現実と記憶の狭間に流れる(傍)
ボクはボク 過去は過去 前世は前世
ボクは誓う 今のボクは 今のボクだ
決して心は 流されなど いやしない
今倒した鬼で何体目だろう。あと何体いるのか。感知出来ている数だと十数体か。
残りの弾数をざっと頭の中で計算する。弾倉に残っている弾数は少ない。サブマシンガンは予備のマガジンがもうない。
こういう時、犬や猿と違う僕の能力を恨めしく思う。肉弾戦ができないわけではない。だが根本的に殺傷能力が劣る。まして中鬼のこの能力、瘴気による「見えない水」の抵抗は大きく肉体的能力を低減させる。
本来であれば一切この瘴気の干渉の受けない銃器は有利と言えるのだが、それも弾があってのことだ。
そしてわかったことがもう一つ。
この「見えない水」は本物の水同様、その中にあっては呼吸ができなくなる。
つまり荒渡だとかいう中鬼の狙いは、その「見えない水」でボクらを溺死させること。そのために鬼どもで足止めしているということだと推測される。
3階まで退避したのにもかかわらず、水位はすでに膝上まで来ていた。
鬼どもが破壊の限りを尽くし2階へと降りたため3階は半壊していた。だがそれが幸いし、大型の鬼は3階に再度登ることに苦戦している。
「ミスミちゃーん!
ポリスメーンが3体ッ!」
70m程先で前衛を張る幌谷くんから通信が来る。マイクを通さなくても、ここまで聞こえてきそうだ。
「心得ました。
先程同様、右手に引きつけて頂ければ。」
「間違っても、僕に当ててくれるなよ?」
自身の背後から瓦礫を登ってくる鬼をハンドガンで仕留め、すぐに狙撃体勢に移行する。
一体目、こめかみにヒット。
ぐらついたところを幌谷くんが仕留める。
二体目、鬼門にヒット。ブリングダウン。
三体目、振りかぶる前腕を破壊。
続けて鬼門にヒット。ブリングダウン。
「当たっても死なないと思いますが。」
「目の前に崩れる鬼を見て、それは無いと確信!」
「それは鬼だからです。
弾丸は魔滅ですから。」
「豆?」
「はい、魔滅です。
あ、一つ訂正します。死なないとは思いますが、痛いとは思います。」
「豆だったとしても、ものすっごい破壊力!
コンクリートに突き刺さってるし!」
「とはいえ、弾数も残り僅かとなりましたが。」
「なんて?」
「いえ、なんでもありません。」
この状況下でこれ以上、余計な心配を幌谷くんにかけたくない。
右太腿の止血帯が血で滲んでいる。鬼を殲滅せしめたとして脱出できる確率は依然低い。荒渡の底がわからない。
幼少の頃の幌谷くんを思い出す。保育園時代から彼が中学生の転校するまでは一緒だった。一緒だとは言っても小学、中学は同じクラスになったことはなかった。でも時折見かける彼の物静かな笑顔が好きだった。図書館で本を読んでいる横顔が好きだった。
ボクは6人兄弟の一番上だ。正直なところ裕福な家とは言い難い。いつも弟や妹の面倒で忙しかった。そんな中で学校にいる間は唯一の自分の時間だった。その唯一の時間の中で見かける彼の笑顔に、ボクは勝手に癒されていた。
「ミスミちゃん! 戦況は!」
「この付近に感知する鬼はいません。あらかた殲滅できたようです。」
床の大きな穴から階下の鬼2体撃打ち抜く。これでサブマシンガンもライフルも弾が尽きた。
こうなってしまえばこれはただの鉄の塊だ。装備から外し傍らに下ろす。
ゴーグルに映し出される幌谷くんのバイタルは正常値の範囲内だ。あとは逃げるチャンスを作るだけ。
ゴーグルを外し、感知度を最大限まで引き出す。
左後方に鬼が2体。そして一緒にいるおぞましき者、中鬼。
荒渡だとかいう男。
「中鬼と鬼が2体。後方から接近してきています。」
そのまま逃げてください。ここはボクが食い止めます。
と続けたかったが、幌谷くんがこの「見えない水」を潜水して脱出できるとは思えなかった。
どうにかしてこの「見えない水」を解除しなくては。
「オッケ! 今そっちに行く!」
ボクは慌ててゴーグルを装着する。
魔獣モードを展開して翼が出るのは良い。飛べやしないけれども幌谷くんを守る天使みたいで良い。
でも瞳孔が開き、目がまん丸になるのは嫌だ。こんな目を幌谷くんに見られるのは嫌だ。
中学2年の冬、幌谷くんの母が亡くなった。病死、ということだった。
ボクの両親は幌谷くんの母親と親交があったわけではなかったから、ボクだけで葬儀に行った。彼のクラスメート以外で参列したのはボクだけのようだった。
慎ましい葬儀だった。さほど多くない参列者。
その中でひときわ大きな花輪が二つ。その場違いなほどに大きな花輪が印象に残っている。
幌谷くんはいつもの学生服に身を包み、じっと哀しみに耐えていた。
哀しみと同時に怒りも抑えているように見えた。彼はずっと床を睨みつけていた。
見慣れたはずの学生服の、薄墨色が物悲しかった。
ハンドガンの弾を装填しなおしマガジンをセットする。ハンドガンの予備マガジンはこれで1つ。ハンドガンを二丁合わせても弾数は34発。
駆け寄ってきた幌谷くんがボクの太腿の出血を見て慌てる。こうなることは予測できたのだけれど隠しようがない。大丈夫、まだ動ける。
「心配ありません。かすり傷程度ですから。100%
それとも、ここにきてボクのはだけた太腿に興奮しているのですか?」
「そ、そんなわけあるかーい!
両方の意味で、そんなことあるわけないだろ!
僕が…、ここは僕が何とかする!」
「ところで幌谷さん。
2輪の免許証が無いのは存じ上げておりますが、バイクの運転はできますか? そして潜水を15分以上できますか?」
「ストレートに僕の発言をスルー! そして凄いところからきた質問が変化球すぎるっ!
そ、そんなことできなーい!
両方とも、そんなことできる自信がない!
だから僕が…、ここは僕が何とかするってば!」
「それはボクの仕事です。承服しかねます。
ただ、2体の鬼はお願いいたします。」
「お、おぅ!
柴刈乃大鉈が火を噴くぜ!」
そうだ。幌谷くんを護るのはボクの仕事だ。それだけは譲れない。
通夜を終え、ボクは帰るタイミングも声をかけるタイミングも失していた。
こういう時、何と声をかけたら良いのかわからなかった。ただただ幌谷くんの哀しみがボクの中に流れ込み、深い喪失感に涙が零れた。それとともに何もできない自分に怒りを覚えた。
この怒りも幌谷くんと同じなのだろうか。それは未だにわからない。
葬儀場をひっそりと一人、抜け出した幌谷くんをつい追いかけてしまう。
幌谷くんが滑り台の下で泣いている。涙を流すことなく泣いている。
嗚咽を噛み殺しながら地を殴る。何度も何度も地を殴る。
ボクは幌谷くんの傍に行きたかった。
ここまで来たのに、すぐ目の前にいるのに、足が動かなかった。
体も声も動かなかった。
唐突に彼を、悲しみと哀しみと、怒りを纏った衝動が全身を包み込み、天に立ち上る。
無機質でいて純粋な感情を纏った漆黒の何か。一切の介在を許さない何かが静かに漂う。
無力感に続き恐怖がボクの全てを行動不能にする。
(あっ… あぁぁぁっ あぁっ!!)
声にならない声が、ボクの中から漏れる。
恐怖を塗り替えるように、また無力感がやってくる。
彼からさざ波のようなせめぎ合いが波動となってボクを揺さぶる。
ただ涙が流れ、祈り、誓願し、声にならない叫びを彼に向ける。
唐突に始まったそれは、始まった時と同じように唐突に終わりを告げる。
漆黒に当てられたボクは、永遠に続くかと思われたそれから解放され、息をすることを許される。
終わると同時に幌谷くんがその場に崩れ落ちた。
ボクはその場に膝をつき、荒い息をつき、胃液を吐く。
あらゆる恐怖と無力感と、全身に走る激しい痛みと倦怠感の果てに、ボクの中へ前世の使命がインストールされる。
彼は桃太郎で… ボクは雉で…
「どうやら彼は寝てしまったようだね。
ん? 君は…。そうか君が。」
「アッ、アゥ…、ウゥゥ……」
黒い喪服に中折れハットを被った初老の男がボクに声をかける。
膝をつき、ボクの背中に手を当て、柔らかく優しくボクを労わる。
その柔らかな微笑は彼に似ていた。
「心配いらない。彼は私の部下に運ばせよう。今はそっとしてあげたらいい。
無理をしてはいけないよ。
それで君は…、君はどうしたいかね?」
「アッ、ウゥ…
幌谷くんを…、ウゥ、あの、闇から…
救う力を……」
本当はあの時、どうしたかったのだろう。
本当はあの時、何に恐怖したのだろう。
「うんうん、そうだね。
そのためには、君はもっと強くならないといけないね。
大丈夫、君にはその力がある。近いうちに連絡しよう。
今夜は、うん、そうだね。
今夜はゆっくりと休みなさい。今、車を回してあげよう。」
あれからボクは幌谷くんを護る力を身に着けた。
あの時のボクじゃない。雉だとかそういうことじゃない。
彼を護ること。それだけは譲れない。
たとえこの身が、どうなろうとも。




