砂丘に建つ倫理(奈落3:SE)
僕は歩いていた。
重い荷物を、身の丈に合わぬ巨大な荷物を背負い、ただ歩いていた。
ここは何処だ? 僕は何のために歩いているのだ? 何処に向っているのだ?
この荷物はなんだ? 僕は誰だ? いつ辿り着くのだ?
灼熱の日差しが僕を焼く。時折吹く風は僕を癒すことなく、巻き上げた砂塵を僕に浴びせる。
口の中がじゃりじゃりとする。全身に入り込んだ砂がきしきしと、僕の身体を軋ませる。
ここは……、砂漠か。
僕は……、生きるために歩くのか。
疑問は解決したように見せかけて、新たな疑問を提示する。
何の為に生きているのだ?
僕は……、その答えを求め、向かっているんだったか。
この荷物は……、そこに届けるために背負っているんだったか?
いや違う……、この荷物はそこに辿り着くために在るのか。
砂丘が続く。生物の恵みたる太陽は、容赦なく僕を焼く。
僕は……、誰だ?
何のために存在するのだ? 僕は何を為すのだ?
いつ……、それは為されるのだ?
同じように隣を歩く男を見る。
僕と同じように、汗を流し、歯を食いしばり、虚空の一点だけを睨みつけ、歩く。
徐々に僕との距離が離れていく。
些細だったはずの角度。それは進めば進むほどに、大きな距離となって僕らを阻む。進む道を違えた僕らが離れていく。
欲するほどに深く、欲するほどに濃く、欲するごとに闇に堕ちていく。
やがて帳が下りる。夜に反転する。闇が来る。
「日読みの酉が九十匹。
苦悩を美化して酔いしれるなど、哀れさを通り越して憐れですね。」
一々五月蠅い。嫌味もほどほどにしてくれ。
砂丘の一つに腰かけたサクヤが、日傘をくるくると回しながら見下ろし呟く。
まったく、陽は堕ちてるんだから日傘をさす必要はないだろ!
そのサクヤの背後に大きな月が輝く。月明かりが辺りを青白く染める。
その青白い砂の世界で、僕は遂に歩くことをやめ、膝をつき手をついた。
「ねぇねぇ! 君はさぁ!
此処まで何を学んできた? 培ってきた、得てきたものは何?
何が君の欲動を抑えるの? その手に握ってるものは何?」
砂の上に転がる、首だけの僕がけたたましく問う。
何だよ「其は何ぞ」みたいな質問は。
両手を持ち上げ眼前に掲げる。
握ったはずの砂が、開いた途端に滑り落ち零れていく。
再び逃がさないように握る。強く握る。
救いたい。僕の手で掬えるのならばその命を、想いを救いたい。
目の前にあった僕の頭部が砂に埋もれていく。
あぁ、この砂の一粒一粒が命だというのか。人々の想い、記憶だというのか。
沈んだ僕の頭部のあった場所が、蟻地獄の巣か何かのようにロート状に吸い込まれ、逆円錐を作っていく。全てを飲み込むように砂が流れていく。僕は流され喰われていく砂を繋ぎとめようと、その流れに爪を立てる。
やがて大きな穴となった底から「僕」が姿を顕し、僕に満面の笑みを向けた。
「じゃじゃーーーん!」
ばっかじゃねーーーの?
僕の姿で変な演出してんじゃねーーーよ! 桃太郎!!
夢見が悪いんだよ! そういうの!
「えーーー、ここは大爆笑、ドッカンドッカンな感じじゃないの?
まぁいいや。
んでさぁ、それ其の倫理? 万民を救いたい的な?
大業にして大儀、大概に壮大な縛りだねぇ。
ねぇ? どうなの?」
五月蠅い。
そう思って、そう願って何が悪いってんだよ!
「ん~、
それはおいらが鬼を、鬼の根源の全てを断とう、絶とうと思ったことと同じぐらい大きいなぁ。
それってさ? 可能なのかな?
欲動は『鬼を倒したい』、つまり根絶して民を救いたいわけでしょ?
んで、倫理は『人々を救いたい』と。鬼を含めて?」
桃太郎が砂を海原のように泳ぎ始める。
「鬼を倒したい~、鬼の根源を潰したい~。でもその根源は民人~。
民人を救いたい~。鬼も含めて救いたい~。」
一度、大きく飛び上がると、その勢いで水面下、いや砂原へと飛び込み沈んでいく。
「それってさぁ、相反するよねぇ。
そこの此花みたいにさ。」
どういうことだよ?
「最初にさぁ、僕の欲動を聞いたよね?
それってつまりさ、僕、おいらなわけ。鬼を滅するのはおいらの務めなわけ。
だってそのために生まれたんだからさぁ。それ以上もそれ以下も無いでしょ?
んじゃさ、その相反する倫理って何?
陰と陽、因と果、裏と表、光と陰、黒と白、生と死。
こいつさぁ、さもおいらの相反するもの、鏡の虚像みたいに振舞ってるけどさぁ、鏡だと自ら名乗ってるけどさぁ、それっておかしいでしょ? わかるよね? ここまで言えば。ね?」
つまり……、振り子のようにプラスがあればマイナスがある。
その点対称な虚像だと言うのか。
此花サクヤは何も言わない。
ただ僕を、いや僕を通り越して桃太郎を見つめる。
じゃあ僕はなんだって言うんだ。
僕のこの「人々を救いたい」という想いはなんだというんだ。
僕の周りに氷柱、巨大な霜柱が立ち上がっていく。
この砂の一粒一粒は人々か、人々の魂か。そこに結晶化した「記憶」が天を目指して立ち上がっていく。
それを砕くように立ち向かう男、先ほどまで隣を歩いていた兵跡が見える。必死に抗う男。記憶、いや生涯、天命に抗い続ける男。
現実を乗り越えようともがく男。
……。此花サクヤ、お前はなんなんだ。
「桃太郎が言ったとおりですね。
人偏に人屋根、人が人である為の一冊。
うちは相反する存在。強大な桃太郎が生まれたが故に抑止力として生まれた相対。
欠落した貴方にそれを与えるために今日まであった存在です。」
じゃあ、じゃあ僕は何なんだ。
「ピンとこないかなぁ。
おいらの逆が此花、此花の逆がおいら。」
「桃太郎の逆がうち、うちの逆が桃太郎。」
「つまりはさ。」
「つまりは。」
僕が起点……、無か。
鏡は鏡に在って其処に在らず
其処に写したるは虚像
実像を写し虚像をもって初めて其処に存在をみる
実像に虚像在りきか
虚像に実像在りきか
実像と虚像の起点に在って無きもの
実像と虚像在って無きものを認めるもの
其処が桃源郷
其処が無と呼ぶところ
僕はなんだ。
何もないのか。
「その決断は間違いではないでしょうか。」
この期に及んで何が言いたい、サクヤ。
「無を認めた時点で、貴方は無として存在している。
早い話が貴方は現世での起点です。
桃太郎が言うように、元の存在意義は鬼を滅すること。ひいては鬼の根源たる人を滅すること。其処にこに至るのが、無に帰すのが父母の請願だったのでしょうか。
うちはその真逆として誕生しました。
この際、桃太郎が先かうちが先かは問題ではありません。
幾度となく転生を続けて此処まで来ました。
此のまま花が咲くことなかったとしても、また来世に託すでしょう。
何度も何度も託すでしょう。請願が果たされるまで。
これもまた、父母の願いなのです。人々を、全てを救いたいという想いは。」
手を伸ばし話を中断させようとした桃太郎をサクヤが日傘で遮り、僕と二人だけの空間へと誘う。
日傘に包まれた世界で、僕はサクヤを正面に見据える。
「鬼を滅することだけを使命とし生まれたのが桃太郎であり、貴方です。
ですが育んできたその想いは人々を救いたいという一点です。
貴方は今その中心に、起点に、零に、無にいるのです。
在って無いわけではありません。無いがあるのです。
揺らぐでしょう。揺らぎでしょう。でもその揺らぎの中心を決めるのが貴方なのです。」
桃源郷送り
無に帰す力
僕の内に無の世界へと誘い内包する力
雨早川、荒渡、そして兵跡
其の人生が、想いが、怒りも悲しみも絶望も、僕の中に在る
失われた人々の想いも、鬼と化した者の想いも
全てが僕の内へ、桃源郷へ
無に帰すのとは違う
僕の内に帰すのだ
そこが桃源郷
「どのような花が咲くかは、咲かせてみなければわかりません。
咲かせる前に摘み取ることが、果たして正しいのでしょうか。
さぁご決断を。
時は待ってはくれません。今生はまさに刹那のこの瞬間に在るのです。」
わかってるよ。わかってる。
決断の時がもう来ていることは、わかっている。
原初の桃太郎と、現世の此花サクヤ。
二人の間で僕は今生の決断を下す。




