【010】 全国大会へ
両翼九〇メートル。中堅一〇〇メートル。
外野フェンスの向こうには、団地が立ち並んでいるのが見える。
バックネット裏と内野にはちゃんと観客席があり、センター後方にはスコアボードも……ちょっとボロっちいけど一応ある。
この球場で間もなく全国大会の初戦を迎える。
グラウンドに目を戻すと、シートノックが終わり、試合前のグラウンド整備が行われていた。
「暑いな。マジで」
誰に言うでもなく呟いた岡崎は、まだ試合が始まってもいないのに汗だくだった。
岡崎の言うように、午前中だというのに結構な暑さだった。
グラウンドではスプリンクラーが回りグラウンドを湿らせているが、照りつける夏の陽射しがすぐさま地面を乾かしていく。
水しぶきの向こう、三塁側のダッグアウトに陣取った相手チームの面々。
ドコかの大学にも似たタテジマのユニホームは、それだけでもじゅうぶん迫力があった――――。
「ホント、お前らついてるよな。初っぱなから宇和島だってよ」
昨日、移動中のバスの中で、峰岸さんはまるで鼻唄を歌うかのように僕らにいった。
初戦の相手『オール宇和島』は毎年上位に進出する強豪チームらしい。今年は伝統の強力な打線に機動力が加わった今大会の『優勝候補の筆頭』。たしか雑誌にはそう書いてあった。
「どこが相手でも関係ないですよ。勝ってけばいつかは当たんだしさ」
藤堂さんは自信満々といった感じだ。
その自信の根拠がドコにあるのかはわからなかったけど、藤堂さんの言葉は間違いなく僕らを勇気づけてくれていた。
三塁側のファールグラウンドにあるブルペンでは、これから対戦する『オール宇和島』のエース、サウスポーの大川が投げ込みを続けている。
四国大会では、変則スリークォーターからの『ノビのあるストレート』と『落差のあるカーブ』のコンビネーションを武器に三振の山を築いてきたらしい。
投球練習を見るかぎりでは『スリークォーター』というより『サイド』に近いカンジかな? テイクバックが小さく、軸足を曲げた独特のフォームはタイミングが取りづらいかもしれない。
思ってたより速いけど、キャッチャーが構えたところには殆どいっていないようにも見える。
さっきまで一塁側のブルペンでは榎田さんが投球練習をしていた。
向こうのエースとは対照的に、流れるような投球フォームから繰り出されるボールは、糸を引いたようなきれいな球筋でキャッチャーのミットに吸い込まれていた。
大事な初戦。先発のマウンドを託されたのは榎田さん。僕はベンチからのスタート。
投球練習を終えてベンチに座った榎田さんは、タオルを頭から被りさっきから目を瞑ったまま。なんとなく声をかけづらい雰囲気だ。
「そろそろだな」
藤堂さんが立ち上がり、帽子を被り直した。
その声に促されるように僕らも立ち上がり、ダッグアウト前に並ぶ。
相手チームは既にダッグアウト前に整列している。だらだらと並んでいる僕らとは違い、全員が同じ姿勢でグラウンドに飛び出す準備をしている。
審判団がグラウンドに姿を現した。間もなく試合が始まる。
「多分さ――」
藤堂さんはダッグアウト前に並んだ僕らに向かって話し出した。
「ココにいるヒトの殆どが『向こうが勝つ』と思ってるんだろうけど。俺はそうは思ってないからさ」
疎らに観客が入った内野スタンドを一瞥して笑みを浮かべた。「オレらのチカラ、見せつけてやろうぜ―――――」
***
午後になって陽射しは強さを増し、グラウンドは熱気と怒号に包まれていた。
ダッグアウトでは、うなだれる選手たちを叱責する、監督の厳しい声が飛んでいる。
さっきまであれだけ凛々しく見えたタテジマのユニフォームが少し色褪せて見える。泥まみれになったせい、ってことだけが理由じゃないだろう。
全国大会初戦、江東球友クラブvsオール宇和島。
僕らは、大方の予想に反して勝ってしまった。
序盤に相手のミスに乗じてあげた得点を守りきり、四対一で逃げ切った。
先発した榎田さんは七回を投げ、被安打5、無四球、三振3、失点1。
危なげのない投球内容だった。
「ホント、よくやったな」
峰岸さんは相変わらず呑気にそう言った。
「だから、相手はドコだって関係ないっていったじゃないスか」
二安打二打点と活躍した藤堂さんは、当然といった表情だ。
事実、僕らのチームは強かった。
午後に行われた二回戦では兵庫・武庫BBCを五回コールド九対二で下し、ベスト4入りを決めた。
***
「ホントですかあ?」
疑わしげな僕に向かって、藤堂さんは大きく頷いた。
大会終了後、全出場選手の中から選抜チームを結成し、アメリカで行われる世界大会に派遣されるという。
明日の閉会式のときにメンバーが発表されるらしい。
「心配すんな。杉浦が選ばれることはねえから」
藤堂さんは笑いながらそう言った。
言われてみればそうだ。
コールドで勝った二試合目に四イニング投げただけだし。
「お土産くらいは買ってきてやるからよ。ナニがいい?」
藤堂さんはもう選ばれたかのような口ぶりだ。まあ、藤堂さんは当確なんだろうけど。
ちなみに僕はアメリカに行ったことがない。飛行機にすら乗ったことがなかった。
***
「この試合はお前に任せた。榎田は決勝にとっとくから」
試合前、峰岸さんが僕にそう言った。
準決勝は、神奈川・湘南選抜BBC。初出場同士の顔合わせだった。
相手のエースは二年生右腕の広瀬マルシオっていう名前がカタカナの奴だった。
日系のブラジル人だって話だが、遠目に見るかぎり日本人との違いは判らない。
広瀬はここまで二試合、全イニングを投げて計三失点。チームの合計得点が六点だっていうから、完全にエース頼みのチームみたいだ。
一回の表、攻撃が始まる前に組んだ円陣。ジャンケンに勝った僕らは先攻を選んだ。
「広瀬は牽制がまあまあ上手いし、キャッチャーは肩に自信を持っているようだ。しかし走者を出すと低めの変化球は極端に少なくなる。まあ、ストレートに自信を持ってるのか、刺す気満々なのか、後逸するのが怖いのかは知らんが。とにかく、バッターもランナーもちゃんとサインを確認しろよ。わかったか?」
峰岸さんはそう言って、なぜか何度も僕の方を見た。
グラウンドに目を戻すと、キャッチャーの「ボールバック!!」の声とともにショートが二塁ベースに駆け寄る姿が見えた。
ピッチャーがセットから投じた高目の球を、キャッチャーはひったくるようにして捕球すると二塁へ送球する……スローイングのあと、キャッチャーがコチラに見せた表情からすると、確かに肩には自信を持ってるみたいだった。だがモーションは大きいように思える。
峰岸さんが打席に向かう安藤を呼び止め、耳元でナニかをいっている。安藤は表情を変えずに聞いていたが、やがて二度ほど頷いた。
マウンドでは広瀬を中心に内野陣が集まり、声を上げて士気を高めている。
やがて輪が解け、内野手が各ポジションに散り、遅れてマウンドを離れたキャッチャーが、大袈裟にホームベースを跨いでキャッチャーボックスに腰を下ろした。
打席には一番の安藤が入り、いつものようにバットのグリップをやや余して構えている。
準決勝・第二試合。
球審のコールと同時に、広瀬はノーワインドアップから投球モーションにはいった――――。