此処の唄(幕間)
「島ぁ、煙草。」
空の濃紺が徐々に薄くなる。薄紅の光が徐々に輪郭を削る。
あの先のビルの先の、海原にはもう陽が届いているのだろうか。
壇之浦ヨウコウは、最後の鬼の一体の鬼門を突きさし、その刀を手放した。
音を立て、地に腰を下ろす。背には砦と呼ぶには心持たない大型トラック。だが守り切った。この先の街を、この先の安寧を。
「湿気っちまってるぜ。」
胸元、いや全身が血に塗れていた。
こんな日は久々だ。
ましてやこれは己の血。シャツのポケットに入れていた煙草は血に濡れ、滲んでいた。
島と呼ばれた大男が跪き、煙草を差し出す。
添えられるライターの火。その着火音だけが夜明けを迎えるように響く。
その島も満身創痍。けっして無事な体とは言い難い。だが意識を保つは信念。
己の身がどうなろうと、主より従が先に地へとつくことは許されぬ。
深く深く、壇之浦は煙草を吸い込む。
ゆっくりゆっくりと味わい、天に向かって吐く。
「あぁ……、
こいつは確かに、体に悪ぃな。」
そこに、タイヤの鋭く地面を削る音。
1台のタクシーが、ややもすると止められていたトラックに追突するかの勢いで入り込んでくる。夜明けの静寂を突き破る。
「若頭ーーーっ!」
急停車したタクシーから降り立った男が、被っていたハンチング帽を握りしめ駆け寄ってきた。
「バカ野郎ぅ、外では社長って呼べと言ってるだろうが。」
「無事で……、ご無事でっ!」
「あぁ……、
そっちの首尾はどうだった。」
「はいっ! 申しつけられていたことは全て!
すみません……、オレ、オレッ……」
「ご苦労だったな、田村。」
壇之浦は田村に視線を合わせることなく、自分の吐いた煙を、天にゆらゆらと上り消えていく煙を見つめながら、田村の言葉を緩慢に手を上げ遮った。
「だがよ、忙しいのはこれからだぞ田村。
朝一で堅気衆に連絡しろ、金も物も人もすべて使うぞ。
この街を、復興だ。」
「は、はいっ!」
頭を下げる田村。そして共に島も頭を下げる。了承を態度で示す。
「じゃねぇとよ? 俺らは喰ってけねぇじゃねぇか。」
短く笑う。壇之浦はゆっくりと、そして力強く腰を上げた。
「田村、
今日からは、お前が社長な。」
「はい?」
「久々によぅ、動いたら陽が昇りやがるよ。」
朝焼けが空を染め始める。
「俺も動かんとなぁ。
本家を取りに行くぞ。日本全国こんなんじゃ、誰が守るってんだよ。
裏には裏のやり方、仕事があるってことじゃねぇか。
日陰もんだってよう、守りてぇ意地ってのがあるじゃねぇか。」
幾千も 割れ 欠け 抜けて
夜は明けて
響き鳴くとも 花はなくとも
仄かに聞こえる二人の息の音。
静寂であるがゆえに僅かに聞こえる。しかしすぐに草木へと吸い込まれ消えていく。
時折、軋みをあげるは車いす。それとて自己主張することなく、主を支えるために在る。
「あぁ、空が白ばんでいくね。
今日は晴れるかな?」
「どうでしょうか。
リュウエイ様がそう願われるのならば、そうなるのでは。」
「ははは、
そうであったなら私も、もう少し楽が出来そうなものだけどね。」
車いすに身を置く青年、リュウエイは朗らかに笑みをたたえ、夜明けを迎える空を見上げる。その視線には、曇りや陰りを感じさせることはない。
まるで車いすの部品の一部でもあるかのように、静かにそのハンドルを押す少女が続ける。
「楽などできるはずがないじゃありませんか。
業を斬り、業を絶ち、業を背負う者に安寧など。」
止められた車いす。
その50センチ四方に満たない世界。その世界に座し、支えられながらリュウエイは夜明けを見た。世界を未来を見た。
望む望まぬではない。進まねばならない道。歩むべき先。信じ往く未来。
「あぁまったく。
リュウジンが一歩も二歩も先に進むから。
こっちは走るのに必死だよ。」
「本当にそうですか?」
「おっと笑うなよ。
先に進んでいる者だってね、それなりに必死なものなのだよ。」
夜明けの空に手を伸ばしながら何かを求め掴むように、リュウエイは独り言のように呟き、次なる指示を伝えた。
「各所へ伝達を。
鬼の残党殲滅へと任務を移行する。
情報収集及び作戦指示、その他移動手段の手配等はこちらで引き続き統制。
完遂目標は陽が昇り切るまで。
日常が目を覚ますまでに。」
息を深く吸い、しばし己の内に留める。
「鬼を斬るのが我ら。鬼を葬るのが我ら。鬼を送るのが我ら。
今こそが本懐。
哀しみの連鎖は我らが止める。それが浦島家の務め。」
「かしこまりました、リュウエイ様。」
少女が一礼し、その旨を統制本部へと連絡する。
静かに二人へと、朝の香りを含んだ風が流れていく。夜は明ける。
朝焼けの 流るる水面 写し世也
サラリ落つ花 舟は背負いて
「決したか。」
山柴イチモンジは短く、つぶやいた。
濃紺から朱色へと空を染め上げ、夜が明けていく。今宵の御伽噺が閉じる。
隣に立つ千条ヤチヨは何も語らない。
その無言が「応え」と言わんばかりに言葉を発せずただ、夜明けの空を見つめていた。
強くなっていく明かりに目を細め、浅く息を吐く。
暫しの時経つを見届け、ヤチヨが問い尋ねる。
「不服かや?」
「不服、……不服か。」
イチモンジがすっと指を立て、天を示した。
「我らは賽を振った。」
ゆっくりとその指が昇る陽を斬る。
「その出目に不服など、あるはずもなく。
賽を振った時にすでに、先を今際を受け入れておる。」
「ただ……」
ヤチヨが扇子を開き、口元を覆い、言葉を黙した。
「そう……、だな。」
イチモンジの降ろした指の先、そこにいるは桃太郎。
今生の桃太郎。そしてその答え。
「忙しくなろう、な。」
陽が昇る。
幾度も幾度も、迎え受け入れてきた朝日。
イチモンジは誓願新たに己を、心を、身を引き締めた。
「さて、そろそろ行かせてもらうとするよ。
事後処理も立派な勤め。こっちで請け負わせてもらう。
見届けは任せたよ、イチモンジ。」
「やれやれ、今回は儂の役番か。
では暫しな、ヤチヨ。握り飯、旨かったよ。」
ヤチヨは応えず、静かに音もなく立ち去っていく。
イチモンジは再び天へと指を立てた。
そのまま天を仰ぎ見る。
朝焼けに染まりゆく中、最後に瞬く一つの星。掠れ消えゆく星。
一つの問い 一つの誓願 一つの句
応える連歌 連綿なる想い 此処に
今宵の御伽噺。
誓願す 吾は空蝉 流るるを
導くすそ野 此処の唄かな




