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曳航  作者: 本城千歳
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【004】 scouting report01 野球偏差値

 その日は朝からよく晴れていた。日曜日と言うこともあり都内に向かう道は思ったより空いている。


“予定より早く着きそうだな”

 山路洋一やまじよういちはコンソールボックスからタバコを取りだし、くわえて火を点けた。



 首都高速を下り、勝どき橋を渡ったところで左にウインカーを出し、路肩にクルマを寄せた。そしてハザードランプを点けて、ギヤをパーキングに入れた。


“あんまり早く着きすぎてもな……”

 山路は窓ガラスを薄く開け、その隙間に向かって煙草の煙を吐きだした。


“これでも結構、忙しい身なんだがな”

 山路はため息を吐いた。

 先週、大学時代の野球部の先輩から連絡があった。先輩は中学生の硬式野球チームの監督をやってるという。

「見て欲しいヤツがいるんだが」

 先輩は有無を言わせず、日時を指定してきた。


 山路はもう一度ため息を吐いた。

 彼はフリーのピッチングコーチとして、アマチュア球界では名の知られた存在だった。彼の教え子のなかには、プロに進んだ者も数人いる。しかし……

 学生時代の先輩後輩の立場は、歳を重ねても逆転することはない。しかも電話をくれたのは一年上の代の主将で、当時『鬼の正一』と怖れられた先輩。断ったらナニをされるか判らない。だから渋々ながらも指定された場所に向かっている。

 約束より早く着いてしまいそうな今、こうして時間を調整しているのはせめてもの『抵抗』のつもりでもあった。

「――さて」

 彼はクルマの時計と左手に嵌めた腕時計を見比べた。どちらも午前十時前後を指している。

「そろそろいってみるか」

 自らに言いきかせるようにそう呟いてから、ギヤをドライブに入れ、サイドブレーキを下ろした。




 江東区晴海。晴海第二グラウンド。


 グラウンド脇の路上にクルマを停め、外に出る。

 車内にいたときには気付かなかったが、外は意外と寒かった。春とはいえまだ三月。しかもココには海から吹く風をさえぎるものがなにもない。山路はクルマに戻り、後部座席からコートを無造作に引っ張り出し、それを羽織った。


 グラウンドではシートノックが行われていた。ノックをしていた男が山路に気付いたようで、振り返り軽く手を挙げ「いまそっちに行く」というようなジェスチャーをした。


 やがてやってきた男は満面の笑みを湛えて、山路を迎えた。


「遅かったな」

「すみません。東央大から練習メニューの作成を頼まれてたもんですから……」

 山路は適当な言い訳を口にして「忙しさ」をアピールしたが、男はまったく意に介さないようだった。


「一応、あらためて挨拶しておくな」

 峰岸正一みねぎししょういちは、ユニホームのポケットから取りだした名刺を山路に差し出した。


「あれ。チーム名、変わったんですね」

 もらった名刺には江東球友クラブと書いてある。山路が記憶していた名前とは違うものだった。

「新しく作ったんだよ」

 峰岸は笑みを浮かべていた。山路はその笑顔に、自分の知る大学時代の彼とのギャップを感じていた。


 グラウンドでは相変わらずシートノックが行われている……ん?

 山路の視線がノックバットを握る男に留まった。


“なんでアイツがいるんだ?……え、もしかして”


「峰岸さん。まさか……引っ張ってきちゃったんですか?!」

 山路はノックバットを手にした藤堂純一を指さした。


「おお。気付いたか」

 峰岸は悪びれる様子もなく、のんびりとした口調でそういった。

「気付きますよ! それより神山さん怒ったんじゃないですか?」

神山あのヤロウが怒ったって関係ない。あんなとこにいても才能の芽を摘んじまうだけだ。それに藤堂だけじゃない。榎田も連れてきた」

 神山の名前を出したとたん、峰岸の口調は一変した。


“ホントかよ。四番候補とエースを引き抜いちまいやがった”


 神山は、このあいだまで峰岸が監督やってたチームの代表だった。

 もともと彼らのソリが合わないということは、関係者であれば誰もが知っていた。逆に言えば、いままで一緒にやってたのが不思議なくらいだったのだ。


“そう言う意味では考えられない話ではないよな?”

 山路は自らを納得させるように頷いた。



「そんなことより、あれ見てみろ。岡崎だ。知ってるだろ?」

 峰岸はノックが続いている内野を指さした。


「ほぉ。あれが岡崎ですか。見るのは初めてです」


 岡崎準基。去年リトルの全国大会で優勝したチームの主将で四番。東日本ナンバーワンのショートストップだと評判の選手だ。その隣には藤堂の弟の姿も見える。


「へえ。一年目にしちゃ、いいメンツを揃えましたね。……でも、たしか榎田は――」

「だから今日、お前にわざわざ来てもらった」

 山路の言葉を遮るように、峰岸の言葉が重なった。

代わり・・・になりそうってことですか」

「ああ。なにしろ藤堂のイチオシだからな」

 峰岸は自信ありげにそう言うと、ブルペンに向かって歩き出した。



 峰岸に付いてブルペンに向かうと、既に投球練習が始まっていた。

 キャッチャーの後ろに緑色の防護ネットを張り巡らせただけの粗末なブルペン。こんもりとしたマウンドが二つあり、その左側のマウンドに黙々と投げ込みをする投手の姿があった。



「彼、ですか?」

 ネット裏に立った山路は、峰岸に向かって尋ねた。

「ああ。アレがウチのエース候補だ」

 峰岸はそう言って、ユニホームのポケットから折りたたんだレポート用紙の切れ端を取りだし、山路に差しだした。

 山路が受け取ったレポート用紙を広げると、上の方には「杉浦 優」と書かれていた。あらかじめ峰岸に用意しておいてもらった選手のデータだった。


「なるほどね……」

 山路は腕を軽く組み、右手で顎の辺りを撫でながら呟いた。

 彼は困惑していた。もともとここに来るまで全く期待もしていなかった。だが、藤堂が目を付けたほどの投手だと聞いて少しの期待感をもってブルペンに足を運んでみたのだが……“身長一四〇センチって、ちょっと小さいだろ”


「え〜と。軟式あがりなんですね?」

「ああ。硬球を握り始めたのは、ココ一週間くらいだな」

 峰岸の呑気なひと言に微かな苛立ちを覚えながらも、黙々と投球を続ける少年に視線を向けた。


“まあ、なかなか速い球を投げてるようだがな……”


「いま、どのくらい投げてるんです?」

 山路は峰岸に耳打ちするように尋ねると、峰岸はキャッチャーに声をかけた。

「吉村、いま何球目?」

「え〜と。七十球を超えたくらいです」

「だそうだ」


“ふ〜ん。球数のワリには……”

 

「なあ。ちょっと高目にかまえてみてくれないか?」

 山路が声をかけると、キャッチャーは中腰になってミットを構えた。




 しばらく投球を見守っていた山路が口を開いた。


「ちょっと……いいですかね?」 峰岸の方を振り返り、マウンドを指さした。

「ああ。頼むわ」

 山路は峰岸の返事を聞く前にマウンドに向かって歩き出していた。



「杉浦君」

「はい」

 マウンドで向き合った杉浦は、山路が思っていた以上に小柄に見えた。

「なかなか面白い球投げるな。じゃあ、ここからはフォームを注意しながら投げてみようか」

 山路は投球フォームをジェスチャーで示した。

 杉浦は山路の言葉に頷くと、ややぎこちない仕草で投球モーションに入った。


――バシィ


「OK。それでいい。そんな感じ」

 山路は大きく頷いた。

「今のカンジを忘れずに、キャッチボールの時から常に意識して、な? じゃあ、あと十球くらい投げたら、今日は終わりにしときな」

 山路はそう言って、帽子を取って頭を下げる杉浦を残し、ブルペンをあとにした。



「どうだ?」

 ブルペンをはなれた山路に峰岸が歩み寄った。


「粗すぎますね。地肩の強さだけで投げてるカンジですね」

 山路は手にしていたノートを閉じ、腕を組んでそう言った。


「ま、それでも呑み込みは悪くないようですし……偏差値的にはギリギリの合格ってところですかね」

 山路は腕を組んだ姿勢のまま、ブルペンでクールダウンしている杉浦の方を振り返った。

「俺が見てきたなかでは、誰よりも見劣りする体格ですよ。でも……可能性を感じたってのも事実です」

「じゃ、見てやってくれるか?」

「ええ。取りあえず一ヶ月。投手としての適性を見てみたいってのもありますし」

 あんまり期待しないでくださいね。

 山路はそう言って、シートノックをしているグラウンドに視線を向けた。


「……その子が持ってる能力を引き出す手伝い。俺にできるのはそれだけです。だから俺が相手にするのは才能のあるヤツだけです」


 山路は独り言のように呟くと、峰岸に向かって軽く笑みを浮かべた。


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