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曳航  作者: 本城千歳
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【001】 夢を失くした日

「杉浦。お前、将来プロ野球選手になりたいんだって? お前ならもしかしたらなれるかもしれないな」

 小学校の卒業を控えた二月の終わり頃、担任の先生が呑気な声で僕に向かってそう言った。多分、卒業アルバムの原稿を見たんだろう。


 僕には憧れのプロ野球選手がいた。

 その選手のプロ一年目のデビュー戦。当時小学二年生だった僕は父に連れられ球場に足を運び、『生』で彼の活躍を目にした。

 カクテル光線に照らされたグラウンドの上でプレーする選手たちは輝いて見えた。そのなかでも彼の存在感は群を抜いていた。

 五回にまわってきた彼の第二打席、彼の放った打球が一塁側の観客席で見ていた僕の目の前を通過していった。弾丸ライナーはそのままライトスタンド中段に突き刺さった。逆転ツーラン。

 衝撃的だった。

 ダイヤモンドを悠然とそして何処か誇らしげに回る彼の姿に、僕はすっかり魅了されてしまったのだ。

 次の日、僕は近所の少年野球チームに入った。彼といつか勝負する為、いつか必ず彼から三振を奪うことを夢見て。だから僕が野球を始めたのは彼のお陰だといえる。

 彼は僕の憧れであり、また目標でもあったんだ。


 僕の単純明快なは順調に膨らんでいった。五年生の終わり頃には、近所の小学生で僕の球を打てるヤツはいなくなっていた。だけど僕はそれに満足してはいなかった。僕の目標はもっと高いところにあったから。


 ところが一昨年のシーズン途中、彼は試合中に大怪我を負った。大丈夫かなとは思ったがそれほど深刻には考えていなかった。昨年はシーズンを棒に振ったが、リハビリに励んでいると新聞に書いてあったし、僕と対戦できるのは早くてもあと六年くらいあと。ゆっくり治してもらっても全然構わない。

 しかし昨シーズンの終了後、つまり数ヶ月前――僕は耳を疑った。彼は突然、引退してしまったのだ。

 彼は会見で涙を浮かべていた。グラウンドで見せてくれた輝きはそこにはもう感じられなかった。「泣きたいのはコッチの方だ」 僕は本当にそう思った。

 彼はその会見を最後に表舞台から姿を消した。そして……僕は夢と目標を同時になくしてしまった。


 卒業アルバムに書いた僕の夢。あれを書いたのは十月頃だった。その頃は間違いなく、プロ野球の選手になりたかった。でも今は微妙。それは目標としていたものがなくなってしまったから。




 あの人と出会ったのはそんな頃だった。

卒業間近の二月の終わり。冷たい風の吹く午後だった。



***


杉浦優スギウラマサルって、お前だろ?」

「はあ。そうですけど」

 誰かが声をかけてきた。でも僕は顔を上げなかった。忙しくて上げられなかったともいうけど。

 僕は近所の駄菓子屋のゲームコーナーで『ギャラクシアン』をやっていた。今日は最高点が狙えそうなくらい調子が良かったのだ。

 声をかけてきたその人は、僕の正面のイスに腰を下ろし、ゲーム台を覗き込んできた。

 僕は視界に入った彼をチラッと見た。その瞬間、僕の心臓は跳ね上がった。

 正面に座った男はカラダのでかい男だった。僕は「ヤバイ」と思った。そして一機死んだ。


 大男は笑顔で僕を見下ろして言った。

「そんなにビビんなよ。俺は藤堂亮の兄貴だ」

「え……トウドウアキラ? ……ああ」

 僕は藤堂亮の顔を思い浮かべた。五年のときに転校してきたヤツだ。話をしたことはあるけど、とくべつ仲がいいわけじゃない。確かアイツも野球をやっていた。僕とは違うチームで。前に「お前のところと試合したことねえよな」って言ったら、「俺んとこはコウシキだからよ」といわれた。何のことだかさっぱりわからん。


「お前、なかなかいい球投げるな」

「え。さあ、どうですかね」

 僕は目一杯、愛想なく答えた。知り合いの兄貴だとわかったら、何となくムカついたのだ。ほっとしたってこともあるけど。


「なあ。中学に入ったら、ウチにこいよ」

 彼は突然ゲーム台に手をついて、画面に覆い被さるように身を乗り出してきた。

「ちょ、ちょーっ!」

 僕が声を上げるもむなしく、敵の体当たりを避けきれなかった。残り一機。


“ちょっと勘弁してよ。さっきから邪魔ばっかりしてよ“


 僕は思いっきり恨めしげな視線を向けたが、彼はまったく意に介さないようで、相変わらず笑みを浮かべている。暫く目があったままだった。

“どこかで会ったことがあるような……ま、気のせいだな”

「あ」

 画面に目を戻したとき、ちょうど最後の一機が爆発するところだった。


――GAME OVER

僕はため息を吐いた。


“最高点クリアが目前だったのに……”


 少し悲しい気持ちになった。それなのに……この人はさっきから上機嫌で話を続けている。「ウチは硬式だからよ。早めに慣れておいた方がいいぞ」

 誰も聞いていないのに。でもこの人も『コウシキ』だとかなんとか言っている。


「あの……コウシキってなんですか?」

「なんだよ。硬式もわかんねえのかよ」

 彼はそう言うと、床に置いていたバッグからグローブを取りだした。そしてグローブに挟まっていた『ボール』を僕に手渡し、言った。

「それが硬球。プロとかが使ってるのもそんなカンジのヤツ。高校野球なんかも、な」

 僕は初めて触れる『硬球』に興味が湧いた。僕らが使ってる軟球とは手触りからして明らかにちがう。僕は縫い目にそっと指を掛けてみた。

「中学校の野球部じゃ、軟式だからな。ウエ・・でやるつもりだったら早めに慣れておいた方が絶対にいいぞ――」


 『上でやる』その言葉を聞いたとき、僕の中で硬球に対する興味が急速に薄れてゆくカンジがした。いまの僕は野球を続けるかどうかも決まっていない。中学に行ったらバスケでもやろうかな、と考えることもあったし。

 どっちにしても中学のことは中学にはいってから考えようと決めていた。というより今はなんにも考えたくない。


「野球、もうやんないかもしれないので」

 彼にアタマを下げ、丁寧にボールを手渡すと、そのまま駄菓子屋を飛び出した。

 途中で振り返ったが、彼が追いかけてこなかったのは意外だった。あの時、取り残された彼がどんな顔をしていたのか僕にはわからない。


ただ僕は彼の目を直視することが出来なかった。何かを見透かされているようで怖かったのだ。



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