鬼伝承(原書)
~淵暦鬼忌憚~
彼の山を淵山と申すなり。
鬼の祖の住まう淵に在りて、人々忌み嫌い近づくものは無し。
麓の社、鬼封じの印として今尚、祈願が続くなり。
里の言を聞く。
田植えの終わりし候、薄暮時に一人の鬼、里に現る。
庄屋の奉公の娘也。否、元は娘にして今は鬼と化したものなり。
着物は裂け、白肌を顕わに歩む。
手に持ちたるは人の頭、口より生き血を滴らせ、その目は人のものに非ず。
里のもの、喰われ殺され元の数より半減す。
鬼の娘と遭い半身に傷を負いしも生き永らえたものが申すに、その力人のものに非ず、その速さ人のものに非ず、その残虐さ人のそれに非ず。老若男女問わず襲われ喰い殺されたりと。
鬼の娘、現ると同じく唐突に姿をくらます。
以後、その鬼を見るものは無し。
信じ難き話なり。
さりとてその傷跡多く、今尚里にもの口々にするところを見るに、偽りと疑うことは叶わず。
まこと恐ろしき話なり。
(中略)
鬼、外より来るものに非ず。人の内より出づるものなり。故に人々、鬼は外へ鬼は外へと唱うるなり。
哀しきかな哀しきかな。たとい唱え神仏に祈り捧げんとすれども、人の心の闇、消えることは無し。
人の世に生まれ人の世に往き、人と振れ合うにつれ闇は深くなりにけり。
人の世をもって一夜の夢、鬼人になりて哀しみの闇に沈むなり。
(中略)
誰ぞ鬼討つこと出来ようぞ。
此の世の闇をば消し祓うこと出来ようぞ。
人在りて鬼在りや否や。
唯々祈るばかりなり。
唯々願うばかりなり。
哀しみを断ち切るを望み祈る外は無し。
~鬼切怨結記~
新琴之守の元に集りし兵二十六名、鬼討伐の命を受け出立す。兵の中に三名の山柴一族あり。鬼討ちを生業とする一族と聞くなり。その者達、良き評判は聞くものの出で立ち軽装にしてこれより戦うようには見えざり。逃げる為ゆえに軽装、生き延びて名を残すのではと笑う者もあり。ただ大仰な一振りを帯刀するところ、落ち着いた所作、また滲み出でる風格に、我評判に違わずと信じるところなり。
(中略)
山に入りて二日、鬼と遭遇す。身の丈は木々を越え空を遮り、その腕脚は大木と変わらず。凡そ立ち向かえるものじゃなし。腕一振りにて四、五名の者吹き飛び、他の者も戦意喪失す。追い込まれて刀を振るうも、ある者は踏まれある者は蹴散らされ、瞬く間に兵が半減す。その中にあって山柴一族の者、身を翻し応戦す。一刻一刻と過ぎて兵少なり。ただ鬼も無傷に非ず。やがて地に伏す。鬼の首を取ろうとするも黒霧に遮られ叶わず。消滅するを見届けて鬼討伐成りとす。
~柊ノ翁鬼脚問答~
夕暮れ時、今夜の食材をと思いて畑に入りしところ、遠くに人影を認めたり。
はて、かような時にここいらで人在りしは稀なることと声をかけるに、その者これより山に入ると申す。
時期に陽が暮れるゆえ、今から峠を越えるは難儀であろう、急ぎであっても無理してはかえってと申してみたところ、その者、では鬼であるが一宿お願いできるかと願い出る。
鬼と申してみても戯言と信じがたき。声をかけてしまった以上、断るのもいかがかと思い願いを受け入れる。家へ招き入れ、飯の仕度を整えたところで囲炉裏を挟んで先程の疑いを口にする。
翁問う、拝見するにその姿、失礼ながら浪人のそれと変わりぬ。かえって気品すら感じるところ。とても物騒に鬼とは信じがたき。
客人応えて曰く、人は見た目と内が相違なる也。ましてや鬼や如何。
翁問う、そうであれば、我何故に未だ命あろうことか。
客人嗤うて曰く、鬼とて無闇矢鱈に人を襲わじ。そもそも鬼と申しても人を喰うわけじゃなし。鬼の中でも低俗なるものは分別つかずその限りに非ず。さりとて我のように思慮する鬼もありきや。
翁重ねて問う、失礼ながら未だ鬼と信じ難き。鬼は人に非ずと世間の申すところにあり。
客人応えて曰く、鬼は初めから鬼に非ず、人より生まれしもの也。抗い難き絶望の果て変わりしものの名が鬼なり。故に稀に人心忘れざる鬼もありき。
翁問う、抗い難き絶望とは。
客人応えて曰く、此の世に対する怒り、哀しみ、憂いなど、死すら越え望みを絶たれることなり。
翁問う、ゆえに鬼になりしと申されるか。
客人応えて曰く、誰もが鬼になるわけじゃなし。風吹くところもあれば吹かぬところもあり。流れる川とて澱むところあり。人もまた鬼に変わる者もあるというところなりや。
翁未だ信じ難き心中にありて恐る恐る問う、絶望し望まずして鬼になるは慈悲無き事と。
客人応えて曰く、そもそも望んでか望まざるか人として生まれる。望んでか望まざるか絶望に晒される。鬼になるもまた同じや。
翁問う、鬼になりて何を成されるか。
客人応えて曰く、ただ鬼になりて我が痕をば跡人の世に刻むなり。




