夜風に漂うリボンと紫煙(裏)
(あー、忘れてた。すっかり忘れてた。
つか、ガキとのいざこざぐらい納めとけっつうの!)
田村が顔をしかめ、被っていたハンチング帽を被りなおす。
半ばあきらめて、恨めしそうにその「野次馬」の人だかりに目を向けた。
「揉め事か。」
「すんません、若頭。射的場で目玉落ちたらしくて…
今すぐ納めますんで。」
「ほぉう。
まぁ、祭りに喧嘩は付きもの、ってな。」
男はその原因よりも物怖じしないその声に興味を持ち、田村が動くよりも先に歩く。
(まいったなこりゃ)
田村はしぶしぶ男の後ろにつき従った。
後ろからとはいえ、田村は男が歩きやすいように障害となる人ごみを手で押しのけ、道を開く。
「だからさぁ。インチキだって言うけど、落ちないようにしてるんだったらそっちがイカサマじゃん。」
「そうじゃねぇって! だから簡単に落とされねぇようにしてんだよ! 大賞わっ!」
「でもちゃんと落ちたけど?」
物怖じしないその声の主、黄色い花柄の浴衣を着た小柄な少女が、怒鳴る男を煽るように攻め立てる。
男は二人に近づくと、怒鳴る男を手で制してその少女と向き合った。
「威勢がいいねぇ、お嬢ちゃん。」
「あんた誰? …責任者?」
黄色い花柄の少女は先程までのクールさを保ちながらも、男のただならぬ気配に緊張を高め、密かに闘気を纏う。
友達だろうか、その少女の後ろに「大賞」の大きな猫のぬいぐるみを持った子と、緊張した面持ちの背の高い子が寄り添うように立った。
(なかなか肚の座った子じゃねぇか
ん? この子は…
ははっ、そうか!
どっかで見た顔だと思ったら息子のツレか。
なるほどねぇ、どうりで。)
男は一人合点がいくと、明るい声で少女の質問に答えた。
「責任者ってほど偉いおじさんじゃねぇよ。
んま、争いを納める係員かな?」
そう言って男は出店の飾り付けにあったリボンを取り、田村を見ずに言葉を続ける。
「田村、マジック。」
「はい。
(マジック? 手品じゃねぇよな…)
おい、マジック!」
「え? あ、はい…」
急に話しを振られた、先ほどまで怒鳴っていた店の男は、慌てて店の奥から油性ペンを取ってきて田村に渡した。
田村は油性ペンを受け取ると「若頭、どうぞ!」という言葉を飲み込み、すぐさま無言で男に差し出す。
少女は警戒を解かず、その様子を怪訝そうに見つめた。
男がリボンに字を書き始め、言葉をつなぐ。
「そんなわけでその覇気、納めちゃくんねぇかなぁ。
震えて字が書けねぇよ、っと。」
「……。」
「はい、ちょいとごめんよ。」
男が振り返り、ぬいぐるみへと緩やかに歩み寄る。
少女は警戒を解いてはいなかった。油断もしていなかった。だが、男の表面上からは悟ることの出来ぬ隙の無さに、咄嗟に動くことが出来なかった。
『大賞おめでとう! 射的場でゲット!
夏祭り実行委員会 最高責任者 田村』
と、大きく書かれたリボンが付けられる。
(いつのまにか俺が「最高責任者」に!)
「これで手打ち、つうことでな。」
「…インチキの片棒かよ。」
体のいい「宣伝」に使われると悟った少女が、不満を乗せて静かに呟く。
「お互い様ってことだよ。
もう一人の、射的の上手い嬢ちゃんにもよろしくな。」
男は微笑むとすぐに背を向け射的場の台に油性ペンを置き、ポケットから取り出した10円玉を器用に空中へとはじく。
キラキラと輝く軌道が頂点に達し、重力に逆らえず落ちてくるのを男は「パシッ」と取り、油性ペンの横に置いた。
田村はいち早くその一連の行為に勘づき、集まっている野次馬へと声高らかに呼びかける。
「さあさあ紳士淑女、お嬢ちゃんにお坊ちゃん! 浴衣の綺麗なそこのお姉さん!
あぁ、一目惚れしてしまいそうだねその魅力!
おおっとそれはさておき、ただ今この射的場から大賞の大きなぬいぐるみが落ちましたぁ!
お見事キュートなお嬢ちゃん! 拍手喝采だ!」
そこで田村は大きな拍手で一同の視線を、さらに通りを歩く人々を巻き込み、自分の方へと向けさせる。
「腕に自信のある方ない方も、一度は賭けてみたいこのコルクの玉に!
命を乗せたその一撃に! ドカンとお見舞いしてやりましょう!
大賞は今すぐそこの、いかついおっさんが用意しますんで、暫しのお待ちを!
いやいや手頃な副賞、魅力的な副賞まだまだ盛りだくさん!
ささっ、どなた様も1発2発どんどん当てておくんなましぃ!!」
野次馬がその口上につられて射的場へと群がる。
田村はその隙に、財布から無造作に取り出した何枚かの一万円札を店の男に渡す。
「若頭からのご祝儀だ。これで今すぐ大賞の代わり買ってこい。
今度はもう少し重たいやつな!」
田村はそう言い残すと、先に歩いた男を追いかける。
「田村。」
「はい…、
すみません若頭。」
「さっきの口上、ちょっと古臭いな。」
「そんなこと、言わんでくださいよー!
これでも頑張ったほうだと思いますよ!」
男は満足げに田村へと柔らかな視線を向ける。
「これだから祭りはやめらんねぇ。」
先程までの人だかりは、もはや二人の行方に興味を持つことはなかった。
射撃場からの明るい声を背に、二人は雑踏の中へと溶け込んでいく。
日常の怒りも哀しみも、喜びも憂いもごちゃ混ぜとなり、活気という高揚感に満たされている人々。祭り独特の熱気に、男は満足気に目を細める。
信頼ある情報筋、男が魔女と呼ぶ「組織」から、今夜起こりくる騒動に気をつけるよう言われていたが、どうやら大っぴらに警戒することはなさそうだ。
「ま、安心したし、そろそろ帰るわ。
田村、若いのを5、6人回しとく。なんかあったら表通りの方から堅気衆を逃せ。裏手の境内の方には行かせるな。」
いつになく男の具体的な指示に田村はただならぬものを感じたが、それには言及することなく返答した。それを気にすることは自分の仕事ではない。
「はい、わかりました。」
「お前もそれには近づくな。これ以上いい面になったら終いなんだろ?」
男は不安の陰が見える田村に、冗談交じりで指示を重ねた。
男と田村は縁日から離れ、店の裏手の方へと向かう。その道すがらも職人衆からの会釈に、男は笑顔で応える。
「佐藤の嬢のところには、寄らんですか?」
「ああ。俺みたいなのがあんまり顔を出し過ぎるのもな。
裏稼業から足洗わせてぇんだよ、嬢には。」
男の親心のようなものだろうか。だが嬢はどっぷりとこっちの世界に浸かっている。嬢、本人にしても難しい問題だと田村は思った。
「じゃあな、田村。あとは上手いことやれ。
ここまででいい。」
「はい。任されました。」
田村は男が立ち去るまで頭を下げ続けた。
人気の無い道を男は静かに歩く。通りの街灯の明かりが近づく。
「身内を魔女に売ってんだ。俺もろくな死に方はしねぇな。」
男は一人、誰に言うとなく静かに呟き、煙草に火を付けた。
紫煙が夜空に消えていった。




