どこぞの国で知らぬ間にお忍びの王族とか救っちゃったみたいだけど本人はそんなこと知りません
スピンオフ第2弾は、アサシン「佐藤ウズシオ」
本編に入る前の過去話です!
悦司ぎぐ様よりむちゃぶ、いやオーダーを頂きまして
一気にかき揚げ、いや書き上げ、いやいや駆け上がりました!
ご賞味ください(*´▽`*)ノ
『わたしはアサシンである。名前は……、わからない。』
『アサシンとはよう知らん。して自身の名をわからんとは稀有な奴よの。
ふむ、吾輩とて名前は有って無いようなもの。便宜上、トムと呼ぶがよい。
皆がそう呼ぶ。』
そう言って、トムは大きく背伸びをして踵を返した。
二三歩、歩いたあとに立ち止まり振り返る。わたしが付いてきてないのを見て言葉を続けた。
『奴、見たところ空腹のようだな。ついてくるが良い。
特別、ディナーに招待してやろう。』
女にはここがどこだか分らなかった。
女は目に入る人種が良くわからなかった。
ただ肌の色や髪の色、服装がいつもとは見慣れぬものだとはわかった。
だがわかったところで何ができるわけでもない。
そもそも選択肢が無さ過ぎる。
女は記憶を手繰り寄せる。
毎日が同じことの繰り返し。
そして今回も同じスタートラインだった。
「おいオンナ。仕事だ。」
不愛想な男が数枚の写真を女に提示する。
パサリ。テーブルに広がった数枚の写真。見たところその数枚の写真に写っているターゲットはいずれも一人の男。爛々とした野望を目に滲ませる短髪の男。30歳前後の男、ニヒルな表情を浮かべた男。
「×月×日の午後14時20分頃に、××空港の第6貨物に現れる予定だ。」
不愛想な男から与えられる情報はそれだけ。そしてやるべきことはこの写真の男を消すということだけ。いつもと変わらない。
女は無言で写真の一枚を手に取りその場を後にする。顔は覚えた。だが後から「こいつじゃない」と言われないための、最低限のルール。そして「請けた」というサイン。
諸経費、必要なものはすでに手元にある。もっとも女にとって必要なものなどダガーナイフ2本の他にはない。
確かに指定された場所、指定された時間にターゲットの男は現れた。
いつも通りに、いつものようにその写真の男は殺った。
だが邪魔が多すぎた。
男の仲間らしき奴らは大体のところ仕留めただろう。
だがその取引相手だろうか。
あとから現れたワンランク上の存在。軍属か?
統制された行動、一人ひとりの技量、使用されてる銃器。
どれもこれもが高度、明らかに「殺し」に慣れた集団。
数人だけはやれたが、不意を突かれたせいもあり殲滅は不可能と女は判断した。
そもそもオーダーに殲滅はない。
止むを得ず身を潜めた場所が悪かった。
コンテナらしきものの中に女は扉を閉めて身を潜める。
が、そのコンテナがどこかへと運び込まれる。
積み込まれていくのが音と振動でわかる。
だがもう遅い。
コンテナは隙間なく積み込まれたのか、何かに当たってるのか。
内側からはびくともしなかった。
幾時間後、再びコンテナが動き扉を開くことが出来るようになる。
新鮮な空気がコンテナ内に入り込む。
だが扉を開いた先は世界が違っていた。匂いが空気が全くの別世界だった。
ここは何処か。
女には皆目見当がつかなかった。
場面は変わって砂にまみれた路地裏。
人気はなく、走る男の足音と荒い息だけが響き渡る。
僅かに建物と建物の間から月明かりが差し込む。
それとて走る男の心情を表すかのように、差し込む明かりはか細く心細い。
何故だ? どうしてこうなった?
全てはアッラーの思し召しだとしてもあんまりではないか! 余は、ただ余は知りたかっただけだ! そこに何があるのか知りたいと思っただけだ!
走る男の頬を一筋の涙が流れる。
その一端を知った時、余の中に稲妻が走った。衝撃的なことだった。
こんなことが、こんな世界が当たり前にあるというのか。そのことを受け止めることが出来なかった。今までの余が世間知らずの、何不自由なく、育ちのいい、将来を約束された、ただの王位継承権一位の若造だと言いたいのか! オイルダラーで潤う、ただの一小国の、世を知らぬ王子に過ぎないとでも言いたいのか!
余はそのことを誰にも相談することが出来なかった。ゆえに一人で行動に移した。それが仇となった。まさか命を狙われるまで発展するとは。余は浅はかだった。軽率だった。
苦悩し混乱し、男は必死に走る。
その背後を追う者達がいる。
追う者と追われる者。
追われる男は見るからに華奢だった。
身を包むそれは意図的にチープにしていた。
しかしその仕草、肌色、取り忘れている装飾品。
そういった詰めの甘さ。
所詮は素人。それなりの地位にある者だというのが透けて見える。
何より体力が無さ過ぎる。
今まで何不自由なく暮らしてきたであろうことが見て取れる。
対して追う者達はプロフェッショナル。
つまりは「命を狩る者」のそれだ。
一切の無駄のない動きで追う。
追う者と追われる者の距離が徐々に狭まる。
決して油断だとか舐めてるとかではない。
都合よく殺るにいい場所へと誘導しているのだ。
確実に仕留めるために、ゆっくりと距離を縮めているのだ。
「あうっ、うわっ!」
追われていた男が路地角を曲がったところで、積まれた廃材に足を取られて派手に転ぶ。まるで漫画の一場面の様に盛大に転ぶ。
弱き者のその「弱さ」が幸いするというのだろうか。派手に転んだにもかかわらず、身を縮め丸くなったが故にゴロゴロと転がり、制動距離は伸びたものの男はたいした怪我をすることはなかった。
その転がる肉体は、先にあった大型のゴミBOXに当たり制止する。
「ウニャーーーーーオォンッ!」
その大型のゴミBOXで、今宵のディナーを堪能していた一匹のシャム猫が驚きのあまり跳ね上がった。
それに伴い、まだ肉片を多く残した骨付きステーキの残骸、キャビアだとかアンチョビだとか良くわからない高級食材が乗っかっていたであろうバケットの残骸、その他諸々が派手に飛び散る。
仄かにビネガーなのか果実盛り合わせなのか、酸味を伴ったフレッシュな香りが辺りに漂う。
「おやおや、逃げることも上手にできないとは情けないですな、王子。
ふむ、その様子では、まだ中を見てはいなかったのですかな?」
「余の、余の邪魔をするな!」
追いつめてきた者のリーダー格。軍服に身を纏い豊かな髭を蓄えた男が、ニヤリと笑う。まさに悪役。
「少々勘違いしているようですな。
邪魔なのはあなたの方ですよ、王子。」
余が王位継承権一位の王子だと知っての狼藉か! まさか余が単独行動をとったことにより、ここぞとばかりに王国の転覆を狙うか! 秘密裏に亡き者にしようというのか! この余を!
髭リーダーの合図で周りの男どもの銃口が一斉に王子に向けられる。
王子危うし!
この空気は知っている。
慣れ親しんでいる。
露骨な殺意。
男たちが叫んでいるが何を言っているのかはわからない。
いつも誰が喋っていようと何を言っているのかわからないが。
今日はいつも以上にわからない。
ゴミBOXの陰から現れたわたしを見て驚愕する男たち。
瞬時に殺意がわたしに向けられる。
だがもう遅い。
予め手にしていたガラス片をアンダースローから投擲。
1人、2人、3人、4人。
逆サイドの端に接近し喉を刈る。同時に隣の者の心臓を一突き。
内の一人が錯乱しサブマシンガンを乱射する。
照準の合っていない銃器など脅威ではない。
身を沈め躱し、ゴミ箱の蓋を手に取る。
そのまま円盤投げのようにスロー。
乱射男の首が飛ぶ。
「残り……、2人。」
髭の男へ目を向ける。
何か叫んでいる。
まずい。
手にしているのは手榴弾。自爆か。
すかさず接近しながらナイフを投擲。
反転しながら髭男の突き出した手首を切断。
空いた左手で手榴弾をキャッチ。
即、再制御。
……あと1人。
髭男の眉間に刺さったナイフを回収する。
転んでからずっとへたり込んでいる男を見る。
殺意は感じない。むしろ怯え。
脅威ではない。つまり除外。
殺しても報酬はない。
もっとも、その前の殺しも無報酬。
いわゆる無駄働き。
あぁ! アッラーの使いだろうか! 余のピンチを救いに降臨した天使だろうか! ミカイールか!
いや違う、こんな殺伐とした路地裏に降りてくださることはない! そうだ、余は知っている! この人の存在を余は知っているっ!!
服装はあれだが、それは世を忍ぶ姿! 東洋系の顔立ちに眼鏡、そして巨乳!
間違いない!!
「そう! あなたはニンジャー! つまり「クノイチ」ですね!
なぜ我が王国でネイティブアメリカンの格好をしているのかわかりませんが、余は騙されません! まして先ほど「ニンニン」と呟いたのを聞き逃しませんでした!」
王子はジャパニーズカルチャーに精通していた。遠い遠いイーストエンド、異国の地「ニポーン」に思いをはせる。
ジャパニーズカルチャーを取り入れるべく、「ニポーン」との流通を提案した大臣を全面的に、全力で支援するほどのジャパニーズカルチャー「オタク」だ。
女は暫し瞑目した後、首を横に振る。
何を言っているのか全く分からない。辛うじてわたしのことを「くのいち」と呼んだのはわかったが、わたしはそんな名前ではない。
そもそもからして、わたしに名前などない。
ちなみにこの女、数字は「イチ、ニ、サン、シ」という数え方しか知らない。
王子は思った。
またもや余は興奮のあまり軽率な行動をしてしまった。世を忍ぶ者、ニンジャーに「あなたはクノイチですよね?」と聞いて応えてくれるはずがないではないか!
だが余はますます確信した。無言を貫き通す姿、間違いない!
「ニンジャー」が無言なのは常識だ!!
ぐぎゅるるるるるぅぅぅう
何の音か。
聞き慣れぬ音を聞いた王子は、歓喜に震える状態から我に返り「クノイチ」を再び見た。興奮冷めやらぬまま、ガン見した。
その目、その表情。見覚えがある。
そうだ。幼少の頃に飼っていたリスザルのアメナだ。お腹を空かせたあの時の表情と同じだ! 「メハクチホドニモノヲイフ」だ! 「イシンデンシーン」だ!
あぁ! そうか!
これが「ハラガヘッテハ、イクサハデキヌ」という「コトワザ」か!
察した!
いやむしろ余は、命を救ってくれたことに対する礼をせねばならぬ立場ではないか! 何を躊躇してるか!!
「すまない、余にはまだやるべきことがある。今は王宮に戻るわけにはいかないのだ。本来であれば余の命の恩人に対し、相応の報酬を与えねばならないのだが、
あぁ!」
王子は感情を爆発させ、立ち上がった。
「いやだが余は食事の用意ぐらいはできる。余裕で頑張れる。
それにその服装、肌の露出ではかえって目立ってしまうであろう。
一緒について来てはくれないだろうか? 「クノイチ」よ!」
女は理解した。
男が何を言っているのか、なぜ目をキラキラさせ興奮しているのかは全く分からなかったが、理解した。
この男は先ほどの報酬をくれる気だ。
女は頷いた。
なんとエキセントリック! なんとミステリアス!
王子は感涙の一歩手前まできていた。
自然と歩く足に力が入る。
王子としての気品を、品格を取り戻す!
王子が「クノイチ」を連れ、王国でも1位2位を争うほどの最高級ホテルへと足を運んだ。幸い空港から近い場所に構えていたため、10分も歩かぬうちに着いた。つまり先程まで二人がいたのは、その最高級ホテルの裏路地だった。
「総支配人を。」
王子はホテルに着くなりドアボーイにそう告げると、余裕の表情、いつものノリでロビーのソファに腰を下ろす。
まもなくして、いぶかしげな表情で現れた総支配人が二人の訪問者を見てギョッとした。まじで油断していた。
「こ、これはこれは王子さ
「シッ! それ以上は言わないでくれ、総支配人。
余らは訳あって今は身分を隠している。目立つわけにはいかないのだ。」
総支配人は「いや王子、既に十分目立ってますが?」と思ったが口には出さない。まして最高級ホテルの総支配人。そんなことは顔に微塵も出さない。
辛うじて王子はなんとなく変装しているようだ。確かに庶民が王子を見て「王子」であるとわかりはしないだろう。
が、連れの女性がかなり目立つ。
なんで北米の民族衣装なの?
「さようでしたか。それでこの度はどういったご用件で?」
「うむ、まず食事がしたい。
それと彼女にヒジャーブとアバヤ(イスラム圏女性の代表的な服装)を用意してはくれないだろうか?」
「かしこまりました。ではこちらに。」
お客様の要望には真摯に応えるのが最高級ホテルたる総支配人の務め。
お金さえ払ってくれればどんな要望でも、無茶振りでも聞く。
まして相手は王位継承権一位の王子。ここでポイントを稼がないのは愚か。
もちろんそんな思惑を態度、顔に出すことはない。
だって総支配人なんだもん。
「目立ちたくない」という王子の要望をかなえるべく、VIP専用通路を通り、VIP専用エレベーターを使用し、VIP専用の最上階のスィートルームへと案内する。対VIP仕様の接客で。
「しばし夜景を、我が国の王子たる貴方がその手に収めたる宝石の煌めきを、ごゆるりとご観覧しお待ちください。」
総支配人は思いつくままに恭しくそう言い、深々と礼をしてその場を後にした。
きっとこれでOKだ。
「失礼いたします。」
総支配人からの指令。
この王国内で自他ともに認める最高級ホテルの存亡を、
ハイリスクハイリターンな指令を受けた女中三人衆が姿を現す。
目下の指令は、王子のお連れ様の衣装直し。
手元にあるは数種類のアバヤ。いずれも最高級品。
「うむ、早いな。ではさっそく頼む。」
王子は「クノイチ」にジェスチャーで促す。
いささか緊張気味の女中たち。
対して無言を貫く堂々とした「クノイチ」。
改めて「ニンジャー」の偉大さを王子は感じた。
女は促されるに従い隣の部屋へと移動する。
報酬はまだだろうか。そろそろ限界が近い。まずは肉が食べたい。
このままでは空腹で倒れるかもしれない。
女中の内の一人。
明らかに高齢なこの者。勤続年数は総支配人を越えていた。
つまり発言力は総支配人に及ばずとも影響力は絶大。
そんな彼女に総支配人から指令が下りた。
普段は目の上のタンコブなのだろうが、その総支配人から頼まれた。
「全身全霊で衣装合わせをしてくれ」と。
それ以上は聞くまでもない。
つまりこれは、このホテルの存続をかけた戦いなのだ。
ならば我が生涯史上、最高のパフォーマンスを発揮せねばなるまい。
「お召し物を失礼いたします。」
なんだろう、この女の無気力さは。
そしてロボットがシステムダウンしたかのような、生気のない猫背具合は。
この東洋人に対し、王子は最高級のもてなしをしようとしている。
私の経験値をもってしても推し量ることが出来ないというのか。
困惑。
だが私とて伊達に行き遅れたわけではない。
つまり男より仕事を取ったことによる高貴なるプライド。
負けるわけにはいかぬ。
ここで引き下がれぬ。砕けぬ! 折れぬ!
ハッと息をのむ。
なんと絞られた身体だろうか。
とても生気のない者のそれとは思えぬ。
そして両腿に備え付けられたダガーナイフ2本。
そうか。そうなのか。これが東洋の魔女か!
だが私とてこの道30数年のプロフェッショナル。
そんなことでは動じぬ。
東洋人にしては胸が豊かだが、そんなことで怖気づかぬ!
「おおぅ!」
思わず王子は感嘆の言葉を漏らしてしまった。
なんと崇高なることか。
「クノイチ」の儚げが、その身にまとった若竹色の布地に際立つ。
直視できぬ。
これが噂の「イロジカケ」という忍術なのだろうか!
素肌が見えなくなったことにより、逆にその布下の秘匿への想像を掻き立てられる!
間髪入れず豪勢かつ豪快な料理の数々が部屋に運び込まれる。
ナイスタイミング。
王子はその心の動揺を隠す術を手に入れた。
「好きなだけ食べてくれ。
おっとここは「イタダキマース」かな?」
王子が目をつぶり手を合わせる。
郷に入れば郷に従えとは言うものの、来賓の風習に合わせるのもまた王たるものの務め。つまりそれが王族クオリティー。
王子は優雅さを滲ませながら静かに目を開けた。
「おおぅふ!」
またしても感嘆。
これが忍術「クモガクレーノジュツー」というやつなのだろうか。
先程まで目の前にあった料理が、肉を中心として半分ほど消失していた。
「流石、東洋の神秘。ニンジュツー。
だが負けてはおられぬ、余もいただくとしよう。」
王子は食事をしながら「クノイチ」に、自分がいかにジャパニーズカルチャーに引かれているのかを語った。この王国にもっとジャパニーズカルチャーを広めたいと熱く語った。
「クノイチ」は無言で肉を食している。だが自分のこの熱い思いが伝わっているのがわかる。まるで全てを吸い込むかのような懐の広さだ。そして胃袋も広い。
王子は肉料理を数種類、追加オーダーした。
余は余の、そして「クノイチ」は「クノイチ」の戦いが待っているのだ。
そう、これが「カッテカブトノオヲシメーヨ」
身体が、心が、力強いエネルギーで満たされていく!
「ありがとう、「クノイチ」。
余の折れかけた心が、再び奮い立った。貴女のおかげだ。」
王子は最後の骨付き肉を食べ終え、その骨を静かに皿の上に置いた。
「余は再び戦場へ戻る。あの空港の倉庫へと!」
女は男を見た。
何を言っているのかさっぱりわからなかった。日頃見ることのないタイプ。熱く、よく喋る男だ。何かしらの決意をしたことだけは、辛うじてわかった。
どうやら報酬タイムは終わりのようだ。
さてこれからどうしたものか。……トムにでも相談しようか。
「クノイチ」がスッと音もなく立ち上がりドアへと向かう。
そうか、貴女も戦場へと向かわれるのか。「ニンジャー」は極秘任務のために動く。これ以上の邪魔だてはできなかろう。
本当は、倉庫まで一人で行くのはちょっと心細いからついてきてほしいなぁ、とか思ったが言えない。言えるわけが無い。
王子はこぶしを握り締め、立ち去る「クノイチ」の背中に声を投げかけた。
「さらばクノイチ! ゴブウンオー!」
女はエレベーターを見る。
なにやら特別な装置を働かせねば動かないようだ。
斬るか……
いや、それで動かなくなってしまっては困る。
奥へと視線を向ける。
非常階段を発見。
そこから降りるか。
ドアの前に近づく。
不穏な空気を察知。
音もなくドアを開け階下へと意識を向ける。
殺意が伝わってくる。
武装した集団が登ってくる。
先ほどの報酬は前払いだったのだろうか。
確かに今までに比べるとはるかにボリューム満点だった。
暫し考えた後、女は階段を転げ落ちていくかのように一気に階下を目指す。
音もなく、気配もなく。
登ってきていた障害を全て葬っていく。
若竹色の風が降りていく。
ホテル裏口を出た一陣の風は、そのまま裏道へと消えていった。
そんな脅威が迫っていたことも、跡形もなく排除されていたことも知らずに王子は空港の倉庫へと向かった。自分も忍者になったつもりでシュシュシュと走ってみた。時折、走るのに疲れると印を結んで物陰に潜んでみた。
「キリステゴメーン!」と呟いて手刀で空を切ったりもしてみた。
だが王子が心配しているような脅威が身に降り注ぐことはなかった。全くの障害なく、目的の倉庫へとたどり着いてしまった。
倉庫の扉を開く。
ギギギギギ。錆び付いた重たい音が倉庫内に響く。
「ウニャーーーーーオォンッ!」
その音に驚いたシャム猫が走り去る。
その鳴き声に驚いた王子が跳ね上がる。
「まさかここまでやるとは思ってもみませんでしたよ、王子。」
「誰だ!」
倉庫の暗がりから一人の男が歩み出てくる。
「だ、大臣か? なぜ大臣がこんなところに!」
そう、この大臣こそは王子にジャパニーズカルチャーを勧めた張本人。
その目的は王位継承権一位の王子を後ろ盾にし、日本との流通ルートを確保すること。そしてそれを隠れ蓑にし、ジャパニーズマフィアへと銃器などの武器を横流しすること。まさに黒幕! まさに悪役!
王子を甘く見ていた、まさか感づかれるとは!
そして手駒にしていた兵士を一夜にして壊滅させられるとは!
最早この国に居られる場所はない。
この王子をここで葬り、どっかのリゾート地に高飛びするしかない!
そこで美女たちに囲まれてウハウハと余生を過ごすしかない!
武器の横流しで得られた金は、始めたばかりだから少ないけれども!
ちょっと美女の人数は減ってしまうかもしれないけれども!
「死んでもらいましょう、王子!」
大臣が銃口を王子に向けた。
ジャパニーズカルチャーを大臣から教えてもらったときは衝撃だった。
その一端を知った時、余の中に稲妻が走った。
こんな素晴らしい世界が当たり前に「ニポーン」という最東の国にはあるのだということを。
御伽噺のような話を、余は受け止めることが出来なかった。
それからは夢中でネットを漁り、ジャパニーズカルチャーを勉強した。
すればするほど欲した。
その大臣が余に銃を向けるというのか!
信用してたというのに!
めっちゃ尊敬してたのに!
まさか王国の転覆を狙う張本人は大臣だったのか!
いやそれとも、
それともあれか!
余が秘密裏に仕入れたあれは非合法だというのか!
戒律違反だというのか!
いくらなんでも行き過ぎだというのか!
だが命を取るほどのことでは無いではないか!!
「ま、待て! 落ち着け、大臣!」
「いいえ、もう時間切れです。」
大臣は銃を構えながらも腕時計をちらりと見た。
今夜の最終便までの時間がもうない。
これを逃して明日の朝まで待つことは不可能だろう。
今やるしかない!
大臣の銃を握りしめる手に力が入る!
またもや王子危うし!!
その時、二人の間に差し込んでいた月明りが遮られる。
ハッと大臣は倉庫の高窓を見上げる。
月をバックに一人の影。
「クノイチ……、だと!」
まさにその立ち姿、後光の月明かり、緩やかに流れる風。
妖艶に輝く白い肌、顔を覆い隠す神秘な風貌、首元からたなびく布。
そして巨乳!
まさしくニンジャー・クノイーチ!!
王子は驚いた。
なぜ彼女がここに!
余を、余をまた救いに来てくれたというのか!
だが「クノイチ」は静かに佇んでいるだけだった。
静かにその存在を顕現しているだけだった。
そうか、そうなのか。
王子は大臣へと視線を戻す。
いまだに大臣は「クノイチ」に目を奪われていた。
好機!
王子はシュシュシュと走る!
そうだ!
余の心にはすでに「シノビ」を伝授してもらっているではないか!
「オイノチ、チョウダーイ!」
王子の渾身のタックルに大臣がよろけ、手にしていた銃を落とす。
カランカラン カスーーーン
はずみで倒れた際に、しこたま頭を打って大臣は気絶した。
王子は立ち上がり高窓を見上げる。
だがそこにはもう「クノイチ」の姿はなかった。
「行ってしまわれたのか、クノイチ……。」
王子は哀愁を漂わせ、自身の目的を達成するために倉庫の奥へと向かった。
小包を扱うゾーンへと入る。その棚に並ぶケースの中から一つの包みを取り上げる。その場で王子はその包みを開けた。紙を破くビリビリという音だけが木霊する。
中から出てきたのは数冊の本、「ドウジンシー」。
流石に王子は恥ずかしくて、その本を取り寄せたことを誰にも言えなかった。局留めにするにしても王子という身分と名は、あまりにも有名すぎた。
王子は手にした「ドウジンシー」を胸に抱きしめる。
「いつか、いつか余は貴女の国へ行く。必ず!
イーストエンドの聖地、「アキハーバラー」で会おう! クノイチ!!」
倉庫街の裏手。
女は目的の気配を追い、静かに地に降り立った。
『ハイ、トム。』
『ふむ、名も無き奴か。
その様子だと、美味しいディナーにはありつけたようだな。』
トムがスンスンと匂いをかぐ。
『しては奴、ずいぶんとボロボロな服装ではないか。』
女をドレスアップしていたアバヤは極限まで切りそろえられ、白い肌が露になっていた。最早見る影もない。
ヒジャーブだけが顔を覆い、余った布が首元にたなびく。
『ドレスは動きにくいから、余分な部分は切り捨てた。』
『なるほどの、動きやすさ重視か。それも一理。』
トムがシュタッと木箱の上に乗り、その場に座す。
『ところで奴。吾輩の見立てでは、ここは奴のいるべき世界ではないのではないか? 奴の魂に大きな使命を感じる。未来を感じる。
ふむ。戻るが良かろう、帰るが良かろう。奴の国に。』
『……。』
『あそこに見えるジェット機、あれが奴の国へと向かうであろう。』
『ありがとう。助かった、トム。』
『ではな、名も無き奴よ。
往く路に幸多からんことを。インシャアッラー。』
女はトムに別れを告げてジェット機へと向かった。
見送るシャム猫の尻尾が、大きく、そしてゆっくりと揺れた。
場面は変わり再びイーストエンド。殺風景な雑居ビルの一室。
薄暗い部屋へ、僅かに隣ビルの壁が反射した夕日の明かりが差し込む。
男はスマホのニュース画面を閉じ、無造作にソファーの傍らに放り投げた。
「クソ。
横やり入れて流通ルートを奪おうと思ったら、元が壊滅とはな!」
そこに女が音もなく、生気もなく現れる。
いつも通り突拍子もない服装。なんだ? テニスウェアーか何かか?
「悪ぃが、今回は無駄な仕事だったようだ。」
男がクリップ止めされた紙束をテーブルに放る。
カサカカン。その紙束には、「牛丼無料」「大盛り無料」「お好きなトッピング1品」と大きく印字されている。
女は無言、無表情でそれを手に取り踵を返す。眼鏡のレンズが光を反射し残す。
「また連絡する。今度はもっと実入りのいい仕事を用意してやるよ。」
女は男の言葉に反応はしなかった。
毎日が同じことの繰り返し。
ただ今回は少しだけ、熱かった。
女の首元の若竹色のスカーフが、風もないのに静かに揺れた。




