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曳航  作者: 本城千歳
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【005】 デビュー戦

「杉浦、ラストだ」

 投球練習を見守るコーチの声に僕は軽く頷いた。

 キャッチャーは僕から見て左側の高目、つまり左バッターのインハイの辺りに構えている。

 僕は一度目を瞑り、打席に立つ 『あの人』 を強くイメージした。そしてキャッチャーが構えたミットに意識を集中させ、ゆっくりとモーションに入った。


――バシィィ


「OK。ナイスボール。じゃ、今日はここまでだ」

 コーチの山路さんは練習の終わりを告げた。いつもと同じきっかり三十球を投げ終えたところで。

「どした?」

 マウンドに立ったままの僕に、山路さんは怪訝そうな目を向けた。


「え、いや。もうちょっと投げたいんですけど、ダメですか?」

 山路さんは僕の帽子のつばを指で弾き、笑って一蹴した。

「ただ投げてたって意味がねえだろ?」

 返ってきた台詞は僕の想像していた答えと一ミリもずれていなかった。


 山路さんが僕のコーチとして来てくれてから約一ヶ月。練習メニューに『サードに入っての内野ノック』が追加された以外、特別なモノがあるワケじゃない。

 ブルペンでのピッチングもいつもきっかり三十球。それ以上は投げたいといっても「意味がない」といって許してはもらえない。正直言ってフラストレーションは溜まる一方だ。



「そんなに投げ足りないのか?」

 山路さんは口の端に笑みを浮かべてそう言った。


 僕が「はい」と応えると、「じゃあ、なんか変化球って投げられんのか?」と尋ねてきた。

「カーブくらいなら投げられますよ」

「ほー。じゃ、投げてみろ」

 山路さんはそう言って、キャッチャーの方へ歩いていった。


 ちょっとそのバカにされたような言い方にハラがたったのだが顔には一切出さず、吉村のミットに向かってカーブを投げ込んだ。


――スパーン


「お。もう一球!」

 山路さんはすこし驚いたような顔をして、ヒトサシ指を立てた。

 僕は鼻の穴が膨らみそうになるのを必死で堪え、同じように投げ込んだ。


――スパーン


「おっほほ。すげえ。もう一球頼むわ」

 僕は頷き、さっきより気合いを入れて投げ込んだ。


「すげえな。どうやって投げるんだ、この魔球」


 山路さんはマウンドに戻ってくるなり、僕に向かってそう尋ねてきた。僕は鼻の穴が膨らむのをもう抑えることができず、「え〜とですね、マズはこの指をこの縫い目に掛けてですね……」と、握りを見せて説明を始めた。


 僕の説明をにんまりしながら聞いている山路さんの後ろから、キャッチャーの吉村が近づいてきた。


「あのー、今のボールのナニが凄いんでしょうか?」吉村が首を捻りながらそう言った。

「お前、ナニ言ってんの」

「ナニも変化なんかしてねえけどな」

 ナニを言ってるんだ、コイツは。捕ってるクセにわからないくらいのボンクラなのか?


 しばらく僕らのやり取りを満面の笑みを浮かべて聞いていた山路さんが、あいだに割って入るようにして口を開いた。


「いや、だってスゲエだろ。あんなに回転してるのに、ちっとも曲がらないなんて、どうやったら投げられるんだ? そんな球」

 魔球だよ。クルクルボール1号だ。

 山路さんがそう言うと、二人は腹を抱えて笑い出した。……失礼な人たちだ。


「まあ、取りあえずよ、クールダウンして、マウンド均したら俺んとこに来い」

 彼は笑いを堪えるような顔をしたまま、ブルペンをあとにした。





「三日の練習試合、お前先発だから」

「え、僕ですか?」

 山路さんに呼び出された僕は、一緒にいた監督の峰岸さんに四日後の試合の先発を言い渡された。

「フツウに投げればいいからな。まっったく期待してないから」

 峰岸さんは強調するようにそう言った。


「まあ、今度の試合には、あのカーブは使えねえけどな。わはは」

 山路さんはまだ笑い足りないらしい。

「なんだ? カーブって」

 事情を知らない峰岸さんが不思議そうな表情で僕と山路さんの顔を交互に見た。

「ああ、コイツの持ち玉の一つでね――」

 山路さんが嬉しそうに説明を始めた。僕は笑われる前に、頭を下げて足早に退散することにした。

「おい、杉浦ぁ」

 山路さんの呼び止める声に僕が振り返ると、半笑いの彼は、「家でも、ちゃんとやれよな!」と言って、四股を踏む仕草をした……絶対バカにしてるよな。


 何はともあれ、中学に入って最初のゴールデンウィーク。僕のデビューが決まった。



***


“ホントに大丈夫かあ?”

 窓の外からは雨音が聞こえていた。


“最近、ハズしてばっかりだからな、このお姉さん”

 テレビの天気予報では、お姉さんが笑顔で「明日の東京は晴れです!」と言っているが、その笑顔が最近信用できなくなっていた。


 夕方から降り出した雨は、すこし強くなってきたようなカンジがする。

 僕は明日の試合に備えて、いつもより念入りにグローブとスパイクを磨きながら窓の外を気にしていた。

 さっきから五分ごとに窓の外を覗いては溜息を吐いていた。



「そんなに外ばっかり見ててもしょうがねえだろ」

 居間でお茶を飲んでいた父さんがそう言って、僕に向かって何かを放り投げてきた。

「!」

 思わずキャッチした白い塊……それは、てるてる坊主だった……。


「それ、その辺に吊しとけ!」

 そう言った父さんの横顔は満足げだった。



***


 試合当日。

 てるてる坊主のお陰だとは思わないけど、昨夜の雨がウソだったかのように朝からよく晴れていた。


 僕は自慢の愛車チャリに乗って家を出ると、いつものように立ち漕ぎで永代通りを西へ向かい、木場からナナメ左に入った。

 小学校の横を抜けて数百メートル進んだところで、正面から立ち漕ぎして向かってくる小柄な奴を視界に捉えた。同じチームの安藤龍二だった。

 東陽に住んでいる安藤は、僕のように永代通りには出ないで三ツ目通りを突っ切って出てくる。そしてこの水門のトコの交差点で大体かち合う。奴は左折、僕は右折。

 交差点まではあと三十メートルくらい。ここで信号は青に変わった。対向する車道にクルマはない。僕は車道にはみ出し、交差点進入と同時にチャリを右に大きく倒した。

“――よっしゃ!!”

 ここの交差点では僕が『先頭』を取った。ここからが勝負だ。商業高校の横を通って、晴海通りに出るまで。それが僕らのルールだ。

 晴海通りに出るとトラックが多くて危ないから、一列に並んで走ることにしている。以前グラウンドまで競争してて峰岸さんに見つかり、スゴく怒られた。

 


***


「おお、お前ら早いな」

 峰岸さんは既にグラウンドに到着していた。いつものように車だった。助手席には麻柚が乗っている。


 にこやかに近づいてきた峰岸さんが、突然僕らに『げんこつ』を喰らわせた。

「いてっ」「いてっ」

 不意打ちだ。


「お前らはチャリンコで飛ばすな、とあれほどいっただろ!」

 ったく怪我したらどうすんだよ、そう言いながら僕らに背を向け歩いて行ってしまった。


「アハハハハ、バーカ! なに必死こいて走っちゃってんの!」

 麻柚がこっちを指さし大笑いしている。僕と安藤は無視することにした。



「通算四勝二敗な?」

 ちなみに今日は僕の勝ちだった。

「右折のが有利なんじゃねえか?」

 安藤は負け惜しみを言っている。

「なに言っちゃってんの? 俺のハングオン、見ただろ」

 僕は胸を張った。そうこうしているうちにみんな集まってきた。




「杉浦あ! 吉村あ!」

 声に振り向くと、山路さんが僕と吉村を手招きしている。

「はい」

 僕らは走りより、帽子を取った。


「今日の相手は強いからな」

「はい!」


 相手は去年、都大会で準優勝したチームだ。もちろんその時の三年生は卒業してしまっているけど。


「今日は真っ直ぐ一本でいい。どうせあのカーブじゃ使えないしな」

 山路さんはニヤリとした。でもすぐに真剣な顔に戻った。


「とにかく。打たれてもいいから思い切って投げろ。ストライクが入らなくても思い切って投げろ。いいな」

「はい!」


 

 

 試合前のブルペン。なるべくいつもと同じようにしようと思った。ボールの走りは悪くないカンジ。ただ、どこかバランスが悪いような。

「そろそろ集合だな」

 黙って僕の投球を見守っていた山路さんがベンチを指さし、呟いた。


「いよいよ初試合だ。相手はまあまあ強いけど絶対に勝つぞ。負けていい試合なんかないんだからな。じゃ、スタメン発表するぞ。一番……」

 峰岸さんがスタメンを発表する声も、僕はどこか上の空で聞いていた。



「キンチョーしてんの?」

 吉村が話しかけてきた。多分ガッチガチの表情だったのだろう。

「いや平気」

「お前、ゼンゼン平気には見えねえよ」

 ショートの岡崎が笑顔で声を掛けてきた。

「でも今日は俺ナンカみんなが初めての試合なんだからよ。一人だけキンチョーしてんなよな」


 岡崎は噂通りの選手だった。でも守備の上手さでは、安藤の方が上だと僕は見ている。安藤はショートからセカンドにコンバートをしたが、見た感じでは不安は全くない。他のチームは見たことないから何とも言えないけど、おそらく……

「何ブツブツ言ってんだよ!」

 安藤がカンチョーをしてきた……。緊張感がまったくないのもコイツのいいところなのかもしれない。


「よお、杉浦」

 突然肩を組まれた。藤堂さんだった。

「結構、いい仲間に恵まれたと思わねえ?」

 確かにそうだった。さっきまでの緊張感が薄くなったような気がする。


「べつに打たれたって死にゃあしねえんだからよ。でもヤラれたらヤリ返せよ。な」

「はい!」

 僕は藤堂さんの不思議な説得力に、背中を後押しされる感覚を覚えていた。




 僕らの『硬式デビュー』。

 試合前の挨拶とともに後攻の僕らはグラウンドに散った。贅沢を言わえてもらえるなら先攻にして欲しかった。最初にマウンドに登るのは緊張するからだ。

 

 マウンドからの景色は今までと変わったところはない。ただ、いつもならあんなに近くに見える吉村が、今日は少しだけ遠くに見える。



 先頭バッターが打席に入り、試合が始まった。


“よし、思い切っていこう”


 僕はハラを決めた。吉村がさっきより少しだけ近くに見えるようになった。


 初球。渾身の力を込めたストレート。

 ほぼど真ん中のボールをバッターは悠然と見送った。吉村は頷いて返球し、今度はややインコース寄りに構えた。


“いいのか? 当たっちゃってもしらねえよ”


 僕は細かいコントロールには自信がない。試合で使えるレベルの変化球も持ち合わせていない。だから今の僕にできるのは、キャッチャーが構えた辺り・・・・・に思い切って速い球を投げ込むだけだ。



***


「OKOK。気にすんな!」

 声を掛けてくれたのが誰だか判らないほどマウンド上の僕はもがいていた。


 初回、先頭バッターは三振に打ち取った。

 しかしその後、連続四球で一、二塁のピンチ。次の四番の強烈な当たりを安藤が好捕し、四―六―三の併殺に討ち取り何とか無失点で切り抜けた。


 二回も一死から、連続四球とヒットであっさり失点。この回もサード藤堂さんの好守備に救われ、何とか一失点で凌いだ。


 三回は三者凡退だったものの四回、連続四球で押し出し、その後ヒットと犠牲フライで三失点――

 ここで投手の交代を告げられた。三回と三分の一で四失点。見事なKOだった。


「下を向くなよ」 

 マウンドを降りる僕に藤堂さんが声を掛けてくれた。


 僕は悔しさと恥ずかしさで逃げ出したくなった。だけど仲間たちは僕が壊した試合を投げ出すことはしなかった。


 結局、僕のほろ苦いデビュー戦は八対六で逆転勝利した。


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