【017】 in sandiego
海風の吹く国境の街。
僕らはアメリカ・サンディエゴにやってきた。
街の中心地から南へ約二十キロ。
試合会場となるココには、スタンドなどはなかったが、背中合わせに四面くらいとれそうな広大なグラウンドだった。
この大会にはアメリカから二チームとメキシコ、カナダ、あとは舌を噛みそうな名前の国がいくつか参加していた。
明日からここで熱戦を繰り広げるというわけだ。
世界大会に派遣される選抜チームには、江東球友クラブから三人が選ばれていた。 藤堂さんと僕、そして安藤だ。 なぜか榎田さんは選ばれなかった。
そのことを藤堂さんに尋ねても、あいまいな答えしか返ってこなかった。
一年生ではもうひとり、川内霧島クラブの用田が選ばれていた。
夏の全国大会決勝。
一点を争う投手戦は、終盤の集中打で好投手・用田を攻略した僕らが六対〇で完勝した。
僕ら江東球友クラブは初出場で初優勝を決めた。
試合終了後、歓喜を爆発させた僕らは、閉会式の間も笑顔が絶えることはなかった。
ただ僕は、帽子を目深に被り、しゃくり上げるようにして嗚咽を漏らす用田の姿が目に焼き付いて離れなかった。
しかし、決勝戦から二週間が経ち、用田はすっかり元のふてぶてしさを取り戻していた。
なんだか判らないが、僕をピッタリとマークしているようで、振り返るといつも僕を見下ろすように立っている……少しコワイ。
***
「え……マジっスか?」
「わはは。マジだ」
峰岸さんは笑いながら僕の肩に手を乗せた。
「まったく期待してないからな。 安心しろ」
一度僕の肩をポンと叩くと、席をたって行ってしまった。
宿舎でのミーティング。
僕は峰岸さんから、明日のプエルトリコ戦の先発に指名された。
「おお、責任重大だわ。お前」
藤堂さんは嬉しそうな顔をしてそういった。 安藤はその後ろでニヤニヤしながら僕をみている。
僕としてはプレッシャーより、ワクワクする気持ちのほうが強かった。
いつもと違うグラウンドで未知の選手たちと対戦する……そう考えるだけで鳥肌がたった。
翌日、プエルトリコ戦を迎えた朝は、本当に晴れわたっていた。
昨晩はなかなか寝つけなかった。
それは藤堂さんのイビキと安藤の歯ぎしりのせいだけではなかったと思う。
洗面室で顔を洗い、鏡を覗き込む。なんとなく目元が腫れぼったい。
“ 折角の『世界デビュー』なのにな ”
そんなことを考えていると誰かが洗面室にやってきた。
用田だった。
「お前は寝れた?」
寝ている藤堂さんと安藤を指さし尋ねた。
「あ? 別に」
コイツは神経も図太いらしい。
食事を終え、バスでグラウンドについたときには、既に各チームは集まってきていた。
僕らの試合は第二試合だった。
開会式が終わり、カリフォルニア代表とカナダの第一試合が始まった。
「何食ったら、あんなにでっかくなれるんだ?」
試合を見ながら、安藤があきれたように呟いた。
各国の選手は体も大きく、僕らと同じくらいの歳とはとても思えなかった。
***
独特のフワフワしたような高揚感。
地区大会や、全国大会の初戦ともまた違う雰囲気。
「取りあえず初回は抑えろや」
藤堂さんはマウンドの僕に声を掛けると、サードの守備についた。
先頭打者が打席に入り、プレイボールがコールされた。
僕は落ち着きを取り戻している。 さっきまでの高揚感が、嘘のように消えていることに気づいた。
“ OK、問題ない ”
僕はミットを見据え、ゆっくりと振りかぶった――
「お前、スゲェじゃねえかよ!」「ナイピー!」
みんなが口々に叫んでいる。
初戦の対プエルトリコ。
僕は六回を投げて三安打無失点、7奪三振という成績だった。
「上出来だな?」
峰岸さんは笑顔で右手を差し出してきた。
「はい!」
僕は達成感というか満足感でいっぱいだった。
勢いに乗った僕らのチームは快進撃を続け、決勝に駒を進めた。
決勝戦の相手はカリフォルニア代表
先発した僕は〈一対〇〉でリードしていた四回、二つの四球で招いたピンチに相手の五番バッターにスリーランを打たれ、逆転を許した。
その後いったん追いついたものの、六回に同じバッターに再びソロホームランを浴び、結局〈三対四〉で大会初黒星を喫し、優勝を逃した――。
***
「まあ、あんまり気にすんなや」
しょげる僕の隣に藤堂さんが腰をおろした。
「はあ。 でも……」
「まあ、ストレート一本で待ってるヤツにストレート勝負じゃ、そういうこともあるだろうよ」
藤堂さんは何処か楽しげに呟いた。
「でも、同じヤツに二回も打たれちゃいました……」
「まあな。でも、今のお前のベストボールだろ。 それで打たれたんじゃ、仕方ねえだろ? それに、逃げなかったってところだけは評価できるんじゃねえ?」
藤堂さんは芝を摘んで毟り取り、パラパラと風に流した。
「十点とられても、十一点目をやらない野球――」
「……?」
「榎田がよく峰岸さんにそんなことを言われてたな」
「よく意味がわかんないです……」
藤堂さんは微かに笑みを浮かべながら言葉を続けた。
「比喩だよ、ヒユ。 たとえ話ってことだ」
「榎田ってのはよ、すげぇ才能のあるヤツだからナニをやらせても上手いわけ。 でも何でも簡単にこなしちまうから執着心がない。 執着心がないから、崩れたときは意外とあっさり点をやっちまうんだ。 つまり歯止めが利かないタイプ」
「いいか杉浦。今日、味方は三点しか取れなかった。 なのにお前は四点目をとられた――まあ簡単に言えばそういうことなんだけど、判るか?」
「……いや、やっぱりよくわかんないんですけど」
ククククッ 藤堂さんは笑いながら僕のアタマに手を乗せた。
「そのうちわかるよ、あと二年あるからな。 まあ、不器用な俺らは粘り強い人間を目指そうぜってことだ」
僕にはよく判らなかったが、曖昧に頷いた。
「以前に、どこの高校に行くのかって聞いてきたよな?」
「……はい」
確かに尋ねたことがある。四月の話だ。
「俺、高校行かねえんだよ」
「え」
「俺はコッチで野球がしたいんだ。 随分前からそう決めてた。 もちろん簡単なことじゃないけどな。 だから中学でたらメキシコかドミニカあたりで腕を磨いて、いつか……ドジャースに入るんだ」
「大リーグ……ですか?」
僕は大リーグのことは、大リーグボールとヤンキースくらいしか知らない。 何チームあるとかそういうことは全く知らないし、興味もなかったのだ。
「この芝生とかいいと思わねえ? 空も高いし、色んな国の奴らが一番を目指して集まってくる。何しろ全てのスケールがデカい。そう思うだろ?」
藤堂さんはそういうと立ち上がり、徐にバットを握りそして構えた。
「杉浦、お前もいつかコッチに来いよ。で、いつか――」
「……?」
「いつか俺と勝負しよう。 次、グラウンドで会うときは敵としてかもな」
そうだった。
藤堂さんと同じチームで試合するのは、本当に今日が最後だったのだ。
そんな大事な試合で僕は不甲斐ないピッチングをしてしまったのだ。
「おいおい。 なに泣いてんだよ?」
気がつくと僕は泣いていた。 ナミダが止まらなかった。 そんな自分がどうしようもなく情けなかった。
「まあ、泣くなよ。 この遠征はお前にとっても変わるチャンスなんだよ。 いつかの俺がそうだったようにさ」
藤堂さんは微笑んでいた。
「前に進むのか、それとも立ち止まるのか。 自分の意思だけじゃ決められない時期がきっとくる。 それでも自分を見失うなよ、な?」
藤堂さんの言葉の意味を僕はあまり理解していなかった。 ただ僕の周囲が劇的に変わっていく気配には気づき始めていた。