庭園に佇む夏紅葉(裏)
少年が木刀をだらりと下げ、肩で息をつく。
ここは少しずつ少しずつ、何十年、いや何百年という時をかけて形作られた、古風な日本庭園のようだ。池、岩、石灯籠、竹垣、草木などが、一見すると無造作に配置されているように見える。だが、全体が確かに調和していた。
その調和された一角に、まるで悠久の時からそこに在るように少年が佇んでいた。
若さゆえ、年少期の苛立ちゆえ、青きゆえに、自暴自棄なゆえ、つまるところ思春期ゆえに。
大人たちはそう言う。
「次。」
そんな言葉を弾き飛ばすかのように、静かに少年は呟く。
激しい打撃音、衝撃、咆哮が響きわたった。
額から流れ落ちる汗、荒ぶる呼吸、そして訪れる刹那の静寂。
憤怒、憤慨、情熱、猛る気迫、奢った想いではないか。
大人たちはそう評価する。
そうして全ての不確かな感情をただ一つの「言葉」に閉じ込め、一括りにして帰着する。
「次。」
そんな評価を一蹴するかのように、確かに少年が呟く。
再び、リアルな戦闘音が響き渡る。
負荷をかけ続けられる肉体、軋む骨、身体の更新を求め続ける心。
大柄にして和装の集団、僧兵達が大槌、棍棒、戦斧、薙刀、刺又等々、大きな獲物を構えて少年を取り囲む。寡黙に威圧するそれは、通常で考えれば異様な光景だ。
「次。」という号令の下、その言葉を発した少年に向けて僧兵たちが一斉に攻撃が仕掛る。熟練のなせる業なのか、僧兵達が相打ちになるようなことはない。かといって定められた攻撃手順という風でもなく、まるで僧兵達が一つの大きな生物であるように、多くの目と多くの腕を持った一つの意思として機能していた。
驚嘆するのは少年の動き。その練度、その気迫は僧兵達に後れを取ることはない。むしろ圧倒的な体格の差、武器の間合いのハンデをものともしない戦いぶりは、技術的に少年が僧兵達を上回っていることを示している。
ほとばしる激情、抑えきれない闘争本能がわかりやすいぐらいに表出してはいたが、少年の動きは感情に流されてはいない。的確に体を捌き、降り注がれる攻撃をいなし受け流し、次々に僧兵達の水月へと木刀の先端を当てていった。
全ての攻撃を回避する。全ての「水月」という定点を押す。それだけがルールだった。
これほどの暴力的な嵐の中にあって、庭が荒れることはなく、僧兵も少年も乱れることはなかった。
「そろそろ休憩したらどうだい?」
柔らかで張りのある声が庭園に届く。
「成長期なのだから無理をしたら身体が壊れてしまうよ。リュウジン。
労わることも大切なことだよ。」
声の主と少年の道を結ぶ道を開けるように、僧兵達が左右へと退く。
統率が取れているのだろうか。僧兵達が声の主に向け、一斉にそろって目礼する。
声の主は片腕を上げ、それに応え笑顔を向けた。
声の主、青年を乗せた車椅子が女中に押されて前へと進む。女中が一礼しその場を後方へと控える。
「無理はするな、つったって鬼は待っちゃくれねぇし。」
「ははは。それは確かだけど、一人ですべてを背負い込む必要はないんじゃないかい?
リュウジン。」
「……、兄貴に言われたかねぇ。」
少年は青年から視線をそらし、額の汗を乱暴に袖で拭った。
青年の右腕は肘から下が欠損していた。車椅子に乗っていることから足も不自由なのであろうことがうかがえる。しかしその笑顔に悲壮感はない。少年は持っていた木刀を帯にさし、青年から視線をそらしたまま車椅子の後方へと回った。
「本家がお見えだよ。」
少年が車椅子を押すのに身を任せ、青年は諭すように少年に語り掛けた。
「俺の知ったこっちゃねぇし。」
「午後からも稽古に精を出すだなんて、本家と顔を合わせたくないってのが見え見えだよ、リュウジン。
いずれは浦島家を引っ張っていく身なのだから。」
「当主は兄貴が継ぐんだから別にいいじゃねぇか。」
「僕の片腕じゃあ、それは難しいかな。」
「そんなもんなんだっていうんだよ! 俺が兄貴の片腕になってやるよ!
大体にして本家がだらしねぇから! 危ねぇ、日陰の役目をウチに押し付けっから!」
「リュウジン。」
青年が声のトーンは変えず、しかし強い意志を込めて少年の言葉を遮る。
一陣の風が通り過ぎ、草木が騒めく。
「本家の『山柴』が表舞台に立つために、武闘派集団の『裏柴』が独立し裏舞台を任されたんだよ。
『裏柴』は浦島家となり、裏舞台を守ることは当家の本懐だよ。」
「んなこと言ったって……。」
「リュウジン、僕は確かに鬼との戦闘で片腕を失い、腰椎を損傷して歩けなくなった。
でもそれは僕の鍛錬がいたらなかっただけの話。
刀を振れないことは寂しくもあるし、リュウジンに負担をかけることは申し訳なくも思う。
でもね、僕は後悔はしていないよ。その甲斐あって、好みが無駄にならずに皆を守ることができたのだから。
それにね、言っちゃなんだけど、お陰様でかねてからやりたかった戦術研究する時間も増えたしね。」
青年が朗らかにほほ笑む。
少年は返す言葉を見つけることができなかった。
木漏れ日の筋が頬を撫でる。移ろいゆく景色、時間の中で、自分は何を求め、何を成せばいいのか。
「そういえば、転生者と会ったんだって?」
「ん? あぁ、桃太郎か。」
「どんな方だい? 伝説の人物は。」
「全くもっていけすかねぇ野郎だった。
そんなわけのわかんねぇ伝説なんかに頼る必要なんかねぇよ。」
「リュウジン。彼は「終わらせる者」だよ。軽んじてはいけないよ。
1200年以上にわたる我々の戦いは、彼あってのものだ。いつの時代だって彼が終わらせてきたのだから。」
「んで、桃太郎様が不在の間は、俺らが本家に代わって留守番てか?
まったく、しゃらくせぇ。」
「それが僕らの務めだよ。」
少年と、青年を乗せた車椅子は、緑鮮やかな夏紅葉の目隠しを抜けて母屋の玄関先へと出た。
開けた空間、玄関の前にはクラシカルな黒塗りの車が待機している。客人が帰るタイミングなのだろうということが伺える。
少年は押す車椅子を止め、眼前に広がる蒼天を見上げた。
何処までも蒼く、何処までも突き抜けていいるような空だ。ゆっくりと小さな雲が左から右へと流れる。
自分はあの空になれるのか。それとも流されるだけのあの雲か。
間もなくして玄関の扉が開かれ、夏らしい麻仕立てのスーツと中折れ帽を被った細身の初老と、それに続き大仰な髭を蓄えた筋肉質な男、少年たちの父親が姿を現した。
少年は姿勢を正し、首を垂れる。
一見すると礼儀を重んじ、礼を尽くしているかのような姿勢だった。
だがそうではない。少年は自分のこの上手く言い表せない苛立ちを、そこにいる大人たちに見透かされるのが嫌なだけだった。視線を合わせ、何かしらの心境を読み取られ、そしてさげすまされるのが嫌なだけだった。
そんな自分たちなどいないかのように、大人たちは二三、言葉を交わしたあと初老の男が乗り込んだのであろう、車のドアが閉じられる音が聞こえた。
車の走り出す音につられて少年がゆっくりと姿勢を正す。
眼前を通り過ぎようとする車の窓が開かれ、少年へ向けて言葉が発せられる。
「今は自分の納得のいくまで刀を振りなさい。」
青年にも、誰の耳にも聞こえなかったかもしれない。
だが確かに少年の耳には、心の茨にひっかかるように初老のその言葉が届いたのだった。




