霞みの中を猛り(裏)
「チッ!」
少年は舌打ちする。
それは諦めや不貞腐れのそれとは違う。純粋な苛立ち。猛る命の息吹。
少年は土煙に燻る先を見る。霞がかり視認は出来ないが、明らかに圧力が押し寄せてくる。鬼気が迫ってくる。
実際のところ、かつてこれほどまでの鬼の気を感じたことはなかった。
「鬼の出現」とはいっても、全国で確認されるのは多くても月に数回程度。現れない月だってある。そしてその1回にしても大半が半鬼。完鬼なんぞ年に何回あるだろうか。まして複数体で発生するなど半鬼ぐらいなものだ。それですら2、3体がいいところだろう。
完鬼が複数などは稀。そして中鬼は数年に1体ぐらいなもの。
その完鬼が30体以上。そんなことなどリュウジン、いや、ここにいる全員が初めての経験。浦島家の現当主、父にしたって初めてのことだ。
勿論、鬼討伐に身を置く浦島家の歴史上、幾度となく鬼の軍勢との討伐戦があっことは知っている。
その度に多くの犠牲を払ってきたことも。
「よくもまぁまぁ毎度毎度、これだけの鬼を用意したもんだぜ。
しゃらくせぇ。」
腰に差した刀の鞘に左手を添える。確かなその重みを自身に沈める。
遠く左手の方角から轟音が響く。続けて黒煙が上がる。狼煙が上がる。
それは鬼の襲撃によるものではない。こちらの陣営が意図的に起こしたもの。
開戦の合図。そして人々に対しての警告と「ここで花火を見ることはかなわない」と諦めさせるのが意図。つまり人々を避難させるのが主目的。
「伝令! 第1隊が交戦開始!
第3隊は鶴翼に展開、右陣にて片翼包囲。避難路と鬼の接触を許すなとのこと!」
傍らに控えていた僧兵の男、副隊がリュウジンに告げる。
「……右陣に六、左陣に四で展開。俺は左陣に入る。」
「なお……、
中鬼は氷鬼と断定。無用に手を出すなとのこと!
最優先事項は市民の安全確保、及び……」
「もういい。
副隊は右陣を指揮しろ。その後は司令隊の指示に従え。」
リュウジンは第3隊を任されていた。だが煩わしさから通信機器は身に着けてはいない。それは別に司令隊、兄の指示に従いたくないということではない。兄であるリュウエイのことは信頼している。その戦略は個体相手はもちろんのこと、この数を相手にしたとて霞むものではないだろう。
純粋に闘いに自身を投じたいだけなのだ。心の声、この猛りに身を預けたいだけなのだ。目の前に現れた鬼は、完鬼だろうと中鬼だろうと全て斬り伏せる。
この戦いの最大の難関は何か。
浦島家の本隊他、予備隊、近隣に配備されている者も全て投入されている。単純な戦力で言えば五分五分、いや上回るのではないか。だが相手は鬼。人とは根本的な違いがある。
それは超常的な回復力だ。中途半端な攻撃は時間稼ぎにしかならない。対してこちらは生身の人間。回復力だけは鍛錬で得られるものではない。
つまり、こちらが負傷を受ければ一方的に不利になるという事実。そして長期戦になれば体力、持続力も落ちる。
如何にして攻撃を回避しつつ、確実に鬼を仕留めるか。かつ短時間で。
兄の考え、戦略は何か。
それは流れる川の勢いを段階的に殺し、最終的に収める事。集約させること。
自身に課せられた役割は、最後の砦か、それとも布石か。
「しゃらくせぇ。」
戦いの口火を切った第1隊。そこを指揮するのは父だ。
はたして第1隊でどれほどの数を削れるか。良くて三割程度だろうか。仕留めることよりも戦力を削ぐこと、そして後続の出現の可能性に備えて動くはず。無理して追いはしない。
中鬼。氷鬼。
あの男だ。一度、遠目に見ている。「最古の鬼」というだけではない。本質的に戦闘能力が違う。
父とて討ち取れぬだろう。つまりここに来る。
無用に手を出すな、か。
無用か。では俺は無用か、有用か。
兄の言った言葉は皆に向けたものか。それとも俺に向けた言葉か。
「リュウジン!!」
「ぬけた声出しやがって。
手前ぇの用なんざ、ここにゃあ転がってねぇよ!」
振り返らなくても声でわかる。幌谷ビャクヤ、今生の桃太郎。終わらせる者。
勝手に終わらされてたまるか。いけすかねぇ。
俺が終わらせてやる。俺が終わらせる。このくだらねぇ戦いを終わらせてやる。
左腕を失いながらも猛る鬼。咆哮を上げながら狂乱に身を任せ迫ってくる。1体目。突き進むことしか、破壊しか目的を持たぬ憐れな存在。
目が合う。焦点が俺に定まる。来いよ。屠ってやる。
刃圏に入れる 縮地 抜刀一閃
「行けよ。」
「大丈夫か。その……、リュウジン、任せても?」
「バカ野郎、誰の心配していやがる! しゃらくせぇ。
手前ぇが心配しなくても避難路には鬼が行くことはねぇんだよ!
俺がここにいるからな!」
こいつらは俺の獲物だ。そしてこいつらを刈るのが俺の務めだ。
「橋の方にも届かないかもしれねぇな!
ビャクヤ、ここは手前ぇの出る幕じゃねぇ。」
「……。
わかった、頼む。」
納刀 大地へと己を沈める ゆっくりと息を吐く
2体の鬼、その後ろにも1体。ここまで通り抜けてきた際に負った傷は癒えきっていない。傷口から忌々しい瘴気が噴き出している。
兄の作戦通り個体は削られ、そして全体の侵攻も速度が落ちていた。一度に10体を相手にするのと、1体を10回相手にするのとではまるで意味が違う。
確実に、きっちりと。仕留められるタイミングで刀を振るえばいい。
「右の1は任せる。左の2、俺に合わせろ。」
左正面の鬼の鬼門へ向けて横一閃。浅い。承知。
刀を翻し、突き出した顔面へ。目打ち。視界を奪う。
そのままやり過ごし、次に来る鬼へと迫る。
左旋回 踏込み 逆袈裟 続けての腸抜
仕留めた鬼が堕ちる。残した先の1体が沈んだことが音でわかる。合わせた者が仕留めきった。右を見る。まだ堕ちていない。そのまま背後へ迫り鬼門を穿つ。刀を抜きながら横へと切り裂く。次に備える。
この場で抑えるのは3体同時が限度だろうか。
直後、背筋に感じた瘴気に振り返る。
鬼共の先、その中央から発せられる氷のように冷ややかな瘴気。
「クソ野郎が……、いけすかねぇ。」
ハーフコートに身を包んだ男、氷鬼が、まるで散歩でもしているかのように歩んでくる。周囲の鬼共などいないかのように、その戦いには一切の興味を示すことなく、ただ歩いてくる。
「お前らは手を出すな。あいつは俺がやる。
他の鬼は任せる。」
怒りを、苛立ちや猛る想いを、全ての感情を心に納める。
刀を鞘に納める 視点を氷鬼の先へ定める 身体を沈める
感覚が集約する 浅く息を吐く 右手を柄に左手を鞘に
全身から力が抜ける 四肢が身体が全て一つとなる
音が消える
縮地 最大限に身を沈める
ゆらりと体軸をずらす氷鬼
反応し右足先を修正 刀を滑らせる
氷鬼が蹴りの態勢に入る 狙いは 柄か 抜かせないか
右手を柄から離し蹴り足を払い捌く
同時に身体を左へ捻る 左手へ柄を渡す
左逆手で抜刀 蹴り足の力を右手に沿わせる そのまま力に身体を乗せる
左袈裟に刀を降ろす 抜け斬る
「悪くない動きだ。」
クソが
「I don't have time.
だが相手にしてる暇はない。」
斬道に合わせ受け流しやがった。
奥歯を噛みしめる。
一太刀も入れずにあいつを行かせるのか?
クソが! クソが!! クソがッ!!
俺の役目は何だ? あいつを追えないのか? あいつは留まらないのか?
氷鬼が再び歩み始める。この場を立ち去っていく。
避難する人々も、鬼共の墜ちていく姿も、一切興味を示さず橋へと進んでいく。
俺の刀も、俺の斬撃も、俺自身も見ずに立ち去っていく。
音が戻ってくる。鬼共の咆哮、大地を踏み抜き、拳を打ち下ろす轟音。
俺はあいつを追うことはできない。この防衛線を護り、避難路へ鬼を行かせないことが役目。
「あああああぁぁぁぁぁっっっ!!」
雄叫びを上げる 眼前に迫ってきた鬼を一刀両断する




