【014】 全国大会決勝 II
「なあ、ちょっと握り見せてみ? いまの最後のボールの」
「は? 最後のボール?」
二回を終了してベンチに戻ると、キャッチャーの吉村が僕に向かってボールを差しだしてきた。
ちょっとめんどくさいと思いながらもボールを受け取り、縫い目に指をかけ、吉村の鼻先に真っ直ぐ突き出した。
「コレでいいか?」
***
三回の裏。
九番から始まるこの回、ランナーを出すとクリーンアップにまわる。
緊張感のある投手戦は相変わらずの一点差。
しかし、この回のマウンドはいつもと少しだけ状況が違っていた。
さっき三回の攻撃中のベンチで――
「――それだよ。ちゃんとサイン決めておこうぜ!」
吉村は興奮気味だった。
僕が吉村に見せたボールの握り。
ブルペンで投げてて、たまたま「指の掛かりがしっくりきたから」試合でも投げてみたストレート。
ただ指をかける縫い目をいつもと少し変えてみただけ。
吉村が言うには、右打者の外のボールが少しだけ外に滑るように動くらしい。
「なんだ?」
僕らのやり取りに気付いた峰岸さんが僕らの顔を交互に見た。
そして僕らは峰岸さんの指示で「たった十秒」でサインを決めた。
こうして僕にもストレート以外の選択肢が追加されたのだった。
投球練習が終わり、この回の先頭打者が打席に入っていた。
吉村とのサインを交換。
首を振る。
もう一度覗き込んで、また首を振り……そして、いったんプレートをハズした。
「タイム!!」
球審からタイムがかかり、吉村がマウンドに走り寄ってきた。
「……ナニがしたいの?」
吉村は口許をミットで隠し、囁くように尋ねてきた。
「いや、ちょっと首振って見たかったから――」
吉村はハナシを遮るように無言で僕の尻を叩くと、ホームベースの方向に走り出した……まったく、冗談の通じない奴だ。
ベンチを横目で見る。
峰岸さんは真っ直ぐに僕の方に視線を向けていた。
結局この回、先頭バッターにこの試合の初安打を浴びたものの併殺もあり、三人で切り抜けた。
ベンチに戻ると、待ちかまえていたかのように峰岸さんが僕を呼び寄せた。
思った通り「首を振る権利」を取り上げられてしまった。
一点リードで迎えた四回の表は、三番から始まる好打順だった。
しかし先頭打者の岡崎は、ツーストライクからのカーブを引っかけてサードゴロに打ちとられた。
ベンチに戻ってきた岡崎はヘルメットを脱ぐと、無言でマスコットバットを握りしめ、ベンチ裏に姿を消した。きつく口を結んだその横顔には、悔しさが滲んでいた。
「カーブが多くなってきたな」
ネクストバッターズサークルの藤堂さんがバットのグリップにロージンを塗しながら呟いた。
確かに岡崎が討ちとられたボールもカーブだった。
「また、頼みますよ! 僕も続きますから」
僕がそう言うと、藤堂さんは無表情で見返してきたがすぐに頬を弛めた。
「OK。期待してるぞ」
藤堂さんはバットを高く掲げると、打席に向かって歩き出した。
藤堂さんがヒットで出塁した。
二球目のカーブを叩いた強い打球は二遊間を破り、センター前に抜けた。
一塁ベース上の藤堂さんが、僕に向かって拳を突き出している。
それに応えるように僕は静かに頷いた。
打席に向かって歩きながらベンチを窺う。
特に指示はない。
マウンドの用田はさっきほど動揺した様子はないみたいだ。
歩み寄り声を掛けてくる内野手を手で制し、何度か頷いている。
僕にはさっきの打席のイメージが残っていた。
ストレートにはタイミングが合っている。バッテリーもそれには気付いているだろう。
だから勝負球にはカーブを持ってくる可能性が高い。しかしその前にドコかでストレートがくるハズだ。
追い込まれる前のボール、ストライクを取りにくるストレート。
僕の狙い球は一つだった。
セットに入った用田は、正面の一塁ランナーを目で牽制しながら大きく足を上げて投げ込んできた。
「―――!!!」
インコースのストレートに仰け反る。
「ストライック!」
「え?」
ストライクの判定に思わず声が出てしまった。
舌打ちしそうになったが、球審と目が合い自重する。
二球目、アウトコースのカーブは明らかなボール。
ここで用田は一塁に向かってゆっくりと牽制球を投げた。
そしてロージンを人差し指と中指で摘み上げるとそのまま地面に落とす……舞い上がった白い粉が暑さを助長し、僕の集中力を途切れさせようとする。
短いサインの交換が終わり、用田がセットに入った。
僕はバットのグリップを絞るようにして握り直し、もう一度集中力を高める。
三球目。
インコースよりに入ってきたストレートにカラダが勝手に反応した。
――カキィィィィ
打球は快音を残しレフト方向に一直線に伸びた。
“いっただろ?!”
感触は十分だった。
僕は一塁に走りながら打球の方向を見つめ、手のひらに残った感触を逃がさないように強く拳を握りしめた。
しかし……打球を追っていた三塁塁審の手が開いた。
“え。ウソだろ?”
僕の会心の当たりはレフトポール際できれ、ファールゾーンに吸い込まれた。大ファールだ。
僕はマウンドへ目を向けた。
用田は笑みを浮かべている……変な奴だ。
今のファールでボールカウントはツーストライクワンボール。
追い込まれてしまった。これは予定外だった。
“高目で釣ってくるか? それとも……”
直後の四球目、外角のカーブに僕のバットが空を切った。
―――ッ!!!!
空振りの瞬間、用田がナニかを叫んだ。というより吼えた。
マウンドでガッツポーズを見せた用田は、視線は僕を捉えたままナニかを呟いた。
このときようやく用田の視線の意味が判った。
僕は無意識に拳をきつく握りしめていた。