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曳航  作者: 本城千歳
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【013】 scouting report03 西の剛腕vs東のノーヒッター

 近藤が息を切らせて球場の階段を駆け上ってきたとき、決勝戦は既に始まっていた。

 スコアボードを見ると、ちょうど一回表が終了したところのようだ。

 あまり広くない観客席を見渡すと、バックネット裏の最上部で脚を組んでいた男が近藤に向かって手を振っていた。


「すみませんね、遅くなっちゃって」

 近藤は一九〇センチ近い巨体を折り曲げるように頭を下げると、入口の販売機で買ってきた缶ジュースを男に手渡した。

「駅からタクシーに乗ったんですけどね、道が混んじゃってて……」

 聞かれもしないのに遅刻した理由を掻い摘んで説明しはじめた。すると男は近藤が話し終わらないうちに吹き出した。

「ぷっ。それ、ボラれたんだよ。(駅から)歩いたって二十分もかからないよ」

 男は大口を開けて笑いながらジュースの缶を振り、勢いよくプルタブを引き上げた。

「まじっすか……」

 近藤は絶句しながらも、男をまじまじと見た。

 場にそぐわないピンク地のアロハシャツに白い短パン。そして濃い茶色のサングラスに踵のすり切れたビーチサンダル……。

 この男が名嘉村なかむら 啓一けいいちだとは、周りの誰もが気が付いていないのだろう。


 大阪の強豪・羽曳野学院の監督、名嘉村啓一。

 激戦地の大阪において、春夏通算十二回の甲子園出場、うち三回を全国制覇に導き、現在は八季連続出場を継続中。

 就任当時は弱小校の一つだった羽曳野学院を就任から十年間で強豪校と呼ばれるまでに育て上げた『名将中の名将』である。


「きっと、コッチの人間じゃないのが言葉・・で判っちゃったんだろうね」

 オキノドクサマデス。

 名嘉村は浅黒い顔に笑みを浮かべ、心のこもらない言葉を口にした。

 彼も元々は関西の人間ではなかった。確か、寒い地方の出身だったと聞いた記憶があった。



「それはそうと、こんな遠くまで呼び出しちゃって悪いね。大丈夫だった?」

「ナニいってんですか、今更。でも一応、取材ってことにしてきちゃったんで……よろしくおねがいしますね?」

 名嘉村は何も応えずに頬だけを弛めた。


 現在は雑誌記者である近藤だが、数年前まで某新聞社でスポーツ担当記者をしていた。

 名嘉村と知り合ったのは、彼が羽曳野学院の監督に就任した直後、つまり十年来の付き合いになる。

 当時まだ無名だった二十七歳の新人監督と、入社二年目・スポーツライターを目指す二十四歳のカケダシの記者。彼らは初対面からウマが合い、ことある毎に酒を酌み交わし、愚痴をこぼし、夢を語りあった。しかし―――

 その後、両者が辿った道の隔たりは大きかった。

 名嘉村は三年目に羽曳野学院を甲子園初出場に導くと、そのまま優勝。その後は甲子園の常連校となり、名将の仲間入りを果たした。

 一方の近藤は社内の異動でスポーツ界から離れ、著名人のゴシップ記事を扱うのがメインの現在の位置に配属された。彼のスポーツライターになるという夢は現実味のないものになりつつあった。

 しかし名嘉村は以前と変わることなく近藤を大阪まで呼び出しては野球を見たり、酒を呑んだりしている……いつも割り勘だが。




「で、どうです? 試合の方は」

「どうって、まだ始まったばかりだよ」


 一塁側には大会屈指の左腕『西の剛腕』用田誠を擁する川内霧島クラブ、三塁側には東京ブロックからは初の決勝進出となる江東球友クラブがそれぞれ陣取っている。

 川内霧島クラブの決勝進出は、順当といえば順当な結果だった。用田が前評判通りの投球で、危なげなくここまで勝ち上がってきた。

 一方の江東球友クラブは、一年生中心ということもあり前評判はあまり高くなかった。

 しかし初戦で優勝候補を下して勢いに乗ると、準決勝では一年生右腕・杉浦が五回参考記録ながらノーヒットノーランを達成し、初出場で決勝へ駒を進めた。

 

 グラウンドでは、江東球友クラブの一年生右腕・杉浦が投球練習を始めている。

“コイツが準決勝でノーヒットノーラン……ホントかよ?”

 マウンドにいる小柄な一年生右腕は、近藤の抱いていた『ノーヒッター』のイメージとは大きく異なる選手だった。

 しかし初回、先頭打者にフルカウントから四球を与えたものの、二番、三番、四番に対して、ノビのある快速球を武器に三者連続三振を奪った。

 

「<西の剛腕>対<東のノーヒッター>……どっちが勝ちますかね?」

「用田だろ」

 即答だった。

 名嘉村は当然といったような表情だ。

「俺は用田を見る為に来たんだから。あさって試合があるっていうのにさ」

 名嘉村はわざとらしく口許に人差し指をあて、辺りを見回すふりをした。

 彼の率いる羽曳野学院はこの夏も甲子園に出場していた。

 初戦を大勝し、明後日には二回戦を控えているはずだった。

 そんな大事な時期にチームを離れたら……一部のOBが騒ぎ出すのは目に見えている。鬼の首を取ったかのように。


「それにしても……いい球投げてましたね、あのスギウラって子」

「う〜ん。そうかなあ?」

 名嘉村の応えは煮え切らないものだった。

 近藤は手帳を取りだすと、名嘉村を横目に幾つかの名前を書き記した。


 これから始まる二回の表、今度は川内霧島クラブのエース・用田がマウンドに上がっている。

 既に打席には、江東球友クラブの四番・藤堂が入っている。


「コイツ、いいよね。ドコに行くんだろ? 情報入ってない?」

 名嘉村がバッターボックスを指さした。

「さあ。僕もそっちは詳しくないんで……聞いておきますよ」

 

 グラウンドでは用田が投球モーションに入ったところだった。大きく振りかぶり、一球目を投じた。


――カキッ!


 初球を叩いた藤堂の強烈な打球はレフトのライン際を破り、フェンスに当たって跳ね返ってきた。

 打った藤堂は二塁をまわったところで止まった。

 ツーベースヒット。江東球友クラブの初ヒットは、四番の長打だった。



「……見た? いまの」

 名嘉村はサングラスをハズし、目を細めた。

「ええ。悪いボールじゃ無かったですよね?」

 用田の投げたボールはインコース低めいっぱいに行っていた。しかし藤堂はコンパクトに腕をたたみ、難なくレフト線へ弾き返した。


「(ボールが)もう少し高かったら持ってかれてたね、おそらく」

 名嘉村の言葉に近藤も頷いた。


 二塁ベース上では、藤堂がベンチに向かって白い歯を見せている。


「しかし、まあ、なんだ。藤堂って奴は特別だからな。奴の前にランナーを出さなきゃ問題はないだろ」

 名嘉村は足を組み直し、マウンドに視線を戻していた。

 打席には五番の杉浦が入っている。

 コチラも用田と同じ一年生投手だが……ちょっと打てそうな気配がしない。


「送りますかね?」

「だろうな」

 初球、大きく縦に割れるカーブが高目いっぱいに決まる。バッターはヒッティングの構えのまま、悠然と見送った。

 既にセットに入っている用田はランナーに視線を向けると、初球と同じようにクイック気味にモーションに入った。


――カキッ!! 


「え?!」名嘉村と近藤は同時に声を上げた。


 痛烈な打球はライトの頭上を越え、ワンバウンドでフェンスに届いた。

 二塁ランナーの藤堂は、打球の行方を確認しながらゆっくりとホームに返ってくる。バッターランナーも悠々二塁へ――――タイムリーツーベース。

 先制点は江東球友クラブに入った。


「……ヒッティング、でしたね?」

 絞り出すような近藤の言葉に、名嘉村は無言のまま首を捻った。


 外よりのストレート。

 やや甘いボールだったとはいえ、緩いカーブの直後の速球。右打者が簡単にライトオーバーの当たりを飛ばせるようなボールだったとは思えない。

 近藤は二塁ベース上の杉浦を見つめたまま、再び手帳を開いた。


 打席には六番の榎田が入っている。


「コイツもいいんだよね。成京せいきょうに決まってるらしいけど」

 名嘉村は打席の方を顎でしゃくった。

 成京学園は甲子園での優勝経験もある、東東京の強豪校だ。

 OBからの情報を中心に『プロ顔負け』のスカウト網を全国に張り巡らして選手を集める手法は、「成京の通ったあとにはペンペン草も生えない」と揶揄されることもある。


「へえ。名嘉さんは獲りに行かなかったんですか?」

「いったよ。いってた・・・・って言う方が正確かな」

 グラウンドに目を向けたまま、名嘉村は回りくどい言い方をした。


「去年の夏頃までは『獲得リスト』に入ってたんだよ。でも今は『DL(※1)』の方に入ってるよ」

 名嘉村は右肩を指さした。


※1 Disabled List(DL)……故障者リスト。この場合は、獲得を敬遠するリストって感じです。

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