。


「山路さん、待ってるんだろ? ほれ」

 彼はそう言って、手にしていたポカリスエットを僕にさしだした。

「あ、ありがとうございます」


 投球練習後、僕は練習場の通路にあるベンチに座っていた。山路さんは斎藤さんと話があるというので、独りココで待っていた。


「大久保が驚いてたよ。あんな球投げるなんてよ」

「え。そうですか?」

 高橋さんの話によると、さっきのジャージを着た人は大久保さんといって、ココのマネージャーらしい。で、さっきの機材はビデオカメラとスピードガンだったようだ。


「さすがに山路さんが付きっきりなわけだ。まだ中学生だろ? キミは」

「はい」

 そう応えると、彼は「恵まれてるな」と呟いた。そして練習場に視線を伸ばし、もういちど何かを呟いたみたいだったが、僕の耳には届かなかった。


 プルタブの開いたポカリの缶を僕は手のひらで弄んでいた。別にそうしたかったわけじゃないが、何となく間が持たない。空気が重いカンジだった。


「高橋さんもピッチャーなんですよね?」

 僕は沈黙を破り、無難な質問をぶつけてみた。

 高橋さんはきょとんとした顔で僕の方を振り返り、「ああ」といった。そして「あんまり登板機会はないけどな」とまるで悪戯が見つかった子供のような笑顔でいった。そしてまた沈黙が降りてきた……。


「さて」 不意に高橋さんが立ち上がった。

「そろそろ山路さんもくるコロだろ。じゃ、今度キャッチボールでもすんべ、な?」

 高橋さんは笑顔で右手を出してきた。

「……スンベ……ってなんですか?」

 僕は彼の右手を握り返しながら、首を捻った。

「ああ。まあ方言みたいなものかな? まあ、また、そのうち。じゃあな、杉浦くん」

 高橋さんは僕の手からカラになった缶を取り上げ、笑みを浮かべたまま歩いて行ってしまった。


 山路さんがやってきたのは、高橋さんが立ち去ってすぐだった。




「来週の江戸川での練習試合、お前先発だからな」

 帰りの駐車場でそう言い渡されたのは、大会前最後の練習試合の先発。

「ちょっとでいいから、峰岸さんに成長した姿を見せてやってくれよな?」

 山路さんは僕にゲータレードを手渡し、笑顔でそう言った。


 大学の駐車場を出たBMWは、京葉道路を西へ走っていた。


「さっき、学生と話してたろ?」

 二つ目の橋を渡りきったあたりで、山路さんが口を開いた。

 高橋さんのことを言っているのだろう。あの人はいい人だ。ポカリを奢ってくれたし。

「――あんまり相手にするな」


 山路さんの声は、今までに聞いたことのないくらいに冷ややかなものだった。


「え……なんでですか?」

 一瞬、山路さんは僕の方を振り向いたようだったが、また前方に視線をもどした。


「得るものがないってことだ。お前はいま、レベルの高いいい環境・・・・にいる。上だけを見ていればいい。下の連中と付き合うと妥協・・を覚える。いまのお前にとってアイツらとの接触はマイナスこそあれ、プラスになるものはナニもない」


 山路さんの言葉を理解するのに少し時間が掛かった。理解しても納得できるかどうかは別だったけど。

「判ったな?」

「……はい」


 高橋さんの笑顔と、さっき交わしたばかりの約束が脳裏を過ぎったが、見慣れた景色が現れた頃にはすっかり僕の意識から消え去っていた。



***


 江戸川での大会前最後の練習試合を僕は人生初の完封勝利で飾った。

 七回を投げて被安打3、四球1、無失点。文句のないピッチングだった。

 打つ方でも4打数3安打2打点。こちらも文句なしの数字。

 最後のバッターを打ち取ったとき、ベンチで峰岸さんと山路さんが笑顔で握手しているのを見た。それを見て僕もうれしさがこみ上げてきた。

 自分自身が最高の状態で大会に臨めそうな予感に、僕はその自信を更に深めていた。





「とにかくさ、四つ・・勝ちゃあいいんだからよ」

 試合後のミーティングで、藤堂さんは僕らに向かってそう言った。地区大会で四つ勝つ。つまり優勝だ。

「そうだ。藤堂の言うとおり、まずは四つだけ・・・・勝てばいい」

 藤堂さんの言葉を引き取り、峰岸さんが繰り返した。


 ミーティングの最後に背番号が配られた。僕は十三番。一番はもちろん榎田さんだった。


「じゃ、来週は四つ木のグラウンドだからな。間違えんなよ」

 僕らは峰岸さんのかけ声で解散した。




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