嫉妬@ナイト(裏)
雫ミスミは苦悩する。このミッション。失敗は許されない、100%
これまでにも数々のミッションをこなしてきた。だが今回のミッションは今までのものとは一線を画す。
対鬼の基礎課程として人体の急所、どこを撃てば一発で沈むのか。人体で言えば頭か心臓。鬼は心臓よりは下。つまりは肚、鬼門。人体の一点を狙うという意味では変わらぬ。それを的確に、瞬時に穿つ術。接近戦における立ち回り、離脱する技術、そして距離を取り有利な間合での一撃。狙撃技術を中心とした対鬼能力は、才能も相まって組織内で右に出る者はいない。
また、少ない対鬼経験を紛争地域、犯罪地域に身を置き、実戦で身に着けてきた。
相手は人間。命を奪う行為に心が蝕まれぬわけではなかった。だがそのことを気に掛ける暇なく、心を押し殺し前へ前へと進んだ。結果、対鬼に留まらず、世界を渡り歩くに当たり多様言語の習得、対人交渉の術、集団戦における戦略、諜報活動等、必要と思われるものは片っ端から吸収してきた。
そういった複合的な経験、知能をフルに活用して挑まねばなる事態。
犬役、軒島ニコナに出会った時、正直嫉妬した。
自分がこの世界に身を置き、ただ一心に強くなることを志したときの年齢と変わらぬ。それなのに、これまでの自分の経験、努力が何だったのかと思わせるほどの彼女の能力、才能。
年端も行かぬこの子に負けるというのか。その上、自分が得られなかった光の世界がこの子を包んでいるというのか。いや違う、ボクはボクの人生を歩んでいるのであって、彼女の人生とは違う。
頭の中では理解している。だが悔しさがなくなるわけではなかった。
猿役、佐藤ウズシオに出会った時、驚愕した。
彼女の人生はいったいなんなのか。これまでの彼女の人生は一体どんなものだったのか。どのように歩んできたら、ここまで「殺傷」という行為が研ぎ澄まされるのか。もはや自分の技術がちゃちなものに見えてくる。濃厚な闇の世界が彼女に広がる。
彼女は言葉数が極端に少ない、表情も乏しい。だがそのせいか、彼とは一番心を通わせているように感じる。
自分は結局のところ光にも闇にも属していない。色で言えば中途半端な灰色。自分はこんなに嫉妬深い女だったのか。いや違う、何を考えている。そうじゃない。
雫ミスミは表情に出さず、余計な思考を頭から排除する。
今一番大切なことは、重要なことは、目の前のこの現状をどう打開するかだ。
それが今、求められているミッションではないか。
情報を整理する。
幌谷くんが攫われた。正確に言えば千条家の者が迎えに来た。ただその方法が歪すぎた。明らかにはたから見れば拉致。ボクは事前に情報を入手していたから気に留めることはなかった。だが佐藤ウズシオが動いた。ヤチヨ様に出会ったあの遊園地で、最後まであの場にいればこのような誤解は生まれなかったものを。なんという誤解か。
この件に関しては千条家の方で対応するとの回答を受けている。
しかし彼女の行動は本当に昔から読めない。何を考えているのかわからない。
警察機関は初動はあったようだが、今は動いていない。山柴家の動きだろう。
ちなみに裏社会、笠子組の動きもあったようだが、こちらも千条家の方で抑えたようだ。
残すところは目下、目の前の人物だけ。
「お姉さまのご心配になさる気持ち、すごくわかります。
ボ……、ワタシも同じ気持ちですから。」
「あのこはね、はーちゃんはいつもそうなの……。
右をね、右を選ばなきゃいけない時に左を選ぶの。こっちだよって言っても、必ず逆に進むの。
ジャンケンも弱いの。」
良くわからない。良くわからない情報だけれどそれは確かな気がする。
ボクと彼の、空白の時間を埋めるほどではないのかもしれない。しかしボクの知っている、なんとなく遠くで見つめるだけだったあの頃から変わらない気がする。妙に納得しつつ安心する。そうだ。彼は損な性格なのだ。運命に抗う術をまだ身に着けていないだけなのだ。
ボクは深くゆっくりと相槌を打ちながら腰を上げ、我が家とばかりに冷蔵庫へと向かい、麦茶を用意する。ごく自然流れで何故かそうなってしまったが、家主不在のまま彼の部屋に、彼の姉といる。
差し出した麦茶を彼の姉が小さく「ありがと」と言うと、一口一口、間を置きながら飲み込む。
「先程来られた警察官の方には一通り説明しておきましたから大丈夫でしょう。
ボクがもう少し早く来られていれば良かったのですが。」
「ううん、返ってごめんなさい。私としたことが取り乱してしまって。」
彼が拉致られ、もとい、強引に招待された場面に遭遇した姉の行動は早かった。正確に言えば距離にして2キロ弱、そして夜間の視界のすぐれない中でよく気が付いたものだと、訓練を積んでいるボクでも驚くほどだった。
その直後、彼女は取り乱すことなく瞬時に警察へと通報し、そして間髪入れずに父親へと連絡していた。傍受していた会話の冷静さは普段の彼女からは想像ができないほどだった。
流石、親代わりに保護者を務めてきたということだろうか。
さてどうしたものか。どう誤魔化すか。
誤情報を流布させるためのセオリーは、まず真実を8~9割。嘘で構成された情報は脆く、歪を更に嘘で塗り固めると、やがて自重に耐えられず瓦解する。だが真実が真実なだけに用いるには難易度が高すぎる。
骨子だけ挿げ替えて、起こった事実を肉付けしようか。サプライズ的なパーティへの招待。誰が?
ニコナの両親、彼の大学の学友、バイト先の社長……、ボクの家族という線は将来的にご挨拶という運びにならなくもない、83%ぐらいは確率があるだろうから外したい。
いっそうのこと笠子組のせいに、そっち方面のせいにしようか? いや、問題が大きくなり収拾がつかなくなる。却下。
「はーちゃんはね、隠し事が下手なの。
はーちゃんが何か大きなことにぶつかってて、とても悩んでとても頑張ってるのはわかる。それが何なのかはわからないけれど、きっと大切なことなの。
そしてね、みんなに迷惑とか心配かけないように抱え込んで隠すんだけど、やっぱりわかってしまうの。その気持ちが。」
「優しいですよね。」
「そう、優しいの。」
ボクは相槌を打つことしかできなかった。全体が見えていなくても彼女は全てを理解している。それをどう誤魔化せというのか。
「さっきお父さんにも言われたわ。何も心配することないって。 男には乗り越えなきゃならない壁がいつも目の前にあるんだって。俺もそうだったって。可笑しいわよね、女にだって乗り越えなきゃならない壁なんて四六時中あるのにね。」
彼女がコトリとグラスをテーブルへ静かに置く。
少し困ったような、憂いを帯びた目でボクを見つめる。それはとても、彼と同じ優しい眼差しだった。
「一応、人を回してくれるって言ってたから大丈夫かな。お父さんが何とかするって言う時は、本当に何とかしちゃう人だから。
それでね、今はビャクヤを信じろ、帰ってきたら笑顔で迎えてやれだって。それは難しいかなぁ。」
「そうですよね。」
ボクはその微かな笑顔に応えるように微笑んだ。
彼女が膝立ちになり、ボクへと近づく。あまりに自然なその動きに何も疑問を抱くことなく、ボクはそのまま彼女を見上げようとした。見上げようとする頭を包み込むように彼女が優しくボクを抱擁する。
「はーちゃんと同じ問題なのかはわからないけれど、あなたもずっと頑張ってきたのね。
大丈夫、あなたは間違ってないわ。それは目を見ればわかるもの。
そしてこれから進む道も間違いじゃない。
これからも、はーちゃんをよろしくね。」
ボクは不覚にも、その柔らかな優しさと声に泣いてしまった。




