【011】 覚醒
「杉浦――」
峰岸さんが僕を呼び止めた。
「大して打たれないと思うが、わかってるな?」
「はい。わかってますよ」
僕は軽く頷き、一回の裏のマウンドに向かって走り出した。
一回の表、先頭バッターの安藤が初球をレフト前に運んだ。
スチールと二番・榎田さんのバント安打で無死一、三塁。その後、ダブルスチールに相手のミスが絡み、まず一点。
三番・岡崎の犠牲フライでもう一点。これで試合の主導権を握った。
その後も連打で一、三塁とし、一塁走者が牽制で挟まれた隙をついて三塁走者が生還。
一点追加して【三対〇】。
初回からバタついた試合展開。
相手のエラーもあったけど、こっちにも走塁ミスがあった。
いまの僕に求められているのは、ざわついたこの空気を落ち着けること、そして試合を完全に掌握すること―――――。
「何点取られたっていいからな。スグに取り返してやるからよ」
初回のマウンドに上がった僕に、三塁の守備についた藤堂さんが二、三歩近づいてきて茶化すように言った。
「大丈夫ですよ。一点もやんないっすから」
舌を出して応えた。
僕には自信が漲っていた。本当に打たれる気がしなかったのだ。
***
“あっついな、しかし”
僕はマウンド上で帽子を取り、ユニホームの袖で汗を拭った。
そこに藤堂さんが歩み寄ってきた。小さな声で何かを言っている。
グラブで口許を隠してはいるが目が完全に笑っている。きっとロクでもないことを言っている違いない。
声に聞き耳を立ててみる――――「ウタレチマエ」
「…………」 僕は笑みを浮かべ、横目で睨んだ。
気を取り直し、キャッチャーの吉村に視線を戻す。
一度大きく胸を反らせてから、形ばかりのサインに静かに頷く。
観客席が少しざわめいている。
五回の裏、ツーアウトランナーなし。
ボールカウントはワンストライクワンボール。
右打席に入っている二番打者は、バットを短く握り僕のストレートに対応しようとする努力は見せている。
試合は現在【十四対〇】。僕らが大量リードしている。
もう試合の行方は決まっていたが、打者に対する集中力は未だ途切れていなかった。
ここまで5四球を出しているものの、三振を9つ奪い無失点。
ワインドアップから投じた三球目、内角低めに構えたミットが小気味いい音を響かせる。
「――――ストライック!!」
見逃したバッターが思わず天を仰ぐ。
ツーストライクワンボール。最後のバッターを追い込んだ。
さらに観客席がざわめく。
僕は大きく息を吐き、マウンドからバッターを見下ろす。
バッターは刹那、視線をハズした。もう気力も失せちゃったのかもしれない。
吉村はやや腰を浮かせ、アウトコース高目に構えている。
それを見て、ゆっくりと投球モーションに入る。ワインドアップから渾身の力で腕を振り抜いた―――。
――バシィィッ!
高目のボールにバットが空を切る。その瞬間、観客席がどよめいた。
僕は拳を強く握りしめ、ベンチに向かって突き出した。
奪三振ショーを締めくくったのは、この試合有効だった『高目の釣り球』だった。
***
「ねえねえ。スゴイじゃん。どうかしちゃったの?」
試合後、ベンチ裏にやってきた麻柚は目を丸くしていた。
「え。べつに……フツウだろ?」
僕はワザと声を抑え気味にいった。フツウにハナシをすると声が上ずってしまいそうだった。
この試合、僕は中学生になってから初めてのホームランを二打席連続で放ち、五回参考ながら生まれて初めてのノーヒットノーランを達成した。しかし不思議なことに疲労感はまったくなかった。
「でもホントに凄かったよ。特に最後の球なんかさ――――」
「――――杉浦くん、ちょっといいかな」
気が付くと僕は大人に囲まれていた。僕と麻柚のあいだに割って入ってきたのは、記者と思しき人たちだった。
その人たちは「いいかな?」と尋ねておきながら、僕の返事を聞かずに別の質問を次々とぶつけてきた。
記者と記者の隙間から見えた麻柚はどこか所在なげな様子でしばらく立ちつくしていたが、僕が目を逸らした隙に姿が見えなくなった。
「決勝は、川内霧島の用田くんとの対決だけど―――」
川内霧島クラブの用田誠。
記者が口にしたその名前を、僕は記憶していた。『大会屈指・注目の一年生左腕』、雑誌にはそう書いてあった。
左ってトクだよな、と思う。それだけで重宝されるんだから。