朝焼けの空(舞台袖)
「いやいやいやー、これはどーもどーも!
蛙水、かーわーず、みーずー、でございますー。覚えて頂けましたか、私の名前。
そうそう、営業の蛙水でございますよー!
え?
漢字はカエルピョコピョコの「蛙」に、「水割りをくださ〜い♪」の「水」でございますよ!
ほうほう、なかなかの美声と!
そりゃあまぁですねー、私し営業が長いものですから、接待なんかでは歌うこともしばしばでして、ですねー。
どーですぅ? 今度、一杯?
ははは、そうですかそうですかー!」
そこで一人、納得した様子の蛙水は大仰に両腕を上げ、舞台へと促す司会者かのように背後に広がる視界へと導く。
暗闇の中で瞬くそれはまるで湖面に反射する月明りのようで、夜の街明かりが儚くか細く明滅を繰り返している。
あたかも人の命の儚さを象徴しているかのようだ。
僅かに喧騒が聞こえる。眼下には山林の間に割って入ったような境内が広がる。
そこには戦闘が、桃太郎一味と鬼達の戦いが佳境を迎えていた。境内を一望し見下ろすその風景は、まるで舞台の特等席のようだ。
眼下。そう、ここは境内から少し離れたところに立つ五重塔の最上階。いやその上の、屋根の上。
「どうですか、試合の方はー?
解説の兵跡さーん?」
戯ける蛙水に、ハーフコートを着た男(夜だとはいえ、夏だというのに暑くないのだろうか)、兵跡と呼ばれた男は短く舌打ちし、視線を眼下に向けたまま無言を貫いている。
蛙水に対してもさることながら、どうも戦況が面白くないようだ。
ポケットハンドのまま立ち尽くすその姿は、何かしらの衝動や感情を抑え込んでいるように映った。
「あの男…」
「あー桃太郎くん、幌谷くんですかぁ?
彼、頑張ってますよねー。」
「あれを放っておいてどうする気だ。
蛙水、お前は…、上は何を考えている?」
「いやいや、兵跡さん。
私は上司の指示で動いているだけですからー。私如きがわかる訳ないじゃないですか。それを考えるのは私の仕事ではありませんよー?」
蛙水は表面だけ繕ったような、いやらしい営業スマイルを浮かべる。兵跡は蛙水の方を見ることなく視線を桃太郎に向けたまま、また短く舌打ちした。
「観てて得るものも無い。
ピースアウト」
兵跡はそう言うや、その場から無挙動で消えた。遅れて足元の瓦が静かに亀裂が入る。
刹那に跳躍して立ち去ったようだ。
「おやおや、気の短い方ですねー。
ほらなんと言いますか、営業は忍耐ですからねぇ。面白くなるのはこれからだと思うのですが。」
オーバーアクションで兵跡を見送った蛙水だったが、特にそのことを気にしている様子はない。
蛙水の視線の端を追うと、どうやら兵跡は蛙水との会話に嫌気がさし、場所を変えただけのようだった。おそらく別の場所から続きを見ているのだろう。
戦況は一方的に終局するようだったが、にわかに桃太郎の様子、気迫のようなものが禍々しく変化する。あれは鬼の瘴気とは違ったが、明らかに異質な存在だ。
それを見た蛙水が殊の外、嬉しそうにニヤニヤと笑う。
そしてそこに、さらに異質な存在、全身を黒い衣装でまとめ日傘を差した女(夏だとはいえ、夜だというのに意味はあるのだろうか)が姿をあらわす。戦況が大きく傾く。
だがその日傘の女は、桃太郎の気迫を押し潰した(文字通り足裏で「押し潰した」のだ)。
「一体なんなの?
あの女はなんだっていうの?」
「どーもどーも雨早川さん、お疲れ様ですー!」
深紅のドレスに身を包み一風変わった面を付けた女、雨早川が戦線を離脱し、蛙水の横に降り立つ。
女の周りには、地面に着いて吸い込まれ消えていく牡丹雪のように、はらはらと紙吹雪が数枚落ち、そして消えていく。
「お疲れ様ですじゃないわよ、マネージャ?
あんな女のことなんて聞いてないんですけど?」
雨早川の表情はその一風変わった面のお陰で伺うことはできないが、明らかな苛立ちがその声に乗せられていた。
だが蛙水は、すっとぼけた調子を崩すことはない。
「あの女と言いますと?」
「あの黒い日傘の女に決まってるでしょ?」
「あぁ、あれですか?
あれはまぁ、気にしないでくださいー。
イレギュラー。調停者、調整役みたいなものでしょうから。」
「全然っ、答えになってないんですけど?
もう帰っていいかしら?
結果はどうだか知らないけど、私は言われたことしましたから? あの女の分は報酬に上乗せしなさい、蛙水?」
「ははは、仰る通り。
報酬については上司に報告しときましょう。」
蛙水の感情に欠いた上部だけの笑いに嫌気がさしたように、雨早川は露骨に態度で示す。両手を腰に当て、右足を打ち鳴らした。
一陣の風が強く吹き、紙吹雪が足元から突如舞い上がる。紙吹雪に視界が奪われたかと思うと、瞬く間に雨早川はその場から姿を消した。
神出鬼没とは言うが、まさにどいつもこいつも、突然現れ突然消える。
「さーて、我々も消えるとしますか、荒渡さん。」
蛙水が振り返り、口元を一直線に結んだ「満面の営業スマイル」とやらでこちらを見た。
確かに蛙水のこの顔を見ていたら、突然消えたくなるのも頷ける。
「いやー、そうっすねぇ。
荒渡、正直高いとこ苦手っすから!」
「参考になりましたかねぇ?
次は期待してますよー、荒渡さん。
いくら言われた通りやるとはいえ、やはり結果を出さなくては成績になりませんからねぇ。上司は命令こそすれど、責任は持ちませんから。
いやいや、これはこれは。とんだことを申しました。
責任なんて我々が考える仕事ではありませんよねー、ははは。」
「んま自分、荒渡は底辺なんで、なるだけ全力でやるっすよ!」
いつの間に夜が明けたのか。
朝焼けに染まり紺と赤紫に滲んだ空が、世界に広がる。空模様に気を取られているうちに、蛙水は消えたようだ。
気が短いのは鬼の性分なのか?
「んま、自分はゆっくりと帰るけどね!」
僅かに誰かの視線を感じたがそれには気を止めず、この場を立ち去ることにした。
きっと面白いことになるに違いない。じゃなきゃ鬼なんてやる意味ないじゃんか!




