【プロローグ】 サンディエゴでみた夢
八四年八月。
見上げたサンディエゴの空はドコまでも高く、そして遠くまで続いている。緑の天然芝は眩しく、深く密度が濃い。足を踏み入れると踝近くまで埋まってしまう。
僕はマウンド上で帽子を取り、汗を拭い、大きく息を吐く。そして一塁側ベンチ後方の空を見つめた。この空の向こう、国境を越えればそこはメキシコだ。
二対〇。
この世界大会三連覇中のカリフォルニア州選抜チームに対し、二点リードで迎えた七回のウラ。
四番から始まった相手の攻撃も連続三振でツーアウト。あと一つのアウトで僕らの優勝が決まる。さっきから右肩にだるい疲労感があるのは、おそらくプレッシャーのせいでもあるのだろう。
「杉浦! 俺んトコに打たせろや」
遊撃手の岡崎準基がグラブを嵌めた左手を腰に当て、笑顔で声を上げる。
キャッチャーに目を戻すと、左打席にはすでにバッターが入り、「早く投げろ!」と言わんばかりに肩をイカらせて構えている。
“コイツ、絶対中学生じゃねえよな”
ごっついカラダつきと老けた顔。とても僕らと同学年には見えないこの六番バッターは、ここまで二打席連続三振、それも全て見逃し。相当アタマに血が上っているハズだ。
絡みつくようなバッターの視線を避けながら、キャッチャーのサインに軽く頷く。そしてゆっくりとワインドアップに入り、力を込めて投げ込む!――あ゛。
次の瞬間、バッターは大きく仰け反った。
インコースいっぱいを狙ったボールがちょっと引っ掛かってしまった。
バッターはすごい形相で僕を睨みつけている。どうやら今の一球で彼の怒りは頂点に達してしまったらしい。
“もう一球同じコースに投げたらどんな反応すんのかな”
そんなことを考えながらロージンに手を伸ばし、横目で打者を観察する……イライラしているのが手に取るように判る。さらに焦らすようにスパイクでマウンドを均しキャッチャーとの短いサインの交換をする。そしてさっきよりも意識してゆっくりとモーションに入った。
――キンッ!
アウトコース低めいっぱいに投げ込んだチェンジアップをバッターも執念のフルスイングで弾き返す――しかしドライブ回転の掛かった強い打球は、バウンドした天然芝でその勢いをコロされ、すっぽりと僕のグラブに収まった。
“よっしゃ!”
僕は心の中で強く拳を握りしめた。
三塁側ベンチの歓声を背中で聞きながら、逸る気持ちを抑え、落ち着いて一塁にボールを送る――ゲームセット。
その瞬間アタマの中が真っ白になった。
何かを叫んだはずだが、よく憶えていない。
昨日から用意しておいた『決めポーズ』も遙か彼方に飛んでいってしまった。
仲間が走り寄ってくる。マウンドに二重三重の輪ができる。輪の中から天を仰ぎ、人差し指を衝き上げた。ただ押し寄せてくる衝動にまかせて。
あの日、歓喜の輪の中から見上げたサンディエゴの深い青空は、まるで僕らの順風な将来を祝福してくれているように、ドコまでも高く、そして遠くまで続いていた。
世界の頂点にたった日、僕はあの人の背中に少しだけ近づいた気がしていた。