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曳航  作者: 本城千歳
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【028】 休息

 三位に終わった夏の大会のあと、僕は岡崎に主将の座を譲った。

 押しつけたワケじゃなく、みんなで話し合って決めた結論……つまりチームの総意だ。 だからといってハズされたってわけでもない。 はじめに言い出したのは紛れもなく僕だから。 

 チームをまとめるチカラが僕にはないってことに気が付いてしまった、というのも理由のひとつではあったが、本音を言えば自分の練習に集中したい、自分がチカラを付ける為だけに時間を使いたい、と思ったから。 つまり僕の限られた時間は僕の為だけに使いたかったのだ。


 岡崎新主将のもとで再出発をした秋の新人戦。

 江東球友クラブは優勝を果たしたが、僕は一試合しか登板しなかった。 出場したのもその一試合だけ。

 小学生の時に野球を始めた頃からにチームの中心にいて、投げないときには野手として打線の中軸を担っていた僕にとって、ベンチから見る野球は不思議な感覚があった。

 僕が出ていなくても試合は始まり、僕がよそ見をしている間にも試合はどんどん動いていく。 そんな当たり前のことにイマサラながら気付かされてしまった。

 秋の新人戦終了後、僕は峰岸さんに呼び出され『ちょっと遅い夏休み』を言い渡された。 まあ、半ば強制的に、だ。

  

 というわけで、せっかく休みになったこの週末、僕は神奈川県藤沢市にある母方の実家に来ていた。

 ここに来るのは本当に久しぶり。 小学生の頃は年に何度か来ていたのだが、中学に入ってからは初めて。 まあ、ココんところずっと『野球漬け』だったからね――。 



***


 午後から、鶴ヶ岡八幡宮に行くわよ――

 テレビの天気予報に見入っていた母が言った。

 僕は新聞に目を落としたまま聞こえないふりをしていた。 タマの休みだってのにテンションの高い母親に付き合ってなんかいられない。 

 しかし……僕に拒否権は与えられていないようで、午後二時を過ぎた頃には爺ちゃん婆ちゃんと四人並んで江ノ電に揺られていた。


 江ノ電の車内は空いていた。

 爺ちゃん婆ちゃんと母は座席に着くなり睡眠の体制に入った。

 僕も帽子を目深に被り直し、何度か睡眠を試みてみるが上手くいかなかった。 目が冴えているってことはないが何となく眠れない。 多分僕は父に似たんだろうな、と思う。 仕方なく車内を見渡す。

 藤沢から乗車した車内の顔ぶれは、電車が住宅地を抜けるあいだ殆ど変わっていない。 乗ってくる人もいなけりゃ、下りる人も殆どいなかった。 しかし海に近づいてきたあたりから乗客の入れ替えが活発になって、同時に乗客の年齢層もだんだん下がってきたみたいだ。 

 しばらくして電車が海沿いの駅で停車した。 七里ヶ浜駅だった。

 ドアが開くと同時に二人組の女の子が乗車してきた。 彼女たちは、僕の斜向かいの席に座った。

 僕は気付かれないように帽子のつばを下げ、彼女たちの様子を窺った。 

 二人とも派手な色合いのシャツを着ている。 僕と同じか少し年上くらいなんだろうが、ダイブ大人びているようにも見える。

 片方はどこにでもいそうな顔だったが、もう一人の方はきれいな娘だった。 背が高く、海には不釣り合いなくらいに色白で――   

 ふいにその娘と目が合った。

 彼女は微笑んでいたような気もするが、僕は平静を装って視線を逸らした。 盗み見していることはもうバレちゃってるんだろうけど、そうせずにはいられなかった。

 視線の行き先を失くした僕は窓の外を振り返った。 目に飛び込んできたのは、一面の『青』だった。


 国道134号線と並行して走る窓の外には真っ青な海が広がっていた。

 晴れ渡った湘南の海は、水平線までくっきりと見えている。

 海なんてそれほど珍しいものではなかったが、目の前に広がる海は僕の知っているソレとは違うものだった。 江東の海とは明らかに何かが違うその青い景色に、僕はすっかり目を奪われてしまっていた。

 やがて画面が切り替わるように古びた住宅が現れると、間もなく電車は停車した。 稲村ヶ崎駅だった。

 扉が開き、同時に車内に紛れ込む微かな潮の香り……何かに誘われるように僕は席を立った。

「俺……ココで下りるわ」 

 微睡んでいた母が顔を上げた。

「海に行ってくんわ」

 僕は窓の外を指さすと、何かを言いかけた母を無視して、逃れるように閉まりかけたドアをすり抜けた。



 改札を抜けて踏切を渡ると、突き当たりにあるコンビニに立ち寄った。

 コンビニの店内は冷房がやや強めだった。 僕はジーンズのポケットに手を突っ込んで小銭を探り、帰りの電車賃の計算をしながら清涼飲料水の陳列棚に向かった。 ポカリと迷ったが、コーラをチョイスすると会計を済ませ、海へと急ぐ。 

 海を隔てた国道に辿り着くと歩行者信号が点滅しはじめていた。 僕は慌てて駆けだし、大股で国道を横切った。


 九月の海。

 まだ暑さが残るシーズンオフの海岸は人の姿も疎らだった。

 ヒトツキ前には海水浴客でごった返していたのだろうが、今ではちょっと想像しにくい。

 ただ目の前に広がる海と狭い砂浜が、喉の渇きをいっそう呷っているようだった。

「ふぅ……」

 海に視線を伸ばしながら意味もなく一つ息を吐いた。

 堤防の上の砂を払ってから腰をおろすと、いま買ってきたばかりのコーラのプルタブを開ける。 プシュッという炭酸の吹き出す音に急きたてられるように冷たい缶に口を付けた。 



***


 足をぶらつかせながら、ぼーっと海を眺める。

 海風が心地いい。

 飲みかけの缶を堤防の上に置くと、反動を付けて砂浜に飛び降りた。

 そして打ち寄せる波に誘われるように、ゆっくりと波打ち際に向かって歩き出した。


 海は穏やかだった。

 波打ち際に立ち、海を見渡し、潮の香りを大きく吸い込む。

 それにしても海って大きい。

 最近、なんか精神的に凹むことが多かったような気がするから、こういう何にもない景色を目にするとちょっとだけほっとする。 ん? 何にもない……? 誰もいない……? 

 横目で周囲を見渡した。

 人がいないのを確認すると、大きく息を吸い込んだ。


「―――――――!!! ―――――――!!!」


 海に向かって大声で叫んだ。

 ありったけの声量で。 血管がはち切れんばかりに。

 そしてもう一度大きく息を吸い込んでから、叫んだ。  

 今度はハラ・・に溜まった不満の全てを、思いつく限りの罵詈雑言きたないことばを。



 はぁ。 ……なんかスッキリした。

 妙に充たされた気分になった。

 大声を出したことで、沈んでた気持ちが少しだけ軽くなったような気がした。

 しかし久しぶりに大声を出したからノドの調子がおかしい。 渇きに似たイガラっぽさっていうか――   

 ふと飲みかけのコーラの存在を思い出した。 

“そういえばまだ半分以上は残ってたハズ……”

 僕は堤防に戻ろうとイキオイよく後ろを振り返る――

「……!!」

 僕は息を呑んだ。


 背後には小さな女の子が立っていた。  

 小学生くらいだろうか?

 やや茶色がかった肩まである髪の毛とほっそりとした肩。 前髪の隙間から覗く黒目がちな瞳には、明らかに怯え・・のいろが浮かんでいる。

 いつからそこにいたのか気が付かなかったが、多分、急に振り返ったので彼女を驚かせてしまったのだろう。 もっともビックリしたのはコッチも同じだが。


 僕は取り繕うように咄嗟に笑顔を作った。

 しかし彼女は僕の笑顔がお気に召さないようで、少しの間をおいて眉根を寄せた。

 今度はヘンな顔をして見せたが、彼女の眉間の皺は更に深くなったようなカンジがした。 


 僕はため息を吐いた。

 考えてみれば、別に僕がナニかをしたってワケじゃない。 ヒトの背後に黙って立ってたこの娘が悪いのだ。

 それなのに……見も知らないガキのご機嫌を取っている自分に腹立たしさすら覚える。

 まったくバカバカしい。 僕は彼女から視線を外すと、そのままナニもなかったかのように堤防に向かって歩き始めた。


 堤防に辿り着き、飛び乗るようにして腰掛ける。

 汗をかいた缶を手に取り、海に視線を戻す。 

 さっきの娘はまだ波打ち際のあたりに佇んでいる。 独りであんなトコロで何をしてるのか、気にならないわけではなかったが僕には関係がない。

 僕は気の抜けたコーラを口に含むと、喉を労るようにゆっくりと流し込んだ。

 

 海風が頬を優しく撫でる。

 ふと、微かな眠気を感じて目を閉じた。

 遠くに聞こえる波の音が耳に心地いい。

 僕は帽子を目深に被り直すと、そのまま堤防の上に寝ころんだ。

 


***


 しばらくして妙な気配を感じた。


 僕は帽子のつばを上げ、辺りを窺う――

「……おおっ! なんだよ!」

 思わず声を上げてしまった。

 さっきの娘が僕を覗き込むように立っていたのだ。

 その瞳は好奇心と猜疑心が交じったような……少なくともさっきまでの怯えはもう感じられない。


「ナニ……?」

 寝ころんだまま彼女を一瞥し呟いた。

 彼女は何も応えなかった。 ただ水色のワンピースの裾をひらひらと揺らしている。

「俺にナンか用かな?」

 もう一度尋ねても相変わらず彼女は何も応えない。 ただジッと僕の様子を観察・・している。 ちょっと不気味だ。 


 その後も彼女は僕の問いに答えることはなかった。 そもそも僕と話をするつもりはないのかもしれない。 じゃあナニしに来た? 睡眠を妨げる為か?


 僕は大きくため息を吐いた。 

 微かな苛立ちをおぼえたが、それを隠して立ち上がると砂浜に飛び降りて大きくノビをした。

 そして徐に足元の石を拾い上げると、軽く助走をつけて誰もいない海に向かって放り投げた。 石はそのまま波間へと吸い込まれていった。


スゴっ……!」

 彼女が声を上げた。

 僕が振り返ると、彼女は呆けたように口を開けていた。

「なんだよ……。 喋れんじゃん」 

 その邪気のない表情に僕は可笑しくなった。 同時に少しだけ優しい気持ちになった。 

「野球やっててよ、俺。 あ……知ってるか? 野球って」

 彼女は一拍おいてから頷いた。 でも目が泳いでたな、一瞬。


 それからしばらく僕らは話をした。 と言っても一方的に僕が喋っているだけだったが。

 内容といえば野球の話、それから……野球の話。野球の話、野球の話……。

 考えてみれば僕には野球以外に話題がなかった。 本当に野球漬けの生活を送っているんだなとあらためて思う。

 彼女はと言えば、相槌を打つこともなく耳を傾けている。

 だからジッサイには聞いているのかどうかさえあやしいモンだったが。

 それでもよかった。

 僕が話を続けていたのは、誰かに話を聞いてもらいたかったというより、自分が話したかっただけなんだと思う。

 普段は口にすることも躊躇うような大層な夢も、通りすがりの彼女になら臆面もなく話せた。 「アイツあんなハズカしいこと言ってたよ」とか言われる心配もないし。 

 とは言え、ちょっと喋りすぎたカンジもするな。    

 僕は大げさな仕草で時計を覗き込んだ。 



***


 国道134号線を渡って駅へと向かう道。

 なぜか彼女はずっと僕の後ろをついてきていた。

「このヘンなのか? 家は」

 振り返って尋ねる。 彼女はコクンと頷いた。  


 駅に着いても、彼女は僕の後ろをついてきていた。

 踏切を渡ったところで彼女を振り返り「俺、ここから電車なんだけど」と言った。 すると彼女は僕の後ろに続く道の先を指さした。

「そっか。 お前んちはこの先か?」

 彼女は小さく頷いた。

「じゃあ、……気を付けて帰れよ」

 彼女は何も応えなかった。

 無言で僕を見つめている……いや、僕の帽子を見ているみたいだ。


「コレ……か?」

 僕は帽子を手に取った。

 このあいだのアメリカ遠征で買ってきた野球帽。 ドコのチームのものかはよく知らないが、緑と黄色の鮮やかさに惹かれて選んだものだった。 

「ほれ」

 彼女に帽子を被せてやった。

「おお〜。 なかなか似合うじゃんよ〜」

 僕がそう言うと、彼女は少しハニカミながら微笑んだ。

 思ったより似合っていた。

 というより……よく見ると、彼女はとても可愛らしい娘だった。 最初に感じた不気味さはなんだったんだろうと不思議になるほど、いま僕の目の前にいる娘は可愛い表情をしている。

 彼女は余程帽子が気に入ったのか、駅の対面にある店のガラスに映る自分の姿を覗き込んだりしている。 僕はといえば電車を待つあいだ、そんな彼女を黙って見守っていた。


 やがて踏切の警報機がけたたましい音を立て、遮断機が下りはじめた。 僕が乗る電車がもうすぐ駅に着く。

 

「じゃ、マジでそろそろ行くからよ」

 僕は彼女に被せた帽子に手を伸ばした。 すると彼女は咄嗟に帽子を手で押さえた。

「え?」 

 一瞬の沈黙が流れた。 


 僕は帽子のつばを摘んだまま尋ねた。

「……欲しいのか? コレ」

 彼女は大きくハッキリと頷いた。

“ マジかよ……。 ケッコウ気に入ってんだけど…… ”

 僕は後ろを振り返った。

 電車は駅に近づいていた。 もうあまり時間の余裕はない。

 もう一度、彼女の顔を窺ってみる。

 そこにあったのは、貰えるモンだと疑っていないであろう笑顔だった。

 僕は諦めに似た溜息を吐き、摘んでいた帽子のつばから手を離した。

「わかった。 いいよ。 ソレお前にやるよ。 そのうちプレミア・・・・がつくかも知れねえから大事にしろよな?」

 僕はポンポンと頭を敲いた。

「……ありがと」

 今日耳にした二度目の声と、初めて見せてくれた笑顔。

 僕らは手を振って別れた。

 電車に飛び乗ってからも僕はなんだか不思議と幸せな気分に包まれていた。 帽子は惜しかったが、なんかちょっといいコトしたみたいな気分に浸っていた。



***


「まったくアンタって子は――」

 母は顔を合わせるなり僕を罵る言葉を並べた。

 まあ稲村ヶ崎の駅で突然『途中下車の旅』をキメちゃったんだから多少のお小言は致し方ない。


「どこに行ってたの?!」

「だから、海だっつの」

 僕は目はテレビに釘付けのまま、投げやりなカンジに応えた。

 母はその後もしばらく僕の後ろに立ったままナニかを言っていたが、やがて諦めたように溜息を吐くと何処かに立ち去った。


 テレビではプロ野球の中継が途中で終わろうとしていた。

 八回まで進んで、僕が贔屓にしてるチームが六対ニでリードしている。 尚も追加点のチャンスで、クリーンアップを迎えるところだ。

 かつて僕が夢中になって追いかけていた選手は、そこにはもういない。


 だけど……彼がいた頃と何も変わらずに試合は始まり、シーズンはずっとずっと続いていく。

 


 

 


 

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