深淵に沈む調整(奈落2:Ego)
ずっだーーーん ぼわわわ わわぁぁぁーーーん
僕は海に落ちる。
激しい轟音と身体を打ち付ける衝撃。視覚、聴覚。いや、身体の全てで感じる。
衝撃から一転して、身体を優しく包み込む感覚。
あぁ、まるでこの世に生れ落ちる瞬間を逆再生しているようではないか。
生まれ落ちる瞬間なんて覚えてなどは、いないけど。
ぽわぽわぱぱぱ しゅうしゅ しゅるるるるるーーー
身体を音と共に気泡がすり抜け、上空へと吸い込まれていく。
上がっていく気泡に対して、僕は揺らめく光から遠のいていく。海の奥底へと沈んでいく。
光りが失われていく。
ここは光の届かない深海だというのに、実に光が散りばめられていた。
身体は強い水圧に絡め取られ、動くこともままならないというのに。
僕は深海の暗闇という光に包まれ、身体機能が喪失していく。
「やまいだれにマ用、痛い男にも程がある。
いっそのこと、そのまま闇と一緒に喪失してしまう方が世のためですか。」
此花サクヤが日傘をくるくると回し、冷ややかな視線を僕に投げる。
光る文字列の漂う虚空に腰掛けて。
「それは辛辣? お前風に言うと鍋蓋になんだろう? ハに一と十? 立つ十なのかな?
全く意味が解らないよね?
んまそれは、あまりにも、あまりにもじゃないかなぁ!」
初代桃太郎がクスクスと笑う。
相変わらず、少年時代の僕の姿で。
言うじゃないか。二人とも。
僕は気だるい身体を持ち上げる。
纏わりつく水圧。それは全て淡く光る文字列だった。つまり流れることをやめ、堆積していく世界の事象、歴史、過去ログ。
このまま僕も「過去」に統合され、沈み、封されていくのか。
上空を見上げる。
宇宙と深海。深海と宇宙。互いを譬えることもあるだろう。
そこには闇しかない。輝く水面上の明かりは、あまりに僕から遠い。
お前たちは僕に何を求めているんだ。何を為せというんだ。
僕は奴らから視線を外したまま、呟くように問いかける。
「何を為せ? 父様や母様なら「鬼を狩れ」って言うだろうなぁ。」
桃太郎が笑いをこらえながら言う。
「おいらもさ、父様と母様にそう言われたから、ばっさばっさと刈り続けたよね、鬼を。」
桃太郎の仮想鬼を相手にした演舞が始まる。
一切無駄のない動き。流れる水のように風のように。時に急激な光のように、緩慢な闇のように。
そこに感情は感じられない。自然現象のように。「自然」というものに「感情」を見出すのは人間の勝手な妄想だ、とでも言うように。
「おいらも狩り続けて狩り続けて気付いたよ、27816体目ぐらいでさ。」
桃太郎の手と一体化した蠢く刀を、付いた血を払うように一振りして僕へと満面の笑みを向ける。
「でもさ、「鬼を狩れ」だなんて、実に抽象的表現だよねぇ!
幸せになれだとか、強く生きろだとかみたいにさ!
具体的に、事細かに、毎秒事の動きを指示してくれって思うよね? 何を為せばいいのかさ!」
再び、桃太郎が刀を構える。
「父様から奪った刀、母様から奪った従僕。そして二人から奪い去った此の命。
鬼を狩って狩って、狩って狩って狩って狩っておいらは思ったよね! 鬼を狩った先だとか、鬼を狩ることの根本的意味だとかさ! だってさ、鬼は狩っても狩っても柴と同じく次から次へと生えてくるんだよ?」
桃太郎が手にした「柴刈乃大鉈」は、僕が扱っている物とは違っていた。最早、刀として一線を超えている。それはまるで意思を持った大蛇のようだ。それが腕から複数体生え、独立した器官のように蠢き、暗闇を喰んでいく。
「根っ子から狩らないと駄目なんじゃないかなぁ!」
にっこりと微笑む桃太郎。
お前は何を考え、何を想い、何を為した。
「取り敢えずさ、原初の鬼の首を刎ねたよね。鬼を狩れって言うしさぁ。
でもさ、そもそも原初の鬼とか言うけれど、鬼の原初は人間だよね? 根っ子は人間だよね?
おいらだって葛藤したんだよ? だってさ、根っ子を狩ったら、狩る鬼がいなくなるじゃん!
そしたらさ、おいらの存在意義は何?」
こいつ……、人間も刈る気だったのか!
「花は、竹に肉づき攵づくり、やがて散るのが定め。
ですが散るまで咲き続けるのが花。」
此花サクヤがゆっくりとした足取りで歩む。日傘が揺れる。
静かに桃太郎へと手の平を向け、制止のジェスチャーをとった。良くしゃべる桃太郎の口にバッテン印のガムテープが出現する。
最初はむーむーと抵抗を示した桃太郎だったが、直ぐにいじけた子供のようにそっぽを向き、しゃがんでその刀で地面を掘り始めた。
「この男は全てを無に、人類の全てを「桃源郷」へと送るつもりでした。」
サクヤが桃太郎へと向けていた冷たい視線をそのままに、僕を見据える。
「貴方が救いたいと思っているのは人々ですか。
鬼から救うためにはどうするべきですか。
どうしたらいいと思いますか。
鬼は何処から来ますか。
鬼から人々を救いたい、鬼は救いたい人々からやって来る。
どうすべきだと思いますか。」
僕は……、人々を救いたい。
いや、そんな大業を僕が為せるとは思ってはいない。そんなに僕は自信過剰ではない。
でも僕は人々を救いたい。少なくとも僕が知った人々を救いたい。不幸のままにはしたくない。
そのためには……
「其の為には。」
その為には……、鬼を狩らねばならない。
少なくとも目の前にいる鬼を排除しなくては……
「排除。
排除しようとする鬼は、元を辿れば貴方が救いたいと願った人々ですけどね。
その救いたいという自己満足のような欲望を為すために排除したいと。」
そんなこと……
そんなことは、わかっちゃいる。だから僕は、どうしたらいいのか考えているんじゃないか!
降り積もった「記録」が堆積する深海の奥底に僕は佇んだ。
傍らに荒渡タカミチが薄光となって並ぶ。おちゃらけた表情をそのままに。
「何すかなんすか? 桃っちは悩んでる感じっすか?
若者の特権、結論や行動をとらずに「悩んでる」とか言っちゃう感じっすか?
何のために生きている、アンサー「それを見つけるため」とか言っちゃう感じっすか?」
五月蠅いなぁ、もう。
邪魔するなら帰れよ。その泥土に。
「つれないっすねぇ、つれないっすなぁ。
折角、繋がったんだから、荒渡の椅子も用意しといてくださいよ。」
僕の中にある「荒渡タカミチ」のログ。
凄惨な暴力に染まったログを思い出し、その衝撃に気を失いかける。
僕は果たして荒渡と同じ結論に、その同じルートを辿らないと言い切れるだろうか。
お前の、お前の席は前から三列目、一番左側だ。
深海の奥底に、劇場の観覧席、いや教会の礼拝堂の席が整然と作られていく。
粛々とした空気が作られていく。
「それで、
それでこれからどういった講話を頂けるのでしょうか。
言遍に周る、調べは奏でられ物語は進んでおりますが。」
サクヤが中段ほどの右側の席に座り、優雅に日傘をくるくると回す。周す。廻す。
「ほんとさ~、この女、せっかちだよねぇ。
そんな簡単にさぁ、結論出せるわけないじゃない。
それであれだよ? 出した結論が気に入らなかったら「彼の世」に飛ばすとかさぁ。」
桃太郎がステージ上の台の端に座り、頬杖を付きながら呟く。
呆れ顔から一転し、思いついた!とばかりに笑みを浮かべ、すくっと立ち上がる。
「そんな時はさぁ、唄ったらいいんじゃないかなぁ!
もーもたろさん、ももたろさ~~~ん、」
なんだそれは。聖歌か、讃美歌のつもりか。
サクヤが心底嫌そうに、日傘を畳むとその先端を桃太郎へと向ける。
先程と同じように、バッテン印のガムテープが桃太郎の口を塞ぐ。
だが桃太郎は真顔になると、手にしていた刀で場を一掃した。
文字通り、その場から全てが消え去り、元の深海の奥底、何もない空間が広がる。
「とは言えさ、そろそろ調整は終わった? 自我は目覚めた?
救いたいわけでしょ? んじゃあさ、どうしたらいいと思う?
どうしようと思う? ねぇ、今生の君!」




