ボクは彼だけの者でありたい(虚)
雫ミスミはビャクヤの眼差しを直視することが出来ず、視線を伏せた。
彼をこの変電所から遠ざけようと企てたのは雫ミスミ自身なのだ。しかもそれは彼の意思、主張を無視してまで行ったことだった。
この戦いには必ず大鬼が現れる。
それは直観のようなものだったが、状況を分析すればするほど、雫ミスミの中で確信に変わっていった。
では、この戦いの勝利条件は?
勿論、被害の最小化、人命救助優先は必須条件なのだが、それイコール勝利条件ではない。「大鬼を討つ」、つまり敵の王を取ることが勝利だ。
各所で起こる戦いを制し、敵勢力を削ぎ、最終的にチェックメイトする。
そう、裏を返せばこちらの王を取られたならば敗北なのだ。
前線、小局に王を出すセオリーなどない。
また、いくら各所で負けようとも、いくら駒が取られようとも、チェックメイトさえすれば勝ちなのだ。
故に相手の大鬼をいかに丸裸にし、且つ我が王を護れるかが最重要項目。
ボクは彼のクイーンにはなれない。がしかし、ルークにはなれる。それがボクの役目だ。ボクは幌谷くんの剣であり盾なのだ。それ以上望むことなどあるだろうか?
チェスで言うところの入場。王の護りを為す、ルークにしか出来ない一手。
そしてこれは護りだけじゃない。相手を強襲できる一手にも転じられる。
ただの布石になろうとも、小局の勝利になろうとも。
幌谷くんを護り、同時に中鬼をここで迎え討つことが出来るのならば。
雫ミスミに迷いはなかった。だがしかし……
「戦況は芳しくありません。」
『荒渡を、あの男を止めることは難しいのだろうか。』
「現状の制圧成功率は16%ほど。手だてを掴めそうなのですが、それを解析するには時間がかかります。ですが残念ながらその時間はありません。施設が耐えられそうにありません。そしてこれは……、ボクの力量不足です。
鬼共はこの施設、変電所の破壊が目的だったはずですが、あの男はそうではないようです。100%とは言い切れませんが。
おそらく我々が撤退、人がこの施設にいなくなれば興味がなくなるのではないかと予測されます。ただその際に、ついでのように施設破壊に転じる可能性が63%程度と予測。」
ボクは下唇を咬む。この表情を見られたくないが為に、再び背を向け中鬼に銃口を向ける。
「よって……、幌谷くんは此処にいてはなりません。」
中鬼を睨みつける。その対象はまるで余裕だと言わんばかりに両腕を天井へ放り投げ、ゆっくりとした足取りで階段へと歩む。
「あれを止められぬ以上、撤退が最善手。
ククーが先導します。お引きください。」
ククーへ桃太郎の保護、避難の要請を短く伝え、ボクはヘッドセット、無線端末を外し、傍らへと捨てた。
『時間が……、必要か。
あいつを止めるには。』
引き金を引く。銃撃音が短く鳴る。
『前に僕は……、ずっとそばにいてくれってミスミちゃんに求めたと思う。
でも僕は、改めて言い直す。』
幌谷くんが深く息を吸い込み、ゆっくりと吐く。
『僕は君の傍に在る。
ずっとだ。離れていても、君の傍に在る。』
ボクはその言葉に振り返る。
彼の、幌谷くんの強い視線にボクは晒される。
確かな想い、確かな決意、確かな意思。その力にボクは晒される。
『ミスミちゃんは最善を尽くしてくれた。
最善手として僕を此処から、引き離したことは十分に理解しているよ。
でも、だからこそ僕も最善を尽くす。
……、受け取ってくれるかい?』
幌谷くんが手を胸に当てる。淡い光がその手に宿る。
「承ります。
あの男を、あの鬼を討ってみせます。」
ボクは幌谷ビャクヤの前に座し、首を垂れて忠誠を今一度、誓う。
ボクは。ボクは……
『伏せないでくれよミスミちゃん。
僕は君の、はにかむような笑顔が好きなんだ。』
面をゆっくりと上げると、そこには寂しさを纏った柔らかな微笑があった。
その突き出された手には、仄かに紫を纏った宝玉が浮かんでいる。
『僕の剣であり盾であってくれ、ミスミちゃん!』
「もちろんです!100%」
宝玉を受け正式な契約を、今生の本契約をボクは幌谷くんと結ぶ。
身体を、心を薄紅藤の光が包み込む。全てが彼を刻んでいく。
背部に展開された両翼に電磁パルスが流れ、幾何学模様に書き換えられていく。
より実態化したオーラが装着されていく。
視界に入るあらゆる存在が数値化されていく。全ての流れがベクトルとして示される。
いや、視覚野に写るものだけではない。可視光線以外の波長、熱の流れ、空気の流れ。あらゆる事象が解析され、リアルタイムで表示されていく。
眼下に漂う瘴気「見えない水」の流れが視覚化される。
その中を一人、悠然と歩く中鬼。
余計な装備を外し、サブマシンガンだけを手にする。三点バーストに切り替える。
今はこのオーラだけを纏いたい。彼だけの者でありたい。
「ありゃ? あんたは逃げない感じっすか?」
上階へと続く階段へと降り立ち、中鬼の行く手を阻む。
足元には「見えない水」、ギリギリのライン。
対峙した中鬼が、まるで喜劇役者のように脱力し、にやにやと笑う。
これまで散々踊らされてきた。次はお前が踊る番だ。
「ここで逃してしまっては、主に申し訳が立ちませんので。」
「あるじ、っすか。いいすねぇ、そういうの。
つまりあれっすよね? その主様より下ってことっすよね? あんたは。」
余計な一言。それ以上聞きたく無くなり、発砲する。
「おっとっと!
相変わらずコミュニケーションを取ろうとしない人っすねぇ。
荒渡もコミュニケーションは得意じゃないっすけど、これでも一応は努力してんすけど、ねぇ?」
顔、口元へ目掛けて三発の発射。まるで「反射的に」というように手で受け流される。防御の瞬間、掌より高濃度の瘴気の噴出を確認。それを膜とするように魔滅を防ぐか。
仮に魔滅が顔にヒットしたとしても致命傷にはならないはずだ。ではなぜ?
三発の内、一発は手首付近に当たり損傷、しかし数秒と立たずに再生。
本能的な、条件反射の類なのだろうか。
人間であれば誰しも本能的に正中線は守る。半鬼、餓鬼、そして完鬼にはそういう傾向は見受けられない。防衛本能より闘争本能が凌駕するせいか。
それは理性を取り戻した中鬼故に、なのだろうか。
「そうやって高いところから見下しての一方的な暴力。
さぞかし気持ちいいものでしょうなぁ。」
正中線。心臓付近、そして肚。つまり鬼門へと連発する。更に弾丸を散らしてみる。静寂の中を銃撃音だけが響く。
心臓付近への三発。内二発は右手で防がれる。心臓より高い位置。心臓への一発は表層を抉ったようだが内部までは届いていない。
鬼門付近への三発は左手で防がれた。しかし掌で受けきったのは一発のみ。一発は左手首。損傷するも即時に再生。もう一発は肚へ当たるも、やはり鬼門までは届いていない。
下腹部、及び金的への三発。いずれもヒットするものの、致命傷に至らない。
謎が残る。
全ての弾が当たったとしても、全て体表で留まるのだ。
致命傷、いや行動の阻害。あるいは鬼門の破壊まで至らないのだ。その体表を覆う高濃度の瘴気のせいで。
これは魔滅ではなくとも、直接的な刀などによる攻撃でも同じではないだろうか。
そしてもう一つの疑問点。
なぜ弾道が読める?
応戦してからボクだけじゃなく、他の隊員も狙撃した。あらゆる角度から。
確かにヒットした魔滅もある。だが死角から放ったのにもかかわらず防がれた魔滅が、一定数存在する。
明らかに鬼門以外を守る意思と、それを可能にする能力を持っている。
その二つの解析が必要だ、100%
それ以外に勝ち筋は無い。
「当然ですよ。雉は水鳥じゃない。
相手の水中まで降りていくほど愚かじゃありませんので。」
「あぁ! ということはあれですか?
そうじゃなければ降り立つということすっか?
ここまで堕ちてくるということっすか? 底辺を知らぬ鳥が!!」
中鬼、荒渡が両腕を感極まると言うように大きく上方へと掲げる。
まるで人生の喜びを、身体全体で表現するかのように。
まるで絶望の中で嗤う、それこそ喜劇役者のように。




