【006】 scouting report02 孤高の打者
グラウンドには熱戦の余韻が残っていた。
八対六で辛勝した江東球友クラブの初試合、先発した杉浦は、三回と三分の一を投げて被安打2、四死球7、失点自責点が4、デビュー戦は課題の残る内容だった。
「どうだ?」
峰岸はグラウンド整備をする選手たちを眺めながら、傍らに座る山路に問いかけた。
「まあまあですね。キレなかった、ってとこは評価に値するんじゃないですか」
山路はスコアブックに視線を落としたまま、無精髭の残る顎を軽く撫でた。
「まあ、完成度の低さは予想していたとおりですから別に驚きませんけど……もうちょっと打たれるかと思ってたんですけどね」
荒れ球がよかったんですかね。
山路はベンチ前でクールダウンを続ける杉浦に視線を送りながら、笑みを浮かべて呟いた。
「取りあえず、大会が始まるまでにはもうちょっと何とかしますよ」
山路はそう言うと、スコアブックを閉じて峰岸に差しだした。
「じゃ、任せちゃっていいんだな」
「ええ。お預かりしますよ」
山路の言葉に峰岸は頷いた。
「あ、そうだ。峰岸さん、ちょっと紹介したい方がいるんですが……いま大丈夫ですか?」
その言葉にすこし芝居がかったものを感じながらも、峰岸は敢えて指摘せずに頷いた。
山路が視線を延ばしたグラウンド脇の路上には、一台の濃紺のBMWが停まっていた。その横にはモスグリーンのポロシャツを着た、髪を短く刈り込んだ男が立っている。
「冴島さん!!」
山路が手招きをすると、ポロシャツの男は何かに弾かれたようにグラウンドに向かって歩き出した。
やがて冴島と呼ばれた男が一塁側ベンチにやってきた。峰岸は彼の顔に見覚えがあった。
「紹介します。この方、明桜学園高校の監督で……」
「冴島と申します」
ポロシャツの男は、山路が言い終える前に自ら名乗り、深く頭を下げた。
テレビでみるより若く見える。
峰岸はそんな印象を持った。彼が率いる明桜学園は昨年の夏、西東京を制して甲子園出場を果たしていた。
六十歳をすぎた年齢だと記憶していたが、その精悍な顔つきは四十代の前半といっても通用するかもしれない。ただ間近でみると眉間に刻まれた深い皺が目に付く。人相という意味では損をしているのかもしれない。
「峰岸さん。藤堂と杉浦……ちょっといいですかね?」
山路はそう言うと、峰岸の返答を待つことなく藤堂と杉浦を呼び寄せた。
***
「しかし、藤堂ってのは恐ろしいヤツだな。もしかしたら春川より上かもしれないぞ。現時点でも」
冴島は自チームの四番を引き合いにだし、呆れたように呟いた。
晴海での試合のあと、山路と冴島は横浜市内のファミレスで定期会合を開いていた。
「藤堂に関しては、神山さんも能力を高く買ってましたからね。ただ、前のチームではちょっと浮いちゃってましたから。まあ二年生だったってのもあるかもしれないですけど」
「孤高のスラッガー、だっけか?」
冴島は笑みを浮かべた。
藤堂純一は一部の関係者からそう呼ばれていた。
一年生の入団当初から注目されていた彼は、二年生になったころには三番・サードに定着していた。それは本人の能力にくわえて努力の賜であったのだろうと思われるが、黙々と妥協を許さずに練習に取り組む『彼の姿勢』を煩わしく思う連中がいたのも事実だった。『孤高〜』という呼称には、周りに合わせることを良しとしない『協調性のない彼』を揶揄する意味も込められていた。
「なんとか獲れないもんだろうか?」
冴島は懇願するような視線を山路に向けた。
「さあ。何とも言えませんね。私が知る限りでも、五つ六つ、話が来てるようですしね」
その視線をかわすように、山路は窓の外に目をやった。
山路にしても、藤堂が進路についてどう考えているのかは興味があった。
おそらく藤堂は進路を絞っている、あるいはもう決まっているのかもしれない。そして藤堂の考えは峰岸さんも把握してるだろうし、峰岸さんの性格からすれば、既に先方に伝えているのだろう。そう言う意味では『争奪戦』は終結しているといっていいはずだった。
しかし私学による『藤堂争奪戦』は、水面下では更に激しさを増しているようにみえる。そのあたりが山路にとっても腑に落ちないところだった。
「――ところで」
冴島は煙草をくわえ、テーブルにあった灰皿を引き寄せた。「あのピッチャー悪くないな。杉浦って言ったか?」
「ええ。化けますね」
山路はきっぱりと言い切った。彼には確信めいたものがあった。
「まだカラダも小さいですし、フォームにバラツキがあるんでムラがありますけど……そのうち安定するでしょうし。それに強いですよ。ココもね」
親指で左胸を突いた。
「確かに強気なピッチングだったな。それにしても速球一本槍って、スガスガしいくらいだったな」
冴島は苦笑いを浮かべた。
「いや、アイツはね――――」 山路は表情を崩し、『魔球』のハナシを冴島に聞かせた。
「まあ、それはともかくとして」 山路は真顔に戻った。「二年後は争奪戦にはなりますね。間違いなく――」
冴島は静かに頷いた。
そしてグラスに手を伸ばし、乾きを感じた喉を潤した。